富士見城(ふじみじょう)

富士見城の基本情報

通称・別名

大室城

所在地

長野県小諸市諸字城峯

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

大井氏?

築城年

室町時代?

主な改修者

主な城主

柴田康忠(徳川氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、虎口

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

小諸城(長野県小諸市)[2.0km]
御影陣屋(長野県小諸市)[6.8km]
大井城(長野県佐久市)[9.7km]
望月城(長野県佐久市)[9.8km]
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富士見城の解説文

※この城郭は2025年4月6日に名称と位置が変更となりました。

富士見城(ふじみじょう)は、長野県小諸市大字諸字東房にあった山城。大室城とも呼ばれる。

立地 

高峰山の広大な南傾斜面に独立峰のようにできた丘陵である飯綱山の山頂に立地し、南側の諸集落からは145mほど急斜面を登るのに対して、北側の後平集落からは30mほどのところである。

眺めが良く、晴れていれば富士山を遠望できることから、富士見城の名がついたものと考えられる。

歴史 

誰が、いつ、この城を造ったのか明確ではないが、中世は西の滋野氏系の勢力と隣接する地域であることから、大井氏系の勢力と緊張状態が生まれた頃、境目の城としての砦が造られたのではないかと考えられている。

この頃の時代は、普段生活する場(根小屋・居館と呼ばれる)と戦闘の際に使われる城・砦とが別である例が多くあり、この富士見城の場合も人がここに常時生活していたものではない。

甲州(山梨県)の武田氏が佐久地方へ進出した頃(天文年間=1532~1554)には、佐久地方統括の拠点、小諸鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備され、多少の石垣が積まれたのではないかと考えられている。

武田氏滅亡後、天正10年(1582)は、徳川・上杉・北条という諸氏が信州を取り合う中で、西に隣接する小県地方に根を張る真田氏と徳川氏の争うところとなり、徳川家康の家臣である柴田康忠が一時在陣したと言われている。

これまでの研究からすると、少なくとも戦国時代の終わり頃にはできていたものと思われる。

特徴 

富士見城は、飯綱山全体が岩石で至る所に石があることから、その石を利用してほとんどの郭(曲輪)が石積みによって区画されている。この石材は、飯綱山溶岩(灰色細流1mm以下の輝石類の散点する普通輝石紫蘇輝石安山岩)と呼ばれ、市内では飯綱山だけに分布している。

富士見城の石垣は、きわめて原初的な石垣で、県内でもこれだけ石垣が多用されている城跡は数少ないと言われている。

情報提供:小諸市教育委員会


富士見城の口コミ情報

2025年05月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
富士見城



さて、アプリの登録城に昇格したのを記念して、佐久平の丘城の口コミをREDUX…なんだけど、ちょと変わった子なんで暖かい眼で見守ってあげてね。

富士見城(大室城)は栃木川西岸(右岸)、花川東岸(左岸)、丘陵台地上、標高853.6mの飯綱山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の長野県道79号、小諸上田線からの比高は150m位でしょか。但し、該地は浅間連山を構成する一山、標高2106mの高峯山の南西裾野に当たり、北麓の後平(!)公民館からの比高は45m位である。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。同じく位置登録がある南東側の「小諸高原美術館」まで車が入り巨大な駐車場も付いている。殆ど徒歩で登らなくて済む楽ちん城だ。ちなみに城域の殆どは「飯綱山公園」として整備されており探索にも全く苦労しない。

築城年代は文永年間(西暦1264年〜1275年)、築城者は大室彦太郎時光と伝わるが確証を得られない(同氏による狼煙台がその発生とも。)。又、大井氏が海野氏に備えて築いたとも伝わるらしいが、個人的にはその発生は別として、岩村田大井氏が村上氏に対する備えとして普請に及んだものだと考えている。少なくとも小諸城のリア攻めマップにある、菱形城や桃野城と共に西方境目を構成する一城であった事に疑いは無いだろう。

天正壬午の乱の際には、徳川氏の臣、柴田七九郎康忠が富士見城に在城している。同名は佐久攻めの急先鋒、依田信蕃の軍監でもあったがその役目を此処で担っていたのであろう。ちなみに康忠は佐久郡の平定に多大な貢献を果たしている。甲州奉行だった時期もある知らざれる能者だ。

個人的には変態城だ。雛段状に帯郭状の腰郭を連ねているが、その殆ど全てに石積みが土留めとしてデコレートされている。他の城郭遺構としては堀切が3条…但し、それとはっきりと判るものは主郭東側背後の1条のみ。又、城域の東端部には2基の旗塚(案内板付きw)が確認出来る。

この石積みなんだけどねぇ…見たら誰でも「うっそ〜ん!」とか呟くと思うんだけど、やっぱし全てをそうだと言い切るのは問題があると思う。飯綱山は後世に耕作地として全山開墾されたそうで、腰郭や段郭についても同様の事が言える。公園としての改変も当然ある訳だし、それ等が混在しているてのが正直なところだ。

近年、発掘調査が飯綱山の北東部分で実施され、十段の石垣(石積みではない。)が検出されたそうだが、全て耕作地の土留めのものと結論付けられている。但し、特に南面側の石積みは明らかに積み方が乱雑、耕作地にもならない帯郭程度の土留めにわざわざ後世、石を積みまくる必要も無いことからこちらの方は往時のものと考えてよいと思う。

兎に角、写真見て頂けたら判るように、信濃のお城としても全国的に見ても珍しいお城なのさ。気軽にサンダルで行けるので小諸城の帰り道にでも寄り道するがいいさ。ちなみに独立丘陵故に展望は絶佳だ。

※小諸市では石を積んだのは武田氏だと推測しているが…同氏が要害自体を利用する事も無かったろう、他を頑張るわ。

※石積みは城域外、お山のあちこちでも見られる。おかず無しにごはんをどんぶりで3杯食べた後と感覚は一緒だ。

※おいらは興味が無いので知らんかったが桜の名所でもあるらしい(訪ねてみたら咲いていなかった訳では決してない。)。越中の城友さんは桜前線を追い掛けて同時期にこのお城を目指したみたいだけど…かずぽん、とっても悲しい…

※写真①は南麓から撮影した近景っす。

※写真②には旗塚が写り込んでいる。判るかな〜

2025年05月02日 紅屋甲斐守じょん太
富士見城



石垣や堀切が綺麗でした。写真はたんぽぽと三の郭の石垣。

2025年04月14日 サスケ
富士見城



美術館駐車場からすぐ、頂上、山城フル装備が無駄なぐらい整備されてる、桜には少し早めでした

2024年05月04日 竪堀ころりん
富士見城



眼下に小諸城を望み、その名の通り富士山も眺めることができました🗻✨

2023年09月25日 ʀᴇᴅ副将軍
富士見城



東信濃では数少ない石積みが多様された山城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。大井氏が西の滋野氏に対する備えの為に築いた境目の砦が始まりと云われます。その後、天文年間(1532年〜1554年)に武田信玄が佐久に進出し、小諸城の前身である鍋蓋城を拠点とした際に、鍋蓋城の支城として整備され多少の石垣が積まれたと云われます。武田氏滅亡後の信濃は徳川氏、上杉氏、北条氏による所領の争奪戦が繰り広げられます。

1582年には元武田氏家臣で徳川家康に従った依田信蕃が小諸城を拠点とし佐久平定を行います。徳川家康の命で依田信蕃のもとで軍監として赴いた柴田康忠が富士見城を居城としたとされます。

その後の富士見城の動向は不明で、1590年の小田原征伐の軍功により小諸城に入封した仙石秀久にも小諸城の支城として富士見城は使われたようです。

見所
小諸城の北側約2kmにある標高835mの飯綱山頂部に築かれています。城名の通り天気が良ければ富士山が見えるほど眺望の良いロケーションで佐久平を一望することができます。

現在は飯綱山公園となっており、小諸高原美術館の背後を登ると東の曲輪があり、堀切を隔てて主郭、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪が連なる連郭式です。
それぞれの曲輪の両側には幾段もの石積みが付された帯曲輪が斜面に配されているのが最大の特徴です。

石積みの高さはあまり無く、原始的な積み方であり土留め程度のものです。ここまで多量の石積みを譜勢したのは武田氏、徳川氏、仙石氏のいずれの時代であるのかはっきりとは分かっていない様です。

行き方は、小諸高原美術館を目標に設定。車で登れて駐車場完備であるため気軽に行くことが出来ます。

2021年05月28日 つか征夷大将軍
案内板[富士見城  碑・説明板]



こちらで説明資料も貰えます。駐車も出来ます。

2020年11月09日 龍馬備中守【】
富士見城



長野県の小諸市にある富士見城♪

富士見城の歴史詳細は不明な点が多いです☆小諸、佐久を侵攻して来た武田信玄が小諸城の支城として築いたのでは無いか☆というのが有力な説となります♪

武田氏が滅亡した後はこの地域は真田氏と徳川氏の争う地点となります♪徳川氏はこの地域を制圧する為に上田城まで攻め込んで行くのですがその際に徳川方の柴田康忠がこの城に入城していた様です☆

城としては街道を望め小諸を一望出来る要衝に位置します☆巨大な船に似た様な形をしていて特に街道側(南側)は石を使い小刻みに郭を造り込みます☆郭側面に築かれてる石積みは信濃エリアに多い積み方で小さな鋭角鋭い石を粗く積んでます☆石の加工も中々出来ない時代に築かれている正に戦国に生きた証を今に残してます♪

富士見城の周辺スポット情報

 案内板(碑・説明板)

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