上生野の西堀
上生野の西堀([青柳城 周辺城郭])
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上生野の西堀の口コミ情報
2026年07月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
上生野の西堀は青柳城の西南西約11.3km、犀川東岸(右岸)、標高約517mの河岸段丘台地上平場に立地した居館です。
行き方は…リア攻めマップを参照して居館地を特定しよう。付近に目標となるものがありまてん…車は隣接する上生野地区公民館に捨てられる。
築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。単純に位置関係からすれば、中世に日岐郷の六村を知行したと伝わる仁科氏の分流、丸山氏に関係する屋敷であろうか。元禄十一年(西暦1689年)の「上生野村書上帳」に「堀内」とあるそうなので、中世から戦国時代にかけての何某かの居館地である事には間違いが無いようだ。
生野は戦国時代に丸山筑前守政友が居館した小立野を挟んで南北に上下に分かれており、該地の上生野は謂わゆる東川手の北限だ。南方の潮、犀川と潮沢川の合流点には「木戸」の小字が残っており、滋野姓会田氏と仁科氏との境目を想像させるが、この「木戸」に最も近い位置に占地されている仁科(丸山)氏に関係する犀川右岸地域の城館が上生野の西堀だ。
伊勢内宮御師、宇治久家が、天正九年(西暦1581年)に記した「信濃国道者之御祓くばり日記」の「いくの々(生野)分」には、二郎左衛門殿 茶三袋 同宗助殿 ちゃ三つ 同善兵衛殿 茶三つ 同市の助殿 茶二つ 与左衛門殿 ちゃ二つ 宮内助殿 茶二つ 与五衞門殿 茶二つ あらいとの 茶二つ 中村殿 茶二つ たけそう(竹惣)の内ぬいさへもん殿 ちゃ二つ 同所弥太郎殿 ちゃ二つ」とあり、生野には地侍クラスの武士、多数があった事が判るが、根本的にその姓さえ不明であり、上生野、下生野のどちらに住していたのかさえ判らず、居館の主を特定する手掛かりには到底成り得ない。
居館の現況は…畑地、空地、墓地、一般住宅とその敷地等となっている。該地には、「家ぞえ(添)」、「西堀」、「矢塚」等の小名が残っており、信濃のお城の神は、宮川家の墓所となっている「矢塚」の東側、「家ぞえ」の北側、約50m四方の範囲が屋敷地ではないかと言っている。城郭遺構が完全消滅しているために何とも言えないのだが、これに従うと武士の住まう場所としては少し手狭なように感じられる。ちなみに「西堀」の範囲内には屋号、「中屋」の宮川さん宅、「家ぞえ」の南側には屋号、「中村屋」の望月さん宅が建っている。
神は「西堀」の解釈の仕方についても疑問を呈しており、居館地の西辺にかつてあった堀なのか、東の方にあった別の居館地(つまりは東の堀の内…)に対しての西の堀の内なのかは判らないと言っている。個人的には「西堀」の範囲が堀としては広過ぎるように思われる事から後者を推したいが、それでは「東堀」は何処になるのか…といった別の疑問が湧いて来る。これを世間一般では沼と呼ぶのだろう、しっかりと調べ上げるのならはっきりとした地籍図が欲しいところだ。









