塩田城(しおだじょう)

塩田城の基本情報

通称・別名

古城

所在地

長野県上田市前山309他

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

北条義政

築城年

建治3年(1277)

主な改修者

主な城主

北条氏、福沢氏(村上氏家臣)、村上義清、飯富虎昌(武田氏家臣)、真田氏

廃城年

遺構

曲輪、石積、横堀(空堀)、虎口

指定文化財

県史跡(塩田城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

岡城(長野県上田市)[5.7km]
上田城(長野県上田市)[8.9km]
長窪城(長野県小県郡)[9.7km]
戸石城(長野県上田市)[13.2km]
真田氏館(長野県上田市)[15.3km]
葛尾城(長野県埴科郡)[15.6km]
横尾城(長野県上田市)[15.9km]
真田本城(長野県上田市)[16.5km]
望月城(長野県佐久市)[16.9km]
荒砥城(長野県千曲市)[17.0km]

塩田城の解説文



塩田城(しおだじょう)は、信濃国小県郡、現在の長野県上田市前山にあった日本の城。長野県指定史跡。

概要 

建治3年(1277年)に鎌倉幕府の要職である連署を務めた北条義政が信濃国塩田荘に館を構えたことに始まる。

鎌倉時代

北条国時、北条俊時と3代に渡って塩田北条氏の居城となる。元弘3年(1333年)に鎌倉が新田義貞を中心とする反幕府勢に攻められた際は、塩田北条氏も鎌倉に上り、幕府方として戦うが敗れ、一族とともに滅亡した。

室町時代

南北朝、室町時代を通して村上氏の支配となる。

戦国時代

戦国期になると武田信玄の侵攻により城は武田氏の手に落ちるが、上杉謙信の助力を得た村上義清がこれを奪還し居城とする。しかし、数ヵ月後には武田氏に包囲され落城。再び武田氏の勢力下となり、飯富虎昌が城将となった。

天文22年(1553年)に行われた第一次川中島の戦いの際には武田勢の本陣となった。

以降、武田信玄と上杉謙信の川中島合戦において、武田氏方の重要な出動拠点となった。

武田氏滅亡後、この地域は真田氏の支配となるが、天正11年(1583年)、上田城の完成により廃城となったと伝えられている。

構造 

弘法山全体を城郭とした山城であり、中世城郭としては長野県で最大級と言われている。鬼門方向には前山寺がある。

遺構 

1970年(昭和45年)4月13日に長野県の史跡に指定された[1]

塩田城主要部への入り口に「塩田城跡」の石碑がある。曲輪や土塁、石垣等が残っている。1967年(昭和42年)から1977年(昭和52年)にかけて、数回にわたる発掘調査が行われ、礎石をもつ建物跡や空堀、敷石、井戸などの遺構や多くの遺物が出土した[2]。出土品は城跡近くの観光施設「塩田の館」に展示されている。ここには塩田城の復元想像図も展示されている。

参考資料 

  • 「塩田城 - その歴史と発掘 -」 長野県文化財保護協会 1982年
  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書2』 1988年
  • 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年

塩田城の口コミ情報

2023年07月03日 弾正一秀
塩田城

塩田城は普段は鹿暴作が締まって居ますが明けて入れるように成ってますょ❗近くに生島足島神社も有るので寄って見て下さい👍

2022年08月20日 RED副将軍
女神山城[塩田城  周辺城郭]



石積みと多重堀切の両方で見応えがあります✨

オススメ度 ★★★★★

築城年代等の詳細は不詳。
斎藤源左衛門の居城であると伝わります。
斎藤源左衛門は、1600年に真田氏に反旗を翻して一揆を起こして籠城したと云われています。

見所
標高927mの女神岳山頂に築かれています。
主郭は山頂に配され南北二段で東下に腰曲輪が敷設。主郭部は石積みが良好に残っており、直登200mを登ってきた疲れが吹き飛びます。
東下の腰郭にも石積み構造の虎口がありますがどこに通じるのか動線が見えずナゾです。
この城は石積みだけでなく、主郭南尾根は四重堀切、主郭北東尾根は大規模な三重堀切で分断されており、堀切だけでも充分見応えがあります。

行き方は、南東麓に登城口があります。登城口前の路側帯に2台程度駐車スペースがあります。登城路は比高200mをほぼ直登に近いですが、斜度がキツい分速く登れます。40分もあれば城域尾根に辿り着けます。

写真
①②主郭石積み
③主郭東下の虎口
④南尾根の四重堀切
⑤北東尾根の二重堀切
⑥竪堀
⑦南端の郭の虎口?
⑧登城路は直登

2022年05月31日 かげちゃん参號
摂社 諏訪神社[塩田城  寺社・史跡]

生島足島神社の摂社(下宮)で、生島足島神社の御本社と向かい合うように御鎮座されています。慶長15年(1610年)に真田信幸さんによって再建(寄進)されました。もしかしたら、父の昌幸さんと弟の信繁さんの死罪が免除された事のお礼に再建(寄進)したのかもしれません。

後、生島足島神社の御朱印ですが、4.5種類あって、書き置きタイプで普通サイズの御朱印帳に合わせてあるので注意して下さい。日本遺産認定記念の限定御朱印もありました。

2021年12月13日 竹下半兵衛(^^)/
峯小屋城[塩田城  周辺城郭]



標高1266m、南側の真田屋敷跡からの比高約640m 独鈷山 登山コースが整備されてて駐車場があった(宮沢コース)

登山道は十二支が置かれててどの辺まで登ってるかが わかる ラシイ 日の出前に出発したけど、途中でお日様出てしまった🌄アリャマ( ̄▽ ̄;)

頂上に登るとまわりは雲海🤩絶景~ワーイ🙌ヤッホー

削平された曲輪は2ヶ所ある 城跡としての遺構というより独鈷山の頂上として有名なのね➰

サテサテ、ここから700m西へたどれば「穴場の狼煙台」がある..ラシイ もちのろん レッツドーン 😤途中からコースを外れなきゃ~🧗...しかし 岩場凄すぎる🪨🧟天然の堀に阻まれて回り込もうにも滑落しそう...👼ってことで撤退➰。。。。🦸また来るよん👍..タブン..キット 21`12/11撮

2021年09月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
女神山城[塩田城  周辺城郭]



女神山城は塩田城の西方約3.0km、標高927mの独立峰、女神岳山頂に主郭が存します。西麓の長野県道177号線からの比高は200m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、城主として斎藤源左衛門の名が伝わっています。慶長五年(西暦1600年)に真田氏に叛いて立て籠りましたがその後の詳細は不明です。

今回お城へは諸事情で別所温泉駅から徒歩で向かいました。長野県道177号線を進み登城路入口まで距離にして約3.0kmといったところです。行き方はとりまGoogleマップに位置登録されている西南麓の瑞光寺を目標に設定して下さい。このお寺さんの東側のT字路に「女神岳登山道まで800m」の緑の看板が立ってますのでこれに従い、「女神岳登山道入口」の看板まで進んで下さい。後は上を目指して登るだけとなります。が、これ山頂部にある祠への参拝道でもあるんですが全く登山道になっておらず、平均斜度約45°の斜面を殆どただひたすら真っ直ぐに登らされる地獄のような道でして全く女神っぽくありません。自分九十九折の道が好きじゃないですが、「少しは曲げようよ…」とか思わず呟きます。空が見えてくると祠へ通じる石段が現れますが、この石段も全くNO MERCYでして角度が60°位で逆に危ない!でも登り切れば山頂部に一気に出るので潔い登山道と言えなくもないです。

お城は大変素晴らしいです。郭は大きく見て3つでしょか、主郭部から南側尾根は四重堀切+堀切1条でぶった斬り、北東側尾根は二重堀切+堀切2条でぶった斬り、特に北東側尾根の二重堀切はとても登れないレベルです。主郭部には土塁の他、石積みが所々切岸にデコレートされ、主郭部の東側には虎口を形成していたと推測される石積みなんかも確認出来ます。

お城の存する女神岳は古城(ふるじょう)が存する夫神岳(雨乞いの儀式、岳の幟で知られる。上田原、塩田平は降雪量も少なく全国有数の少雨乾燥地帯です。)と対のお山になっています。既婚者は片方だけ行くとお山がざわつくらしいので注意しましょう。信濃最古の温泉である別所温泉に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2021年02月16日 内記かずりヾ(・ε・。)
峯小屋城[塩田城  周辺城郭]



峯小屋城は塩田城の南西約1.7km、標高1266.4mの独鈷山山頂に主郭が存します。北麓からの比高は650m位でしょか。

行き方は独鈷山で検索して下さい。腐るほど情報が溢れています。というのも独鈷山は全国100低山にも選ばれている有名なお山、通年で多くの登山者が訪れていて、自分が登った際にも2名の登山者とすれ違いました。

登城の際の注意点はお城廻り気分で行かない事です。独鈷山系の山塊はまんが日本昔話で描かれる様な山容で、岩盤層がメインの高低差を伴う登山道は危険がいっぱい。自分が登りに使ったルートは最も安全と思われる西前山ルートですが、それでも怖いと感じる場所が幾つかありました。ちなみにこのルートは鉄城山ルートというのに分岐しますが、間違っても変な気を起こしてこっちに進まないで下さい。垂直の岩盤と岩場の痩せ尾根が露出する上級者ルートです。低山とはいえ滑落死亡事故も起きる山だという事を忘れないように。

今回自分の大失敗はスノースパイクを忘れた事です。情報では必要無いと聞いていたからですが、たしかに雪は少ない反面、溶けた雪が凍結していて逆に危ない。結局ルートを外れて凍結していない雪の斜面を直登する事が多くなり無駄な体力を消耗しました。余計なお世話かもしれませんが、積雪斜面の直登は最初から四足歩行の動物の様に登った方が早いと思います。

帰りは穴場の狼煙台山城を目指して平井寺ルートを選択、ところが分岐となる尾根を見付けられずにそのまま下山しました。このルートは独鈷山へ登る最短ルートなんですが、最短だけあって最初から厳しい登山道でして下山に使うと大変危ない。一箇所絶壁の上をカーブする凍結した登山道を歩かされる場所があったんですが、虎ロープが谷側に緩く低い位置に張ってあるだけで支点は疎か掴む気にもなれない。身を委ねるものが何もないので、結局は道を外れて尾根筋に登りそこからこの難所をやり過ごしました。登山道が安全だとは限らない、自分の力量と装備を考えて判断するのも必要だなと思い知らされました。又、落葉の堆積が酷いこともあり、季節を問わず厳しいルートだと思います。

お城は…展望が素晴らしいです。一段西側に下がった所に小屋掛け出来そうな平場(峰に小屋があったから峯小屋城…?)がありますが…まぁ何ていうか山の頂上です。お城的にはマニア向け。

2021年01月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
水の手城[塩田城  周辺城郭]



水の手城の続きなり。

お城は4つの区画の内、難関のA地区からB地区へのトラバースをやり抜けばC、D地区を廻ることにさして苦労はありません。あるとすればC地区(主郭)南側の急坂ぐらいでしょか。

B地区には堡塁が2つあり竪堀なんかもあるようですが確認出来ませんでした。B地区とC地区の間には谷筋を埋めるように削平された段々地形が見られ、この一部にお城の名前の由来でもある水の手があるらしいのですが雪が綺麗に残ってて探索は断念しました。C地区は主郭部で結構広い削平地なのでびっくりします。主郭南側の斜面には石積みなんかも確認出来ますね。D地区は郭に土壇があるだけの簡素な造りで防御的な意図は薄い感じです。

お城の見所は主郭西側山側背後の岩盤切削の二重堀切でしょうか、こんな山の中でひたすら岩を削らされる当人を思うと涙が溢れます。このお山は基本的に岩盤層がメインで表土はたぶん堆積土でしょう。

さてもう帰ろうよ…今度は行きに味わった苦労が逆向きになって襲って来ます。自分は4回尻餅を付いて滑り落ち、2回は木に衝突し肩と前腕を強打したりしました。

誰も行かないとは思いますが、帰る時にお城のあるお山を振り返って全景写真を一枚記念に撮って下さい。そこに山城が無ければ絶対に立ち入らない場所に自分がさっきまで居た事に驚愕するでしょう(あの絶壁の上で遊んでたのだ…)。特に冬の時期は山肌が露わになって自分の辿った軌跡がよく判ります。ちなみに自分は撮り忘れました。

将来的に行けなくなるお城に今のうちに行っておこうというのが今冬の目標の核心です。誰にとっても二度目は無いお城でしょう。心残りがあるかと問われればありますが、それでも自分が今後行く事は決して無いでしょう。

2021年01月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
水の手城[塩田城  周辺城郭]



水の手城は塩田城の南東約3.5km、標高1034mの富士嶽山から東方へ延びる山塊尾根上、標高約900mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は330m位でしょか。

このお城、ネットで検索しても実に紹介例の少ないお城です。理由は登城が困難な事が周知?されている事とこのお城に苦労を重ねてまで訪ねるという山城好きの目標にもならない事でしょか。

今冬の個人的目標、「信濃の難城をリア攻めする。」に忠実に従い迷いも無く登り始めましたが、登城路が無いことはやっぱり大きな負担になります。道案内は雪に残された鹿の足跡…確実に主郭まで連れてってくれますが、鹿じゃないと行けない場所もありますので怒らないであげて下さいまし。ちなみに何で雪の降るこの時期に行くのかというと、自分にとっては熊さんの方が遥かに恐ろしい代物だからです。大体相手があることでどうなるか想像も付かないしね。

お城の簡単な説明を…築城者、築城年代は不明ですwお城の名前は後付けなんでしょか、城域内に結構な水の手を内包していたのがその理由らしいですが、雪で埋もれて探してもないので知らんがな…信濃のお城の神はこの水の手城をA〜D地区の4つのパートに分けて解説してます。お城は東西に奥が深く不安な気持ちにも十分させてくれたりもします。

行き方はGoogleマップに位置登録されているセブンイレブン丸子和子店を目標に設定して下さい。此処から北方へ延びる道を350m位進むと配水施設にぶつかり、施設左手の獣柵ゲートから踏み跡が途中まで付いてます。後は倒木、枯れ藪の尾根筋をひたすら比高約210m分を直登すればA地区の段郭にぶつかります。が、平均斜度45°の急坂で早速人間である事を忘れて手を使い始めることでしょう。

登城最大の問題点はA地区からB地区への移動です。尾根は断崖の岩場となり自然地形とされる堀切様地形を経て絶壁となり、この絶壁の上にB地区があるからです。はっきり言って誰も尾根筋を進めないので、尾根北側の急斜面を長くトラバースし更にB地区東側の急崖をトラバースする必要があります。急崖では崩落石が多く、これが全く信用出来ないのできっと神経を磨り減らすことになるでしょう。

続く…

※写真はB地区までのものです。断崖の岩場の堀切様地形は自然地形とされています。

2019年12月25日 源陸中守@ポンコ2…連勤了
塩田城



ナビを前山寺に設定して走り、寺に着いたらその先(西側)の龍光院方向に進むと、塩田城跡の石碑前に。
前山寺から先には「塩田城」を指す標識があるので、それに素直に従えばよいかと。
石碑前は車が停めれるスペースがありました。この道などは空堀跡とのことでした。

石碑から弘法山奥に進むと、東西の両側は尾根になっており、谷に築かれたのがわかりわかりました。
この東西の尾根には砦があったようですが、冬の早朝で曇天と薄暗かったので、今回はパスしてます。
また、前山寺側と塩田城との間に沢があり、前山寺南側(山側)の墓地に上がって沢を見てみましたが、ここからの侵入は厳しそうでした。
石碑から中腹の三島神社まではほぼ直線、三島神社から上に進むと、石塁がある虎口がフックしながらありました。
その先には高さ数㍍の切岸があり、この上が本郭です。
また登城道の両サイドは、斜面に沿って数段の郭になってるようでした。
鎌倉時代は信州の鎌倉と呼ばれるほど、学問など栄えてたとのことですが、前山寺など寺院から少し感じられた気がします。

一気に攻め上がれる構造は単純でしたが、長野県最大級の中世城郭でまとまった兵の駐屯地と思えば、そこそこ収容できる規模かと納得できました。
比高は300㍍あるものの、がっつりした食い違いや堀切織り交ぜの山城が好みだと、期待に添えないかもしれません。

また、12月に登城しましたが、道中に「松茸」の幟を複数確認しましたので、先人の方仰るように秋のシーズンはやめといたほうがよさそうでした。



2018年03月23日 安田宮内卿秀俊
塩田城

・墓所情報・
塩田城の主郭に塩田北条氏2代目 北条国時の墓。
近隣に塩田北条氏の菩提寺 龍光院→塩田北条氏初代 北条義政の墓、塩田北条氏追善供養塔。
塩田城に行く際は、塩田平を信州の鎌倉に発展させた塩田北条氏を訪ねてみるのはいかがでしょうか。

2015年05月10日 若狭守きこりん
塩田城

城跡一帯は松茸山(留山)で、秋は要注意です。秋季立入り禁止を謳う張り紙とテープが歩道沿いにずっとあります。
罰金30万とか恐ろしげなことも書いてあります。歩道から外れなければいいんだと思いますが…
葛尾城も同様です。

2012年07月15日 北川幸人
塩田城

想定外でしたが、麓であじさい祭りが、行われていました、残念ながら満開とはいかなく五分咲でした。そっちの方にも興味のあるなら、うまく時期をあわせて訪れればいいでしょう。

塩田城の周辺スポット情報

 北条国時墓(遺構・復元物)

 水の手城(周辺城郭)

 峯小屋城(周辺城郭)

 女神山城(周辺城郭)

 立石原の狼煙台(周辺城郭)

 西内真田屋敷(御殿屋敷)(周辺城郭)

 内堀城(周辺城郭)

 霊泉寺城(周辺城郭)

 吉沢城(周辺城郭)

 馬伏小屋城(周辺城郭)

 霊泉寺城山砦(周辺城郭)

 塩田館(中屋敷)(周辺城郭)

 塩田館(城村)(周辺城郭)

 古安曽の御所畑館(周辺城郭)

 手塚館(大城)(周辺城郭)

 穴場の狼煙台(周辺城郭)

 五加山城(海部野城)(周辺城郭)

 砂原峠旗塚(周辺城郭)

 馬伏城(馬伏小屋城)(周辺城郭)

 駒形城(周辺城郭)

 吉沢城(周辺城郭)

 摂社 諏訪神社(寺社・史跡)

 北条義政の墓(塩田北条氏初代)(寺社・史跡)

 龍光院(寺社・史跡)

 生島足島神社(寺社・史跡)

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