仁科城(にしなじょう)

仁科城の基本情報

通称・別名

森城、山田城

所在地

長野県大町市森(仁科神社)

旧国名

信濃国

分類・構造

水城

天守構造

築城主

仁科氏

築城年

古代?

主な改修者

主な城主

仁科氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡

再建造物

周辺の城

千見城(長野県大町市)[9.6km]
牧之島城(長野県長野市)[14.4km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[20.4km]
小岩嶽城(長野県安曇野市)[21.2km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[21.7km]

仁科城の解説文

森城(もりじょう)は、長野県大町市に存在した平城。

概要
木崎湖畔に位置し、城の北部と東部を湖、西部を沼地に囲まれた半島状の地形を利用した城である。木崎湖の北岸に仁科氏の祖先と言われる阿倍氏に因んだ地名が存在することなどから、築城時期は古代にまで遡るとの説もあるが詳細は不明である。

平安時代後期には仁科氏が安曇郡一帯の国人領主となり、大町周辺の荘園「仁科荘」や「仁科御厨」を支配していたが、市内の舘之内に舘を築くと、この城は後詰めの城としての役割を果たした。さらに鎌倉時代には天正寺館に移り、大町市街地の原型となる市場町を形成した。

戦国時代に入り仁科盛政が甲斐国の武田信玄に討たれたことにより仁科氏の正統は途絶え、信玄は五男である盛信に仁科氏の名跡を継がせた。信玄は越後国の上杉謙信に対する軍事上の重要拠点としてこの城を見做して盛信を配置し、城郭を改修させた。1582年の武田氏滅亡後に、この地を治めた小笠原貞慶も上杉景勝に対する軍事上の拠点と見做して派兵したと記録されている(廃城の時期は不明)。

本丸跡には仁科氏や、明治時代以降の戦没者を祭る仁科神社が営まれており、境内の一画には1221年(承久3年)の承久の乱の際に朝廷側に付き鎌倉幕府軍と戦った仁科盛遠の顕彰碑や古い塚などが残されている。また城の北端にある本丸から一段低い土地には安倍神社があり、仁科氏の祖先とされ大和時代からの古代氏族である阿倍氏が祭られている。一説によると平安時代後期の前九年の役を戦った安倍貞任、安倍宗任の親子が祭られているとも伝えられるが、怠りであるとの指摘もある。

仁科城の口コミ情報

【鉄騎兵】右衛門督かげちゃん様[2016年08月18日]
仁科城の支城の西山城ですが、大町市から安曇野市(穂高町?)に行く広域農道沿いにあり、観光農園のそばに5台くらい止めれる駐車場があります。ただ、駐車場から出る時、見通しが悪くて特に安曇野市方面から来る車が見えなくカーブミラーも無いので細心の注意が必要です。

赤いRVR弾正大弼@松本様[2012年03月03日]
かつては木崎湖に突き出た半島に占地されていたようだが、西側は干拓されて水田になっている。本丸は先端部で、阿部神社の境内となっている。神社手前の道は、堀切の底部、その他にも、堀切、土塁といった遺構を見ることができる。周辺は民宿街。

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