真田氏館(さなだしやかた)

真田氏館の基本情報

通称・別名

所在地

長野県上田市真田町本原御屋敷2962-1他

旧国名

信濃国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

真田幸綱

築城年

永禄年間〜天正2年(1558〜1574)

主な改修者

主な城主

真田氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪、土塁、厩跡

指定文化財

県史跡(真田氏館跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

真田本城(長野県上田市)[1.3km]
横尾城(長野県上田市)[2.2km]
戸石城(長野県上田市)[2.4km]
松尾古城(長野県上田市)[4.0km]
上田城(長野県上田市)[7.2km]
葛尾城(長野県埴科郡)[13.7km]
岡城(長野県上田市)[14.2km]
小諸城(長野県小諸市)[14.7km]
塩田城(長野県上田市)[15.3km]
荒砥城(長野県千曲市)[17.0km]

真田氏館の解説文

真田氏館は、信濃の武将であった真田氏が居住した館。

真田幸隆が築き、その子である真田昌幸が上田城を築くまでの間に居館としていたとされる。

現在も同地は「御屋敷」と呼ばれており、跡地は御屋敷公園として整備され土塁などの遺構も確認することが出来る。隣接地には真田氏歴史館という施設も整備され、真田氏ゆかりの品々を見る事が出来る。

真田氏館の口コミ情報

2021年01月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
矢立城[真田氏館  周辺城郭]



矢立城は真田氏館の南東約5.6km、南西に延びる山塊尾根上、標高約838mのピークの一つに主郭が存します。お城の西側から北側にかけては緩斜面の台地状地形を形成しており、こちら側からの比高は大して無いどころか北側ではマイナスな感じ、ただ南麓からの比高は170m位あります。

築城年代、築城者は共に不明ですが、付近にある禰津下の城とは姫子沢を挟んでお隣さんですので禰津氏の手によるものと考えられています。お城も何となくコンセプトが一緒ですしね。

行き方はまずお城の北側にあるヴィラデストガーデンファームアンドワイナリーというワイン関係の複合施設を目標に設定して下さい。この施設の南側に見える尾根にお城がありますので敷地内を通過してこれに取り付きます。自分は一声掛けてお邪魔しよかと思いましたが、冬季は施設自体が閉鎖中で人は誰もおらず、結果テレパシーで許可を求めるとこれに成功、主郭までは5分位でした。

このお城の存在は以前から知っていたのですが、ブログ等で紹介されてる写真を見ると藪が酷い印象で正直行くのを躊躇してました。じゃぁ冬場はどうなのかなと思って今回訪ねた次第なんですが、素直に行ってみて良かったです。少なくとも藪は消えており、遺構もこの時期なら大変判り易くなっていました。が、枯木で葉が無いとは言っても夏場の藪が容易に想像出来ましたわ…しかも生えてるのがちくちくするのばっかしで冬でも「痛たたたっ…」みたいな感じにしてくれます。

見所は主郭背後の大堀切、主郭部に散見される石積み、主郭をCの字に囲む土塁でしょうか。特に主郭の土塁の北辺は大土塁となっています。主郭から南西に延びる尾根は段郭で守り、石積みで補強された土塁の前を通らされる横入りの虎口なんかもありました。城域全体は巨石が至る所に見られ、それは大堀切底部でも同様です。感動したのは主郭の土塁から東西に延びる竪土塁!大堀切の竪堀に付随するものですが、主郭から一段下の腰郭まで合わせてカバーしていて見事な出来、素晴らしいっす。

このお城、主郭部北側から城域北東端にかけて後世の改変を含んでいるというのが一般的な認識です。ただとてもじゃないけど判断出来ないし、誰も改変部分を特定出来ないと思うので今は現況を愛でるのが正解でしょう。ただ一箇所だけ明らかに後世のものと判る石垣がありますので注意して下さいまし。

2021年01月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
祢津城(下の城)[真田氏館  周辺城郭]



禰津下の城は真田本城の南東約8.2km、標高約826mの山塊尾根上端部に主郭が存します。比高は約130mでちゃんとした登山道が整備されている他、軽四駆なら林道を使ってお城の北端に出る事が出来るようです。

一般的なお城の話として「下の城、上の城問題」があるかと思いますが、謂わゆる居館跡である事が多い下の城は消滅か薄目、上の城は割としっかり遺構が残ってるし堅固である…みたいなやつです。この禰津下の城にも当然上の城があるんですが、禰津氏の居館跡は別に2箇所ありまして、下の城自体が詰城ですのでそこら辺は大丈夫です。逆に上の城は血圧が高目の人は怒り出すかもしれないので注意が必要です。ちなみに自分は収縮期血圧でも100ちょいなので怒りはしなかったです。

お城は素晴らしいです。きっと滋野氏最大実力者である禰津氏の力を見せつけてくれることでしょう。大手道(本当にそうなのかな?)とされる南麓にある登山道を使うと大した苦労も無く主郭に到達、ちょっと拍子抜けしますが、主郭の北側、北東側、東側の城域端までの土の遺構といったらどうでしょう!緩斜面を守る為であろう空堀や竪堀が集合し、最終的には長大(100m以上は有にある。)な二重竪堀に集約される様は圧巻です!それに付随する竪土塁には往時は総石積みだったのかと思わせる様な部分も。この二重竪堀の起点付近には石積みされた虎口様の遺構も存し、本来の大手道は実は竪堀底道のこっちなんじゃないかなと推測しました。各堀切、竪堀も見事な残存率で郭間の輪郭も素晴らしく4時間居ても全く飽きが来なかったです。

帰りは二重竪堀を使って林道に出ましたがこの二重竪堀、S字を描く林道に2箇所程切断されながらもまだ下に延びてました。又、林道周辺は何だか謎の石積みが沢山…後世の桑畑のものかなと思いますが、根古屋っぽい雰囲気もあるこの辺り、即断も出来ないでしょう。

ともかく比較的楽に重厚な遺構を堪能出来ますのでお近くに来たら是非訪ねてみて下さいまし!

※城友さんのスポットを活用させて頂きました!感謝です。ちなみに「根津、祢津、禰津」どれでも正解です。

2021年01月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
宮ノ入禰津氏居館[真田氏館  周辺城郭]



宮ノ入禰津氏館は真田本城の南東約8.5km、山間部の緩斜面平場に造られた居館です。

お住まいになられていたのはこの辺りを本貫地とする滋野嫡流三家の一つ禰津氏で、滋野氏と様々に派生したその一族、支族は信濃の歴史を語る上では避けて通れないものとなっています。又、滋野氏一族は厳しい乱世の中でも同族間で相争う事が極端に少なかった仲良し一族であったことが指摘されています。

最近の研究では真田氏はこの禰津氏の庶流である可能性が最も高いようです。大塔合戦(応永七年、西暦1400年)や結城合戦(永享十二年、西暦1440年)に禰津遠光配下として、前者は「実田」、後者には「真田源太、源五、源六」の名が記録されており、禰津氏の庶流として真田郷を在地所領としていた説明がやっぱり最もしっくりしますね。

真田氏は江戸時代には源姓乗っていましたが、早いうちに新井白石から突っ込まれていることからも解るようにかなり無理があったようです。源姓に固執した理由は解りませんが滋野氏も名族なので別に滋野姓でも構わないじゃん…て感じですかね。

禰津氏自体はマイナーですが、姻戚関係を通じ諏訪神党の一家として諏訪氏とも緊密な関係を築きました。又、武勇に優れた一族でもあったようで、太平記にも豪快なエピソードで「根津小次郎」なる人物が登場します。禰津氏は滋野氏の軍事的中核だったらしく、小県郡から上野吾妻郡までを支配領域とする大身でした。

禰津氏は存続自体は短いですが、徳川幕府時代に上野豊岡藩として立藩しています。又、真田氏と行動を供にし、松代藩家老となった者もあります。一族は古来から鷹を扱うことに長けており、幕臣として鷹匠最大流派「根津、諏訪流鷹匠」として存続しその技法を今に伝えています。

居館の現況は後世の改変かもしれませんが、土塁らしきものが残っているかなぁといった感じ…敷地内には長野県指定天然記念物の樹齢400年を越えるカヤの巨木「宮ノ入のカヤ」が残されており、伝承によれば居館の庭にあったものだとされていますが、残念ながら時代が少し合わないようです。

2020年12月29日 赤かぶ【奮戦記】
矢沢城[真田氏館  周辺城郭]



真田幸隆公の弟 矢沢綱頼公(綱頼は諱 本名は頼綱)の居城とされています。現在は矢沢城跡公園になっており、住宅地の裏山って感じです。近くには数台停められる駐車場もあります。

登城口から主郭直下の三峯社までは10分ほど周りには小さな祠と石積みが見られました。西側には上信越自動車道 東部湯の丸ICと上田ICの間にある上田ローマン橋を見る事が出来ます。

主郭から北側に進めと二の郭・三の郭へと続いて行きます。二の郭と三の郭の間の堀切からの竪堀は鮮明に残っていました♪三の郭と四の郭の堀切はかなり埋まっている感じです。訪れた時 登城路にたくさんの銀杏が落ちており匂いが凄かったです(笑)わりとお手軽に行ける城郭かと思います。

2020年12月28日 赤かぶ【奮戦記】
祢津城(下の城)[真田氏館  周辺城郭]



祢津城(下の城)は上信越自動車道東部湯の丸ICからほど近い祢津集落の北側にあります。
城郭の南側には数台駐車出来るスペースがありますが、行くまでの道幅は狭いのでご注意を!
わりと整備され遊歩道を15分くらい行くと主郭に着きます。
主郭の南側は展望も良く上信越自動車道東部湯の丸SAなども見えます。ベンチもあり桜も植えらているので春はお弁当を持って訪れるのも良いと思います♪
周囲は土塁が盛られております!
主郭北側には上の城に続く尾根上に深い堀切・腰曲輪がつくられ北側の攻撃に備えています。
主郭背後の堀切は5mほどありロープを用いて降りて行きます。足場は悪いので足元はしっかりとした装備で行って下さい。
南側はわりと緩やかですが北側は荒々しくもワクワクする遺構のあるお城かと!

2020年12月27日 【城郭道】美濃守タッキー
真田氏館

説明欄を見ると築城者が真田幸綱と書いてあるところと真田幸隆と書いてあるところがありますが、これらは同一人物なので説明を読む際は注意してください。

2020年11月03日 3000ロス征夷大将軍マイリバ
伊勢崎城(虚空蔵城)[真田氏館  周辺城郭]

~ 上田ローマン橋下の解説板より ~

伊勢崎城跡

虚空蔵山山頂にあり、砥石城の前衛城として築かれ、伊勢崎砦とも呼ばれる。虚空蔵山脚下は深い谷で神川の急流が崖を食み、自然の要塞となっている。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの時、徳川秀忠率いる徳川の大軍が上田城を攻めてた折、真田昌幸は神川の水をせき止めて虚空蔵山に兵を隠し、神川のせきを切って徳川軍に大打撃を与えた場所とも伝わる。この城は、神川とともに上田城の東方を固め、ふるさと存亡の危機に、救国の一役を担ったのではないだろうか。今も土塁などが残り、城跡の面影を残している。

平成31年2月 神科まちづくり委員会

2019年05月26日 龍馬備中守【】
真田氏館



主郭全体を土塁で囲む☆(手前)厩跡を区画する☆搦め手側の西側の背後の山に真田本城を控える☆本拠地を上田に移す前の真田氏の居館☆

2019年05月05日 わる爺陸前守
西曲輪[真田氏館  遺構・復元物]



躑躅の花が咲く頃が一番。躑躅側が曲輪、中央横切る緑の線が土塁。直ぐ観える山が米山城跡、砥石城跡。

2016年05月25日 アマビヱ左衛門佐紺絹地六連銭
真田氏館

お屋敷の北側には真田歴史館があります。
資料館のなかには、大河ドラマで実際に使われた甲冑や草の者の武器等が展示してあり、真田太平記好きには堪らないスペースになっています!

2016年05月21日 アマビヱ左衛門佐紺絹地六連銭
真田氏館

5月中旬にはには躑躅の花が満開になりますよ!赤備えの大軍の如し(笑)

2012年02月23日 赤いRVR甲斐守@松本
真田氏館

四囲に土塁が全周する真田氏の本拠居館跡。近年西郭も整備されて、立ち入れるようになった。ここも周囲はマレットゴルフ場になっているが、大きな改変はなさそうです。東に隣接して、真田資料館(大人200円)があるので、こちらもどうぞ。ここで真田氏関連の情報をゲットできます。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore