松尾古城(まつおこじょう)

松尾古城の基本情報

通称・別名

松尾城

所在地

長野県上田市真田横沢

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

真田氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

真田氏

廃城年

遺構

曲輪、石積、堀切

指定文化財

市史跡

再建造物

説明板

周辺の城

真田本城(長野県上田市)[2.6km]
横尾城(長野県上田市)[3.8km]
真田氏館(長野県上田市)[3.8km]
戸石城(長野県上田市)[5.9km]
上田城(長野県上田市)[10.7km]
富士見城(長野県小諸市)[14.3km]
葛尾城(長野県埴科郡)[15.2km]
小諸城(長野県小諸市)[16.1km]
尼厳城(長野県長野市)[16.6km]
岡城(長野県上田市)[17.6km]

松尾古城の解説文

松尾古城(まつおこじょう)は、長野県上田市にある山城。松尾城ともいうが、真田氏本城が松尾城と呼ばれることから松尾古城とされている。

遺構 

角間渓谷の入口にあり、増尾山から伸びる尾根の先端、標高1033mに位置する城だ。主郭からの眺望はよく、菅平から上田市街地まで見渡せる。南麓を流れる角間川は、西側で神川と合流する。角間川に沿うように通る道は、角間峠を越えて西上野(群馬県)へと通じ、城の西側を通る上州街道も鳥居峠を越えて群馬県へと抜ける。松尾古城は、2つの街道を押さえる真田郷の防衛には欠かせない立地にあった。

主郭を中心に、板状の割石を積んだ石積みを多用していることが最大の特徴だ。主郭までの曲輪も、石積みを利用して平坦面を確保している。堀切は主郭の背後にしかないが、規模は大きく主郭への侵入を阻止している。

主郭から尾根伝いに登ると、増尾山の山頂手前の標高1370m付近には遠見番所がある。

歴史 

築城年代は定かではない。

南麓の日向畑遺跡は中世の墳墓群で、同じく南麓には真田幸隆あるいは真田信繁の少年時代の木造と伝わる安智羅様を祀った安智羅明神という祠もある。その前には阿弥陀堂もあり、『松尾古城全図』の記述によれば、阿弥陀堂の周辺は真田家の御屋敷跡と伝えられている。また、地元では真田幸隆が松尾古城を築いたとも伝わる。しかし真田郷から離れた奥まった場所にあり、明確な根拠もなく詳細は不明だ。

石垣は築城時に積まれたとも考えられるが、おそらく改修されたものだろう。時期は定かではないが、その立地ゆえ領国の境目として重要視された際に強化された可能性が考えられる。

交通 

・上信越自動車道上田菅平ICから車で約30分。

参考文献 

・『長野の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2013年
・『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館3 上田・小県編』戎光祥出版、2013年

文:萩原さちこ


松尾古城の口コミ情報

2026年07月07日 内記かずりヾ(・ε・。)
松尾城遠見番所[松尾古城  周辺城郭]



松尾城遠見番所は松尾古城の東北東約0.8km、角間川北岸(右岸)、神川東岸(左岸)、標高1440mの山稜山頂から南西へ向けて伸びる尾根上段上、標高約1368m地点の平場を中心に立地する狼煙台や物見台の類いです。南麓の角間川からの比高は470m位でしょか。但し、取り付きとなる松尾城跡登城口からの比高となると525m位になる。

行き方は松尾古城の口コミを参照してとりま古城まで登ろう。後は後背尾根筋をひたすら無になって登るだけだ。同城からの比高は330m位、傾斜はそれなり、ほぼ一直線の一本尾根なので迷う事は無いんだけど、兎に角、だるいよ。悩み事の一つや二つは登城中に解決出来るて思うさ。

築城年代は不明、築城者は松尾古城と同一、真田氏以外には思い付かない…てか、そんなんどうでもよくなるような物件だ。ある意味においてはびっくり物件でもある。

松尾古城は過去4回の登城経験があるんだけど、初回訪問時に遠見番所への途上において熊さんに遭遇するまさかの事態に…尾根下に逃げてくりりば続行したんだけど、期待に反して上へ上へと駆け上ってしまう迷惑ぶり…残りの比高は150m位だったんだけど、流石に後の危険性を考慮して断念してしまった。以降、古城へ登る度に再挑戦しようとは考えていたんだけど、「…今回は登らなくてもよくね、お腹も減ってるし、そもそも論で義務じゃないんだし…」等と自分に言い訳してパスしてた…そう、根性無して呼んでくりて一向に構わないんだけど、たぶん、口汚く罵った挙句にカンガルーキックをお見舞いするよ。

登ってみれば判るんだけど、何の為に築かれたのかの理解に及ばない。遠見番所と名付けられながらも物見台としての役目が殆ど不可能、下界は見えず特定の何処かを覗ける訳でもない。番所から見るとしたら遠方の高所から立ち上がる狼煙ぐらいのもんではないだろうか。おいらは角間峠や菅平口からの狼煙を繋ぐ場所の一つに過ぎないんじゃないかて勝手に考えてる。

実は山頂にない事でも狼煙台である可能性が高いんだけど、台としてはしっかりと普請された数少ない逸品だ。積石塚古墳を思わせる、内部に空間を持つ正方形に近い石塁が確かに残っている。番士の常駐さえ想像出来るものなんだけど、おいらがこの場所を役目に与えられたとしたら、角間峠を越えて勝手に暇乞い、上州吾妻の諸氏へ出仕する事を真剣に考えるだろう。水の手がある筈も無く、冬場は寒風に耐えるだけ、輪番制でなければ成り立たないような高所に過ぎる番所だ。ちなみに登城中の山尾根には何の為のものなのか判らない石塁様の石積みの段が確認出来る。

狂信的真田ファンを中心に結成された闇の実行部隊、「六文銭a.k.a十勇士」の構成員に蹴っ飛ばされるかもしれないんだけど、修験道に関わる何らかの奥社か修験の場所の跡が遠見番所の発生なんじゃないかて考えてる。根拠とするものは特に何も無く、おいらのフィーリングのみで言ってる話なんだけど、真田氏が篤く尊崇した山家神社は、白山信仰の霊峰、四阿山の山頂部に祀られる白山大権現を奥社とする里宮だ。同氏と白山修験道勢力との繋がりを証するものは残されていないんだけど、或いはこうした行者(山伏)を自領内にそれ相応の権益等を保証して抱え置き、境目等において、遠方との連絡や使い、狼煙や遠見の役目等に携わせていた…等と想像しても決して飛躍ではないだろう。

戸隠流の忍術だとか真田十勇士なんかを思い浮かべるから陳腐に感じる訳だ。各地の修験道勢力と武家との間には相互依存の関係性が数多く見受けられる。天台修験、本山派、大井法華堂の檀那には、佐久郡の「大井一家、依田一族」があり、法華堂は両氏やその被官人の熊野二所の先達(案内人)にと定められていたし、高井郡の井上氏や水内郡の栗田氏が戸隠山の別当をそれぞれ務めた事はよく知られている。小県郡において真田氏が白山修験道勢力と深い結び付きを持っていたとしても何ら不思議な事では無い。

※四阿山の南面中腹、白山大権現の中社、標高約1816m地点の平場に立地する「華(花)童子の宮跡」の石積みを思い出す。ちなみに同山は神川源流の恵みを流域にもたらす水分神(みくまりのかみ)としても崇められている。真田郷もその恩恵を直接受ける一つだ。

※写真①は松尾古城と松尾城遠見番所の近景を撮影した物っす。写真中央の山稜が遠見番所だけど山頂の手前に位置している。

※写真②は同じ松尾古城のリア攻めマップにある鬼ヶ城を撮影した物っす。写真中央のわちゃわちゃした所が城跡だけど永遠の色物物件だ。初訪問はめぐら〜になる前、短パンにTシャツ、靴はVANSで登ったら先着者に大爆笑さりた苦い思い出が残る場所でもある。ちなみに現在はロッククライミングの聖地?、訳解らんわ…

2026年07月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
松尾古城



松尾古城(松尾城)は角間川北岸(右岸)、神川東岸(左岸)、標高1440mの山稜山頂から南西へ向けて伸びる尾根下段上、標高約1037.4mの増尾山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の角間川からの比高は195m位でしょか。

行き方はGoogleマップに「松尾城跡登城口」が位置登録されているので目標に設定しよう。車は同じく位置登録がある「角間区民広場」に乗り入れて捨てられる。広場は大量の五輪塔と宝篋印塔が出土した日向畑遺跡、真田氏の菩提寺、常福院の境内と推測されており、付近一帯は同氏、最初期の居館地とも伝わっている。ちなみにGoogleマップの口コミ等でも登城難度が高いとの指摘があるが、実際には非常に登り易い山城、主郭までは道が付いているのだ(過去に4度の登城経験があるが、2回はスケートボードでしか役立たないVANSで登っている。山城に慣れた方なら何を履いてもイケる筈…)。お山の雰囲気に惑わされてはいけない。

築城年代は不明、築城者は真田氏と伝わる。有名な氏族故に説明は要らないだろう。

城地の西麓には神川に沿う上州道が南北に通り、南麓には角間川に沿う角間峠越えの古道が東西に通っている。何れの道も上野国吾妻郡大笹へと至る大笹道に合流し、該地の大日向は小県郡側の正に関門となる地である。

縄張図を見ると5郭で構成されているが、主郭と縄張図における通称2郭(馬場)を除けば、岩場の多い山尾根にあって各郭の輪郭が不明瞭、基本的には古式の要害、堀系は主郭北側山側背後の大堀切のみである。この要害を特徴付けているのは城域内に散在する石塁だ。高さもあり奥行きもある平石積みのそれは何の為に積まれたのか理解に苦しむものもあるとはいえ圧巻の光景、山中に展開する人工の跡としては異世界の趣きさえある。

さて…真田氏について勉強する事は今まで殆ど無かったんだけど、最近になって真田氏関連の城館を幾つか再訪した事もあって久しぶりに真面目に取り組んでみた。特においらの中でも容易に整理が付かなかった「真田之郷」について以下に書いておく。

真田氏発祥の地、「真田之郷」だが、「長野県町村誌」、長村の項、字地の紹介に「眞田」があり、「酉(西)の方、東西一町三十間(約164m)、南北五町(約545m)。」とある。これを国土地理院地図に照らし合わせると、郷と称するには狭小に過ぎ、特に南北は山地を大きく含む事になる。実際の「真田」は、「和名類聚抄」、高山寺本に載る、小県郡「山家」郷を構成していた一村に過ぎず、発祥期の真田氏の知行地がごく僅かなものであった可能性を残す。又、同氏の発祥から海野氏時代までの所領実態等は全くの不明だが、当初、居館したのは松尾古城の南麓、大日向であったとも云われている事から、室町時代には山家郷の旧地の一部、少なくとも、石舟、大日向、甲石、真田、横沢等の神川流域の諸村がその知行地であったと考えてもよいように思われる。

天正六年(西暦1578年)二月二日の「下諏訪春秋両宮御造宮帳」には「眞田之郷」が登場するが、同郷は造宮に際して、小県郡の他の諸郷と比べても遜色の無い額を負担している。此処で書かれる「眞田之郷」の解釈や当時の認識には慎重にならざるを得ないが、少なくとも「真田」の一村が単独で開発発展した訳でもなく、同村が近隣諸村を含む一郷として昇格したと考えるのが妥当であろう。武田氏時代を通じて真田氏自体の知行地の拡大があり、これに伴って領主としての地域の再編、統合が行われたとも考えられる。

「真田の里」の代名詞、旧小県郡真田町の命名由来は、真田氏発祥の地であるから…という単純なものだが、町は長村、傍陽村、本原村が合併して成立したものであり、かつての町域は極めて広大であった。この内、アプリの登録城、真田氏館が所在したのが本原村の上原だが、中世から江戸時代には「原之郷」と呼ばれた地域であり、謂わゆる狭義の「真田之郷」には含まれない郷村(後の仙石氏時代も「原之郷」である。)であった。

真田氏は本当にややこしい一族だ。戦国時代には居館地に三度の変遷があったとも云われており、後世、同氏が住した所は全て「真田の里」で一括りにされてしまっている事も問題だ。海野氏時代の漠然とした姿さえ想像出来ない根本もこれにあると思う。私達は謂わゆる真田氏三代については虚実織り混ぜて詳しいが、それ以前の事となるとどうしても沈黙せざるを得ない。語りたくない何かがあるのだろうか、各種史料に殆ど現れないのは当然だが意図的に闇の中に葬られたような気さえして来る。

※狂信的真田ファンを中心に結成された闇の実行部隊、「六文銭a.k.a十勇士」の構成員にぶっ飛ばさりるかもしれないんだけど、石塁が無かったら地形頼み豪華二点主義の山城だて思うさ。

2026年06月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
上野屋敷の館[松尾古城  周辺城郭]



さて、居館廻りよFOREVER…

居館廻り=耕作地探訪…て言っても過言ではないぐらい田地や畑地に変貌している事が多いんだけど、そもそも論でこれ等に城館としての形状、形態、縄張、遺構なんかを最初から期待しちゃいない。極端な話、地方史を通じて知り得た数多くの無名の殿様達が、どんな場所に居館し、どんな環境にあったのかを現地に赴いて確かめる事(地域として広く見る必要がある。)に意義があるて常々思ってる。城館跡として殆ど何も残っていないのは事実だけど、探せばこれ等に繋がる色んな断片が周辺地域には幾つも転がっている。

今回、紹介するのは、皆さんがよく知る歴史上の人物が居していたのかもしれない…て想像出来るような物件、あの真田氏に関係しているのかもしれない居館跡だ。そう考えると畑や草むらの写真も何となく違った形で見えるでしょ。小県郡のスーパーエース、有名な真田幸綱や矢沢頼綱は此処で産まれたのかもしれない。訪ねれば誰でも調略名人や乗取名人にはなれる筈…

上野屋敷の館は松尾古城の南西約0.5km、角間川北岸(右岸)、神川東岸(左岸)、標高1610mの山稜山頂から西南へ伸びる尾根末端部直下、標高約825mの緩斜面上平場に立地した居館です。簡単に言えば松尾古城の南西麓に当たり、後背地からは同城への登路が伸びている。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。少し判り難いが、同じく位置登録がある「(有)ビッククリエート」の工場の向かいから居館地へと登る農道が付いている。既に畑地は一部を残して放棄されているので車を適当に捨てても誰も気にしない。ちなみに松尾古城へ最短距離で登れるのは此処から、大して変わらないが少なくとも九十九折りの一辺分ぐらいはパス出来る。

築かれた年代は不明、お住まいになられていた方には真田氏が推測されている。松尾古城の麓には真田氏最初期の居館地と推測されている、同じ松尾古城のリア攻めマップにある日向の館が立地しているが、発掘調査の結果にはこれを裏付ける出土品は無く、同氏の菩提寺であった常福院の跡との見方が強くなっている。上野屋敷の館がこれに代わるものとの確証も存在しないが、推定居館地の下段には「上野屋敷」の小名が残っており、少なくとも該地の松尾を知行地とする真田氏に関わる何らかの屋敷跡であった可能性が非常に高い。

居館地の西側下段には神川に沿う上州道が南北に通っており、北行すれば菅平口において大笹道に合流し、鳥居川に沿う同道を東行すれば鳥居峠を越えて上野国吾妻郡大笹へと至る。平安時代には同郡への進出が認められる海野氏にとっては重要な道筋の一つであったろう。真田氏が当初住したと推測される所は、角間渓谷のとば口にして、上州道が狭隘な谷筋へとに入る正に関門の地に当たっている。

居館の現況は…耕作地、耕作放棄地、空地等となっており、居館地の東端部には送電線の鉄塔が建っている。城郭遺構は完全消滅しており見るべきものは特に無いが、一概に後世の改変とも思えない五段程度の広めの段が設けられており、雰囲気や纏まりだけなら何とか感じ取れる。ちなみに「長野県町村誌」の長村の項、「上野屋敷」の字地の記述には、「(長村)寅(東北東)の方、東西一町四十間(約182m)、南北三町(約327m)。」とあり、一族等の集住を窺わせるような敷地面積がある。

発掘調査によってかわらけや陶器片等が出土しており、中世の遺跡である事がほぼ確実視されている。真田氏が実際に居していたのかは別として、位置関係から松尾古城の根小屋であった事に間違いは無いだろう。又、その占地から必然的に道押さえの館でもあったと考えられる。戦国時代に機能していたのかは知る由も無いが、遠く上州へと出張する武田勢や真田勢を一段上から見送っていた筈だ。

※角間渓谷〜角間川沿いの一帯は熊さんの巣窟だ。地元の方は「熊に会うから気を付けてね。」てな感じで注意を促し、角間温泉の岩屋館さんでは熊鈴の持参を推奨し夜間の外出を控えるよう来館者に求めている。ちなみにおいらは令和二年の元日に松尾古城の後背地で元気な奴を目撃した。

※角間温泉の岩屋館さん〜若い頃に仕事にむかついて旅に出た際に泊まった事がある。その頃は山城なんてどうでもよい存在だった。

2026年05月11日 カズ讃岐守
松尾古城



登山装備と登山経験のない方はやめたほうがいいと思います。目印もなく道迷いしやすいです。

2025年07月22日 佐渡守:ダークスカル
松尾古城



真田氏の郷 駐車場がありそこから徒歩40~50分かなりハードな山道(登山)でした(笑)

2025年07月21日 雷桜
山家の館[松尾古城  周辺城郭]



住宅化されて遺構は見当たりませんが案内板はあります それだけでも有難いですね 車を停める場所はないですので、近くの真田家縁の山家神社を参拝して車を置かせて頂いたりするのが良いかなと思います

2025年07月21日 雷桜
日向の館[松尾古城  周辺城郭]



松尾古城登城口の日向畑遺跡、角間区民広場、安智羅神社この辺りが館跡と案内板にあります 近く散見する石積みは年代不明ですが雰囲気は感じますね 安智羅神社の案内板にある御神体の真田幸隆の幼少期の像は安智羅神社の秋の例祭の時参列すると拝見できます

2025年05月09日 sigesige主税頭信繁
松尾古城



日向畑遺跡の近くに駐車場があり、そこから少し坂を登った所に登城口がありました。所々岩が剥き出していたり、急な坂などありますが比較的登りやすかった印象です。それでも主郭まで30分くらいかかりました。上田市は熊の目撃情報が多いのでラジオと鈴をしっかり装備して臨みました。

2025年04月07日 式部大輔あお
松尾古城



駐車場にも登城口にも看板あってわかりやすいです。リア攻め判定地迄は20分ちょっと、看板のある主郭迄でも25分。往復40分程で完了。尾根沿い以外にも脇道多数有り道迷いに注意。迷ったら尾根を目指せばオッケー。熊出没注意の看板あり、登城路に大型獣の糞がありびっくり。気をつけてリア攻めを楽しんでください。

2022年08月02日 たまちゃん
松尾古城



駐車場から主郭まで1時間くらいです。
日向畑遺跡の脇に登城口があり、ほぼ水平に移動した後、神社手前の尾根を登ります。岩場がありますが、迂回路もあります。
各郭の石積が良く残っています。

2022年06月17日 ᴿᴱᴰ副将軍
松尾古城



牛蒡積みの石積みの他にも主郭背後の堀切は必見✨

オススメ度 ★★★★★

築城時期、築城者は不詳。
上野へと通じる角間峠・和熊峠・鳥居峠の峠道が集中する交通の要衝。
真田氏初期の居城と考えられています。
真田幸隆の時代からは真田郷の詰城。狼煙台、街道監視の役目もありました。

見所
尾根道を閉塞する石塁。石塁は信濃特有の平べったい割り石を用いた「牛蒡積み」。
主郭のすぐ背後にある堀切。恐ろしく深い。石垣だけ見て下山してしまう人も多い。必見です。
登山道は岩山の尾根。両サイドが崖で寝不足登山にはキツかった。

2022年05月08日 尼崎城甲斐守一口城主
松尾古城



5月2日、長谷寺を参拝した後に向かいました。日向畑遺跡を目指せば登城(登山)口が分かると思います。しかしながら熊注意🐻の看板🪧があり今回は熊ベル🔔を所持していなかったこともあり登城を断念しました😢

引き返して、真田相伝六神社巡りの最後①山家神社、②真田神社をお参りして山家神社で他のお参りした神社の写真🤳を社務所の方に見せて六神社分の記帳をしてもらいました。

最後は信綱寺に向かい、長篠の戦いで戦死した幸隆公の長男信綱公、次男昌輝公のお墓参りをしてきました。信綱公、昌輝公が戦死したことにより三男の昌幸公が真田家を継ぐことになります。

この日の真田の郷巡りは、快晴に恵まれ高地にあることもあり程良い気温で気持ちよく回れました。いつかはやりたいと思っていた念願が叶い良い日になりました。

2019年11月30日 絆✨左衛門佐紺絹地六連銭
松尾古城

登山口から更に角間渓谷に入ると真田昌幸、信幸、信繁が♨️温泉軍議を繰り返した角間温泉宿(日帰り可能)がありますよ。炭酸泉が気持ちいい‼️これで頭の血行も良くしつつ軍議を繰り返していたのでしょうか😊冬場飲めない真田家が客をもてなす際に使っていた清水も同じ温泉旅館内で飲めます😊思わず「美味い!」と叫んでしまう冷たさ美味しさ!因みに旅館下の「一杯清水」は昔の部下が山奥まで取りに行かなくてはならない清水を「ここも同じく美味しいじゃん」とズルをしてここから真田家に清水を汲んでいた、水汲み場の跡なんですよ😊ここの清水は夏体験してみて下さい🤗

2019年05月05日 わる爺陸前守
駐車場[松尾古城  駐車場]



この先に駐車場ありませんの表示。4台スペース

2018年03月19日 武蔵守黒鍬
松尾古城

早歩きで松尾古城主郭まで30分 その先鉄塔まで30分 更に20分で遠見番所に着きました ただ主郭から先は道が曖昧なので注意が必要
熊避けグッズも必要でしょう


2017年09月18日 あゆとも治部卿
松尾古城

日向畑遺跡からの登城をしました。本丸の松の木の洞にスズメバチの大群が巣を作っており、大変危険な状態です。通報しようと思いますが、登る方は気をつけて下さい。

2017年08月12日 治部卿ヒトリモン
松尾古城

登城口の150m手前に4台分の駐車場ありました。主郭まで登って愉しんで、降りてきたらピッタリ1時間。

2016年06月05日 絆✨左衛門佐紺絹地六連銭
松尾古城

久方ぶりに松尾古城をリア攻めしてきました(笑)真田本城の北西、角間温泉入口の信号交差点から山手に入ったところに松尾古城入口があります。松尾古城攻略は略登山!登山道は険しく途中に岩場がありますし、松の落ち葉で登山道が覆われていますので、是非登山靴か滑りにくい靴でお越し下さい!また登山道には、してまもない動物の糞なんかもあったりして、たまに熊も出ることがありますので音が鳴る物を持っていかれるとよいかと思います。登山道をゆっくり歩いても30分くらいで頂上に辿り着けますよ。頂上の石垣群は見ごたえあります!!下山して足が痛くなったり、汗だくになりましたら、角間温泉に入ってリフレッシュしましょう!マイナスイオンいいですよ(笑)

2015年09月19日 ちょんごろ
松尾古城

前の方も書かれていますが、実際に比高を計測してみました。

ケータイについてる機能なので精密ではありませんが、参考までに…

遠見番所 1410m
主郭 1030m
登城口 890m

ちなみに主郭の説明板には遠見番所まで比高160mと書いていますが多分違うので注意が必要です。

2013年10月16日 kai
松尾古城

遠見番所は本丸から見える鉄塔よりさらに奥です。本丸から約1.8km、比高300m以上で、途中から道はなくなり岩場になります(落石の恐れあり)
登りはまだなんとかなりますが、降りはGPSで現在地をこまめに確認しないと遭難の可能性大です。

2013年07月15日 赤いRVR甲斐守@松本
松尾古城

南側登城口付近一帯は、真田氏初期居館跡と言われる日向畑遺跡があり、五輪塔が並んでいます。

2012年08月14日 
松尾古城

山の尾根筋に築かれているため足場が狭い所もあり、登城の際の靴はしっかりした物を用意した方が良いと思います。
遺構は空堀や本郭の石積が残っており、真田本城より見応えはあると感じました。
尚、松尾古城と真田本城の丁度中間辺りにある長谷寺には幸隆夫妻と昌幸の墓があり、参拝者が五円玉等を六文銭の形に並べて手向けています。
真田の郷を巡る際は是非訪れてみてください

2010年12月08日 摂政やつた
松尾古城

登りもキツいですが下りはもっとヤバいです…数回コケました!

2010年08月23日 ️…
松尾古城

麓から見上げると「こんもり」感はありますが、実際は十数分で主郭を攻略できます
石積みは見応え十分だし、運がよければ、カモシカにだって会えちゃえます

松尾古城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 遠見番所(遺構・復元物)

 山頂の説明板(碑・説明板)

 上野屋敷の館(周辺城郭)

 日向の館(周辺城郭)

 鬼ヶ城(周辺城郭)

 城っ平城(周辺城郭)

 山家の館(周辺城郭)

 菅平の三日城(周辺城郭)

 松尾城遠見番所(周辺城郭)

 日向畑遺跡(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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