竹場城(鍋山城)
竹場城(鍋山城)([青柳城 周辺城郭])
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竹場城(鍋山城)の口コミ情報
2022年01月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
竹場城(鍋山城)は青柳城の西方約2.9km、麻績川南岸(左岸)、東条川西岸(左岸)、別所川東岸(右岸)、標高734mの鍋山山頂に主郭が存します。北麓の長野県道55号線、大町麻績インター千曲線からの比高は160m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。登城路は3ルートあるのですが、北麓の竹場秋葉社からのルートが最も楽だし早いでしょう。此処に至る令和元年の台風19号で流出した麻績川に掛かる小さな橋梁も現在復旧しています。
築城年代は不明ですが、築城者は青柳(麻績)氏で青柳城の支城の一つとして整備されたようです。城主として竹場源之丞定友の名が伝えられていますが、当主の青柳伊勢守頼長(子の清庵は真田昌幸、後に信繁に仕えて大坂夏の陣で討死…)が天正壬午の乱の際に松本城において小笠原貞慶に誘殺(頼長は従属しながらも貞慶を快く思わず、諏訪大社上社副祝に依頼して貞慶を呪詛していた。)されると本城と共に落城、廃城となったようです。山麓には松本と善光寺平を結ぶ北国西脇往還が走り、江戸時代に入ると青柳の地には宿場が設けられていました。青柳宿はすっかり廃れましたが、現在は道の駅さかきたが整備されていたりしますね。
お城の現況は見る人によって評価の分かれるところなんですが、誰が何と言おうと自分は高評価です。主郭から三方へ尾根が延び、合間に郭を挟みながら堀切や竪堀で尾根筋をぶった斬っています(縄張図は実に期待させてくれる…)が、堀切が浅めでファジーな印象を受けるのが評価の分かれ目なんでしょう。又、縄張図外の箇所(登城路も含めて。)に自然地形とはとても考えられない削平地やぽこぽこが残ってたり(虎口っぽい岩場まである。)して大変悩ましい…沢跡か地滑り跡とは思うんですが、畝状集合竪堀にしか見えない地形なんかも確認出来ます。
お山は留山です。山主は知らなかったとは言わせないとばかりに守りを密にしています(罰金は平均的な三十万円、鈴が付いてたよ…)のでシーズン中は無理(藪も多いです。)でしょう。が、城友さんが言うように山城好きには発見が多いお城です。素晴らし過ぎる青柳城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。