五本松城(西城)
五本松城(西城)([平賀城 周辺城郭])
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五本松城(西城)の口コミ情報
2022年09月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
五本松城(西城)は平賀城の北東約2.5km、山塊尾根上、標高約925mのピークの一つに主郭?が存します。北麓の群馬県道・長野県道44号線、下仁田朝科線からの比高は205m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…て言いたいところなんですがそれだけじゃ行けないと思うので同じ平賀城のリア攻めマップにある五本松城を参照して下さい。実質は五本松城と同一城で、岩場を挟んだ西側のピークに立地しているに過ぎません。
築城年代、築城者は不明です。お城については五本松城を参照して下さい。
はっきり言って五本松城と分けて紹介する必要性も全く無いとは思うんですが、現地を訪ねてみればそうしたくもなるんですわ…五本松城が比較的人の手が加わった縄張を持っているのに対し、こちらの方は地山の岩場を活用した削平地て感じ、削平具合はばっちりだけど明確な遺構はせいぜい腰郭が確認出来る事ぐらい。物見台の様な高まりも見られますが、正直自然地形と判別が付かない。又、五本松城とを隔てる岩場を堀切と見る向きもあるけど、やっぱしただの岩場なんでしょう。ちなみに五本松城から東側へ堀切を越えて進んだ標高約939mピークは五本松城の物見郭じゃないのかな…少なくともこのお山の山頂部は3つのピークで構成される。
時代的な変遷もあるのかな、手狭になった五本松城を拡張した結果にも思える。拡張があったとすれば武田勢による志賀城攻めの際でしょか。同じ平賀城のリア攻めマップにある内山城もそうだけど、お城は佐久郡の平定、村上氏の信濃退去により重要性は一気に低下する。
一時期は武田氏の佐久郡における重要な拠点となった内山城ですが、内山城を内山古城、五本松城を含めた城砦群と考えてみてもよいのかもしれない。一帯の尾根筋を歩けば理解出来るかもしれないけど、繋ぎの何かがあったような地形が連続する。内山城は武田氏の佐久郡郡代(小山田備中守虎満)が置かれていたが、山中に過ぎるし城域は広いけど手狭には感じる。あくまで想像に過ぎないんすけどね…
お城てそれぞれに常説、常識みたいなもんがあるとは思うんすよ。でも実際に現地を訪ねてみて素直に感じた事ですが、内山城、内山古城、五本松城を分けて考える必要性も全くないんじゃないかと…ましてや往時の感覚からすれば尚更でしょう。