浦野城(出城)

浦野城(出城)([岡城  周辺城郭])

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浦野城(出城)の口コミ情報

2026年02月27日 内記かずりヾ(・ε・。)


浦野城(出城)は岡城の西北西約0.8km、阿鳥川北岸(左岸)、浦野川北岸(左岸)、標高932.2mの飯縄山山頂から南東へ伸びる尾根端部の南面中腹、標高約628m地点の平場を中心に立地する要害です。南麓の阿鳥川からの比高は140m位でしょか。

行き方はGoogleマップに「浦野城跡(下の城)」の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。南東麓の浦野墓地の西側に付く山道から取り付くのが最も判り易く、車は入口付近の路肩に捨てられる。ちなみに「浦野城跡(下の城)」の名称なんだけど、浦野城には上の城(こちらも位置登録されている…)も下の城も存在しない。たぶん登録者は夢でも見てたんやろ…誤った情報は単なる害悪でしかない。めぐら〜じゃないとは思うけど、混乱を招くんで反省の意味を込めて自ら削除して欲しいわ。さもないと報告しちゃうぞ。

築城年代は不明、築城者は浦野氏です。同氏については同じ岡城のリア攻めマップにある浦野館の口コミも併せて参照して下さい。以下はその続きである。

中世の小県郡浦野は郷とも村とも呼ばれない地域であり、概ねにおいて浦野庄の全体を指し示していたと思われる。その範囲は広大であり、現在の上田市西端部と小県郡青木村の殆どを庄域に含んでいたようだ。滋野三家の一つ、祢津氏の分流にして同庄の開発領主であった浦野氏だが、同氏の一族からは在名を称する、塩原氏や田沢氏、奈良本氏等を輩出し、主に南北朝時代から室町時代にかけて庄域内に勢力を扶植させていったと考察されている。

天文十年(西暦1541年)五月十四日、「海野平の戦い」によって海野氏は小県郡を逐われるが、祢津氏は神氏の一党である事から諏訪氏の執り成しを受けて赦されている。同じく神氏であった浦野氏も同様であったろう。以降、村上氏に従う事になるが、この事は祢津氏からの自立をも意味していたようだ。

天文二十二年(西暦1553年)には小県郡経略を推し進める武田氏に転じている。その所領の大部分は安堵されていたようで、夫神、田沢、中狭、村松等、浦野庄内の各郷村は、依然として同氏とその一族等の知行地であった。又、天文廿二年九月五日には、浦野源太郎信政が、高野山蓮花定院(宿坊だろう。)に、使僧並びに野村出雲守を差し遣わし、書状を以て亡父の印塔、石塔、日牌の供養を依頼している。

生島足島神社文書中、「浦野幸次起請文」には、浦野左衛門尉幸次の名のみが見られ、同名による単独提出となっている。この左衛門尉幸次が武田氏時代の当主の一人であろう。又、同文書中、「浦野信慶等連署起請文」には、浦野宗波軒信慶、同弥三左衛門尉政吉、同新左衛門尉貞次、同右衛門幸守、同久右衛門尉吉忠、浦野源右衛門尉長種等が血判を以て署名しており、浦野氏の一族がずらりとその名を連ねている。

縄張は他では見る事が出来ないものとなっている。主郭部はオーソドックス、数段の腰郭を持つ段付きの削平地だが、その東側下段には広大な面積を持つ馬場が造成されており、此処には桟敷を北辺に設けた「御射山祭広庭跡」が推測されている。城域の中段に位置するこの馬場は、守手の備えとしては不安要素しか抱えていないが、全国でも唯一と思われる珍しい遺構(ただのだだっ広い平坦地…)である事に間違いは無い。又、城域の北端部は山側を横堀状の長大な堀切+竪堀で断ち切っているが、山尾根に並走する形で縄張全体をカバーする珍しい付き方、この堀のあり方も信濃では他に類似例を見ないものだと思う。

浦野城の主郭の西方約0.2kmの位置には、別城一郭とも言える、同じ岡城のリア攻めマップにある物見松砦が立地している。その名称のとおり、物見の役目を果たし、浦野城への障りとなる上段山尾根への東麓からの侵入を防ぐものであるんだけど、小さな二段の砦であるにも拘らず、主郭西側山側背後を断ち切るのはしっかりとした四連続堀切ていうぱ〜ぷりんな普請…腹ぺこだったんで今回は訪ねなかったんだけど、下山したら無性にもう一度阿保っぷりを見たくなってしまった。今度近くに来た時にでも再訪しよう。

※同じく祢津氏の分流とも推測される真田氏だが、武田氏時代以前の浦野氏はそれよりも遥かに大身であった。

※浦野庄〜少なくとも平安時代の末期、鎌倉時代の初期には日吉社領であり、開発領主等が進んで下地を寄進した謂わゆる寄進系荘園の一つであった。

※「浦野信慶等連署起請文」〜当主が叛いたとしても信玄への直の忠節を果たす事を一族に誓約させている。惣領制の否定に他ならない。

※「御射山祭広庭跡」〜諏訪社の神事である御射山のための広場であろうか。この場で祈願したとも考え難いので神事の一環である流鏑馬等が行われていたのかもしれない。

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