牧之島城(まきのしまじょう)

牧之島城の基本情報

通称・別名

牧ノ島城、琵琶城、(牧城)

所在地

長野県長野市信州新町牧之島

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

香坂氏(牧城)

築城年

鎌倉時代(牧城)

主な改修者

馬場信春

主な城主

香坂氏(牧城)、馬場氏、芋川氏

廃城年

元和2年(1616)

遺構

曲輪、土塁、三日月堀

指定文化財

県史跡(牧ノ島城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

松田家館(長野県千曲市)[10.4km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[11.2km]
屋代城(長野県千曲市)[12.2km]
吉窪城(長野県長野市)[13.2km]
横田城(長野県長野市)[13.3km]
仁科城(長野県大町市)[14.4km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[14.9km]
荒砥城(長野県千曲市)[15.3km]
福平城(長野県長野市)[15.5km]
松代城(長野県長野市)[17.6km]

牧之島城の解説文



牧之島城(まきのしまじょう)は、長野県長野市信州新町牧野島にあった日本の城。以前は牧城(まきじょう)という城であった。長野県指定史跡[1]

牧城概要 

築城年は不明で、鎌倉時代にこの地を領した香坂氏により築城された。香坂氏六代目の香坂心覚や越後の上杉兵庫助(上杉氏)が建武3年(1336年)に南朝(北条残党)方として中先代の乱で挙兵し、村上氏や高梨氏など北信濃の北朝方と1月と6月に激しく争った。

戦国時代の当主香坂宗重は武田信玄に臣従(無血開城)し、弘治2年(1556年)に信玄の命により埴科郡に移り、代わって馬場信春が牧城に入城した。

牧之島城概要 

牧之島城は、永禄9年(1566年)もしくは永禄4年(1561年)武田信玄が牧城の一部に、牧之島城を馬場信春に築かせ城代とした。天正3年(1575年)5月21日に信春が長篠の戦いで戦死した後は、信春の子の馬場昌房(民部少輔)が城代を引き継ぎ、上尾城主平林正恒も武田勝頼の命で在城した。

天正10年(1582年)2月の織田氏の信濃侵攻では昌房は深志城(長野県松本市)において織田長益に城を明け渡しており、後に織田氏により処刑されたとも、戦死したとも伝えられる。武田氏が滅亡し同年6月の本能寺の変後に発生した天正壬午の乱では越後国の上杉景勝支配下の属城になり、深志城の小笠原貞慶に対抗するため7月26日に芋川親正が城主となった。そして、慶長3年(1598年)景勝の会津移封後は、海津城主田丸直昌・森忠政、松平忠輝らの属城となった。

元和2年(1616年)、忠輝が改易されると共に牧之島城も廃城になった。

現在の牧之島城 

堀跡、土塁跡とともに残された千人枡形(隠れ枡形)や三日月堀、丸馬出しなど甲州流築城術の特徴を現在に伝えている。付近には小規模ながら町並みがあり近世大名の城下町の原初の姿が示されているとされる。

1966年(昭和41年)県史跡の指定を受け、その10年後に公園として大規模に整備された。

また、普光寺の前には牧城跡の石碑が残り、香坂氏の居館跡であったことを伝えている。

参考文献 

  • 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年
  • 宮坂武男 著『図説 日本の城郭シリーズ③ 宮坂武男と歩く戦国信濃の城郭』 戒光祥出版 2016年
  • 平山優 著 『天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史 増補改訂版』 戒光祥出版 2015年

牧之島城の口コミ情報

2022年01月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
城ノ入城[牧之島城  周辺城郭]



城ノ入城(じょうのいりじょう)は牧之島城の東南約5.7km、北西へ延びる山塊尾根上、標高818mのピークの一つに主郭が存します。北麓の聖川からの比高は250m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは北麓からで、林道がお城の存する北西尾根直下まで延びています。自分は林道の分岐を間違えて進み過ぎ主郭から北東へ延びる尾根直下に辿り着いてしまい、結局この尾根筋から主郭にダイレクトインしました。途中で倒木が折り重なる急崖の細尾根にぶつかり進退極まるかと思いましたが無理矢理突破、元日に美少年が何やってるのかって感じです。

築城年代、築城者は不明です。この地域は戦国時代に和田城を本拠とした田口越前守の領分で、これに関係する要害城との見方が出来るようです。越前守は牧之島城城代、馬場美濃守信春の与力の一人と考えられ、引き続き牧之島城の支城の一つとして利用が続けられたと推測されています。

お城は大変素晴らしい。やや広めな大手筋の尾根に郭と段郭を連ね、郭間や要所を堀切でぶった斬り、主郭は低いですが土塁付きで南側山側背後の細尾根を三重堀切としています。信濃の山城の典型とも言える縄張ですが、やっぱり自分はこれが好きなんだなぁ…他地方と見比べたら貧乏極まりないですけど…又、堀切を越えて更に標高約863mのピークまで登り詰めると物見郭の様な郭に至ります。此処からは三方に尾根が分岐しますが、その内の一つには立派な堀切+竪堀が…その先は犬戻りの登る岩場の断崖となり城域は終わります。この断崖の先を確認したかったけど自己確保の装備が無かったので流石に諦めましたわ…

信濃のお城の神は神本(信濃の山城と館2、更埴・長野編)に精緻な縄張図を掲載しています。が、南端部分に現地と相違が見られます。標高約863mの郭は縄張図に含まれず、犬戻りの細尾根の位置も違っています。神でも間違いを犯す事があるのでしょう、自分が尾根筋を度々間違えるのも当たり前って事です。

※積雪は20cm弱位(苦労するかと思ったらパウダースノーで逆に快適だった。これ以上は知らん。)、写真はそれを差し引いて心眼で見て下さい。Googleマップでは城友さんが雪の無い時期の写真をアップしています。

2021年07月24日 赤かぶ【】
古山城[牧之島城  周辺城郭]



古山城は小川村にある山城で別名「布留山城」・「小川城」とも呼ばれています。
Googleマップで古山城と検索すると出て来ます。道路は舗装されていますが、狭い山道を上がって行きますので運転は気を付けて下さい!古山神社天満宮の前の道に庚申塔・二十三夜塔と一緒にお城の案内板があります!近くの路肩には1~2台車を止める事が出来ます。お城はまず古山神社天満宮を目指して下さい!道路から階段を上り坂道を登って行きます、途中配水池などを横目にひたすら進んで行くと階段を経て古山神社天満宮に付きます。

天満宮の西側(向かって左側)から城域に入って行きます。しばらく行くと腰曲輪・切岸が見えてきます。夏の時期 腰曲輪は藪に埋め尽くされてる‪w切岸の階段から坂道を登って行きますと主郭に到着です♪主郭には祠が祀ってあります。

主郭の西側には2重堀切♬︎2重堀切のさらに西が二の郭になります!二の郭の北側には高さ1~2mの土塁がドデーンと♪2重堀切がとても印象的なお城でした小川村はおやきも名物です☀︎

① 庚申塔・二十三夜塔とお城の案内板
② 登城口
③ 古山神社天満宮
④ 腰曲輪と切岸
⑤ 主郭西側 2重堀切
⑥ 二の郭土塁
⑦ 主郭

2021年05月24日 しげしげ右馬頭信繁
牧之島城



長野県信州下市場の犀川の湾曲した流れを上手く利用した城です。
国道19号から500m程入って行くと城址で、通り過ぎて直ぐに駐車場があります。
駐車場から城址に直接行ける木製の橋は破損して渡れません。
土塁の上に馬場信房公之城跡の碑がひっそりと立ってます。

2021年05月05日 mootze
牧之島城

駐車場に、ある丸馬出し、三日月堀は、戦国期、二の丸、本丸は、その後、リフォームして、作られた、感じです

2014年11月06日 【隠者】史学会帰新参
牧之島城

丸馬出が駐車場になっている。本丸、二の丸の曲輪と曲輪間の空堀、水堀、丸馬出と馬出外側の三日月掘よく残る。
本丸は南側以外の三方向土塁に囲まれている。東と北側の二箇所に枡形が残っている。本丸西側に幅の広い空掘が残っている。

現在の城跡は遺構がよく残っているが、松代藩写の牧之島城古図によると、馬出は今もある馬出のすぐ北側もう1つ馬出があり、さらに馬出の外側、城の東側が大手口にあたり堀と枡形があったみたいである。

牧之島城の周辺スポット情報

 立屋城(周辺城郭)

 古山城(周辺城郭)

 城ノ入城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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