鬼熊氏館(枇杷平)

鬼熊氏館(枇杷平)([青柳城  周辺城郭])

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鬼熊氏館(枇杷平)の口コミ情報

2025年09月25日 内記かずりヾ(・ε・。)


鬼熊氏館(枇杷平)は青柳城の南西約4.3km、小仁熊川西岸(左岸)、標高約651mの山間部丘陵地緩斜面上平場に立地した居館です。

行き方は…こんなんマップコード以外でよう説明出来んわ…付近に目標となるものがありまてん…リア攻めマップを参照して該地を特定しよう。車はそこら辺に捨てられる。

該地の仁熊は中世には筑摩郡青柳郷を構成していた一村であり、江戸時代には西條村(JR篠ノ井線の駅名にその名を残す。)に属する地域である。古くは青柳郷の西条であったのかもしれない。中世〜戦国時代には麻績氏の一族と推測される青柳氏の差配が及ぶ地域であった。

近代に至るまで、松本と青柳とを結んでいたのは善光寺道である。即ち、松本から会田へ進み、アプリの登録城、虚空蔵山城の南西裾野を通って山中に入り、立峠を越えて乱橋へ抜けた後に中ノ峠を越えて仁熊へと至る。近世の善光寺街道では、会田、青柳には宿場が、乱橋には間の宿が設けられ、立峠には茶屋が存在していた事が知られている。同峠は山越えの難所の一つであり、現在も物見遊山の気分で訪ねる事が憚かれる。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは鬼熊氏です。同氏は青柳氏の被官が推測されるが出自等が不明だ。

「長野県町村誌」、本條村の項にある、「西條山古城跡」には、「…應仁年間(西暦1467年〜1469年)鬼熊左衛門の城く所にして元文(天正の誤り。)年間(西暦1573年〜1592年)青柳氏を援けて、小笠原氏の襲兵を立峠に禦ぎ、戦敗れて兵を退けんとす。帰路敵の遮る所となり、山中に近侍と供に自盡して死す、依之妻妾等、城を火して遁ると云こと口碑に傳ふ。」とあり、應仁年間に鬼熊左衛門があった事、鬼熊氏が天正年間に立峠において小笠原氏を防ぐも敗れ、その帰路を塞がれて近侍と共に自害、滅亡した事等が伝わっている。

居館の現況は…畑地、一般住宅とその敷地等となっている。居館敷地範囲は舗装道路等で分断され明確ではないが、該地に残る「枇杷平」の小名を中心にして探索すればよいだろう。例によって城郭遺構は完全消滅しているが、北辺の部分は自然地形と思しき深い窪地形となっており要害性も兼ね備えている。

居館地の西側、墓地の前には「伝琵琶姫墓」と書かれた標柱が立っている。こり、何のアナウンスも無いし、調べてみても何もヒットしないんだけど、町村誌の言う、「…依之妻妾等、城を火して遁る…」の妻妾等に当たる鬼熊氏の姫の墓なんだろうか。が、どれがその墓なのかも判らないし、その由緒さえ不明、もやもやしか湧いて来ない。せめて説明書きぐらいは併記して欲しかったなぁ…

※同じ青柳城のリア攻めマップにある仁熊城は鬼熊氏の持分と伝わるけど、登山系アプリの活用が必須となる登城困難城の一つだ。二度と行かねぃお城なんで口コミは写真が探し出せたら。

※立峠〜虚空蔵山城のリア攻めマップにスポット登録されており写真を置いてある。

※「伝琵琶姫墓」〜口コミはしないのでスポット登録し写真だけ置いておく。

※写真⑦の畑地が文中にある「枇杷平」っす。

※写真⑧は要るのか知らんけど東方から撮影した遠景っす。背景の山稜が同じ青柳城のリア攻めマップにある西条城だけど何処のピークになるのか判らん。

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