平賀城(ひらかじょう)
平賀城の基本情報
通称・別名
- 平賀氏城、龍岡城
所在地
- 長野県佐久市平賀
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 平賀義信
築城年
- 元暦元年(1184)
主な改修者
- -
主な城主
- 平賀氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石積、枡形
指定文化財
- 県史跡(平賀氏城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
龍岡城(長野県佐久市)[3.4km]
伴野城(長野県佐久市)[3.5km]
志賀城(長野県佐久市)[3.6km]
大井城(長野県佐久市)[5.9km]
根井氏館(長野県佐久市)[6.2km]
岩尾城(長野県佐久市)[7.8km]
御影陣屋(長野県小諸市)[9.2km]
望月城(長野県佐久市)[13.8km]
小諸城(長野県小諸市)[13.9km]
海ノ口城(長野県南佐久郡)[21.1km]
平賀城の口コミ情報
2020年09月06日 龍馬備中守【】
内山城[平賀城 周辺城郭]
長野県の佐久市にある内山城♪
大井美作入道玄岑が築城したと伝わります☆戦国時代の城主は信濃国衆・岩村田大井氏☆
しかしながら忍び寄る甲斐の武田晴信(信玄)は信濃侵攻を開始☆信濃・長窪城主・大井貞隆は武田方に捕縛☆大井貞隆の子・貞清が内山城において抵抗します☆一度は引くものの再度、武田氏は佐久郡へ侵攻☆内山城攻めを行いました☆これによって大井貞清は降伏し野沢へ退きます☆その後、大井貞清は武田氏に臣従していきます♪
武田氏が滅亡後には徳川家康の家臣・依田信蕃により攻略され廃城になります☆
このお城は熊さん🐻が出る様です☆
行かれる方は万全の準備を整えて行かれて下さいね♪情報として入れておきます☆
2020年04月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
内山城[平賀城 周辺城郭]
内山城は平賀城の北東約2.0kmの位置にあります。2019年の5月24日にリア攻めしたものですので記憶が曖昧で?な箇所があったらごめんなさい。スポット作成はしてたんですが、口コミ初心者だったので今回改めてREDUXします。
内山城は岩村田大井氏が戦国時代に城主で、長窪城主の大井貞隆の弟にして養子の貞清が城代でした。武田方の佐久侵攻が始まり、貞清は長窪城の落城の際に養父の貞隆が武田方に捕縛されていたにも関わらず抵抗を試みていますが、17日間に及ぶ戦いで内山城は陥落、城は明け渡され、貞清は武田氏に降りました。その後一時同城の城代となりましたが、後に上原伊賀守(後の小山田備中守虎満)に代えられています。ちなみに小笠原氏の血を引く貞清の最期ですが、長篠の戦いでその子と供に討死しました。
内山城は武田氏の佐久における重要な拠点の一つで、改修と拡張が行われていたと推測出来ます。お城は凶悪な岩盤の上に築かれており、縄張がどうとか言う前に巨岩の嵐にまず圧倒されます。巧みに岩盤を用いて郭を形成したりする所は志賀城、平賀城にも似ていますが、最もキャラ立ちしてるのは内山城でしょう。又、主郭部周辺の郭の削平具合も素敵でして、切岸には土留の石積みも確認出来ます。内側を石積みで補強された井戸なんかもあるんですが、自分は探し当てられずにそのまま五本松城へと旅立ち、人生最大のトラウマを経験する悲劇に…
お城へ行くには園城寺を目標に設定して下さい。このお寺の墓地裏から道が付いてます。
あれからもうすぐ1年…そろそろ冬眠中に出産(冬眠中に飲まず食わずで出産と育児を行う…自然界の常識を遥かに越えるのが奴等っす。)を終えた奴が子供を従えて姿を現す時期になります。めったに出会うもんじゃないけど、用心に用心を重ねて安全な山城LIFEを送りましょう。
2017年11月21日 カーネル
平賀城
小海線中込駅から
駅南の線路を渡って県道120号を東へ。県道120号は途中で南へ向かうので、県道とはお別れして東進を続けます
駅から30分ほどのところで、城の北北西にある正安寺を目指し右折しますが、ここに目印はないです
お寺を過ぎ、舗装された林道を登ります
林道右側の谷が埋まり右の山へ行ける地点があるので、ここから山に入ります。ここまで車で来れますが、平賀城の文字はありません
踏み跡をたどると下りになり、山裾を回って5分ほどで大きな林道と合流するので、左折して山を登る
石垣と曲輪を見ながら登り、最高部が本丸です。帰りは合流した林道をそのまま下りました
行きの道は遠回りですが、車の人は高低差が少ないです。帰りの道は駅に近くて、道が分かり易いです
県道120号に出たら、そのまま西へ向かい線路を超えて伴野城に寄ってから駅に戻りました。所要時間2時間半でした
2015年11月30日 伊達常陸入道ねんさい山城守
平賀城
城内最高所との実測の比高は麓の城山小学校周辺で150M強、アベニュー佐久平駐車場所で100M、登山口入口で85Mを計測しました。登山口から平賀城に入り山頂の本丸、東側の林道の堀切まで行き、登山口に戻るまで1時間強かかりました。
2015年11月30日 伊達常陸入道ねんさい山城守
平賀城
車で行く場合は平賀城西側のアベニュー佐久平の住宅地からと東側の佐久宝寿霊園から行けます。
アベニュー佐久平は駐車場はないが、駐車可能な場所はあります。北側に水道施設まで続く一本道があり、途中に平賀城への登山道があります。平賀城への道は分かりにくいです。小さく平賀城と書かれていますがよほど注意しないと見逃します。水道施設まで行ったら戻って下さい。この登山道に沿っていけば分岐する場所もありますが平賀城に着きます。
東側の霊園は駐車場があるみたいです。こちらからだと平賀城本丸へのはっきりとした道はなかったです。事前に平賀城の資料を用意しておかないと本丸にたどりつくのが大変だと思います。アベニュー佐久平周辺はトイレ水道はなかった気がします。
平賀城は山頂の連郭式の本丸以下の各曲輪とその周りの多数の帯曲輪が残っています。曲輪以下の遺構は廃城後に城内で耕作されたり、炭焼き窯が作られたりで改変されている可能性があります。