真田氏歴史館
真田氏歴史館([真田氏館 関連施設])
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真田氏歴史館の口コミ情報
2024年09月03日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、おいらは先日、城友さんと真田氏歴史館を訪ねてみたよ。2回目の訪問になるんだけど、今回はちゃんとした目的があったのさ。聞いて下さいよ〜旦那さん、歴史館では8月10日から9月23日まで企画展を開催してるんだけど、そこに展示されているBLOODY MANTLE、「血染めの陣羽織」を是が非でも見たかったのさ。真田ファンの方は女房を質に入れてでも行っとけ。
真田氏歴史館は真田氏館の東方約0.3km、標高約782mの段丘台地緩斜面上平場に立地する史料館です。要らん情報だけどね…
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。当然、車も捨てられる。
今回の企画点は、真田源太左衛門信綱と真田兵部少輔昌輝にスポットを当てたもの。どうです?興奮するでしょ〜えっ、そんな人知らない?て…
…出直して来いやーっ!ヾ(。`Д´。)ノ
…出直されても困るので一応説明しとく、信綱と昌輝は有名な真田幸綱の一男と二男、表裏比興で超有名な真田昌幸にとっては同母兄に当たる。甲州の名族、武藤氏の跡を継いだ昌幸は、本来なら真田氏の家督を継ぐ立場にはなかった訳だ。
信綱は、永禄九年(西暦1566年)頃、幸綱の隠居に伴い家督を相続したと考えられている。確実な史料は無いらしいが、二百騎持ちの侍大将、上州箕輪城城代を務めた事もあったらしい。
永禄十一年(西暦1568年)、武田勢による駿河攻めでは、実弟、昌輝と共に先陣を担っている。戦の場では三尺三寸の陣太刀、「青江貞」を振り回す、決して出会ってはならないタイプの異常者であり、その豪勇ぶりに周囲の期待も大きかった。
天正三年(西暦1575年)五月二十一日、「長篠の戦い」において、昌輝と共に討死、信綱の首は着用していた陣羽織に包まれて、近習の北沢最蔵と白川勘解由によって甲斐に持ち帰られたと伝わり、この「血染めの陣羽織」は現在、上田市真田町の曹洞宗の寺院、大柏山信綱寺に収蔵されている。
信綱の事跡は、隠居後も活動が見られる幸綱の事跡と被る事もあって史料に乏しく、昌輝の確実な事跡となると更に不明である。一説によれば、別家を立てる事を許され、五十騎持ちの侍大将であったとも。真田氏一族は外様の先方衆でありながら、武田氏に譜代家臣団並みに厚遇、重用されていた。
文中にある、普段は一般非公開の「血染めの陣羽織」が展示されている訳だ。真田ファンは見なくちゃ話にならんわい。信綱は昌幸に敬慕され続けた程の器量の持ち主でもある。若くして討死した事が悔やまれる。
ちなみに写真撮影不可なんでアレだけど、陣羽織は意外にも白くてBLOODY感は殆ど無いので苦手な人でもイケる筈…おいらは逆にリアルを感じた。皆さんも是非拝みに来てくらさい。
※「長篠・設楽原の戦い決戦場跡」の三原山には信綱、昌輝兄弟の供養塔が建っている。むしろこちらの方で有名だろう。
※曹洞宗の寺院、大柏山信綱寺〜信綱夫妻の墓塔もある大変立派な寺院だ。アプリの登録城、横尾城の東麓に当たり、リア攻めマップにスポット登録されている。
※大人気漫画、「センゴク」には「長篠の戦い」における、信綱、昌輝兄弟の活躍が描かれているが、実際に近いと思われる。
※本来なら「歴史イベント・メディア情報」に載せるべきなんだけど、真田氏歴史館の写真をアップしたかったんでこちらに…