霊泉寺城山砦
霊泉寺城山砦([塩田城 周辺城郭])
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霊泉寺城山砦の口コミ情報
2024年12月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
霊泉寺城山砦は塩田城の南南西約4.8km、内村川南岸(右岸)、霊泉寺川北岸(左岸)、両川に挟まれ、その合流点へ向けて東方へ長く張り出す山塊尾根末端部上、標高約758mの城山山頂に立地する砦です。南西麓の曹洞宗の寺院、金剛山霊泉寺からの比高は85m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている前述の「霊泉寺」を目標に設定して下さい。お寺さんの手前、霊泉寺川に架かる霊泉寺橋を渡った場所からお山へ入る遊歩道が伸びている。この遊歩道は城山北麓へ抜ける乗り越しの道にも分岐しており、国道254号からも内村川に架かる橋を渡った場所から取り付く事が出来る。おいらが辿ったのは後者、兎跳びしながらでも登れそう。城山山頂までの所用時間は15分位だ。
築城年代、築城者は不明です。霊泉寺は、安和元年(西暦968年)、紅葉伝説で知られる鎮守府将軍、平維茂が開基となり、空也上人が開山したとの伝承を持つ。寺伝によれば、和田前隠岐守朝臣繁有が、弘安元年(西暦1278年)、霊泉寺を鎌倉建長寺の末寺として霊峰源興を招いて再建した。又、同寺の阿弥陀仏の胎内文書の一つには、「正和四年(西暦1315年)十一月日前隠岐守平朝臣繁長」とあり、少なくとも霊泉寺にあっては越後平氏と同族とされる信濃和田氏との関係性が指摘出来るだろう。
現在の国道254号は、古くから存在する小県郡と筑摩郡を結ぶ三才山峠道に準じており、該地は小県郡側の関門の地でもある。同道は最終的には松本と江戸とを最短距離で結んでいるが、近世の主要道には到底成り得なかった。標高1605mの三才山山頂部付近に位置する三才山峠の標高は1503m、山塊山中を通り険難だった事がその理由である。ちなみに城めぐ的に言えば、小県郡から筑摩郡に存するアプリの登録城、稲倉城に最短距離で至る事が出来る。稲倉城の占地とは正にこうした事実に基づいている訳だ。
砦は城山山頂部を削平しただけの単郭の縄張だが、下段には小屋掛け出来そうな平場があり、此処には谷側へ向けて土塁様の地形が確認出来る。主郭には小祠が鎮座、切岸には土留めの石積みが残滓として見られるがその時代は不明だ。又、城郭遺構としての堀切が5箇所に付くとされる紹介例もあるが全て誤りであろう。特にその内の3箇所については明らかに乗り越しの切り通しである。ネガティブな事を書いたが、城山は急峻な岩山であり、単純にお山として面白い。展望も冬場なら良好、主郭に立てばこの砦が何故この場所に占地されたのかが容易に理解出来るだろう。
南西麓の霊泉寺温泉は丸子温泉郷の一つに数えられている。元は霊泉寺の寺領に湧き出た寺湯として賑わったが、明治十年(西暦1877年)十一月、火災により同寺が不明門を残して焼失すると鄙びた温泉地へと変貌した。秘湯て言うよりは知らざれる温泉地て感じ、共同浴場も200円で貸し切り状態だった。ふるち○で泳ぎたい方は是非…
※火災により同寺が不明門を残して焼失する〜時代不明なるも室町時代の建築様式手法を持つ四脚門の不明門が補強されながらも現存している。霊泉寺についてはスポット登録して写真だけ置いておく。
※写真②は堀切ではなく切り通し、凄く立派だけどねぇ…