五本松城
五本松城([平賀城 周辺城郭])
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五本松城の口コミ情報
2022年09月16日 内記かずりヾ(・ε・。)
五本松城は平賀城の北東約2.5km、標高約941mの山塊山頂に主郭が存します。北麓の群馬県道・長野県道44号線、下仁田朝科線からの比高は220m位でしょか。名称の由来は城跡に五本の松が自生していた事からだそう、当然後世に付けられたものですね。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…て言いたいところなんですがそれだけじゃ行けないと思うので同じ平賀城のリア攻めマップにある内山城を参照して内山城から尾根筋を東北方へ巻くようにして進みましょう。途中には同じ平賀城のリア攻めマップにある内山古城ていうどうでもよいお城も訪ねる事が出来ます。が、案内板とかは一切無いし感覚的には奥山になりますので登山系アプリ等で尾根筋を誤らないよう注意する事が必要です。
築城年代、築城者は不明です。長野県町村誌では志賀城の物見台と推測しています。が、内山城と尾根続きである事からこれが果たして成立するんだろうか。初め内山城の支城として内山美作守玄岑によって築かれ、後に志賀城城主である笠原氏の持分となったらしいけど個人的にはその見解すら受け入れられない。それぐらい内山城、内山古城とは尾根上で近接している。ただ志賀城をそれこそ丸裸にするぐらい眼下に収める事が出来るので笠原氏にとって障りであった事は間違い無い。文献等に出る事も一切無いけど、二次資料には武田勢による志賀城攻めに際して「上の山」として記述されているのをこの五本松城に比定する向きもある。ちなみに凄惨な結果に終わった志賀城攻めの際に武田勢が何らかの陣を置いた事はほぼ間違い無いところだし、内山城に本陣を置いた武田晴信当人が訪れたかもしれないお城だったりします。
お城は素晴らしいです。山塊山頂部の二つのピークを利用した連郭式の縄張で、標高925mピークは五本松西城(別に口コミします。)の名称で呼ばれたりもします。急峻な尾根筋に堀切(全体的にやや埋まり気味ではある。)で郭間をぶった斬るオーソドックスなものですが、やっぱり自分の好みはこれなんだなぁ…主郭の削平具合もばっちり、腰郭、石積みなんかも確認出来ます。
去年行ったお城なんすけど、単独初トライ時に熊さんにサラウンドされた苦い経験を持つトラウマ城…ずっと口コミすんの忘れてましたわ…城友さん、お付き合いありがちょでした。