天白城
天白城([真田本城 周辺城郭])
真田本城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「天白城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
天白城の口コミ情報
2026年06月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、お城界には真田ブランドなるものが存在しているて思うんだけど、純粋に小県郡で真田氏の築城とされているものは、上田城、真田本城、天白城、松尾古城ぐらいのもんじゃないだろうか(居館、屋敷、色物物件は除く。)。そう、後には大名に成り上がったとはいえ、所詮は小さな在地土豪がそのスタートなのだ。ブランドを名乗るなんて少々烏滸がましいとさえ感じる。世間一般で語られている真田ブランドのお城とは殆どが後付けであり、あくまでも薄い関係を持つだけの借り物のブランドに過ぎないとさえ思う。
今回紹介する物件はそんな真田ブランドの数少ない要害の一つだ。貧乏なんだけどキラリと光る萌えポイントを持っている。真田っぽいて言えばそりっぼいけど、何処が真田っぽいのかは知らんぽい。
天白城は真田本城の南南東約0.7km、標高1092.8mの山稜山頂から西方へ伸びる尾根下段上、標高約971m地点の平場を中心に立地する要害です。西麓の長野県道4号、真田東部線からの比高は160m位でしょか。
行き方はGoogleマップに「天白城跡登城口」が位置登録されているので目標に設定しよう。但し、どうしたって車の捨て場所が問題になる。結局は己れの器量次第になるとは思うのだが、かなり離れた場所に捨てる事になるかもしれない。取り付きは同じく位置登録がある「北赤井神社」からとなり、獣柵ゲートを開けて登城路に入る。城域を貫通する山道がしっかりと付いているので迷う事は無い。
築城年代は不明、築城者は真田氏です。但し、根拠がある訳じゃない。該地の赤井は武田氏時代に同氏が拠った小県郡原之郷に含まれる地域であり、真田氏以外の築城者は考えられないとしているのが実際のところだ。
「長野県町村誌」には、「本村(本原村)上原組より寅(東北東)の方十八町(約2.0km)字赤井の北嶮峻の山上にあり。烏帽子嶽、赤井山より地脈連なる山嶺の尾先にして、大堀切一所。本郭は東西十五間(約27.3m)、南北十間(約18.2m)、四方石塁ありて足溜数段あり。是眞田氏の支城にして、麓に勝負澤、城満の名あり。城満は城廻りならん。」とある。
縄張は3郭で構成され、西側谷側前面には帯郭状の腰郭を雛壇状に三段程設けている。主郭には結構なL字形の土塁が付き、主郭の切岸の一部には土留めの石積みが確認出来る。この要害のハイライトは主郭東側山側背後の岩盤層を断ち切る大堀切、削ったと言うよりは岩盤を叩き割って掘り切ったようなワイルド過ぎる逸品、今も垂直に近い切岸を形成しており、往時の登頂は殆ど不可能であったろう。又、この大堀切からは北側のみに向けて長大な竪堀が麓まで落ちている。前回訪問時には半分位まで下りてみたが、登り返すのが面倒に感じたので途中で諦めてしまった。今回は麓まで下りてみようと固く決心していたのだが、三分の一位でだるくなってしまいやっぱり諦める事に…次回に訪ねる事があるならば、逆に麓から登ってやろう…等と真剣に考えている。
天白城は真田本城の支城と伝わっているのだが、本城の方は古式の縄張である事、発掘調査結果から築城時期が鎌倉時代の後期にまで遡れる事等を理由として、或いは真田氏の築城ではなかったとも考察されている。個人的にもこの説には同意しており、既に武田氏の下にあってその知行地を自らが積極的に守る必要が無い上に、信濃先方衆の一氏として馬車馬の様に奉公する同氏が、居館地以外の山地の要害を果たして必要とするのか…等の疑問を抱いている(要害等を新たに普請するよりは軍役や諸役等を十分に果たさなければならない。)。従って真田氏館に最も近い距離にある天白城が真の詰城とも考えられているのだが、こちらの方も根拠が無く縄張にも説得力が欠ける。近世大名に発展しながら昌幸時代以前の真田氏には兎に角、不明な点が多いように思う(武田氏としての事跡に集約されてしまう。)。何れにせよ、当時としてはさしたる事では無かった…等と言ってお茶を濁しておこう。
※腰郭には矢竹の群生があり進入すると悲惨極まりない。
※以前はしっかりとしていた四つ足の説明板が今は転がってた。
※はっきり言っちゃうけど、甲越が争ったような戦国時代に築かれたとは到底思えないんだけど…
2020年12月16日 【うっかり】赤かぶ
登城していてワクワクする城郭です!!
登城途中と主郭から真田本城(真田丸のロケ地になった所)が肉眼で見えます、こんな近いんだと思ったほどです♪
主郭の石垣・土塁は勿論ですが岩盤を切り開いた堀切には「凄い!」の一言です♬︎
最初の写真は真田本城です!
2020年04月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
天白城は真田本城の南方約0.6km、西方へ延びる山塊尾根上、標高約964mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は130m位でしょか。真田本城の支城とも、真田氏館の詰城とも言われてますが、地元の方は狼煙台と言ってました。どれも正解だと思います。里伝では真田幸隆の嫡男、真田左衛門尉信綱が家督を継いだ際に館と一緒に普請されたと伝わるそうです。
信綱は幸隆から家督を譲られた頃には信濃先方衆の筆頭に名前が挙げられ、外様の他国衆の中でも特に重んじられていたと思います。二百騎持ちの侍大将でもあり、譜代の武田四天王が概ね三百騎持ちの侍大将であった事を考えてみてもその評価がいかに高かったことが解るでしょう。残念なことに晩年まで活動が見られた父幸隆の事績ともろ被りしてしまい、信綱当人の事績が埋もれてしまうのも事実ですが、武田氏の駿河攻めで先手を務めて以降、主要な合戦には常に先手として従軍しており、豪勇の士として評判だったことは想像に難くありません。何でも合戦では青江貞という三尺三寸(心得のある方なら解るかと思いますが、常人でまともに扱えるのは二尺二寸〜二尺六寸、長過ぎだし重過ぎっす。)の陣太刀を振り回したと伝わり、戦の場では関わりたくない輩だったことでしょう。家督相続から討死までの期間が10年は無いと思いますし、出来過ぎの父幸隆、弟昌幸の影にどうしても隠れてしまいますが、もっと評価されてもよい人かなといつも思ってます。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の北赤井神社を目標に設定して下さい。神社の裏手に登城路が付いてますので後は上を目指すだけとなります。が、駐車場所が周辺に無いので真田氏歴史館に車を捨てて下さい。
お城は西側斜面に段郭を連ね、主郭には石積み、土塁が付きます。その土塁の背後は圧巻の岩盤切削の大堀切!阿保かと思います。堀切北側は長大な竪堀が延長されて麓付近まで落ち込み、見たところこれは二重の竪堀だったようです。お城の北方は集落を挟んで真田本城に通じていますので、きっと堀底道も兼ねてたことでしょう。コンパクトなお城ですが見所は多いと言えます。が、西側斜面の段郭はほぼ笹藪なのが残念なところ。
真田ブランドの素敵なお城です。六文銭ファンはもちろんのこと、岩盤切削堀切ファンは是非訪ねてみて下さいまし。









