志賀城(しがじょう)

志賀城の基本情報

通称・別名

所在地

長野県佐久市志賀

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

笠原氏

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

笠原氏

廃城年

天文15年(1546)?

遺構

曲輪、堀切、土塁、石積

指定文化財

再建造物

周辺の城

平賀城(長野県佐久市)[3.6km]
大井城(長野県佐久市)[5.0km]
伴野城(長野県佐久市)[6.3km]
龍岡城(長野県佐久市)[6.9km]
根井氏館(長野県佐久市)[6.9km]

志賀城の解説文

志賀城(しがじょう)は、長野県佐久市にあった日本の城。

概要
志賀城の築城時期は不明である。
戦国時代、笠原清繁が城主であった。
武田晴信は佐久郡を完全に制圧するため、天文16年(1546年)志賀城を攻めた。笠原清繁は関東管領、上杉憲政の援軍を頼みにしており、志賀城には上野国の武将、高田憲頼も援軍として入城していた。
また、武田軍が志賀城を囲んでから、更に上杉憲政の援軍が碓氷峠を越えて志賀城へ向かったが、晴信が派遣した板垣信方、甘利虎泰、横田高松らにより、小田井原の戦いで、上杉氏の援軍は壊滅させられた。

晴信は、志賀城の周りに首級三千を掛け並べさせたと伝えられている。

やがて城は落城し、笠原清繁、高田憲頼ら城兵300余りが戦死し、生け捕りになった者は黒川金山などへ人身売買された。

城跡は雲興寺からアクセスできる。石垣などが残っている。また、城下には笠原清繁の首塚と伝えられる五輪塔が残っている。

志賀城の口コミ情報

常陸入道ねんさい和泉守様[2015年11月04日]
佐久市内から県道44号線下仁田浅科線を進めば志賀城方面に行く。志賀城の入口がある麓の雲興寺は県道44号線と直接面していない。雲興寺には県道から曲がり細い道を少し行くと着く。雲興寺への案内板はあるが志賀の集落に入ったら案内板を見落とさないように注意が必要。

雲興寺の入口に10台近く停める事ができる駐車場がある。周辺にはトイレはなかった。志賀城の登山口は雲興寺の本堂と東側に隣接する住宅の脇にある。雲興寺から城内は説明板や名称板、案内板が一切なかった。山頂の城跡は尾根を利用して曲輪が東西に連なる連郭式である。東の端から西の端まで行ったら1時間以上かかった。城内は明確な土塁はあまりないが、石積、堀切がよく残る。
麓の駐車場から城内の最高所まで計測したら比高は156Mだった。

志賀城は武田信玄が攻めた事で有名である。上州の上杉家の援軍を打ち破りその首三千を麓に晒して籠城方の戦意を喪失されたといわれる。その時の城はこの志賀城だと言われるが実は確証はない。志賀城の東側の笠原城や高棚城ではないかという説もある。

三日陸奥守落人様[2014年07月26日]
雲興寺の裏より城山への登り口があり、そこから見上げれば石垣の跡らしきものも見えます。
地元の方の話によると、武田信玄が敵方の首を架け並べたのはこの登り口沿いだったとか。。

車はお寺の駐車場に停めさせて頂きましたが、お寺の方に一言ご挨拶されると良いでしょう。
夏は蜂など要注意です。

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