洗馬城

洗馬城([横尾城  周辺城郭])

横尾城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「洗馬城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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洗馬城の口コミ情報

2026年06月20日 内記かずりヾ(・ε・。)


洗馬城(古城・堀の内城・城の山)は横尾城の北西約1.7km、標高約800mの山稜山頂部を中心に立地する要害です。南麓の長野県道35号、長野真田線からの比高は110m位でしょか。

行き方はGoogleマップに「洗馬城跡登城口」が位置登録されているので目標に設定しよう。車は同じく位置登録がある「誉田足玉神社」の社前に捨てられる。取り付きからは一本尾根なので迷う事も無いし、誰にとっても気持ちの良い登城になるだろう。

築城年代、築城者には曲尾氏が推測出来る。同氏については同じ横尾城のリア攻めマップにある萩の館を参照して下さい。詳細については殆ど伝わらないが、曲尾氏の発祥を解く事は、近隣の真田氏の発祥を解く鍵にも繋がる…とだけ言っておこう。

城山は、小県郡放火(傍陽)郷を構成した一村、曲尾村の萩にある。「長野県町村誌」によれば、洗馬村は、此処よりやや北方、赤石、穴沢、田中、横道等の字地が残る場所にあり、何故に当城が洗馬城と呼ばれるのかについては少々疑問だ。元より両村は横尾村と共に同一郷内にある事から各村域には時代による変遷等があるのかもしれない。

町村誌には「古城」として、「村(傍陽村)の中央字宮ノ前と表との境に在り。其山上平坦にして面積一反一畝歩、又東面削平せし小平地数箇あり。里傅に、土豪某の築城して據れる所なりと云。未詳。」とあり、肝心の築城者、城主の名が伝わらない。

「諏訪御符禮之古書」、應仁二年(西暦1468年)戌子花會の条には、「一 御堂坂木村上兵部少輔政清御符禮五貫六百文使孫二次郎海野千葉城のつめ口を取被座候自陣中返事候頭役五十貫御教書禮五貫六百」とあり、村上兵部少輔政清が「海野千葉城のつめ口」を取ったと書いているが、海野氏の差配する所に千葉の地名が無い事から、当時は境目であった洗馬が誤り伝えられたものだと推測されている。即ち、此処で言う千葉城とは洗馬城の事である可能性が非常に高い。ちなみに周辺地域にはこれ以降、村上氏の勢力が及んだとも云われている。

縄張は4郭で構成され、大手となる城山の南尾根には段郭を連ね、主郭部の東側斜面には幾つかの腰郭を設けている。山道の造成によって特に尾根筋の遺構に毀損があり、各郭等のエッジが失われている部分も多いとはいえ、適度な間伐等が行われ、毎年のように整備が入っている事もあり、特に山頂部を中心にして要害としての形状がはっきりと見て取れる。城郭遺構としては総計で6条の堀切、主郭には削れているが西辺のみに一直線の土塁の残滓が確認出来る。但し、堀切は総じて埋まり気味、主郭からの北西尾根には規模の小さな三連続堀切が穿たれていたりもするが、既に堀形が不明瞭、藪に塗れてもおり鑑賞には厳しいものとなっている。又、主郭の西側に見られる自然地形とされる大堀切様地形を誰でも問題にすると思うが、個人的には堀切と判断しても構わないと思っている。意識しない訳にはいかない山尾根を断ち切っているのは事実だし、少なくとも急な主郭側の斜面には切岸加工が施されているように思う。ちなみに主郭の東面下段、虎口へ通じる部分には、登路を形成していたと思しき石積みが確認出来る。

甲越が争った時期にも該地とその周辺地域は忙しかった筈だ。南方を東西に通る地蔵峠道は、埴科郡内のアプリの登録城、雨巌城に攻め寄せる真田勢等が利用した道と推測され、洗馬城は同城が落城する弘治二年(西暦1556年)までの間、境目を見張る武田方の一城であり続けた事だろう。

※登城路に連なる要害としての段々感が素敵な山城だ。ちなみに石積みの残滓が主郭の切岸等にも確認出来る。

※雨巌城〜小山田勢の助勢を得た真田勢等によって落城した。同城の落城によって海津城の築城が可能となり、謂わゆる川中島の戦いは新局面を迎える事になる。

2020年05月14日 内記かずりヾ(・ε・。)


洗馬城は横尾城(尾引城)の西北約1.7km、洗馬川と傍陽(そえひ)川の合流点の北側にある南方へ張り出す山塊支尾根上、標高約799mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は100m位でしょか。立地は松代道と洗馬道を眼下に見下ろす重要な場所でもあります。

築城時期、築城者とも不明ですが、応仁二年(西暦1468年)に村上氏に攻められた記録(千葉城と書かれる。)が残っているそうで、その後はたぶん位置関係から横尾氏の持分でしょうか。そして横尾氏の没落後は、真田郷の領有を武田氏から認められた真田氏の属城の一つとして整備されていたようです。

行き方はGoogleマップに位置登録されている東信森林管理署真田森林事務所を目標に設定して下さい。この事務所の西側に登城路入口があり、付近にある響田足玉神社には駐車する事も出来ます。

お城は比較的緩やかに、段郭の合間を縫って行く感じで何とも素敵な気分に浸れます。主郭に至るまでには2条の堀切も確認され、登城路は本来の大手道を踏襲してるものと考えて間違いは無いと思います。又、途中実に素晴らしい長大な竪堀も残されていますのでここは見落とさないようにしたいものです。主郭は削平具合も見事で土塁付き、切岸には石積みもあったように思われます。主郭からは北側と北西側に堀切が切られ、特に北西側のものは自然地形に手を加えたと思われる大きなものとなっています。これを沢跡と解する方もいらっしゃいますが、沢は山の頂部付近からは流れないので堀切として加工されたと判断してよいと思います。

真田ブランドの素敵なお城の一つです。主郭まではよく整備されており気軽に楽しめるのも魅力です。距離も近いし、横尾城(尾引城)をリア攻めの際は是非訪ねてみて下さいまし。

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