岡城(おかじょう)

岡城の基本情報

通称・別名

古城、岡村城

所在地

長野県上田市岡1386-1

旧国名

信濃国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

武田信玄

築城年

天文22年(1553)

主な改修者

主な城主

武田氏

廃城年

遺構

曲輪、丸馬出、土塁、三日月堀、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(岡城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

塩田城(長野県上田市)[5.7km]
上田城(長野県上田市)[7.0km]
葛尾城(長野県埴科郡)[10.3km]
荒砥城(長野県千曲市)[11.4km]
戸石城(長野県上田市)[11.8km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[13.5km]
横尾城(長野県上田市)[13.9km]
真田氏館(長野県上田市)[14.2km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[14.5km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[14.9km]

岡城の解説文



岡城(おかじょう)は信濃国小県郡(現在の長野県上田市大字岡)にかつてあった日本の城である。標高は478メートル。

概要 

岡城は武田氏の小県郡における重要拠点であった城である。築城年月は記録が現存しないことから不詳である。岡城の南東約5kmに武田氏が岡城建設前まで重要拠点として使用していた塩田城があるが、永禄年間初期から文献に登場しなくなり岡城の名が見えてくるので、築城時期はその頃と思われる。

岡城は輪郭式の平山城で台地上にあり、浦野川を背にして本曲輪の三方を外郭が囲う形である。南北200m・東西450m程の大きさである。東西及び北側に甲州流築城術の特徴である丸馬出しと三日月堀を備え、南側は断崖となっている。

参考文献 

  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年

岡城の口コミ情報

2021年04月06日 eiki
子壇嶺城[岡城  周辺城郭]



上田市の塩田平に聳える標高1223メートルの岩山、子檀嶺岳の山頂に築かれた城、登山口駐車場から約2時間の登りで到着します。山頂には神社が祭られ、平坦な郭になっています。徳川氏と真田氏による上田合戦が繰り広げられた時に真田幸村の家臣で鎌倉北条氏の末裔である塩田衆が謀反を起こし籠城した城で、見るからに難攻不落な岩山です。長野県東信地方はそこいらに山城が点在し、山城好きには行き先に事に事欠かないでしょう。写真は右前の丸い山は
女神岳城が築かれていた女神岳、その左背後の山頂部が鋸状の山は塩田城が築かれていた独鈷山

2021年03月19日 内記かずりヾ(・ε・。)
西城[岡城  周辺城郭]



HIGHLY RECOMMENDED!!!

西城は岡城の西方約4.7km、標高1223.2mの子壇嶺山から南方へ延びる尾根の一つ、標高796mのピークの一つに主郭が存します。南麓の長野県道143号線からの比高は220m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、お城の存する青木村付近一帯は奈良本氏や田沢氏といった土豪が南北朝時代には在地していたようなので両氏の何れかに関係するものなんでしょか。まぁ昔の事なんでよく判らねぃよて感じですかね。ただ真田氏の利用は確実なところで、関ヶ原の戦いの際にこの子壇嶺山周辺のお城は余波を受けたらしく、ちょっと眉唾物の合戦記録なんかもあったりします。

お城の西麓には保福寺街道が走り、四賀を通過して松本へ抜ける事が出来ます。街道は途中で青木峠道に分岐し、こちらは麻績の方へ抜ける事が出来ますが名高い心霊スポット明通トンネルがある等、夜間のソロ運転は止めときましょう。

行き方は同じ岡城のリア攻めマップにある寺山の砦を参照して下さい。お城はこの砦から直ぐの場所に存します。山麓から寺山の砦を経て西城までは比較的楽に訪ねる事が出来ます。

お城は素晴らしいです。前哨である寺山の砦で膨らんだ期待感を遥かに上回る遺構の存在に大興奮する事間違い無し!冷静に考えてみても小県郡のお城の中ではトップクラスです。つまんない事は語らないので是非現地で確認してみて下さいまし。特に主郭北側山側背後の大堀切は麻績古城以来の巨大さでした。

このお城の城域北端部を過ぎると標高812mの湯坂山山頂に至ります。これから向かう東城へ行く為に適当に歩いていた(迷っていた…)んですが、この山頂の西側斜面に5条の畝状竪堀を発見しました。特に埋もれてた訳でもないこの遺構(ただ登山道からは外れる。又、お城目的だと湯坂山まで登らない。)、調べてみても縄張図はおろか何処にも記載が無い…自分的にも何でこれがスルーされているのかが不思議なところなんですが、明日物好きな城友さんがこれを確かめに行くそうなのでその結果を待ちましょう。

※お城のある青木村は大好きなんですが、青木村は村内に多くの宝物を持ちながら山城にはあまり積極的ではない…標柱や案内板が立っているのは眉唾物の石川軍陣地跡と黒丸城だけだったと思う。教育委員会さん…勿体無いです。

2021年03月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
寺山の砦[岡城  周辺城郭]



寺山の砦は岡城の西方約4.5km、標高1223.2mの子壇嶺山から南方へ延びる尾根の一つ、標高約723mのピークの一つに主郭が存します。南麓の長野県道143号線からの比高は160m位でしょか。同じ岡城のリア攻めマップにある東城とは別の尾根にあります。

築城年代、築城者は不明ですが、北側山側背後には本城とされる西城が存します。

砦と言うとどうにも急造感を感じるかと思いますが、コンパクトな縄張ながら正しく西城の恒久的な支城、出城となってますので一見の価値ありです。

行き方は南東麓にある青木村立青木中学校の西側、Googleマップにも位置登録されている招魂社から普通に尾根筋を登って行くのが判り易いです。が、砦の東麓から獣柵ゲートを開けて尾根筋を目指せば5分で到着します。道もちゃんと付いてますが、見付けられなかったら適当に直登して下さいまし。登る比高は70m位です。

砦と言っても侮るなかれ、堀切や竪堀がしっかり付いていて見所がちゃんとあります。前哨線としては大変立派な縄張となっています。

寺山の砦はMY子壇嶺山お城縦走ルート(寺山の砦→西城→東城→子壇嶺城…オプションでスタートに村松殿館とラストに二場城を付けてみました。)の始まりとなりました。次への期待が膨らみまくります。しかし総移動距離10km超え、総経過時間9時間超えの地獄の始まりでもありました。よくよく精査すると寺山の砦から西城を撃破して一旦車に戻り、車で林道を行ける所まで進み東城を撃破、そしたら再び車に戻り、子壇嶺山の田沢嶺裏コースを使って子壇嶺城を撃破するのが最も楽でしょう。阿保♪な事したもんだ…ただよかった点も一つ、この後に訪ねた西城の縄張図外の所に5条のしっかりした畝状竪堀を発見しました。お城は縄張図+周辺(自分はいつもそうしてる。)ぐらいの感覚で見て廻るのが吉ですね。

2021年03月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
東城[岡城  周辺城郭]



東城は岡城の西方約4.5km、標高1223.2mの子壇嶺山から南方へ延びる尾根の一つ、標高約785mのピークの一つに主郭が存します。南麓の長野県道143号線からの比高は220m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、在地土豪が築きその後も利用が続けられたという感じです。

行き方はGoogleマップに位置登録されてますのでとりま簡単に場所だけ確認しましょう。そしたら地図の航空写真で付近を注視して下さい。お城の南側に林道が延びているのが確認出来ると思います。この林道を辿るとお城の北側山側背後に巻いて出る(大きなヘアピンカーブになっている…航空写真では確認出来ないが、国道地理院等の地図なら確認出来る。)ので、後は南東に向けてやや登って尾根筋に取り付き、10分位進めば城域に入ります。

お城はほぼ単郭ですが、主郭の北側山側背後を連続堀切でぶった斬り、主郭側のものは岩盤層を切削し竪堀となって下ります。主郭の切岸周辺には崩落石が多数散見され、往時はかなりの量の石積みが付いていたと想像出来ます。又、主郭から尾根筋を下ると段郭状に岩場が続き、虎口や物見台を想起させる箇所もあったりします。当然自然地形ではありますが、所々に加工感があったりもして上手に岩場の尾根筋を防御に利用している感じです。

子壇嶺山山塊には砦が一つ、お城が四つ存しており東城はその内の一つです。西方の尾根には対を成す形で西城が存し両城は連携していたと考えられますが、規模から想像するに西城を本城として東城はその支城の役割を担っていたとも考えられますね。

この東城は子壇嶺山お城縦走ルートから唯一外れている困ったちゃんです。なんて言うか行くのが面倒なんですが、無視も出来ないツンデレ感がありますね。もし面倒になったら林道を進む途中で当たりを付けて直登して尾根に取り付いて下さい。冬場の時期なら少し頑張れば何とかなります!謂わゆる壁ドンてやつですね。自分は帰りに竪堀を下りて林道に戻りましたが、結構な時間短縮に繋がります。ちなみに東城は自分の子壇嶺山お城縦走ルートの3番目のお城でした。

2021年03月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
子壇嶺城[岡城  周辺城郭]



子壇嶺城(こまゆみじょう)は岡城の西北約5.0km、標高1223.2mの子壇嶺山山頂に主郭が存します。南麓の長野県道143号線からの比高は650m位でしょか。子壇嶺岳城、冠者岳城、火車ヶ岳城、烏帽子形城とも呼ばれるらしいですが、他城(子壇嶺山山塊には他に砦が一つ、お城が四つあります。)との混同も入ってるかもしれません。

行き方は子壇嶺山で検索して下さい。腐る程情報が溢れてます。子壇嶺山は青木三山の一つに数えられる古来から信仰の対象であった低登山で人気のお山でして、未知との遭遇に出てきそうな特異な山頂部の形状は一度見たら忘れられない山容となっています。山頂へはトレッキングコースが複数整備されていますが、普通に登って80分…山容から想像出来るとおり最後は急坂が待ち受けてます。ちなみに山頂で出会ったジモティーの方は別ルートから20分で登った剛の者でした…

お城は山の両肩に物見台を持つ単郭のお城です。この標高と比高で山頂にあるお城なんて眉唾物に感じると思いますが、明確な遺構が残されている上に実戦記録もあるらしく、真田信幸に攻められ落城したとされています。築城年代、築城者は不明ですが、この山から南方へ延びる尾根の一つに存する西城の詰城、物見砦と考えるのが自然でしょう。お城には他に帯郭、堀切なんかが確認出来ますね。

山頂部からのロケーション(天気が良ければ八ヶ岳も見える。)は流石に感動もの!このお山は突拍子もなく周囲の山塊から頭一つ抜け出してますので下手な高山より眺めがよいです。登ってる最中はもの凄く遠く高く感じて諦めそうになるんですが、その苦労も一気に吹き飛びますよ!

お城目的で単独訪問すると登下城時間が98%です。山塊に存する周辺諸城と併せて訪ねましょう。その際は単純に尾根筋を進めばよい訳では無く綿密な計画を立てる事が必要になると思います。縦走途中で城友さんにLINEで尋ねるなんて事は避けたいものですね。



2021年03月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
二場城[岡城  周辺城郭]



さてさて城友さんが作成してくれた二場城の口コミに相乗り〜

二場城(せいばじょう)は岡城の西方約2.3km、標高932.4mの飯縄山(いいずなやま)から南西へ延びる支尾根上、標高624mのピークの一つに主郭が存します。西麓からの比高は60m位でしょか。お城の東方には見返りの塔として有名な国宝大宝寺三重塔があったりします。ちなみに飯縄山山頂にも飯縄城と言う現況非常に怪しい遺構のお城があったりもします。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。城友さん口コミのとおり、お城付近一帯は重機が入り丸裸になってますので近くに来れば直ぐに判ります。

お城は北方に存する素晴らし過ぎる黒丸城の支城とされています。黒丸城が少し引っ込んだ場所にあるので街道筋を監視する物見砦だったと推測出来ます。現況はほぼ単郭の縄張なんですが、尾根筋を介して南にある祠のある削平地にも郭があったかもしれません。主郭には腰郭が付き、削れてはいますが土塁が、主郭背後には浅くなってはいますが連続堀切が確認出来ます。

本城とされる黒丸城は朝倉氏の手によるものです。この朝倉氏は越前朝倉氏の流れと考えられており、戦国時代の当主は朝倉氏発祥の地である但馬守を名乗っています。二場城の南麓付近には朝倉家の墓碑銘を持つ墓が多数存しており、越前朝倉氏の流れを正しいものとするならば、遠い信濃の地で脈々とその血を繋いで来たと言えるでしょう。国宝大宝寺三重塔に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。



2021年03月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
村松殿館[岡城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

村松殿館は岡城の西方約4.1km、子壇嶺山南西麓、標高約628mの山間部緩斜面上平場に存した居館です。

築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていたのは館名にあるとおり村松殿です。

村松殿というのは真田昌幸と山手殿の間に生まれた長女、於国の事で信幸、信繁とは母を同じくします。武田家滅亡以前に郡内小山田氏の一族、弾正家小山田氏の小山田茂誠(大河ドラマ真田丸で小山田信茂が武田勝頼の領内入りを拒み関門を閉めよと傍らの家臣に命じますが、その時に「はぁっ?」みたいな感じになった人ですw)に嫁ぎました。武田氏が滅亡すると茂誠は北条家に身を寄せますが、北条家滅亡後は妻の縁を頼り真田氏に身を寄せます。その時所領としたのが小県郡の村松(現青木村)で館のある周辺地域となります。つまりは於国は村松に住んだ事から村松殿と尊称された訳っすね。小山田茂誠は後に松代藩次席家老となり、その役を代々受け継ぎました。ちなみに今でも松代には小山田家の立派な門構えのお家が残っています。

現在は村松殿館跡と呼ばれていますが、別居してた訳でもあるまいしおかしいと感じないでしょか。正しく後世に伝えるなら小山田氏居館跡だと思うんですが、やっぱり真田ブランドには勝てないんでしょう、観光業の観点からその選択は正しいと思います。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。路駐してても誰かが来る前に終わります。居館の現況は正しく人の家なので、心眼で地形を読み取る他、村松殿が見ていたであろう景色を楽しみましょう。

居館のある長野県小県郡青木村ですが、自分退職したら此処に住んでるかもしれないので移住先を考えてる方は是非いっぺん訪ねてみて下さいまし。

2021年03月14日 赤かぶ【】
二場城[岡城  周辺城郭]



青木村押出地区にある二場城は北の尾根にある黒丸城の出城だったとも言われてるお城です!

准胝観音堂の裏手の墓地の間を抜け登城しました。
このお城のある山は最近里山再生事業で木々が伐採の為重機が入ったんですが、その痕跡がある意味凄いんです……

作業道を横切り上へ登って行くと曲輪が見えてきます。
二の曲輪は南斜面を中心に主郭の周囲3分の1くらいを囲んでいました。
主郭背後(北側)には二条の堀切を見る事が出来ますよ♬︎

お時間ある方は黒丸城とセットで巡ってみて下さいませ☀︎
① 准胝観音堂
② 二の曲輪
③ 主郭
④ 主郭背後の切岸
⑤ 主郭直後の堀切
⑥ 主郭北側の堀切

2021年03月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
古城[岡城  周辺城郭]



古城(ふるじょう)は岡城の南西約5.9km、青木三山の一つ、標高1250.3mの夫神岳から西方へ延びる尾根上、標高約897mのピークの一つに主郭が存します。沓掛温泉の裏山て感じですね。沓掛温泉中心部からの比高は220m位でしょか。

築城年代、築城者は不明です。お城は尾根上を一切外すこと無くコンパクトで全国的にも無名ですが、夫神岳の登山道を外れている為か廃城からそのまま時を経た感じで遺構の残存率が極めて高いお城です。

行き方は沓掛温泉を目標に設定して下さい。中心部には駐車場もあります。車を捨てたらGoogleマップに位置登録されている沓掛温泉薬師堂へ徒歩で向かいましょう。お堂の裏手から風穴と廃神社?へ延びる道が付いてますのでこれを進みます。廃神社?に到着したらこの辺りで直登を開始して下さい。一応尾根上なんでしょうが尾根幅が広くただの山の斜面を登っている感覚になり不安を覚えます。が、上へ登れば尾根幅は自然と狭くなりますので迷う事は無いと思います。展望の全く無い急坂を約25分の我慢です。道も全く無いのですが、付近は○○の木が多く秋は○○山で留山です。人が入った形跡も一応あるし踏み跡ぐらいは付いてます。

お城は素晴らしいです。連郭形式の主郭部の削平具合は感動もの。ひら〜っと感(フラット感)が堪らないっす。コンパクトな縄張ですが二重堀切が小さなものも含めて3条、他に2条の堀切で尾根をぶった斬り、二重堀切から延びる竪堀も素晴らしく、特に主郭部前面のものは変わった取り回し方をしてますね。又、主郭東側山側背後の堀切を越えて尾根上から見る主郭のぽこりん感は「あ〜信濃の山城だ〜」と思わず呟いてしまうことでしょう。

お城のある青木村は上田平の最西端、南西の山岳地帯に入るとぱたりとお城が無くなります。州としては極めて広大な信濃ですが、その実態は山岳地帯が殆どで、行政区域としては今も昔も山間部の平地を街道と峠道で結んだ平野の集合体、守護の権力が及び難いその地形は独立志向の強い国人領主が乱立する一因でもありました。大勢力が生まれ難く戦国時代の信濃は辛酸を極めましたが、それ故に後世の歴史好き、お城好きを魅了し続けているとも言えます。皆様も沓掛温泉、田沢温泉に来る事がありましたら是非その一端に触れてみて下さいまし。

2021年03月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
平城[岡城  周辺城郭]



平城(たいらじょう)は岡城の南西約6.9km、標高1122mの天狗山から北方へ延びる支尾根上、標高約761mのピークの一つに主郭が存します。東麓の長野県道12号線からの比高は100m位でしょか。別称で城の山とも…

平城は同じ岡城のリア攻めマップにある城の家の詰城か物見砦か狼煙台の何かですがどれも正解だと思います。

築城年代、築城者は不明ですが、奈良本(直近に地名がある。)氏や田沢氏といった土豪が南北朝時代にはこの地域を支配領域としていたようなので両氏の何れかに関係するものなんでしょか。まぁ昔の事なんでよく判らねぃよて感じですかね。時代は下って村上氏が塩田の地に勢力を伸張させるとその被官の福沢氏の支配が及んだようです。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。お城南側の林道を案内されるのでそれに従いましょう。北側にある城の家からも登城路が付いてますが私有地を抜けて行く事になります。この林道の途中に北へ向けて延びる登城路が付いてますので、そこからはやや下って登るだけとなります。

お城はほぼ単郭ですが、主郭北側山側背後には二重堀切+竪堀が付いてます。1条はかなり浅くなっちゃってますけど…主郭北側には土塁付きの副郭が付いてますが土塁はかなり削れちゃってます…

物見砦か狼煙台の規模なんですが、前者となると居館である城の家と展望は大して変わらんし、後者となると他城との関連性が不明となります。この辺りの土豪の動員数なんて10騎(10人じゃないっす。)を越えないと思うので、この程度の縄張でも十分詰城の役割を果たせると思います。広かったら守れないですしね。元々小さな国衆が乱立していた中世から戦国時代の信濃は大勢力同士間の衝突は想定外(オラが村が戦禍に曝されないよう、つまりはそれまでを腐心するのだ…)だと思います。

お城の立地は北へ向かえば沓掛温泉、田沢温泉、東へ向かえば別所温泉、南へ向かえば鹿教湯温泉に至る温泉交差点です。東山道古道の入口も眼下に収める要衝の地でもあり、真田氏の松代移封までの支配領域西南端でもあったと思います。温泉廻りを楽しみながらリア攻めも出来ますので、上田市との合併を拒否した青木村(行政単位として凄く努力してると思う。)に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。

2021年03月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
城の家[岡城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

城の家は岡城の南西約6.8km、標高1122mの天狗山から北方へ延びる標高約690mの支尾根上端部に存した居館です。この場所は地形図を見ると尾根上ではありますが、元々緩やかである上に削平されており、どちらかと言えば舌状台地上端部の印象を受けます。

この居館の南側山側背後には平城と呼ばれるお城が存します。平城の方は「城の山」と呼ばれ、謂わゆる城の家とは下の城、上の城の関係になります。

築かれた年代、お住まいになられていた方は不明ですが、奈良本(直近に地名がある。)氏や田沢氏といった土豪が南北朝時代にはこの地域を支配領域としていたようなので両氏の何れかに関係するものなんでしょか。現代において消滅していることが多い下の城に当たるこの城の家は、上の城に当たる平城と共に中世城館の形態を今の世に伝える点では貴重だと思います。

とは言っても建物が残ってる訳が無い♪居館跡には現在2軒の一般住宅+αが建っています。少し前までは誰も住んでいなかったらしいのですが、その内の1件は最近借り手が付いたようです。居館跡の地形は当然改変もありますが、基本的な部分でたぶん往時のものと変わらないと思われ、土豪の住む館を想像するには十分だと感じました。敷地内の西側には「みやしき」と呼ばれる鞍部を挟んで三段の平段が見られ、水の手だったと思われる水源なんかもあったりして往時を偲ばせてくれます。又、平城へ通じる登城路入口は虎口っぽく形成されてますが後世の改変(今は平城へは搦手から入る。)かもしれません。

行き方は同じ岡城のリア攻めマップにある平城を参照して下さい。駐車場所に困ると思いすが、周辺の長野県道12号線に路駐しても全然大丈夫なレベルです。

この城の家、何が面白いかって背後にある平城との連続性が素敵なんです。きちんと役割を分担しながらも一体となった下の城と上の城の関係…それが容易に想像出来るものはあるようで意外に無いので、秘湯沓掛温泉に来る事がありましたら道路からこっそり覗いてみて下さいまし。

2020年12月16日 赤かぶ【】
黒丸城[岡城  周辺城郭]



今回は主郭背後を通る林道から登城してみました。
青木村当郷地区から上田市上室賀へ抜ける細い山道を車で進みます、山火事用心の赤い看板をしばらく行くと進行方向右側に路肩が広くなった所があり、そこに車を停めます。
この先車では行けません飯綱山林道を歩いて行きます。
他のネットの情報で城域まで15分とありましたが30分かかりました!足が短いからかもしれません(笑)
進行方向右側にカーブミラーとすぐ後ろに土塁が見えるのですぐ分かると思います。
主郭背後の3連続堀切が直ぐに見る事が出来ます!
高低差の切岸も必見です!!
ちなみに上室賀に抜けると「黙れ小童!!」で有名な室賀正武氏の城 笹洞城のすぐ近くに出る事が出来ます!
日帰り温泉施設もありますので併せて訪れてみてはいかがでしょうか。。。

2020年03月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
浦野城[岡城  周辺城郭]



浦野城は岡城の西方約0.7km、標高932.4mの飯縄山から南東へ延びる標高約626mの尾根上端部に主郭が存します。南麓からの比高は130m位でしょか。お城は室賀峠道の入口、そして旧東山道に面した要衝の地に立地し、上田市立浦里小学校西南部に存したとされる浦野氏館の詰城とされています。武田氏はこの地域に平城の岡城を築いて拠点としました。

築城者年代は不明ですが、築城者は滋野三家の一つ、禰津氏の庶流の浦野氏で、最近の研究では真田氏は禰津氏の庶流の可能性が最も高いそうなので、同族と考えてよいと思います。戦国時代に浦野氏は村上氏、次いで武田氏に従い、武田氏時代には数々の武功を挙げたそうですが、その後各地に離散、一族の中には松代藩士として家名を繋いだ者もあるそうです。

浦野氏は諏訪神家一党の一つでもありますが、このお城には他では見ることが出来ない遺構があるとされています。山城でありながら広大な馬場を持っており、それだけでも異彩を放っていますが、これは諏訪大社の神事を行う御射山祭広場と推測されています。周囲には桟敷とされる土壇があったりなんかして初めて見る光景に萌えまくり、信濃のコロッセオですw

このお城は尾根から一段下がった場所に立地し、基本広めの段郭を連ねるというあまり防御性に優れているとは言えないものなんですが、別城とされる尾根上西北側端部の物見松砦、そして両城を纏めて山側から分断する空堀を考えると、なるほどね等と唸らされることにもなったりします。又、Googleマップには浦野城には上の城(このお城は下の城)というのが位置登録されているんですが、いくら探しても情報が全く無く、頑張って確かめようとしましたが面倒臭くなってやめちゃいました。城域北端にある空堀には土橋と山側への虎口が確認出来るのであることはありそうなんですが…

とにかくこのお城、城域北端にある空堀が凄いです。空堀は竪堀となって山を下り、城域の北端と西端を山側から分断しています。この空堀が無ければお城として成り立たないんじゃないかと思うぐらい。ちょっと変わったお城が見たいという方は是非訪ねてみて下さいまし。城内には浦野古墳という古墳もあるので古墳ファンも是非!

2020年02月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
黒丸城[岡城  周辺城郭]



黒丸城は岡城の西北約2.6km、標高932.4mの飯縄山の南西中腹、西南へ延びる支尾根上、標高738mのピークの一つに主郭が存します。南西麓からの比高は140m位でしょか。

築城年代は不明ですが、築城者は朝倉氏で、戦国時代の当主は朝倉但馬守と伝えられています。朝倉但馬守は当初村上氏に従っていたようですが、後に武田氏に降ったとされています。

行き方はGoogleマップに位置登録されている西南麓の阿鳥川神社を目標に設定して下さい。車を捨てたら神社から北方へ延びる道を200m位徒歩で進みます。すると左手に道祖神が見えると思いますので、この道祖神脇の道からお城のある尾根に取り付く事が出来ます。

朝倉但馬守で黒丸城?と疑問に思われた方がいらっしゃいましたら、立派な朝倉氏ファンですね!越前朝倉氏の本流は但馬朝倉氏、但馬の朝倉城はこのアプリにも登録されてます。越前朝倉氏が一乗谷に移る前に本拠としていたのが福井県福井市黒丸町にある黒丸城(小黒丸城)…この長野県小県郡青木村にある黒丸城と越前朝倉氏に何らかの関係があると考えるのが自然ですよね!

お城は素晴らしいです。比高はそんなに無いし、道?も緩やかなのでリア攻めに集中出来ます。お城のある尾根上は傾斜が緩い為か段郭を連ねて守り主郭までそれが続きます(主郭も土塁を含めて3段、帯郭付き。)。通称ニ郭周辺からこのお城は濃くなってきて、通称ニ郭南側の堀切と高い切岸、そして通称ニ郭の細長い削平具合は思わずシートを広げておにぎりを食べたくなるほど。又、主郭のぽこりん感と整備具合には思わず「ありがとう!」と呟くことでしょう。主郭北東側山側背後の三連続堀切+竪堀はこのお城のハイライト!主郭から1条目の堀切には絶句すること間違い無し!主郭の土塁に登る→堀切を見下ろす→降りれない事に気付く…こんな感ぢ♪他の2条も長い竪堀の方が明瞭で萌えまくり。主郭西側斜面には連続竪堀も付いていて現地ならばはっきり確認出来ます。

縄張図の城域外の部分に、考えてみると楽しい謎も多いんですが、攻城後に軽やかな爽快感(夏場は知らん。)を覚えるお城ですので、国宝大宝寺三重塔に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2017年06月10日 左衛門佐 だのつく人
岡城

岡城公園の近くにある、岡団地という団地がありそこが本丸だと思います。その周辺に、堀や土塁があります。

2014年12月11日 ゼカキユ右京大夫第16駆逐隊
岡城

本丸南側にある住宅地に、岡城跡 二の丸井戸があります。

2012年02月17日 赤いRVR甲斐守@松本
岡城

一帯は住宅団地になっていますので、怪しまれないようにして下さい。駐車場はありません。

岡城の周辺スポット情報

 黒丸城(周辺城郭)

 浦野城(周辺城郭)

 平城(周辺城郭)

 城の家(周辺城郭)

 古城(周辺城郭)

 村松殿館(周辺城郭)

 二場城(周辺城郭)

 子壇嶺城(周辺城郭)

 東城(周辺城郭)

 西城(周辺城郭)

 寺山の砦(周辺城郭)

 浦野氏館(周辺城郭)

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