真田本城(さなだほんじょう)

真田本城の基本情報

通称・別名

真田氏本城、真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山

所在地

長野県上田市真田町長十林寺

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

真田幸綱

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

真田氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(真田氏本城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

真田氏館(長野県上田市)[1.3km]
横尾城(長野県上田市)[1.9km]
松尾古城(長野県上田市)[2.6km]
戸石城(長野県上田市)[3.4km]
上田城(長野県上田市)[8.2km]
葛尾城(長野県埴科郡)[13.9km]
岡城(長野県上田市)[15.2km]
小諸城(長野県小諸市)[15.3km]
塩田城(長野県上田市)[16.5km]
尼厳城(長野県長野市)[17.1km]

真田本城の解説文

1.概要
2.歴史
3.真田氏館のその他の支城群
4.参考文献


真田本城(さなだほんじょう)は、長野県小県郡真田町(現上田市)にあった日本の城(山城)。戦国期に活躍する真田一族発祥の地である真田の郷にあった。別名は松尾城

概要 

戦時用の山城であり、平時の政務機能は麓にある真田氏館に置かれた。真田盆地の対峰に要害の地戸石城を望み、更に周囲の峰々にも数多くの支城群が連なり、単体の山城ではなく真田盆地を取り囲む山城群の司令部的存在と考えられている[1]

別名「松尾城」とも呼ばれるが、その場合、鳥居峠方面にある支城「松尾城」は松尾古城と区別して呼ばれる。ただ築城時期を鎌倉時代とすると、松尾古城の方が古いという訳ではなくなり、はっきりしていない面が多い。

様々な背景から本城という名称が付けられているものの[2]、この城が実際に真田氏の本城として機能していたかは定かではない[3]

歴史 

築城は戦国時代の天文年間(1532年 - 1555年)に、武田家臣の真田幸綱と伝わっていたが、発掘調査により、鎌倉時代からも使用の痕跡があり、真田氏以前にも山城が存在していたとも考えられている。

天文10年(1541年)に甲斐国の武田信虎、信濃国諏訪郡の諏訪頼重、村上義清連合軍が信濃佐久・小県郡侵攻を行う(海野平の戦い)。これにより、滋野氏嫡流の海野棟綱と共に、真田幸綱は本領を奪われ上野国へ亡命した。この当時の真田本城については史料が残されておらず、不明な点が多い。村上氏は真田本城の支城の一つである戸石城を小県郡支配の拠点として使っていた。

天文20年(1551年)に、武田晴信(信玄)の命を受けた幸綱は戸石城を奪取して、小県の本領を回復した。以来、幸綱・信綱・昌幸の三代に渡って、真田氏館、真田本城およびその支城群が整備された。上田城に移るまで真田氏館と共に、真田氏の本拠地であったとも考えられている。

真田氏館のその他の支城群 

  • 天白城 : 真田氏館の背後に位置し、真田本城よりも距離が近く、これらが本城の機能を果たしていたとの考えもある。
  • 松尾城松尾古城):鳥居峠(吾妻・上州)方面。鳥居峠を越えて岩櫃城沼田城と続く。
  • 洗馬城・根小屋城・横尾城:地蔵峠(松代・北信濃)方面。洗馬城は真田氏最初の拠点。
  • 殿城山城
  • 伊勢崎城・矢沢城:上田方面
  • 内小屋城:平地に建てられた2代目の拠点。後背地に横尾城があるため、実質的には館と考えられる。
  • 戸石城:実態は戸石城を中心とする山城群。村上氏時代に大幅に増改築された。

参考文献 

  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年

真田本城の口コミ情報

2023年11月26日 syokumi 主計頭
真田本城



夕刻に訪れました。真田本城から上田の町が一望できます。多分真田の人々も見ていたであろう景色、戸石城もよく見えました。多分その頃に生えたであろう太い赤松が立派でした。

2023年05月07日 城歩き
真田本城



高地にあり見晴らしも良く、気持ちが良い所です。自動車で登れるますが、途中道が細い箇所には気を付けて。

2022年09月21日 コンチ
真田本城



すれ違いの難しい道路の先の駐車場に車を止めて、登ってきました。本丸手前に街を一望できる場所があり、そこで休憩していると、先に本丸に向かった娘が「子熊がいた」と言って逃げて来ました。駐車場まで走って、後からスマホで音楽をかけながら登りましたが、何もいませんでした。カモシカだったかも、と言ってましたが、以前には目撃情報もありました。

2022年07月19日 Yana中務大輔
真田本城



駐車場があり、本郭入口の近くまで車で行けます。

2022年06月18日 勘解由長官ピッコ丸
真田本城



善光寺ご開帳大混雑にて、真田の里攻めに変更し、幸村の里で電動アシスト自転車借りて真田氏館→資料館→真田本城跡と巡りました。暑い日で大変でした。上田駅前から真田地区までずっと登り坂でしたが、本城跡の坂(眺望コース)は電動アシストでもキツく、心拍が上がりすきたので途中から押して歩きました。徒歩で巡っている方もおられ、時間と持久力があればそれもありかも…自転車であれば3時間位見ておけばゆったり巡れるのでは。気温と天候も大事かな。城跡は年に何度も草刈りをしているようで3段からなる城構えがよく判りました。大河ドラマ繋がりで、井伊谷城跡に登った時を思い出しました。構えがなんとなく似ていると感じます。

2022年06月06日 いしがき
真田本城



眺望良好でした。曲輪跡等綺麗に整備されていました。

2022年05月08日 尼崎城阿波守一口城主
真田本城



5月2日、真田氏歴史館を出てから真田本城を目指します。坂道をひたすら漕ぎ続け最後の急な坂を登り切りたどり着きました。本城からの眺望は真田の郷や四阿山などの山々が良く見渡せる素晴らしいものでした。

本城周りの芝で大の字になり爽快でした。地元の方々に草刈りなどの整美をして頂いていることが良く分かり感謝の気持ちでいっぱいでした。大の字になり背中から真田家パワーをもらった気になり本丸を目指します。先に見学に来ていた人たちは、本丸だけ見て引き返していく人が大半でしたが、本丸から奥の方をながめかと棚田状になっているような気がして奥の方に進んでみました。予想通り二の郭、三の郭と続いており二の郭の側面には石積がありました。

本城をあとにする際、本丸下のお地蔵さんのところに御賽銭だけでなくなぜかスマホがお供えしてあったので駐車場のほうに走って誰かスマホ忘れている人いませんかと叫んだところ運良く忘れた方(年配の女性)がいらっしゃっり、お地蔵さんのところまで一緒に引き返しました。スマホを持って走れば良かったかなと後悔😅気を取り直し、次に長谷寺の真田幸隆夫妻と昌幸公のお墓参りに向かいました。

2020年12月16日 赤かぶ【】
天白城[真田本城  周辺城郭]



登城していてワクワクする城郭です!!
登城途中と主郭から真田本城(真田丸のロケ地になった所)が肉眼で見えます、こんな近いんだと思ったほどです♪
主郭の石垣・土塁は勿論ですが岩盤を切り開いた堀切には「凄い!」の一言です♬︎
最初の写真は真田本城です!

2020年04月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
天白城[真田本城  周辺城郭]



天白城は真田本城の南方約0.6km、西方へ延びる山塊尾根上、標高約964mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は130m位でしょか。真田本城の支城とも、真田氏館の詰城とも言われてますが、地元の方は狼煙台と言ってました。どれも正解だと思います。里伝では真田幸隆の嫡男、真田左衛門尉信綱が家督を継いだ際に館と一緒に普請されたと伝わるそうです。

信綱は幸隆から家督を譲られた頃には信濃先方衆の筆頭に名前が挙げられ、外様の他国衆の中でも特に重んじられていたと思います。二百騎持ちの侍大将でもあり、譜代の武田四天王が概ね三百騎持ちの侍大将であった事を考えてみてもその評価がいかに高かったことが解るでしょう。残念なことに晩年まで活動が見られた父幸隆の事績ともろ被りしてしまい、信綱当人の事績が埋もれてしまうのも事実ですが、武田氏の駿河攻めで先手を務めて以降、主要な合戦には常に先手として従軍しており、豪勇の士として評判だったことは想像に難くありません。何でも合戦では青江貞という三尺三寸(心得のある方なら解るかと思いますが、常人でまともに扱えるのは二尺二寸〜二尺六寸、長過ぎだし重過ぎっす。)の陣太刀を振り回したと伝わり、戦の場では関わりたくない輩だったことでしょう。家督相続から討死までの期間が10年は無いと思いますし、出来過ぎの父幸隆、弟昌幸の影にどうしても隠れてしまいますが、もっと評価されてもよい人かなといつも思ってます。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の北赤井神社を目標に設定して下さい。神社の裏手に登城路が付いてますので後は上を目指すだけとなります。が、駐車場所が周辺に無いので真田氏歴史館に車を捨てて下さい。

お城は西側斜面に段郭を連ね、主郭には石積み、土塁が付きます。その土塁の背後は圧巻の岩盤切削の大堀切!阿保かと思います。堀切北側は長大な竪堀が延長されて麓付近まで落ち込み、見たところこれは二重の竪堀だったようです。お城の北方は集落を挟んで真田本城に通じていますので、きっと堀底道も兼ねてたことでしょう。コンパクトなお城ですが見所は多いと言えます。が、西側斜面の段郭はほぼ笹藪なのが残念なところ。

真田ブランドの素敵なお城です。六文銭ファンはもちろんのこと、岩盤切削堀切ファンは是非訪ねてみて下さいまし。

2019年05月05日 わる爺陸前守
駐車場[真田本城  駐車場]



十数台と比較的少ない

2019年04月28日 ♨️左衛門佐紺絹地六連銭
真田本城



真田本城を今も見守る隣の長谷寺内真田家の墓所!中央一徳斎、左とりさん、右昌幸公の墓

2016年12月18日 天宇受売琉球守
真田本城

大河ドラマ眞田丸で
きりと源二郎が座っている場面の
白い木が置いてあります。
しかし大河のような景色は
見れませんm(。≧Д≦。)m
改めて日本のCG技術は凄いと
思い知らされます。
ここは早朝に来ると..
落ち着きます。

2016年01月17日 ♨️左衛門佐紺絹地六連銭
真田本城

皆さんご存知とは思いますが、城跡から更に東側に長谷寺(ちょうこくじ) というお寺があります。この寺は真田家の菩提寺で、ここに真田幸綱、おばばさま、昌幸のお墓、信繁の供養塔があります。
真田の里へこられたら是非足をお運びください!

2015年12月23日 ♨️左衛門佐紺絹地六連銭
真田本城

近くの国道144号沿いに沢山真田グッズが売っている(もはや日本一では?)ゆきむら夢工房という施設があります!その横には美味しいケーキ屋さんがありますし、橋を渡ったところに真田温泉があります。山城を攻めたら湯治でもいかがでしょうか~

2014年08月23日 志能便右京大夫
真田本城

急坂ですが道が狭いのでレンタサイクルが便利です。
すぐ南に位置する天白城も真田本城と一緒に見ると、真田氏の城郭の素晴らしさに感動できます。
整備された真田本城と、本来の遺構の残る天白城を比較するのも面白いですよ(本郭後の巨大天然岩の切通しは一見です!)

2012年08月07日 
真田本城

遺構等はあまり残っていませんが、山頂から見る真田の郷や付近の山々(戸石城等)の景色は綺麗でした。車で山頂近くまで登れ、駐車場もあります。車以外で付近を巡るには、観光案内所「ゆきむら夢工房」にて無料で借りれる電動アシスト付きレンタサイクルが便利でした。ただ、いくら電動アシスト付きとは言え、山あいの真田の郷を巡るには体力が必要です。

2012年05月19日 傾奇揚げ仙兵衛
真田本城

駐車場の脇に清水が涌いている。コップ有り

真田本城の周辺スポット情報

 堀切跡(推定)(遺構・復元物)

 本郭(遺構・復元物)

 本郭土塁(遺構・復元物)

 二の郭(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 石積(遺構・復元物)

 三の郭(遺構・復元物)

 腰郭(遺構・復元物)

 切岸(遺構・復元物)

 周辺図(碑・説明板)

 看板(碑・説明板)

 天白城(周辺城郭)

 長谷寺(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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