天白城
天白城([真田本城 周辺城郭])
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天白城の口コミ情報
2020年12月16日 赤かぶ【】
登城していてワクワクする城郭です!!
登城途中と主郭から真田本城(真田丸のロケ地になった所)が肉眼で見えます、こんな近いんだと思ったほどです♪
主郭の石垣・土塁は勿論ですが岩盤を切り開いた堀切には「凄い!」の一言です♬︎
最初の写真は真田本城です!
2020年04月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
天白城は真田本城の南方約0.6km、西方へ延びる山塊尾根上、標高約964mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は130m位でしょか。真田本城の支城とも、真田氏館の詰城とも言われてますが、地元の方は狼煙台と言ってました。どれも正解だと思います。里伝では真田幸隆の嫡男、真田左衛門尉信綱が家督を継いだ際に館と一緒に普請されたと伝わるそうです。
信綱は幸隆から家督を譲られた頃には信濃先方衆の筆頭に名前が挙げられ、外様の他国衆の中でも特に重んじられていたと思います。二百騎持ちの侍大将でもあり、譜代の武田四天王が概ね三百騎持ちの侍大将であった事を考えてみてもその評価がいかに高かったことが解るでしょう。残念なことに晩年まで活動が見られた父幸隆の事績ともろ被りしてしまい、信綱当人の事績が埋もれてしまうのも事実ですが、武田氏の駿河攻めで先手を務めて以降、主要な合戦には常に先手として従軍しており、豪勇の士として評判だったことは想像に難くありません。何でも合戦では青江貞という三尺三寸(心得のある方なら解るかと思いますが、常人でまともに扱えるのは二尺二寸〜二尺六寸、長過ぎだし重過ぎっす。)の陣太刀を振り回したと伝わり、戦の場では関わりたくない輩だったことでしょう。家督相続から討死までの期間が10年は無いと思いますし、出来過ぎの父幸隆、弟昌幸の影にどうしても隠れてしまいますが、もっと評価されてもよい人かなといつも思ってます。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の北赤井神社を目標に設定して下さい。神社の裏手に登城路が付いてますので後は上を目指すだけとなります。が、駐車場所が周辺に無いので真田氏歴史館に車を捨てて下さい。
お城は西側斜面に段郭を連ね、主郭には石積み、土塁が付きます。その土塁の背後は圧巻の岩盤切削の大堀切!阿保かと思います。堀切北側は長大な竪堀が延長されて麓付近まで落ち込み、見たところこれは二重の竪堀だったようです。お城の北方は集落を挟んで真田本城に通じていますので、きっと堀底道も兼ねてたことでしょう。コンパクトなお城ですが見所は多いと言えます。が、西側斜面の段郭はほぼ笹藪なのが残念なところ。
真田ブランドの素敵なお城です。六文銭ファンはもちろんのこと、岩盤切削堀切ファンは是非訪ねてみて下さいまし。