御影陣屋(みかげじんや)
御影陣屋の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 長野県小諸市御影新田屋敷894
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 徳川幕府
築城年
- 元禄12年(1699)
主な改修者
- -
主な城主
- 徳川幕府(天領)
廃城年
- 慶応4年(1868)
遺構
- 代官宿舎、移築門
指定文化財
- 県史跡(御影陣屋跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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御影陣屋の解説文
御影陣屋の口コミ情報
2020年09月30日 まー刑部卿
御影陣屋
隣接する御影コミュニティーセンター駐車場を利用。陣屋前の道路は速度制限以上の速さでとばしてくるためご注意を。敷地内は自由に行動出来ます。建物内はインターホンで呼び出せば見学出来るようです。
なお移築門は小諸市森山にあります。
代官は幕府の勘定奉行の下に属し、江戸に常住(江戸詰)し、年に一、二度任地に出張して、現地に常駐する手附や手代(江戸時代、郡代・代官・奉行などに雇用され、収税その他の雑務をつかさどった小吏)を監督するだけであった。手附や手代は資格が違うだけで執務はまったく同じであり、これも幕臣が任命されるのが普通であった。
開発人柏木家の屋敷内に設けられた御影陣屋は、天和2年(1682年)に平賀村に陣屋が置かれて後、佐久郡内を変転しながら、寛延2年(1749年)、中之条陣屋(埴科郡坂城町)の出張陣屋として御影陣屋がふたたび置かれ、以後、明治維新まで存続した。
御影陣屋の定員は支配役人4人と追分宿の貫目改所(江戸時代、荷物の重量を検査するため、幕府が宿駅の問屋場に置いた機関)詰一人で、寛延(1748~1750年)以降、佐久郡の天領(江戸時代の直轄地)八十七ヶ村三万石余の年貢、出納、戸籍、土木、警備、裁判などを取り扱っていた。
最初は元禄12年(1699年)に臨時的なものが設置されていたようである。その後、臼田、高野町等を転々とし、代官島三郎左衛門の時(寛延2年、1749年)再び御影新田村に陣屋が開かれた。この時、陣屋の建物が開発人柏木小右衛門の屋敷内に三十両の資金で建てられたという。文政10年(1827年)、御影陣屋を廃止し、中之条陣屋支配下に編成されるという風聞が出たので、柏木小右衛門等が江戸へ出府し、御影陣屋の存続を勘定奉行へ訴えたという。
なお、柏木氏のご厚意により、御影陣屋代官宿所資料館が整備され、一般に開放されている。また、市は指定地全体を史跡公園として整備し、隣接地に「市立天領の里・御影用水史料館」を建設し、関係資料を展示している
【交通】
上信越自動車道佐久インターから自動車で15分
小諸駅より自動車で20分
佐久平駅より自動車で15分
情報提供:小諸市商工観光課