仁科城(にしなじょう)

仁科城の基本情報

通称・別名

森城、山田城

所在地

長野県大町市森

旧国名

信濃国

分類・構造

水城

天守構造

築城主

仁科氏

築城年

古代?

主な改修者

主な城主

仁科氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡

再建造物

説明板

周辺の城

牧之島城(長野県長野市)[14.4km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[20.4km]
小岩嶽城(長野県安曇野市)[21.2km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[21.7km]
松田家館(長野県千曲市)[23.7km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[25.1km]
福平城(長野県長野市)[25.7km]
屋代城(長野県千曲市)[26.2km]
吉窪城(長野県長野市)[26.9km]
荒砥城(長野県千曲市)[27.6km]

仁科城の解説文



森城(もりじょう)は、長野県大町市にあった日本の城(平山城[1]

概要 

木崎湖畔に位置し、城の北部と東部を湖、西部を沼地に囲まれた半島状の地形を利用した城である。木崎湖の北岸に仁科氏の祖先と言われる阿倍氏に因んだ地名が存在することなどから、築城時期は古代にまで遡るとの説もあるが詳細は不明である。

平安時代後期には仁科氏が安曇郡一帯の国人領主となり、大町周辺の荘園「仁科荘」や伊勢神宮領の「仁科御厨」を支配していたが、市内の舘之内に舘を築くと、この城は後詰めの城としての役割を果たした。さらに鎌倉時代には天正寺館に移り、大町市街地の原型となる市場町を形成した。承久の乱で仁科盛遠が没落すると、阿部氏の居城となったが、1233年、鎌倉幕府の命を受けた木曾義仲の次男木曾義重が森城を攻め、城主の阿倍貞高(五郎丸)を追放した。

戦国時代に入り仁科盛政が甲斐国の武田信玄に討たれたことにより仁科氏の正統は途絶え、信玄は五男である盛信に仁科氏の名跡を継がせた。信玄は越後国の上杉謙信に対する軍事上の重要拠点としてこの城を見做して盛信を配置し、城郭を改修させた。1582年の武田氏滅亡後の天正壬午の乱に際して、この地を治めた小笠原貞慶も上杉景勝に対する軍事上の拠点と見做して派兵したと記録されている(廃城の時期は不明)。

本丸跡には仁科氏や、明治時代以降の戦没者を祭る仁科神社が大正時代に創建されており、境内の一画には仁科盛遠の顕彰碑や古い塚などが残されている。また城の北端にある本丸から一段低い土地には阿部神社(安部神社)があり、仁科氏の祖先とされ大和時代からの古代氏族である阿倍氏が祭られている。一説によると平安時代後期の前九年の役を戦った安倍貞任、安倍宗任の親子が祭られているとも伝えられるが、怠りであるとの指摘もある。

参考文献 

  • 南原公平 著『信州の城と古城』 しなのき書房 2009年
  • 山下孝司「森城」(丸島和洋編『武田信玄の子供たち』宮帯出版社、2022年)

仁科城の口コミ情報

2023年08月21日 仁科弾正少弼
館之内館[仁科城  周辺城郭]

鎌倉時代初期までの仁科氏居館跡です。天正寺の居館に移るまでの仁科氏の本拠です。

仁科御厨支配のための好立地に位置しています。西側は高瀬川河岸段丘、東側は本城の北城南城が控え、街道(後の千国街道)を抑えています。

居館は綺麗な方形居館ではなく、自然地形を活かした変則的な形をしています。現在館之内公民館が建っている場所は高見と言う小字ゆえに、物見台があったとされ、本郭はその東側とされていますが、個人的には異議があります。

2023年08月20日 仁科弾正少弼
天正寺仁科館[仁科城  周辺城郭]

鎌倉時代から戦国時代までの仁科氏居館跡です。この居館を中心にして東側に城下町を造り、それが現在の大町市街です。仁科盛信が高遠城で討ち死にし、その後小笠原貞慶に仁科の地が蹂躙されるに及び、天正年間に仁科氏旧臣が居館跡に寺を建立し、天正寺と称しました。

2023年08月15日 泰遠江守
仁科城



クルマで場内まで入れます。木崎湖の畔にある景色が綺麗な所でした。

2023年07月13日 仁科弾正少弼
木舟城[仁科城  周辺城郭]

地元民です。この城は山下地区の小字である木舟地区(貴船神社を仁科氏が建てたことからつけられた地名)にその一部があることから木舟城と最近になって便宜上つけられていますが、個人的には大反対です。地元では誰も木舟城などとは呼びません。「南城・北城」とか「本城」「仁科城」などと呼びます。仁科御厨と仁科荘支配の本拠地の館の内の居館の詰めの城として相当な規模の城ですから、‘’木舟城〝などと矮小化して欲しくないです。

2021年08月18日 ライノ左近衛中将
仁科城



信濃木崎駅と稲尾駅、どちらからも歩けます。稲尾駅の方が遠いですが、木崎湖をめぐって歩けるので、お勧めです。
現在は、静かな神社になっています。

2021年02月28日 竹下半兵衛(^^)/
木舟城[仁科城  周辺城郭]



標高927m、比高約200m。
思わず「コリャスゲー( ⊙⊙)!!」と声が出てしまった。
ここの大堀切を見れば誰もがめんたま飛び出るでしょう♪

南城、北城と分かれて、さらに奥の標高970mまで行くと青木城まであるという巨大城郭です。
遺構は...行った人はわかるでしょうが、今まで縄張図しか見てなかったことを後悔したくらいです(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾

案内板は麓に仁科居館跡はありますが、山城にはありませんでした(2021`2月現在)
車は山下集落センター(いわゆる公民館)に止めました。
登城口はいくつもあるみたいです。
自分は常福寺北側から尾根によじ登り、2本南の尾根から下りました。

1日かけて歩き回りたいとこですよ~♡
♪ヽ(´▽`)/

2020年12月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
丹生子城[仁科城  周辺城郭]



丹生子(にゅうのみ)城は仁科城(森城)の南東約8.9km、標高848mの山塊山頂に主郭が存します。西麓からの比高は130m位でしょか。振り仮名とか付けさせて頂きましたが、現地に赴くまでは「たんしょうし」と読んでました。

丹生子城は鎌倉時代からこの地に大きな勢力を保った仁科氏領分のお城ですが、築城年代、築城者は不明です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているので西麓にある市道まで行きましょう。此処で周囲を見渡すと大町ふれあいバスの丹生子バス停を見つける事が出来ると思います。このバス停の裏手に墓地へ入る道が付いてますのでこれを進みます。が、途中で道が消えるので向かって右手に見える尾根に登りましょう。後は気合を入れて尾根筋を直登するだけです。結構急坂ですが比高はそんなに無いし辛くなったら尾根筋を外して適当に登っても城域に入ります。自分は通称3郭の西側に出て縄張図に入った事を確認出来ました。

お城は素晴らしいです。概ね3つの郭で構成されていますが、通称3郭周囲には帯郭や段郭が多数付き、通称2郭の北側には横堀状に二重の堀切+竪堀が付いて通称3郭を隔てています。又、この竪堀に並走する形で西側へ落ちる2条の竪堀も見られ、郭間の守りを一層厳重にしていたりもします。主郭には削れてますが土塁が付き、虎口も薄っすら確認出来ます。切岸には崩落石が散見される事から往時は土留めの石積があったかもしれません。そして主郭の東側山側背後は四重堀切、その中の3条には竪堀が付いてます。特筆すべきは主郭の北東側に短いですが4条の畝状竪堀があって四重堀切の竪堀と並走している感じですかね、単純に格好よいです。この辺りはぼっこぼこ、密度濃いです。

このお城、歴史的には村上義清に攻められそうになった事があるぐらいですが。仁科氏は桓武平氏の流れを汲む名門、大塔合戦では守護方をぼこり、塩尻峠の戦いではいち早く戦場を離脱して小笠原勢大敗の端緒となりました。後には信玄の信濃の名族懐柔策の一つとして五男の盛信が養子に入った事で有名ですね。信長の甲州征伐で唯一人名族の意地を高遠城で見せつけた仁科五郎盛信、リア攻め後に散らつく粉雪の中、北アルプスを眺めながらねぎ味噌おやきを頬張りつつ思わずこんな感慨に耽ってしまいました。

2020年10月31日 竹下半兵衛(^^)/
仁科城



猿ヶ城
標高1200m、比高約400m。

仁科城の北側の山にある狼煙台&見張の城。
猿とか鬼とか名前のつくトコって 登るのシンドイけど、ここは車で搦め手から行けた。
狼煙台は標高1290mで眺めバッッツグーン(^o^ゞ♪
遺構は連続堀切からの竪堀、段曲輪などなどナカナカの造り♬
案内板があって、途中の急な岩場はロープ張ってある親切な整備
(^-^ゞ
2020`10/31には葉っぱオレンジ色に染まってて歩くのが楽しかった🍁♪
まだら紅葉な遠景もカメラマンが何人かいる...

っって後ろの雪景色な白馬岳を撮ってたんかーい
( ̄▽ ̄;)
自分だけ反対方向撮ってるし...



2016年08月18日 かげちゃん参號
仁科城

仁科城の支城の西山城ですが、大町市から安曇野市(穂高町?)に行く広域農道沿いにあり、観光農園のそばに5台くらい止めれる駐車場があります。ただ、駐車場から出る時、見通しが悪くて特に安曇野市方面から来る車が見えなくカーブミラーも無いので細心の注意が必要です。

2012年03月03日 赤いRVR甲斐守@松本
仁科城

かつては木崎湖に突き出た半島に占地されていたようだが、西側は干拓されて水田になっている。本丸は先端部で、阿部神社の境内となっている。神社手前の道は、堀切の底部、その他にも、堀切、土塁といった遺構を見ることができる。周辺は民宿街。

仁科城の周辺スポット情報

 遺構(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 関所跡(遺構・復元物)

 仁科城跡附近見取図(碑・説明板)

 丹生子城(周辺城郭)

 木舟城(周辺城郭)

 天正寺仁科館(周辺城郭)

 青龍寺館(周辺城郭)

 牛立館(丑館)(周辺城郭)

 館之内館(周辺城郭)

 城の峰城(曽根原城)(周辺城郭)

 松崎古城(周辺城郭)

 南原城(周辺城郭)

 大念寺居館(周辺城郭)

 二重城(周辺城郭)

 大塩城(周辺城郭)

 藤城(周辺城郭)

 千見城(周辺城郭)

 仏崎城(周辺城郭)

 小屋場城(周辺城郭)

 城峰山城(周辺城郭)

 鳥立城(周辺城郭)

 雷電城(周辺城郭)

 塔城(周辺城郭)

 左右前山城(周辺城郭)

 向山城(周辺城郭)

 須沼氏居館(周辺城郭)

 大野田城(周辺城郭)

 切明城(周辺城郭)

 白鷺城(周辺城郭)

 佐野城(周辺城郭)

 佐野坂上城(周辺城郭)

 迎場城(周辺城郭)

 駒沢城(周辺城郭)

 飯綱城(周辺城郭)

 清水城(周辺城郭)

 左右前山城(周辺城郭)

 左右秋葉山砦(周辺城郭)

 鳥立城(周辺城郭)

 小屋場城(古屋場城)(周辺城郭)

 佐野坂上城(周辺城郭)

 佐野城(城平)(周辺城郭)

 内山ケイト山物見(周辺城郭)

 青木城(周辺城郭)

 清水城(周辺城郭)

 大崎城(長畑城)(周辺城郭)

 飯綱城(周辺城郭)

 猿ヶ城(周辺城郭)

 横瀬館(周辺城郭)

 横瀬荒神山城(周辺城郭)

 城峰山城(周辺城郭)

 一ノ瀬山物見(周辺城郭)

 医王谷飯縄山城(周辺城郭)

 小菅山館(周辺城郭)

 鹿籠大峰山狼煙台(周辺城郭)

 さすなみ峰狼煙台(周辺城郭)

 辺尾山砦(周辺城郭)

 切明城物見(周辺城郭)

 若栗山城(いさた城)(周辺城郭)

 大野田城(大ぬた城)(周辺城郭)

 白鷺城(周辺城郭)

 切明日向物見(周辺城郭)

 二重南山城(周辺城郭)

 殿村居館(周辺城郭)

 宮村城ヶ峰(周辺城郭)

 松合物見(周辺城郭)

 でんぎょう山物見(周辺城郭)

 白石物見(周辺城郭)

 高地城(篠山城・城が峰)(周辺城郭)

 猫ん城(周辺城郭)

 大豆石物見(周辺城郭)

 有峠の物見(周辺城郭)

 大藤の城山(藤城)(周辺城郭)

 向山物見(周辺城郭)

 小藤の峯物見(周辺城郭)

 由久保物見(周辺城郭)

 千見城(矢張城)(周辺城郭)

 矢久砦(周辺城郭)

 城の館物見(周辺城郭)

 一宇田秋葉社物見(周辺城郭)

 塩ノ川物見(周辺城郭)

 石原城ヶ峯(石原城)(周辺城郭)

 峠山物見(周辺城郭)

 仁科神社(本丸)(寺社・史跡)

 竈神社(寺社・史跡)

 若一王子神社(寺社・史跡)

 霊松寺(寺社・史跡)

 竈神社(寺社・史跡)

 大澤寺跡(寺社・史跡)

 青木城 木舟城入口(その他)

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