古城(城山)
古城(城山)([岡城 周辺城郭])
岡城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「古城(城山)」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
古城(城山)の口コミ情報
2024年12月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、長野県上田市には女神岳ていう比較的に名の知れたお山があるんだけど、上田市の西方、青木村にはこれと対を成す夫神岳てお山がある。女神岳の山頂部には塩田城のリア攻めマップにある女神山城て称する堀切を阿保みたいに掘った山城が立地していてこちらは名が知れているんだけど、夫神岳の方にも西方支尾根中段上に山城が存在する。
はっきり言って無名、紹介例もネットでは1件に留まっている。山城好きにも余り知られていない理由は、その立地と検索し難い平凡な名称が災いしているんだと思う。
古城(城山)は岡城の南西約5.9km、沓掛川東岸(右岸)、標高1250.3mの夫神岳の西方支尾根中段上、標高約897mの小ピーク上平場を中心に立地する要害です。西麓の沓掛温泉小倉乃湯からの比高は235m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている西麓の「沓掛温泉薬師堂」を目標に設定して下さい。車は同じく位置登録がある「沓掛温泉駐車場」に捨てればよい。取り付きは薬師堂の裏手、石灯籠が建ち、石祠が鎮座する岩場からとなり、後は右手に見える山尾根をただひたすらに登る。平均斜度は40°位、標高約835m地点の尾根のたるみまでは尾根幅も広くただの山の斜面を登っているのと感覚的には同様、景色も見えないに等しいので一つも楽しくない。道は踏み跡程度を辿るが付いていないとも言える。即ち、殆ど直登を覚悟すべし…おいらは面倒になったんでガチに真っ直ぐに登っている。
築城年代、築城者は不明です。推測される範囲は広大だが、周辺地域は「延喜式」に載る勅使牧、信濃十六牧の一つ、塩原牧の比定地であり、律令制下における東山道が保福寺峠を越えて筑摩郡へ抜ける小県郡側の関門の地でもある。西麓の沓掛温泉は平安時代の開湯が伝えられ、前述の薬師堂は湯治した滋野親王の眼病が完治した事から湯神を崇めて建立されたんだそう。
特に中世においてはっきりしない地域ではあるが、沓掛川の対岸、奈良本には滋野三家、祢津氏の分流、浦野氏の一族、奈良本氏があった。天文十年(西暦1541年)五月の「海野平の戦い」以降、惣領の浦野氏は村上氏に服属しているが、天文二十二年(西暦1553年)には武田氏に出仕、浦野、夫神、田沢、中狭、村松等の諸郷は依然として浦野氏とその一族等の知行地であった事から同氏に関係する要害であろうか。
お城は細尾根上に主郭と副郭の二段で構成されている。縄張図における通称2郭西側谷側前面に二重堀切(何層にも突き固められていたのか土塁の硬さにはびっくり!)、主郭東側山側背後に堀切、一騎駈けの細尾根を介してその先には二重堀切、この堀切を越えると城域は小高い小郭でフェードアウトする。更に勢い余ってずんずん進むと、尾根筋を南北に横断する山道が付き、此処には乗り越しの切り通し、城郭遺構ではないが、道は北方に位置する、夫神、田沢から通じ、最終的には南方の釜房へ抜けるものだと思う。辿る気持ちは毛頭無いが…
一般的には狼煙台や物見台の類いと認識されている。但し、コンパクトな縄張ではあるがしっかりとした丁寧な普請が見られ好印象、お気に入りの山城の一つだ。堀切等は埋まり気味だと思うが、主郭と副郭の削平具合や切岸のエッジの立ち方には感心させられる。山側から主郭を目指せば、眼前に立ちはだかるのは主郭のぽこりん、登る事さえ難しい。
再訪になるんだけど、びっくりしたのは沓掛温泉内の叶屋旅館で御城印が販売されていた事…「古城」ていう全国何処にでもある名称も別称に落ち着いて、新たに「荒屋城」の名称が付与されている。ちなみに他には、「石川陣場」、「平城」、「平城館」があるが、この内の一つでも訪ねた事があるよて人がいたら、その人は取り返しのつかない相当な異常者だ。御城印ブーム恐るべし、そして勇者、青木村をリスペクト…
※「古城」は「こじょう」ではなく「ふるじょう」と読ませる。
※◯◯シーズンは留山の筈…
※お城の存する夫神岳の西方尾根に登山道は付いていない。此処から山頂を目指すのだけは止めといた方がよい。
※縄張図を見ると一騎駈けの細尾根上には片落としの連続した3条の小堀切が付いているが、跨げる様な堀切をわざわざ設ける事に疑問を抱く。自然地形だろう。
※塩原牧の比定地〜奈良本の北方には「牧寄」の大字が残っている。
※「荒屋城」の名称〜南西麓に「荒屋」の大字がある。沓掛城じゃダメなのかな。