平賀城(ひらかじょう)

平賀城の基本情報

通称・別名

平賀氏城、龍岡城

所在地

長野県佐久市平賀

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平賀義信

築城年

元暦元年(1184)

主な改修者

主な城主

平賀氏

廃城年

遺構

曲輪、石積、枡形

指定文化財

県史跡(平賀氏城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

龍岡城(長野県佐久市)[3.3km]
伴野城(長野県佐久市)[3.6km]
志賀城(長野県佐久市)[3.6km]
大井城(長野県佐久市)[6.0km]
根井氏館(長野県佐久市)[6.2km]
岩尾城(長野県佐久市)[7.9km]
御影陣屋(長野県小諸市)[9.3km]
望月城(長野県佐久市)[13.8km]
小諸城(長野県小諸市)[14.0km]
海ノ口城(長野県南佐久郡)[21.0km]

平賀城の解説文

平賀城(ひらかじょう)は、長野県佐久市平賀にあった城である。

元暦元年(1184)に平賀義信が築いたと伝えられ、標高840mの山上からは佐久平の大半を一望でき、甚だ地の利を得た山城である。

本城は西方を登城口とし、ここに小規模な桝形があり、続いて三之郭・二之郭・その上に主郭があって、周囲には大小さまざまな段曲輪が幾重にも交互に構築されている。

西方の一段下がった中腹には長方形の曲輪があり、その下に大小長短の腰曲輪が六段ほど作られている。尾根続きの大林寺山には、山腹を中心に西南に幾重にも腰曲輪をめぐらせ、砦を築いている。

東南の山腹には搦手曲輪があり、その石積みは確かさをみせている。

平賀城は規模が雄大で変化に富み、旧態をとどめている遺構であるが、築城者や縄張りについては、いくつかの問題点が残されている。

情報提供:佐久市教育委員会


平賀城の口コミ情報

2022年09月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
五本松城(西城)[平賀城  周辺城郭]



五本松城(西城)は平賀城の北東約2.5km、山塊尾根上、標高約925mのピークの一つに主郭?が存します。北麓の群馬県道・長野県道44号線、下仁田朝科線からの比高は205m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…て言いたいところなんですがそれだけじゃ行けないと思うので同じ平賀城のリア攻めマップにある五本松城を参照して下さい。実質は五本松城と同一城で、岩場を挟んだ西側のピークに立地しているに過ぎません。

築城年代、築城者は不明です。お城については五本松城を参照して下さい。

はっきり言って五本松城と分けて紹介する必要性も全く無いとは思うんですが、現地を訪ねてみればそうしたくもなるんですわ…五本松城が比較的人の手が加わった縄張を持っているのに対し、こちらの方は地山の岩場を活用した削平地て感じ、削平具合はばっちりだけど明確な遺構はせいぜい腰郭が確認出来る事ぐらい。物見台の様な高まりも見られますが、正直自然地形と判別が付かない。又、五本松城とを隔てる岩場を堀切と見る向きもあるけど、やっぱしただの岩場なんでしょう。ちなみに五本松城から東側へ堀切を越えて進んだ標高約939mピークは五本松城の物見郭じゃないのかな…少なくともこのお山の山頂部は3つのピークで構成される。

時代的な変遷もあるのかな、手狭になった五本松城を拡張した結果にも思える。拡張があったとすれば武田勢による志賀城攻めの際でしょか。同じ平賀城のリア攻めマップにある内山城もそうだけど、お城は佐久郡の平定、村上氏の信濃退去により重要性は一気に低下する。

一時期は武田氏の佐久郡における重要な拠点となった内山城ですが、内山城を内山古城、五本松城を含めた城砦群と考えてみてもよいのかもしれない。一帯の尾根筋を歩けば理解出来るかもしれないけど、繋ぎの何かがあったような地形が連続する。内山城は武田氏の佐久郡郡代(小山田備中守虎満)が置かれていたが、山中に過ぎるし城域は広いけど手狭には感じる。あくまで想像に過ぎないんすけどね…

お城てそれぞれに常説、常識みたいなもんがあるとは思うんすよ。でも実際に現地を訪ねてみて素直に感じた事ですが、内山城、内山古城、五本松城を分けて考える必要性も全くないんじゃないかと…ましてや往時の感覚からすれば尚更でしょう。

2022年09月16日 内記かずりヾ(・ε・。)
五本松城[平賀城  周辺城郭]



五本松城は平賀城の北東約2.5km、標高約941mの山塊山頂に主郭が存します。北麓の群馬県道・長野県道44号線、下仁田朝科線からの比高は220m位でしょか。名称の由来は城跡に五本の松が自生していた事からだそう、当然後世に付けられたものですね。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…て言いたいところなんですがそれだけじゃ行けないと思うので同じ平賀城のリア攻めマップにある内山城を参照して内山城から尾根筋を東北方へ巻くようにして進みましょう。途中には同じ平賀城のリア攻めマップにある内山古城ていうどうでもよいお城も訪ねる事が出来ます。が、案内板とかは一切無いし感覚的には奥山になりますので登山系アプリ等で尾根筋を誤らないよう注意する事が必要です。

築城年代、築城者は不明です。長野県町村誌では志賀城の物見台と推測しています。が、内山城と尾根続きである事からこれが果たして成立するんだろうか。初め内山城の支城として内山美作守玄岑によって築かれ、後に志賀城城主である笠原氏の持分となったらしいけど個人的にはその見解すら受け入れられない。それぐらい内山城、内山古城とは尾根上で近接している。ただ志賀城をそれこそ丸裸にするぐらい眼下に収める事が出来るので笠原氏にとって障りであった事は間違い無い。文献等に出る事も一切無いけど、二次資料には武田勢による志賀城攻めに際して「上の山」として記述されているのをこの五本松城に比定する向きもある。ちなみに凄惨な結果に終わった志賀城攻めの際に武田勢が何らかの陣を置いた事はほぼ間違い無いところだし、内山城に本陣を置いた武田晴信当人が訪れたかもしれないお城だったりします。

お城は素晴らしいです。山塊山頂部の二つのピークを利用した連郭式の縄張で、標高925mピークは五本松西城(別に口コミします。)の名称で呼ばれたりもします。急峻な尾根筋に堀切(全体的にやや埋まり気味ではある。)で郭間をぶった斬るオーソドックスなものですが、やっぱり自分の好みはこれなんだなぁ…主郭の削平具合もばっちり、腰郭、石積みなんかも確認出来ます。

去年行ったお城なんすけど、単独初トライ時に熊さんにサラウンドされた苦い経験を持つトラウマ城…ずっと口コミすんの忘れてましたわ…城友さん、お付き合いありがちょでした。

2022年09月12日 昌幸近江守雪舟接収計画
内山城[平賀城  周辺城郭]



下仁田街道北側に位置する内山城。南側の平賀城と共に上州への往来監視を行なっていたと思われます。
詳しい歴史は諸先輩方が書かれていますので、そちらをご覧になって下さい。

主郭を中心に鶴翼の構えのような構造です。

麓の園城寺さんの駐車場に停めさせてもらい登城しました。
大手道は消えかかっていて笹藪の中を登城、帰りも西尾根の堀切を見たくて降りてきましたが、あるはずの道がなく園城寺さん裏へ強行下山する羽目になりました。
足場が良くないところがあります。城域内はアップダウンが激しく、その日3城目だった僕達はかなり体力を奪われました。熊の出没する地域という事情を考えて一人での登城は避けるべきですね。

まあネガティブな意見ばかり並べてしまいましたが、至る所に散りばめられた石積みが、お城をデコレートしているように思えてとても見応えがありましたよ。是非めぐら〜さんと楽しい思い出を作って下さいませ。

【写真の説明】
①南尾根にある馬場。下仁田街道に一番近いからか、郭内はとても広い。
②大手沿いの段郭の一つ。石積みが見られる。
③三郭下に、城友さんが竪堀らしき遺構を発見。その内の1条。
④三郭に積まれた石積み。
⑤搦手側の堀切。複数あるようだが1条しか分からなかった。
⑥堀切は竪堀となり落ちていく。
⑦水の手に普請された石積み。
⑧西尾根は岩盤を利用した堀切がある。

2022年08月01日 たまちゃん
平賀城



正安寺墓地のすぐ手前に出丸があり、搦手側からの登りました。10分くらいで主郭に着き、登りはきつくないが、熊出没注意の看板があってちょっと怖い。

2022年05月30日 マグロ常陸介祐平
平賀城



Googleマップの指示に従い正安寺の先の霊園手前のカーブミラーの場所から攻城しました。5分程度で石積みが現れ、搦手曲輪に出られます。本丸までは10分程で到着します。三の丸、二の丸、本丸と連郭式の形態がよくわかります。石積みが所々にあり見どころが多い城ですが、堀切や竪堀は見当たりませんでした。手軽に楽しめる山城だと思います。

2021年11月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
内山古城(長沢城)[平賀城  周辺城郭]



内山古城(長沢城)は平賀城の北東約2.4km、東西に延びる山塊尾根上、標高約950mのピークの一つに主郭が存します。西麓の園城寺からの比高は180m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている西麓の園城寺を目標に設定して下さい。お寺さんから同じ平賀城のリア攻めマップにある内山城を目指し、内山城の二重堀切を越えて尾根伝いに進むのが最も判り易いでしょう。又、お城の近辺には山塊北側から延びていると思われる林道が通じているのを現地で確認出来ましたが行ってないので知らんがな…

築城年代、築城者は不明です。内山の地は平賀郷に属し平賀氏の支配を受けていたようですが、文安三年(西暦1446年)、平賀に兵乱が起こり、平賀氏は滅亡、大井氏の支配下に置かれます。文明八年(西暦1476年)、宗家の岩村田大井氏が村上氏によって滅ぼされると当時の領主であった依田美濃守光俊は内山城に拠って独立、姓を地名を取って内山に改めます。その孫である内山主税は武田氏に従いますが、天文年間に所領を没収されました。又、経緯は不明ですが、大井貞清が内山城に拠って武田氏に抗した事は結構知られていると思います。時代的には主税の代以前という事になりますね。

お城は大変難しい…山城なんだけど縄張はその体を元々成してなくて、縄張図もどこか不安気…内山城の素晴らしさに期待して訪ねると痛い目を見ると思います。奥山に立地しているし、守りの拠点と言うよりかは付近住民の逃げ込み城の様な趣き…内山城と内山古城を結ぶ尾根稜線上の削平地やぽこりん地形の方がよっぽどお城っぽい…尾根筋に自然地形に手を加えたと思われる土塁をコの字形に配し、その鞍部、一段低い所に郭を持っていたりするんですが、正に隠れるにはぴったりなんじゃないでしょうか。

武田氏によって落城した内山城は地元の方々にはこの内山古城であったと比定されています。自分の印象ではそれは無いだろう…て感じですかね。大軍が攻める目標にはとてもならねぃよ…

実は2回目のトライ、前回ソロ挑戦時はこのお城の直前で熊さんによってサラウンド、敗走した事に気付きました。今回は城友さんに前を歩いてもらう感じを企み見事にトラウマを克服!たとえ共に遭難しても「この人ならまぁいいや…」みたいな城友さん…かずりは良い同志をアプリを通じて得たものだw

2021年11月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
内山城[平賀城  周辺城郭]



〜内山城番外編〜

内山城の詳細?については以前の口コミを参照して下さいまし。

初訪問時、このお城は自分にとってこの後に待ち受ける苦い経験の始まりとなりました…

2019年5月24日、この内山城から内山古城を経て五本松城まで縦走するルートを取り、喜び勇んで挑戦したのですが見事にその気持ちを折られてしまいました。内山古城(奥山である。)の手前付近でたぶん親子連れと思われる複数頭の熊さんに囲まれてしまい恐怖に駆られて敗走、尾根を外して遠くに見える採石場だけを頼りに倒木だらけの道無き急斜面を泥だらけになりながら下山しました。熊さんの姿は一瞬しか見えなかったのですが、恐怖で身動きの取れない自分に投げ掛けられる威嚇音は忘れる事が出来ません。たぶん走って逃げなかったのは倒木が幸いしたんだと思います。襲われたり擬似突進されたりしなかったのは不幸中の幸いでした。

自分はこの時まで熊さん対策を結構疎かにしていて、「大丈夫だろう…」ぐらいの感覚でしたが、これ以降は熊研究家になれるぐらい対策を勉強しました。それでもこの年は自分にとって熊さんフィーバーとなってしまいまして、シーズン中に7回の遭遇か目撃、結果として自分が選択した最良の対策はシーズン中に熊さんの出没する山には基本入らないというものでした。信濃のお城全制覇を目指していますし意外に思われるかもしれませんが、初春から初冬までは長野県の山には基本入りません。事に臨んで臆病である事は悪い事じゃないと思います。

今回同じルートを選択してトラウマ城ではあるけどどうしても行きたかった五本松城をリア攻めする事が出来ました。同行してくれた遠州の城友さんに感謝です。そしてこの時期でしか見る事が出来ない内山城の素晴らしさにも改めて触れる事も出来ました。山城最良のシーズンの到来はもうそこまで来ていますね!

2020年09月06日 龍馬備中守【】
内山城[平賀城  周辺城郭]



長野県の佐久市にある内山城♪

大井美作入道玄岑が築城したと伝わります☆戦国時代の城主は信濃国衆・岩村田大井氏☆
しかしながら忍び寄る甲斐の武田晴信(信玄)は信濃侵攻を開始☆信濃・長窪城主・大井貞隆は武田方に捕縛☆大井貞隆の子・貞清が内山城において抵抗します☆一度は引くものの再度、武田氏は佐久郡へ侵攻☆内山城攻めを行いました☆これによって大井貞清は降伏し野沢へ退きます☆その後、大井貞清は武田氏に臣従していきます♪

武田氏が滅亡後には徳川家康の家臣・依田信蕃により攻略され廃城になります☆

このお城は熊さん🐻が出る様です☆
行かれる方は万全の準備を整えて行かれて下さいね♪情報として入れておきます☆

2020年04月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
内山城[平賀城  周辺城郭]



内山城は平賀城の北東約2.0km、南方へ延びる山塊尾根上、標高約913mのピークの一つに主郭が存します。西麓の園城寺からの比高は145m位でしょか。

2019年の5月24日にリア攻めしたものですので記憶が曖昧で?な箇所があったらごめんなさい。スポット作成はしてたんですが、口コミ初心者だったので今回改めてREDUXします。

築城年代、築城者は不明ですが、戦国時代には岩村田大井氏が城主で、長窪城主の大井貞隆の弟にして養子の貞清が城代でした。武田方の佐久侵攻が始まり、貞清は長窪城の落城の際に養父の貞隆が武田方に捕縛されていたにも関わらず抵抗を試みていますが、17日間に及ぶ戦いで城は明け渡され、貞清は武田氏に降りました。その後一時期同城の城代となりましたが、後に上原伊賀守(後の小山田備中守虎満)に替えられています。ちなみに小笠原氏の血を引く貞清の最期ですが、長篠の戦いでその子と供に討死しました。

内山城は武田氏の佐久における重要な拠点の一つで、改修と拡張が行われていたと推測出来ます。お城は凶悪な岩盤の上に築かれており、縄張がどうとか言う前に巨岩の嵐にまず圧倒されます。巧みに岩盤を用いて郭を形成したりする所は志賀城、平賀城にも似ていますが、最もキャラ立ちしてるのは内山城でしょう。主郭部周辺の郭の削平具合も見事でして、切岸には土留めの石積みも確認出来ます。又、石組みの井戸なんかもあるようですが、自分は探し当てられずにそのまま五本松城を目指して旅立ち、人生最大のトラウマを経験する悲劇に…

行き方はGoogleマップに位置登録されている園城寺を目標に設定して下さい。このお寺の墓地裏手から登城路が付いてます。

あれからもうすぐ1年…そろそろ冬眠中に出産(冬眠中に飲まず食わずで出産と育児を行う…自然界の常識を遥かに越えるのが熊さんです。)を終えた熊さんが子供を従えて姿を現す時期になります。めったに出会うもんじゃないけど、用心に用心を重ねて安全な山城LIFEを送りましょう。

2017年11月21日 カーネル
平賀城

小海線中込駅から
駅南の線路を渡って県道120号を東へ。県道120号は途中で南へ向かうので、県道とはお別れして東進を続けます

駅から30分ほどのところで、城の北北西にある正安寺を目指し右折しますが、ここに目印はないです
お寺を過ぎ、舗装された林道を登ります

林道右側の谷が埋まり右の山へ行ける地点があるので、ここから山に入ります。ここまで車で来れますが、平賀城の文字はありません

踏み跡をたどると下りになり、山裾を回って5分ほどで大きな林道と合流するので、左折して山を登る

石垣と曲輪を見ながら登り、最高部が本丸です。帰りは合流した林道をそのまま下りました

行きの道は遠回りですが、車の人は高低差が少ないです。帰りの道は駅に近くて、道が分かり易いです

県道120号に出たら、そのまま西へ向かい線路を超えて伴野城に寄ってから駅に戻りました。所要時間2時間半でした

2015年11月30日 【隠者】史学会帰新参
平賀城

城内最高所との実測の比高は麓の城山小学校周辺で150M強、アベニュー佐久平駐車場所で100M、登山口入口で85Mを計測しました。登山口から平賀城に入り山頂の本丸、東側の林道の堀切まで行き、登山口に戻るまで1時間強かかりました。

2015年11月30日 【隠者】史学会帰新参
平賀城

車で行く場合は平賀城西側のアベニュー佐久平の住宅地からと東側の佐久宝寿霊園から行けます。
アベニュー佐久平は駐車場はないが、駐車可能な場所はあります。北側に水道施設まで続く一本道があり、途中に平賀城への登山道があります。平賀城への道は分かりにくいです。小さく平賀城と書かれていますがよほど注意しないと見逃します。水道施設まで行ったら戻って下さい。この登山道に沿っていけば分岐する場所もありますが平賀城に着きます。
東側の霊園は駐車場があるみたいです。こちらからだと平賀城本丸へのはっきりとした道はなかったです。事前に平賀城の資料を用意しておかないと本丸にたどりつくのが大変だと思います。アベニュー佐久平周辺はトイレ水道はなかった気がします。
平賀城は山頂の連郭式の本丸以下の各曲輪とその周りの多数の帯曲輪が残っています。曲輪以下の遺構は廃城後に城内で耕作されたり、炭焼き窯が作られたりで改変されている可能性があります。

平賀城の周辺スポット情報

 内山城(周辺城郭)

 内山古城(長沢城)(周辺城郭)

 五本松城(周辺城郭)

 五本松城(西城)(周辺城郭)

 平賀城館(周辺城郭)

 瀬戸城山(周辺城郭)

 中城峯(周辺城郭)

 八反田城(周辺城郭)

 深堀城(周辺城郭)

 内堀城(周辺城郭)

 石原豊後守邸(周辺城郭)

 蛇沢城(周辺城郭)

 猿田城(周辺城郭)

 戸谷城(周辺城郭)

 太田部離山狼煙台(周辺城郭)

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