矢沢城

矢沢城([真田氏館  周辺城郭])

真田氏館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「矢沢城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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矢沢城の口コミ情報

2026年04月29日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、上州チート技を知ってるかい?ある特定の場所になると異常なまでの強さを発揮する固有の特殊技能の事なんだけど、この技の持ち主は矢沢頼綱、他に備えた者は誰もいない。沼田城に攻め寄せたり籠城すると発動する、あくまでも御当地オンリーのチート技なのだ。今回紹介するのはそんな同名を輩出した矢沢氏の本貫地、小県郡矢沢郷に築かれた要害、皆さんもリア攻めして上州チート技を会得しよう。

矢沢城は真田氏館の南南西約2.2km、神川東岸(左岸)、標高1193.6mの殿城山山頂から西方へ向けて派生する支尾根末端部上、標高約663m地点の平場を中心に立地する要害です。西麓の長野県道176号、下原大屋停車場線からの比高は75m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場も2箇所に付いている。城地は矢沢公園として整備されており登城は容易、徒歩で登り始めたら直ぐに城域に入る。

築城年代は不明、築城者は前述したとおり矢沢氏です。同氏については同じ真田氏館のリア攻めマップにある矢沢支城の口コミも併せて参照して下さい。矢沢氏は明治維新に至るまで真田氏家臣団の筆頭家老職を代々に亘り世襲したが、武田勝頼時代の矢沢氏は上州経略における真田氏の組下とはいえ、独立した在地土豪層、信濃先方衆の一氏と考えてよい。

天正八年(西暦1580年)三月三十日、矢澤薩摩守(頼綱)宛、武田勝頼書状には、「眞田方へ之注進状、令被閲、抑至沼田(上野国)及断得大利之由、誠戰功無比類次第候、加勢等立遣わし候之間、弥属本意候之様、調略肝要至極候、毎時堅固之備専要候、安房守(眞田昌幸)も指返候之間、三日中可爲帰城候、其心得尤候、恐々謹言、」とあり、武田勝頼は、矢澤薩摩守に、上野国沼田における戦功を褒すると共に、加勢を立て遣わすの間、当地における毎時の堅固な備え等を専らとする事が肝要だと言っている。

天正九年(西暦1581年)二月十一日、矢澤薩摩守宛、武田勝頼感状には、「沼田城差⬜︎之刻、度々戦功、誠無比類候、彼表(沼田)本意併其方挊故候、仍太刀一腰之候、向後弥可被励忠節儀可爲肝要者也、仍如件、」とあり、武田勝頼は、矢澤薩摩守に、沼田における戦功を褒して太刀一腰を遣わしている。

天正十年(西暦1582年)壬午三月六日、矢薩(矢澤薩摩守)御宿所宛、眞安昌幸(眞田安房守昌幸)書状によれば、眞田昌幸は、矢沢薩摩守に、臼根(上野国)の四十貫文の所を残して其方の眼力を以て各々へ配当、御番御用に罷り立つ者共を召し集めるよう指図している。

天正十年七月廿六日、矢澤(頼綱)殿宛、陸奥守(北条氏照)奉之、北条氏政宛行状によれば、北条氏政は、矢澤頼綱に、証人(人質)を差し出した事を神妙に感じ、「信州奥郡(高井郡)川(千曲川)東於井上之内、千貫文」を宛行う事を約している。

天正十一年(西暦1583年)癸未六月十七日、矢澤薩摩守宛、(眞田)安房守昌幸宛行状には、「沼田在城申付候間、為城領貳百貫文進之候、先臼根之地相渡候、其他之所令糾明、急度可進之候、恐々謹言、」とあり、眞田昌幸は、矢澤薩摩守に、沼田在城を申し付け、城領として臼根の地、貳百貫文を相渡している。

上州チート技が最大級に炸裂したのは、天正十三年(西暦1585年)九月の事だ。大人数の北条勢を沼田城に籠城して打ち破り、真田氏の武名を一気に高める事に貢献した。徳川勢を上田城において退けさせ、沼田城において北条勢を防いだ事は、同氏の戦国大名化を成し遂げる上でのエポックメイキングな出来事だと言える。大勢力にも臆する事が無い小県郡の国人スピリットに感動しよう。

縄張は4郭で構成され、西側斜面には雛壇状に2〜3段の腰郭を各所に設けている。公園城とはいえ形状は良く残っている方だろう。後世に耕作地としての改変があり、後の公園化によるファジーな部分も当然あるが、主郭の北側部分の遺構の残存具合は謂わゆる山城そのものだ。腰郭の段を貫く長大な竪堀には誰でも感動する事間違い無し。

矢沢頼綱、頼康父子の活躍は、判官贔屓が多い真田ファンにとっては堪らない痛快事だ。皆さんもきっと大好きな事だろう。そんな矢沢氏の一要害、おいら今までガチに知らなかったんだけど、桜が城域内全体に咲き乱れる密かな花見の名所でもある。来年の春にでもなったら訪ねてみてくらさいな。

※あるアプリのSLGで矢沢頼綱を沼田城に置いておくとチート技が勝手に発動して暴れまくるぜ。セリフは「沼田は誰にも渡さん!!!」だ。

2020年12月29日 赤かぶ【リベンジ】


真田幸隆公の弟 矢沢綱頼公(綱頼は諱 本名は頼綱)の居城とされています。現在は矢沢城跡公園になっており、住宅地の裏山って感じです。近くには数台停められる駐車場もあります。

登城口から主郭直下の三峯社までは10分ほど周りには小さな祠と石積みが見られました。西側には上信越自動車道 東部湯の丸ICと上田ICの間にある上田ローマン橋を見る事が出来ます。

主郭から北側に進めと二の郭・三の郭へと続いて行きます。二の郭と三の郭の間の堀切からの竪堀は鮮明に残っていました♪三の郭と四の郭の堀切はかなり埋まっている感じです。訪れた時 登城路にたくさんの銀杏が落ちており匂いが凄かったです(笑)わりとお手軽に行ける城郭かと思います。

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