真田本城(さなだほんじょう)

真田本城の基本情報

通称・別名

真田氏本城、真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山

所在地

長野県上田市真田町長十林寺

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

真田幸綱

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

真田氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(真田氏本城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

真田氏館(長野県上田市)[1.3km]
横尾城(長野県上田市)[1.9km]
松尾古城(長野県上田市)[2.6km]
戸石城(長野県上田市)[3.4km]
上田城(長野県上田市)[8.2km]
富士見城(長野県小諸市)[13.7km]
葛尾城(長野県埴科郡)[13.9km]
岡城(長野県上田市)[15.2km]
小諸城(長野県小諸市)[15.3km]
塩田城(長野県上田市)[16.5km]

真田本城の解説文

1.概要
2.歴史
3.真田氏館のその他の支城群
4.参考文献


真田本城(さなだほんじょう)もしくは真田氏本城(さなだしほんじょう)は、長野県小県郡真田町(現上田市)にあった日本の城(山城)。戦国期に活躍する真田一族発祥の地である真田の郷にあった。

もともとは松尾城、十林城、住連寺城、真田山城などと呼ばれていたが、1976年に始まった真田地域の城群の調査の中で、一志茂樹が提唱した仮説から真田氏本城と呼ばれ[1]、ただ単にそれが定着したものに過ぎず、真田氏の本城であったか疑わしく、実際に真田氏の城であったかも定かではない[2]

概要 

真田盆地の対峰に要害の地戸石城を望み、更に周囲の峰々にも数多くの支城群が連なり、単体の山城ではなく真田盆地を取り囲む山城群の司令部的存在とも考えられている[3]

この一帯の中の城としては比較的規模が大きく見晴らしが良好など、様々な背景から本城という名称が付けられているものの[4]、この城が実際に真田氏の本城として機能していたかは定かではない[5]。また、現在残る遺構が天正年間のものとは考えられない。真田氏本城は当時の一切の文献に登場せず、真田氏の城であったとされる根拠はない。真田氏館の背後に位置する、天白城が本城の機能を果たしていたとの考えもあるが、天白城は些か規模が小さく、本城としての機能を持つ城があったかも含め、今後の研究が待たれる。

歴史 

築城は戦国時代の天文年間(1532年 - 1555年)に、武田家臣の真田幸綱と伝わっていたが、発掘調査により、鎌倉時代からも使用の痕跡があり、真田氏以前にも山城が存在していたとも考えられている。

天文10年(1541年)に甲斐国の武田信虎、信濃国諏訪郡の諏訪頼重、村上義清連合軍が信濃佐久・小県郡侵攻を行う(海野平の戦い)。これにより、滋野氏嫡流の海野棟綱と共に、真田幸綱(幸隆)は本領を奪われ上野国へ亡命した。この当時の真田本城については一切の史料が残されておらず、不明な点が多い。

天文20年(1551年)5月26日に、武田晴信(信玄)の命を受けた幸綱は戸石城を奪取し[6]、小県の本領を回復した。上田城に移るまで真田氏館と共に、真田氏の本拠地であったという考えもあるが、1582年に真田昌幸が家臣に送った書状から上田城築城までの一時期は、戸石城を拠点としていたことが考えられる[7]

真田氏館のその他の支城群 

  • 天白城
  • 松尾城松尾古城):鳥居峠(吾妻・上州)方面。鳥居峠を越えて岩櫃城沼田城と続く。
  • 洗馬城・根小屋城・横尾城:地蔵峠(松代・北信濃)方面。洗馬城は真田氏最初の拠点。
  • 殿城山城
  • 伊勢崎城・矢沢城:上田方面
  • 内小屋城:平地に建てられた2代目の拠点。後背地に横尾城があるため、実質的には館と考えられる。
  • 戸石城:実態は戸石城を中心とする山城群。

参考文献 

  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年

真田本城の口コミ情報

2026年07月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
真田本城



さて、真田ファンを公言するめぐら〜は多いだろう。HNなんかからもそりが窺えるんだけど、059の城友さん風に言えば370人位だろうか…す、少ないかな、3700人位にしとこうか…まぁ、どうでもええわ、長野県のみならず大坂府や群馬県にも爪痕を残した戦国時代きっての大人気氏族、おいらも理屈抜きに大好きだ。

真田本城(真田山城・松尾新城・住蓮寺城・十林寺城山)は神川南岸(左岸)、標高895mの山稜山頂部を中心に立地する要害です。北麓の国道144号からの比高は155m位でしょか。

行き方はGoogleマップに「真田氏本城駐車場」が位置登録されているので目標に設定しよう。車を捨てたら殆ど横移動に終始する楽ちん城だ。

築城年代は不明、築城者は真田氏と伝わる。但し、根拠がある訳じゃない。城郭基本情報にも記載があるが、その発生となると鎌倉時代の後期にまで遡れる事から、同氏以外の築城者も当然考察の内にある訳だ。

真田氏は、応永七年(西暦1400年)七月から続いた「大塔合戦」の際に、滋野三家の一つ、祢津氏の越後守遠光に従って「實田(実田)」が参陣、遠光は大塔の古城の大手門に攻め寄せている。この事から真田氏を祢津氏の一族、一党とする説がある訳だが、祢津氏等、東信、中信、北信の諸氏が構成した大文字一揆衆は、荘園ではなく国衙領等に地盤を置く国人の連合体とも考察されており、単純にそうだとする事は難しいようだ。

未見だが、延享元年(西暦1744年)に編纂された「信陽雑志」には、永享十二年(西暦1440年)の「結城合戦」に参陣した祢津越後守遠光の麾下に、真田源太、同源五、同源六の名が見られるそうだが、合戦における陣中警護の輪番を定めた「結城陣番帳」にはその名が見られない。

武田氏に出仕し活躍した真田幸綱は、滋野氏嫡流家、海野氏の当主、棟綱の子とも、棟綱の娘婿、真田頼昌の子とも伝わるがはっきりとさせる事は難しい。但し、確実に言える事として、今まで史料に殆ど現れなかった真田氏が、海野氏宗家に近い存在にまで成長している。何れにせよ、縁戚関係や猶子関係を基にした幸綱の代に家中における存在感が増した事に間違いは無いだろう。

天文十年(西暦1541年)五月、「海野平の戦い」に敗れ、僅かな一族、郎党と共に関東管領を頼って上州へと逃れた海野棟綱だが、真田幸綱も同州に逃れた一人である。但し、棟綱に従うべき地位にありながら、その傍らにあったのは深井棟廣であり、上野国における幸綱の活動自体は不明である。棟綱は長野業正の佐久郡遠征に同行したそうだが小県郡還住は果たせず、幸綱は独自の方策を以て自らの旧領回復を模索する事になる。私怨に囚われず宗家に遠慮する事もない。敢えて時勢に従い旧敵に出仕する事でそれを成し遂げようとした訳だ。地縁を生かし当地の先方として武田氏の東信経略を押し進め、強勢な村上氏に調略を重ねて弱体化を図り、後には越後へと奔らせた最大の功労者は同名である。特にアプリの登録城、戸石城の「眞田乗取」が無ければ、村上氏との争いは数年先まで続いた事だろう。全てを失ったところから始めたのがこの幸綱、改めて思うが凄い男だ。昌幸や信幸、信繁には到底、見出す事が出来ない凄みみたいなものが彼の事跡からは感じ取れる。

真田幸綱は、上州において海野氏と袂を分かち、武田氏に出仕、奉公する事によって旧領の回復に成功、家運を切り拓いていった訳だが、別の見方をすれば、旧態依然の惣領制の枠組みから外れて海野氏からの自立を図ったとも言える。近世大名へと連なる真田氏の系譜は正に同名から始まったと言ってよい。

アプリの登録城なんで多くを語らないんだけど、軍役二百騎を担ったとも伝わる真田氏の本城とは到底、思えないんだけど…同氏が関係していたとすれば、せいぜい狼煙台や物見台としての利用に留まったろう。この要害が戦国時代に用を為さない事は、尼ヶ淵に新城を築いた真田昌幸が一番よく知っていた筈だ。

真田氏の本城とされているが、実際には史料に載らず伝承によってのみ語られてきた事である。但し、位置関係からすれば本貫地の南端部に接する事から、或いは発祥期の真田氏の築城としても誰にも否定は出来まい。発掘調査の結果からその発生が鎌倉時代の後期にまで遡れる要害だ。従ってアプリの登録城、松尾古城よりも更に古い時期の築城であった可能性すら高い訳だが、はっきりとさせる事は難しいし、多くの浪漫をぶち壊す事にもなるのでこの辺りで止めておこう。

※休日ともなれば結構な人が訪ねて来る。写真もあんまし撮れなかった。ちなみに現在の登城路の所為で勘違いし易いんだけど大手筋には北東尾根が推定されている。

※写真⑧は真田本城から見る松尾古城の方っす。狼煙を上げれば見えるて思うさ。

2026年07月12日 播磨守高市首相のこうちゃん
真田本城



🚗で登城しました💨ほぼてっぺん迄🚗で行けます😲虫さえ気にしなければ真夏でも行けるでしょう🤭駐車場有り…🚻有り🤭

2026年06月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
天白城[真田本城  周辺城郭]



さて、お城界には真田ブランドなるものが存在しているて思うんだけど、純粋に小県郡で真田氏の築城とされているものは、上田城、真田本城、天白城、松尾古城ぐらいのもんじゃないだろうか(居館、屋敷、色物物件は除く。)。そう、後には大名に成り上がったとはいえ、所詮は小さな在地土豪がそのスタートなのだ。ブランドを名乗るなんて少々烏滸がましいとさえ感じる。世間一般で語られている真田ブランドのお城とは殆どが後付けであり、あくまでも薄い関係を持つだけの借り物のブランドに過ぎないとさえ思う。

今回紹介する物件はそんな真田ブランドの数少ない要害の一つだ。貧乏なんだけどキラリと光る萌えポイントを持っている。真田っぽいて言えばそりっぼいけど、何処が真田っぽいのかは知らんぽい。

天白城は真田本城の南南東約0.7km、標高1092.8mの山稜山頂から西方へ伸びる尾根下段上、標高約971m地点の平場を中心に立地する要害です。西麓の長野県道4号、真田東部線からの比高は160m位でしょか。

行き方はGoogleマップに「天白城跡登城口」が位置登録されているので目標に設定しよう。但し、どうしたって車の捨て場所が問題になる。結局は己れの器量次第になるとは思うのだが、かなり離れた場所に捨てる事になるかもしれない。取り付きは同じく位置登録がある「北赤井神社」からとなり、獣柵ゲートを開けて登城路に入る。城域を貫通する山道がしっかりと付いているので迷う事は無い。

築城年代は不明、築城者は真田氏です。但し、根拠がある訳じゃない。該地の赤井は武田氏時代に同氏が拠った小県郡原之郷に含まれる地域であり、真田氏以外の築城者は考えられないとしているのが実際のところだ。

「長野県町村誌」には、「本村(本原村)上原組より寅(東北東)の方十八町(約2.0km)字赤井の北嶮峻の山上にあり。烏帽子嶽、赤井山より地脈連なる山嶺の尾先にして、大堀切一所。本郭は東西十五間(約27.3m)、南北十間(約18.2m)、四方石塁ありて足溜数段あり。是眞田氏の支城にして、麓に勝負澤、城満の名あり。城満は城廻りならん。」とある。

縄張は3郭で構成され、西側谷側前面には帯郭状の腰郭を雛壇状に三段程設けている。主郭には結構なL字形の土塁が付き、主郭の切岸の一部には土留めの石積みが確認出来る。この要害のハイライトは主郭東側山側背後の岩盤層を断ち切る大堀切、削ったと言うよりは岩盤を叩き割って掘り切ったようなワイルド過ぎる逸品、今も垂直に近い切岸を形成しており、往時の登頂は殆ど不可能であったろう。又、この大堀切からは北側のみに向けて長大な竪堀が麓まで落ちている。前回訪問時には半分位まで下りてみたが、登り返すのが面倒に感じたので途中で諦めてしまった。今回は麓まで下りてみようと固く決心していたのだが、三分の一位でだるくなってしまいやっぱり諦める事に…次回に訪ねる事があるならば、逆に麓から登ってやろう…等と真剣に考えている。

天白城は真田本城の支城と伝わっているのだが、本城の方は古式の縄張である事、発掘調査結果から築城時期が鎌倉時代の後期にまで遡れる事等を理由として、或いは真田氏の築城ではなかったとも考察されている。個人的にもこの説には同意しており、既に武田氏の下にあってその知行地を自らが積極的に守る必要が無い上に、信濃先方衆の一氏として馬車馬の様に奉公する同氏が、居館地以外の山地の要害を果たして必要とするのか…等の疑問を抱いている(要害等を新たに普請するよりは軍役や諸役等を十分に果たさなければならない。)。従って真田氏館に最も近い距離にある天白城が真の詰城とも考えられているのだが、こちらの方も根拠が無く縄張にも説得力が欠ける。近世大名に発展しながら昌幸時代以前の真田氏には兎に角、不明な点が多いように思う(武田氏としての事跡に集約されてしまう。)。何れにせよ、当時としてはさしたる事では無かった…等と言ってお茶を濁しておこう。

※腰郭には矢竹の群生があり進入すると悲惨極まりない。

※以前はしっかりとしていた四つ足の説明板が今は転がってた。

※はっきり言っちゃうけど、甲越が争ったような戦国時代に築かれたとは到底思えないんだけど…

2026年06月08日 バーサルナイト織部正
真田本城



細い坂道を登ると駐車場があり、そこから歩くとすぐ城址に着く。熊出没注意は冗談にならないので、細心の注意をもって臨むべし。

2026年05月13日 カズ讃岐守
真田本城



こちらは車で楽に上がれた。景色が良くて位置関係がよくわかります。

2026年05月06日 癒え康クン
真田本城

車でかなり登りその後徒歩で少し登りました。熊出没注意と危険がありますが景色はサイコーです!

2025年11月25日 ふみ!!出雲守
真田本城



近くまで、車で登れます。駐車場から、本丸まで、5分位で行けます❗️

2025年09月30日 大膳大夫虎太郎
真田本城



真田氏の本拠といえる城。しっかりした造りの山城だったと思われます。山城といっても本丸の近くに駐車場があり、そこまで車で行けるため、楽にリア攻めできました。天気もよく、見晴らしも最高でした!!

2025年07月22日 ナァロ治部卿
真田本城



全体的に馬蹄形の縄張。上田城以前の拠点と言われているが規模が小さいため、さらに東の城(松尾古城)が戦時の拠点となった説あり。城跡には現在は埋まってしまった堀切跡がいくつか見られる。石垣ではなく石積も見られる。

2025年02月26日 だって蔵人頭まさむね
真田本城



狭いアスファルト道路を登っていくと、公衆トイレもある駐車場かあり車も何台か停めることができます。『真田氏本城跡』の看板の向こうに小山が見え、そこまでは広い道が伸びています。

小高いピークの手前には説明板や石碑もあり、それほど広くはない頂上からは木立の間を通して真田の郷や周辺の山々を見渡すことが出来ます。

2024年11月24日 はるちゃん
真田本城

小学四年生の娘とテッペンまで登りました。小高い盛土を登ると、気分は爽快でした。足元は、自然のままなのでスベリそうになるので注意が必要です。本郭を進むと景色が開け、砥石城あとらしきが見えました。

2024年05月01日 野良犬しろチロ丸
真田本城



10台くらいの駐車場が入口に有り、アクセスが便利で気軽に行けると思います。

2023年11月26日 syokumi 刑部大輔
真田本城



夕刻に訪れました。真田本城から上田の町が一望できます。多分真田の人々も見ていたであろう景色、戸石城もよく見えました。多分その頃に生えたであろう太い赤松が立派でした。

2023年05月07日 石垣中務卿
真田本城



高地にあり見晴らしも良く、気持ちが良い所です。自動車で登れるますが、途中道が細い箇所には気を付けて。

2022年09月21日 コンチ
真田本城



すれ違いの難しい道路の先の駐車場に車を止めて、登ってきました。本丸手前に街を一望できる場所があり、そこで休憩していると、先に本丸に向かった娘が「子熊がいた」と言って逃げて来ました。駐車場まで走って、後からスマホで音楽をかけながら登りましたが、何もいませんでした。カモシカだったかも、と言ってましたが、以前には目撃情報もありました。

2022年07月19日 Yana左近衛中将
真田本城



駐車場があり、本郭入口の近くまで車で行けます。

2022年06月18日 勘解由長官ピッコ丸
真田本城



善光寺ご開帳大混雑にて、真田の里攻めに変更し、幸村の里で電動アシスト自転車借りて真田氏館→資料館→真田本城跡と巡りました。暑い日で大変でした。上田駅前から真田地区までずっと登り坂でしたが、本城跡の坂(眺望コース)は電動アシストでもキツく、心拍が上がりすきたので途中から押して歩きました。徒歩で巡っている方もおられ、時間と持久力があればそれもありかも…自転車であれば3時間位見ておけばゆったり巡れるのでは。気温と天候も大事かな。城跡は年に何度も草刈りをしているようで3段からなる城構えがよく判りました。大河ドラマ繋がりで、井伊谷城跡に登った時を思い出しました。構えがなんとなく似ていると感じます。

2022年06月06日 いしがき
真田本城



眺望良好でした。曲輪跡等綺麗に整備されていました。

2022年05月08日 尼崎城紀伊守一口城主
真田本城



5月2日、真田氏歴史館を出てから真田本城を目指します。坂道をひたすら漕ぎ続け最後の急な坂を登り切りたどり着きました。本城からの眺望は真田の郷や四阿山などの山々が良く見渡せる素晴らしいものでした。

本城周りの芝で大の字になり爽快でした。地元の方々に草刈りなどの整美をして頂いていることが良く分かり感謝の気持ちでいっぱいでした。大の字になり背中から真田家パワーをもらった気になり本丸を目指します。先に見学に来ていた人たちは、本丸だけ見て引き返していく人が大半でしたが、本丸から奥の方をながめかと棚田状になっているような気がして奥の方に進んでみました。予想通り二の郭、三の郭と続いており二の郭の側面には石積がありました。

本城をあとにする際、本丸下のお地蔵さんのところに御賽銭だけでなくなぜかスマホがお供えしてあったので駐車場のほうに走って誰かスマホ忘れている人いませんかと叫んだところ運良く忘れた方(年配の女性)がいらっしゃっり、お地蔵さんのところまで一緒に引き返しました。スマホを持って走れば良かったかなと後悔😅気を取り直し、次に長谷寺の真田幸隆夫妻と昌幸公のお墓参りに向かいました。

2020年12月16日 【うっかり】赤かぶ
天白城[真田本城  周辺城郭]



登城していてワクワクする城郭です!!
登城途中と主郭から真田本城(真田丸のロケ地になった所)が肉眼で見えます、こんな近いんだと思ったほどです♪
主郭の石垣・土塁は勿論ですが岩盤を切り開いた堀切には「凄い!」の一言です♬︎
最初の写真は真田本城です!

2020年04月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
天白城[真田本城  周辺城郭]



天白城は真田本城の南方約0.6km、西方へ延びる山塊尾根上、標高約964mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は130m位でしょか。真田本城の支城とも、真田氏館の詰城とも言われてますが、地元の方は狼煙台と言ってました。どれも正解だと思います。里伝では真田幸隆の嫡男、真田左衛門尉信綱が家督を継いだ際に館と一緒に普請されたと伝わるそうです。

信綱は幸隆から家督を譲られた頃には信濃先方衆の筆頭に名前が挙げられ、外様の他国衆の中でも特に重んじられていたと思います。二百騎持ちの侍大将でもあり、譜代の武田四天王が概ね三百騎持ちの侍大将であった事を考えてみてもその評価がいかに高かったことが解るでしょう。残念なことに晩年まで活動が見られた父幸隆の事績ともろ被りしてしまい、信綱当人の事績が埋もれてしまうのも事実ですが、武田氏の駿河攻めで先手を務めて以降、主要な合戦には常に先手として従軍しており、豪勇の士として評判だったことは想像に難くありません。何でも合戦では青江貞という三尺三寸(心得のある方なら解るかと思いますが、常人でまともに扱えるのは二尺二寸〜二尺六寸、長過ぎだし重過ぎっす。)の陣太刀を振り回したと伝わり、戦の場では関わりたくない輩だったことでしょう。家督相続から討死までの期間が10年は無いと思いますし、出来過ぎの父幸隆、弟昌幸の影にどうしても隠れてしまいますが、もっと評価されてもよい人かなといつも思ってます。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の北赤井神社を目標に設定して下さい。神社の裏手に登城路が付いてますので後は上を目指すだけとなります。が、駐車場所が周辺に無いので真田氏歴史館に車を捨てて下さい。

お城は西側斜面に段郭を連ね、主郭には石積み、土塁が付きます。その土塁の背後は圧巻の岩盤切削の大堀切!阿保かと思います。堀切北側は長大な竪堀が延長されて麓付近まで落ち込み、見たところこれは二重の竪堀だったようです。お城の北方は集落を挟んで真田本城に通じていますので、きっと堀底道も兼ねてたことでしょう。コンパクトなお城ですが見所は多いと言えます。が、西側斜面の段郭はほぼ笹藪なのが残念なところ。

真田ブランドの素敵なお城です。六文銭ファンはもちろんのこと、岩盤切削堀切ファンは是非訪ねてみて下さいまし。

2019年05月05日 わる爺陸前守
駐車場[真田本城  駐車場]



十数台と比較的少ない

2019年04月28日 絆✨左衛門佐紺絹地六連銭
真田本城



真田本城を今も見守る隣の長谷寺内真田家の墓所!中央一徳斎、左とりさん、右昌幸公の墓

2016年12月18日 琉球守時行
真田本城

大河ドラマ眞田丸で
きりと源二郎が座っている場面の
白い木が置いてあります。
しかし大河のような景色は
見れませんm(。≧Д≦。)m
改めて日本のCG技術は凄いと
思い知らされます。
ここは早朝に来ると..
落ち着きます。

2016年01月17日 絆✨左衛門佐紺絹地六連銭
真田本城

皆さんご存知とは思いますが、城跡から更に東側に長谷寺(ちょうこくじ) というお寺があります。この寺は真田家の菩提寺で、ここに真田幸綱、おばばさま、昌幸のお墓、信繁の供養塔があります。
真田の里へこられたら是非足をお運びください!

2015年12月23日 絆✨左衛門佐紺絹地六連銭
真田本城

近くの国道144号沿いに沢山真田グッズが売っている(もはや日本一では?)ゆきむら夢工房という施設があります!その横には美味しいケーキ屋さんがありますし、橋を渡ったところに真田温泉があります。山城を攻めたら湯治でもいかがでしょうか~

2014年08月23日 志能便飛騨守
真田本城

急坂ですが道が狭いのでレンタサイクルが便利です。
すぐ南に位置する天白城も真田本城と一緒に見ると、真田氏の城郭の素晴らしさに感動できます。
整備された真田本城と、本来の遺構の残る天白城を比較するのも面白いですよ(本郭後の巨大天然岩の切通しは一見です!)

2012年08月07日 
真田本城

遺構等はあまり残っていませんが、山頂から見る真田の郷や付近の山々(戸石城等)の景色は綺麗でした。車で山頂近くまで登れ、駐車場もあります。車以外で付近を巡るには、観光案内所「ゆきむら夢工房」にて無料で借りれる電動アシスト付きレンタサイクルが便利でした。ただ、いくら電動アシスト付きとは言え、山あいの真田の郷を巡るには体力が必要です。

2012年05月19日 傾奇揚げ仙兵衛
真田本城

駐車場の脇に清水が涌いている。コップ有り

真田本城の周辺スポット情報

 堀切跡(推定)(遺構・復元物)

 本郭(遺構・復元物)

 本郭土塁(遺構・復元物)

 二の郭(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 石積(遺構・復元物)

 三の郭(遺構・復元物)

 腰郭(遺構・復元物)

 切岸(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 縦堀(遺構・復元物)

 周辺図(碑・説明板)

 看板(碑・説明板)

 本廓頂上の碑(碑・説明板)

 天白城(周辺城郭)

 河原氏屋敷(周辺城郭)

 長谷寺(寺社・史跡)

 北赤井神社(寺社・史跡)

 北赤井神社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 入口扉(その他)

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