祢津城(上の城)
祢津城(上の城)([真田氏館 周辺城郭])
真田氏館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「祢津城(上の城)」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
祢津城(上の城)の口コミ情報
2024年03月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
祢津上の城は真田氏館の南東約6.3km、千曲川北岸(右岸)、北方山塊裾野上、標高930mの山稜山頂に立地する要害です。南麓の祢津集落上段からの比高は180m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。お城の西麓まで車両通行可能な農道が通っている。但し、あくまで農道なので注意が必要、車の捨て場所はそこら辺でOK♪レベルだ。
築城年代は不明、築城者は祢津氏です。同氏については長くなるので詳細は別の機会に譲りたい…祢津氏は関係する居館跡が3箇所もあるんでそっちでしよかなと考えている。
再訪になるんだけど口コミは初となる。初回訪問時は別の深刻な問題、陽が落ちそうだったんで探索は殆ど諦めた。今回は何でも整備が入ったらしいとの噂を聞いたので祢津下の城の再訪に併せて訪ねてみた。ちなみにおいらは積雪で農道を車両通行不能と判断、地道に下の城から徒歩で登っている。時間にすると25分位、両者を結ぶルート上に城郭遺構は何も見出せない…
要害て一応分類したけど、一般的には逃げ込み城だと推測されている。おいらも異論を挟まない。逃げ込み城は一族、一党の足弱や領内郷民が喫緊時に文字通り匿れ住まう場所、そもそも論で守る必要性が微塵も無い。攻め寄せて来たら別の山中へ散り散りで逃げるのだ。この場においての籠城は武家としての終焉を意味するに等しい。
お城の現況は…確かに整備が入っている。登城路もはっきりと…したような感じだし、城域内には各所に説明板すら立っている。藪も刈り払われて気持ちすっきりと…したような感じもある。但し、ミトコンドリアみたいな縄張で薄い事には変わりがない。段の付いた削平地に生意気にも帯郭状の腰郭、別に土塁の残滓が遺構として確認出来る。そもそも論でノーマルな方は訪ねる必要性が微塵も無い。
…口コミも薄くなったので、最後に祢津氏に関連する雑学を…
全国に「田中」の地名は幾つか見られるが、該地の南南西、長野県東御市田中には全国で唯一の田中駅(しなの鉄道線)が立地する。「諏訪御符禮之古書」には、「小田中」、「田中」の郷名が見られ、中世の頃には何れも祢津氏による代官支配を受けていた。この地が「田中」と呼ばれるには訳がある。三分川水系と所沢川水系の自然流を引水して開田が進められた地域だが、現在の田中に残る「田」の付く地名を拾ってみよう、「浅間田」、「上田」、「瓜田」、「久保田」、「五里田」、「大門田」、「田町」、「常田」、「中田」、「夏目田」、「西前田」、「東沢田」、「保利田」、「前田」、「宮田」、「六反田」…ね、田中でしょ。
※写真①は南西麓、農道上から撮影した近景っす。
※写真②は登城路入口、地域の方の愛を感じる。薄いとか言ってごめんなさい。