横尾城(よこおじょう)
横尾城の基本情報
通称・別名
- 尾引城、尾引古城、三日月城、三日城
所在地
- 長野県上田市真田町横尾字城
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 横尾采女正
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 横尾氏、真田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(横尾城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
真田本城(長野県上田市)[1.9km]
真田氏館(長野県上田市)[2.2km]
戸石城(長野県上田市)[2.8km]
松尾古城(長野県上田市)[3.8km]
上田城(長野県上田市)[7.1km]
葛尾城(長野県埴科郡)[11.9km]
岡城(長野県上田市)[13.9km]
荒砥城(長野県千曲市)[15.3km]
富士見城(長野県小諸市)[15.4km]
尼厳城(長野県長野市)[15.6km]
横尾城の解説文
横尾城の口コミ情報
2026年05月13日 カズ安房守
横尾城
リア攻めマップの駐車場からは少し歩きます。
登城口からは5分ほど山道を上がれば着きます。
2026年05月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
長尾城[横尾城 周辺城郭]
長尾城は横尾城の北東約0.9km、神川北岸(右岸)、標高1010mの山稜山頂から南方へ伸びる尾根上段上、標高約940m地点の平場を中心に立地する詰城です。南西麓の尾引城跡登城口からの比高は250m位でしょか。
行き方は…横尾城の口コミ等を参照してとりま横尾城まで登ろう。後は後背尾根筋を我慢しながら登るだけ、一応、道が付いてるし分岐には下りてしまわないように案内板が立っているので迷う事は無いだろう。但し、登山道を軸に考えれば奥山に当たるので誰でも不安は抱く筈…気持ちを和らげてくりる展望も開けてはいない。
現時点での情報となるんだけど、同じ横尾城のリア攻めマップにある大柏山信綱禅寺付近に鎮座する金毘羅大権現の裏手から作業用の林道が伸びている。伐採と植林が併せて現在進行形で行われているんだけど、麓からかなりの高所までお山の斜面が文字通りの丸裸になっており、この重機が削った林道を登り切れば城地は殆ど目と鼻の先だ。但し、帰りに下りてみたんだけど、九十九折りの一辺が長過ぎる…傾斜も緩く時間ばかりを浪費する。おいらは途中でイラついてしまい、結局は道を無視して斜面を直下した。利点はお山に入る不安が軽減さりる事ぐらい…
築城年代、築城者は不明です。「長享日記」には、「同年(長享二年、西暦1488年)、戸石城ノ要害ヲ兼ネ横尾ニ三ヵ所城ヲ築ク 打越城 長尾城 此二ヶ所ハ番城トメ 水内高井埴科更科佐久小県諸士交代デ之ヲ守ル 本城ハ横尾丹波守吉信ノ居城也…後略、」とあるそうで、日記の信憑性については疑問符が付くものの村上氏による小県郡進出の時期と符号する事もあり、無下にこれを否定する事も出来ないだろう。その記述には、戸石城の支城として築かれた横尾城の番城、二箇所の内の一つ、水内、高井、埴科、更級、佐久、小県の各郡の諸士が交代でこれを守っていたとあるが、この事を鑑みれば、横尾城の詰城等ではなく村上氏が直接差配した砦という事になる。
2回目の訪問だが今回は時間に余裕を持って探索してみた。縄張は細尾根に2郭で構成される。主郭は段付き、縄張図における通称2郭には北側山側端部に土塁が付く。堀切は要所に3条が確認出来るが総じて埋まり気味…状況によっては目を凝らす必要があるだろう。全体的に見ると人によっては薄い印象を受けるかもしれないが、仔細に見て往時を想像すれば非常に丁寧な造作だと気付く筈…細尾根を一つとして形状を捉えれば要害感にも長じており個人的には大好きだ。
…真田郷や該地の横尾、その周辺地域の一部を総称して「真田の庄」等と呼ぶ事が散見されるが、これは武田氏時代に真田氏の知行地であった事、明治時代に、大日向村、真田村、横尾村、横沢村が長村に一括された事、長村が後には真田町へと発展解消された事等を理由とすると思われる。但し、真田村(郷)と横尾村は、江戸時代まではあくまでも別の行政主体である。
長享二年(西暦1488年)戌申七月吉日、諏訪社下社が注した「春秋之宮造宮之次第」には、「御瑞籬四拾三間之内」、一拾間を負担する、「ほうひ之郷洗馬、曲尾、横尾、」が見え、洗馬、曲尾、横尾の三村によってほうひ(放火)郷が構成されていた。
天正六年(西暦1578年)戌寅二月七日の「下諏訪春宮造宮帳」には、「一 春宮瑞籬拾間造宮 真田之内芳比之郷」として、「古令 合四貫八百文 横尾 代官 北澤大蔵 同 合四貫九百文 曲尾 代官 石見守 同 合三貫文 洗馬 代官 虎澤大蔵 同合六百文 右之郷之 右本帳之 都合拾弍貫七百文 此外六百文…後略、」とあり、同帳には「真田之内」として「芳比之郷」が見える。
武田氏時代に「芳比之郷」が「真田之内」とされたのは真田氏の知行地の内であった事がその理由であろう。故に後世、真田郷と放火郷とを合わせて「真田の庄」等と呼ばれる事が一部の間で定着した訳だ。但し、両郷が平安時代から中世に至るまで、荘園を構成していた時期は一度たりとて無かった筈…「庄」と呼ぶには過分に過ぎると思うのだが…
※ほっこりするよな横尾城の後背地に当たるんだけど、登城中に熊さんの痕跡を何箇所かに発見した。その意味では登城難度は格段に上がる。ちなみにこりはおいらの経験から話をするんだけど、奴等の痕跡が登山道等、人目に付き易い場所に残っているのは何故なんやろ…藪の中で見掛けた事が一度も無い。
2026年05月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
横尾城
横尾城(尾引城・三日城)は神川北岸(右岸)、標高約754mの通称、尾引山山頂部を中心に立地する要害です。南東麓の尾引城跡登城口からの比高は60m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは同じく位置登録がある、前述した「尾引城跡登城口」からとなり、明確な駐車場は無いが車はこの登城口に乗り入れて捨てる事が出来る。ちなみに信濃の山城としては登城が極めて容易だ。後世、主郭に秋葉社が勧進された事もあり、歩き易い参拝道が登城路を兼ねている。又、下手な事は言いたくないが熊さんも此処までは下りて来ないだろう、万が一にでも遭遇したら己れの不運を呪い、無事に生還したら厄払いを受ける事を推奨する。
築城年代は不明、築城者は横尾氏です。「長享日記」には、「同年(長享二年、西暦1488年)、戸石城ノ要害ヲ兼ネ横尾ニ三ヵ所城ヲ築ク 打越城 長尾城 此二ヶ所ハ番城トメ 水内高井埴科更科佐久小県諸士交代デ之ヲ守ル 本城ハ横尾丹波守吉信ノ居城也…後略、」とあるそうで、日記の信憑性については疑問符が付くものの、村上氏による小県郡進出の時期と符号する事もあり、無下にこれを否定する事も出来ないだろう。又、その記述には戸石城の支城として普請に及んだように書かれているが、同じ横尾城のリア攻めマップにある、洗馬城、根古屋城と共に、埴科郡赤柴へと至る地蔵峠道(近世以降の北国街道の裏道、松代道だ。)を三つ巴(トライアングルを形成している。)で扼している。
「長野県町村誌」には「尾引古城」として、「高さ二十間(約36.4m)、周囲六町十四間(約680m)、村(長村)の酉(西)の方字城にあり。頂上一平地をなし、東西九間一尺(約16.7m)、南北十七間(約30.9m)、面積一反歩(約991.7㎡)、東西南に聳立し、西に堀切、南に追手あり。口碑に云ふ横尾采女正築く所なりと、残礎稀に存せり。村上義清攻陥する所となり、後敗壊すと云ふ。然れ共前後の事跡不詳。」とあり、横尾采女正が築いたと伝わっている。ちなみに宝永年間(西暦1704年〜1710年)に描かれた「信濃國郡絵図」には「横尾采女正の城跡」と書き込まれているんだそう。
数年来の宿題をこなしに再訪した。夏場と冬場では遺構の見え方に雲泥の差がある。特に主郭北側山側背後の三重堀切からは草が完全に消えるので冬場に訪ねよう。今冬の課題を思い出したおいらは春先に急いで登城したんだけど、5月ともなれば素敵な遺構が絶望的な藪へと変わるだろう。
アプリの登録城なんで多くは語らないんだけど、谷側前面に段郭を設け、山側背後に多重堀切を穿つ、信濃の山城の典型を簡単に見る事が出来る。お手軽に息も切らさずこりが拝めるんだから非常に有難い物件だ。ちなみに上田市のホームページからダウンロード出来る「横尾」のガイドマップには、「※正面の急斜面に折れ道と腰郭を15段程組み合わせ、背後は二重の堀り切りとなっており、中世の山城の特徴をそのまま残しています。…後略、」てあるんだけど、15段程ではなく雛壇状に15箇所程、二重の堀り切りではなく三重になってるんで悪しからず…
前述した「横尾」のガイドマップが秀逸、アプリの登録城、上田城、真田氏館、真田本城や、曹洞宗の寺院、真田山長谷寺等が真田氏関連の史跡の表とするならば、このガイドマップが紹介するのは正にその裏…表より裏が好きな人は是非…
※まともな写真が撮れるまではアップすんのを止めておいた物件だ。リア攻めも付けたし数年来の宿題を終える事がようやく出来た訳だ。
※横尾氏〜史料は無いに等しいが、上野国吾妻郡にも伝承が残る等、出自等には諸説があって定まらない。別系統のものが一纏めに考察(横尾の地名、姓は全国各地に見られる。)されている感もあり、はっきりとさせる事が非常に難しい。何れ別の機会で…
※「長享日記」〜青木家所蔵の横尾丹波守吉信の書?を近世に入ってから纏めて書写した物らしいんだけど覚え書きに近いんだろうか、純粋な日記とは違うようだ。
※戸石城の支城として普請〜そもそも論で同一山系にない。
※写真①は南東麓の長野県道35号線、長野真田線から撮影した近景っす。
2024年10月20日 鈴木剛
長尾城[横尾城 周辺城郭]
看板にあったようにまっすぐ進むと広場に出ました。案内板はあったのに現地には看板がありませんでしたが、ここが長尾城だと思います。
2021年03月07日 内記かずりヾ(・ε・。)
猿ヶ城[横尾城 周辺城郭]
猿ヶ城は横尾城の西北約5.7km、南方へ延びる標高約940mの山塊尾根上に主郭が存します。南西麓の長野県道35号線からの比高は150m位でしょか。
行き方は同じ横尾城のリア攻めマップにある弥六城を参照して下さい。お城は県道を挟んで対になってます。車を捨てるまでは一緒ですが、猿ヶ城へはこのチェーン脱着場から300m程松代方面に進み、県道から右手に見える水素水の工場脇の北方へ延びる林道を進みます。距離にして300m位でしょか、目標が無くて説明に困りますが、2箇所目のガードレールを過ぎた辺りのガレ場の斜面で直登を開始して下さい。
お城は県道からその突飛な姿を見る事が出来ますが、三方はほぼ絶壁の為、北側に巻いてから斜面を直登する必要があります。平均斜度は40°位ですが、場所によっては遥かにそれを超えますので二足歩行はとても無理な感じ…おまけに草木があまり生えておらず、表土は柔らかく崩れ易いので大変難儀します。自分は表土に手刀で手首までをぶっ刺し、それからその下にある比較的固めの土をぐりぐりと指で掴む感じで支点を取りました。誰も行かないとは思いますが、登れても同じルートで帰れない場合が人によってはありますので、行くか行かないかは登る途中で判断して下さい!ちなみにお城は諦めても全然後悔しないレベルです。
このお城は完全単郭+αで、ハイライトは尾根端部に位置する物見台と考えられる絶壁の岩場です。堀切があるとされていますが、自然地形でなければ物見台には二重堀切+1条の堀切がある事になりますね。ただここに加工しても誰も攻めて来ないと思うので本当にそうなのかは謎にしときましょう。主郭は意外にも広い削平地、小さな一般住宅なら建てられるかもしれません。それ以外には頑張っても何かを見付ける事は出来ないでしょう。
猿とか鬼が名前に付くお城はそんなんしか寄り付かない事を意味します(最近「鳥」も怪しいと思い始めた。)。比高はそんなに無いのですが難城と言えるでしょう。物見台に登ると落ちたら死ぬし、戻る時は後ろ向きで下りる事になるので此処でも自分と相談して家に帰る事を考えて下さい。
終わりに…最近手放せなくなったのが完全防水作業用手袋です。全く濡れないし、強度はあるし、暖かいしで極めてコスパ高し!皆様の直登LIFEを劇的に変える代物ですので使っていない方は是非お試しあれ!
2021年03月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
弥六城[横尾城 周辺城郭]
弥六城は横尾城の西北約5.8km、標高約970mの山塊中腹に主郭が存します。西麓の長野県道35号線からの比高は180m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。お城の西麓、登城路入口付近には広めのチェーン脱着場があるので此処に車を捨てましょう。県道を挟んで反対側に登り石垣の様な構造物がありますのでこれが登城路入口となります。
お城までは一応道らしきものが付いてます。登り始めて3分位すると土留めの石積みの付いた段郭状の平段にぶち当たります。この上に道が続いていて登って行きたくなりますが此処からは北へ進路を変えて下さい。こちら側にも薄っすらと道が付いてますので、竪堀に到着するまでは斜面を登って行かないようにしましょう。竪堀からは城域に入りますので後は上を目指すだけとなります。が、このお城は山塊中腹の斜面に5段の郭を設けた縄張で、城域に入ってからも結構登り続けるので面倒っすね。
お城は謎に満ち溢れています。尾根上に築かれる事が殆どな信濃の山城ですが見事に尾根を外してます。5段の郭があると先に述べましたが、現況は朔平が甘くて4段目までは正直よく判らん♪郭としての独立性が保たれていない感じなんでしょかね、普通に追っていけないです。
謎なのは石積みが結構残っている事です。信濃のお城の神はこの石積みに懐疑的ですが、確かに登城路入口付近のものは後世の桑畑の土留めっぽい(ただ現地に赴くとそうとも言い切れないのさ〜狭く密集してたり登ってたりする。)のですが、城域内のものは結局誰も答えを見出せないと思います。ただ4段目の郭のものは石塁状に石積みが付いてたりもしますので往時のものなのかなと思いました。主郭には薄っすら土塁、背後にはたぶん自然地形に手を加えたと思われる横堀が、斜めに高低差を持って重なる様に2条付いていて山側を遮断しています。又、主郭から更に登るともう一段削平地があって土塁らしきものが確認出来ますが縄張図から外れますので参考まで…
お城の西麓の県道は地蔵峠(新と旧がある。)に至り、上田と松代を最短距離で結ぶ峠道です。真田信之の松代移封の際にも使われ、このお城付近が境目だったと思われます。西麓は江戸時代においても番所ぐらいあっても全然不思議じゃない場所ですが、まぁお城も含めて謎にしときましょう。
2020年05月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
洗馬城[横尾城 周辺城郭]
洗馬城は横尾城(尾引城)の西北約1.7km、洗馬川と傍陽(そえひ)川の合流点の北側にある南方へ張り出す山塊支尾根上、標高約799mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は100m位でしょか。立地は松代道と洗馬道を眼下に見下ろす重要な場所でもあります。
築城時期、築城者とも不明ですが、応仁二年(西暦1468年)に村上氏に攻められた記録(千葉城と書かれる。)が残っているそうで、その後はたぶん位置関係から横尾氏の持分でしょうか。そして横尾氏の没落後は、真田郷の領有を武田氏から認められた真田氏の属城の一つとして整備されていたようです。
行き方はGoogleマップに位置登録されている東信森林管理署真田森林事務所を目標に設定して下さい。この事務所の西側に登城路入口があり、付近にある響田足玉神社には駐車する事も出来ます。
お城は比較的緩やかに、段郭の合間を縫って行く感じで何とも素敵な気分に浸れます。主郭に至るまでには2条の堀切も確認され、登城路は本来の大手道を踏襲してるものと考えて間違いは無いと思います。又、途中実に素晴らしい長大な竪堀も残されていますのでここは見落とさないようにしたいものです。主郭は削平具合も見事で土塁付き、切岸には石積みもあったように思われます。主郭からは北側と北西側に堀切が切られ、特に北西側のものは自然地形に手を加えたと思われる大きなものとなっています。これを沢跡と解する方もいらっしゃいますが、沢は山の頂部付近からは流れないので堀切として加工されたと判断してよいと思います。
真田ブランドの素敵なお城の一つです。主郭まではよく整備されており気軽に楽しめるのも魅力です。距離も近いし、横尾城(尾引城)をリア攻めの際は是非訪ねてみて下さいまし。
2020年05月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
大柏山信綱禅寺[横尾城 寺社・史跡]
大柏山信綱禅寺〜通称信綱寺は横尾(尾引)城の東方約0.4km、標高約737mの山間部斜面上平場に存する曹洞宗の寺院です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場所に困る事は無いでしょう。
お寺さんには真田信綱夫妻、弟の昌輝、白川勘解由兄弟(信綱の首級を着用していた陣羽織に包んで甲斐に持ち帰ったと伝わり、後に殉死する。)のお墓(昌輝の墓は近世のものらしいっす。)があり、宝物館には信綱の血染の陣羽織の他、古文書、白川勘解由の旗指物等が収められているようです。
信綱寺は元は梅ノ木にあった横尾氏の菩提寺、好雪斎大柏寺だったらしく、横尾氏の滅亡後、信綱によって打越の地に移され大柏山打越寺となりました。その後、昌幸が信綱の菩提寺として寺堂を改築した際に現在の大柏山信綱寺に寺名が改められたそうです。
このお寺さん、びっくりするのは現在ある信綱の墓所なんですけど、まるで山城のような場所にあります。寺背後の山塊から延びた細尾根に位置し、左右を自然地形の沢跡かなんかなんだろうけど竪堀様地形で仕切られています。しかも正面は段郭の様な造りで、山側に土塁と堀切でもあればまさしく山城の完成ですwお寺にしては珍しい地形だし、色々想像すんのは勝手だと思うので、未見の方や六文銭ファンの方は是非一度訪ねてみて下さいまし。
2019年05月05日 わる爺陸前守
古城緑地公園駐車場[横尾城 駐車場]
専用の駐車場がありません、公園駐車場借用
2019年05月05日 わる爺陸前守
段郭[横尾城 遺構・復元物]
登り始めて直ぐもそれらしき郭が連続。但し碑が建っているのはココ。
2015年11月04日 アマビエ土佐守
横尾城
上田市真田町★★★
大河ドラマ真田丸に向け周辺の道路整備が行われている、道路拡張工事は出来ず途中に待避所を設ける方式の道路工事が行われている。
真田町周遊バス運行★★★★
既に周遊バスの運行が開始されており麓のゆきむら夢工房を起点~真田氏歴史館~真田氏本城~長谷寺~山家神社~黒門~ゆきむら夢工房の運行が行われている。※月別で運行形態が変わるのでパンフレットによる確認要。
2013年07月15日 赤いRVR甲斐守@松本
横尾城
駐車場は歴史公園に止めて、数分で南側登城口に行かれます。主郭裏手の堀切は、夏場は藪化が激しいので要注意。なお、副郭を経て裏手からは、信綱寺裏山の長尾城へも行かれるようです。
2010年08月23日 ️…
横尾城
段郭、石積、虎口等が残されていますが、如何せん城の規模と比例して迫力には欠けてしまいます
しかしながら、小さな丘程度の城でも真田の庄の支城群には画像のような木製解説板が設置されており、キャッスルハンター魂が揺さぶられます
これからの季節、1日で支城群を制覇して、別所温泉で&マツタケなんて最高の日帰りプランです
横尾城の周辺スポット情報
段郭(遺構・復元物)
石積(遺構・復元物)
本郭(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
二重堀切(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
副郭(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
洗馬城(周辺城郭)
猿ヶ城(周辺城郭)
弥六城(周辺城郭)
内小屋館(周辺城郭)
萩の館(堀の内)(周辺城郭)
横道の館(堀の内)(周辺城郭)
根古屋城(千古屋城・高い城)(周辺城郭)
根古屋城(千古屋城・低い城)(周辺城郭)
長尾城(周辺城郭)
打越城(古城)(周辺城郭)
大柏山信綱禅寺(寺社・史跡)
古城緑地公園駐車場(駐車場)
横尾城、内小屋城案内板&駐車場(駐車場)
北回りコース入口(その他)
正面コース入口(その他)










その名称のように、尾のような長い尾根を利用した山城で、土塁やわずかに石積なども残る。
概要
真田から善光寺平への直通路をおさえた交通の要地にあり、真田幸隆は村上方に属していた横尾氏が上州に落ちたのを機に、この一帯を手に入れた。宝永年間(1704~1710)の「信濃國郡絵図」(上田市博物館所蔵)には、横尾采女正の城跡と記載されている。
構造
折れ道と腰郭を急斜面に組み合わせた、芝居の見物席のような十数段の郭は、交互に段差を設けて構築され、本郭を含め中世的な山城の面影を残している。本郭には、秋葉社の鳥居と社殿があり、本郭部は秋葉社がある部分(8×6m)と、その前面の平地の部分(20×14m)に分かれている。
秋葉社裏は二重の堀切となっていて、本郭の背後を固めている。西側斜面の林地内の空堀には、堅土居を付している部分がある。
参考文献
・「信州上田真田氏ゆかりの山城案内」パンフレット。・『真田町誌歴史編(上)』真田町誌編纂委員会、真田町誌刊行会、1998年。