丹生子城
丹生子城([仁科城 周辺城郭])
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丹生子城の口コミ情報
2024年12月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、海外でも「UNE-TATE」として大人気の畝状竪堀、おいらの大好物とはいえ、信濃では結構レアな部類に入る城郭遺構だ。感覚としては緩斜面上に設けられる事が多いと思うんだけど、元々が急峻な尾根筋に築かれる事が多い信濃の要害には不要なものだと考える。そんな信濃のレア遺構が確認出来るのが今回紹介する丹生子城、再訪したんで以前の口コミを潔く削除して新たに作成し直した。
丹生子城(にゅうのみじょう)は仁科城の南南東約8.3km、高瀬川東岸(左岸)、農具川東岸(左岸)、標高848mの山稜山頂部を中心に立地する要害です。西麓の大町ふれあいバス、丹生子バス停からの比高は135m位でしょか。ちなみにおいらは「たんしょうしじょう」と読んでいた。間違えていた事を恥じちゃいない。こんなん誰も読めんやろ…
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。お山への取り付きは前述の丹生子バス停からとなり、このバス停裏側の墓地へ通じる尾根間鞍部の道を登り詰める。が、道は大して比高を稼ぐ事も無く消失、後は適当直登する事になる。眼前の斜面でも右手に見える尾根筋でも構わない。急登だが何も考えなくても確実に城域の何処かにはぶち当たる。車の捨て場所は己れの持つ器量でなんとかしよう。
築城年代は不明、築城者を仁科氏の一族、丹生子筑後守とするものがある。何れにせよ、中世〜戦国時代初頭にかけての仁科氏、もしくはその一族、被官衆の普請であった事に間違いは無いだろう。地形模型図を見ると、丹生子城後背の尾根筋をそのまま進めば、同じ仁科城のリア攻めマップにある、仁科氏の本城にして要害であった木舟城の支城、青木城に至る事が出来る。絶対やらんけど。
城歴としては、「高白斎記」、天文二十年(西暦1551年)十月廿四日の条に、「十月大、朔日乙卯、節、十四日(村上)義清動丹生子、被押落之由注進、…」とあるのみ。村上義清の行動は安曇郡へ勢力を伸長させる武田氏への牽制の意味合いを持つものなんだろう。
お城は大変素晴らしい。縄張は概ね3郭で構成されている。縄張図における通称3郭には帯郭状の腰郭や小郭が多段に設けられ、東側山側背後には横堀状に二重の堀切+竪堀が付いて通称2郭とを隔てている。又、この竪堀に並走する形で南西側斜面へ落ちる2条の竪堀も見られ、郭間の守りを一層堅固にしていたりもする。主郭には削れているが土塁が付き、桝形虎口も薄っすらと確認出来る…ような気がする。切岸には崩落石が散見される事から往時は土留めの石積みでも付いていたかもしれない。主郭の東側山側背後には四連続堀切、その内の3条には竪堀による落とし込みが見られる。特筆すべきは主郭の下段、北東側緩斜面上に短いとはいえ3条の明確な目的を持った畝状竪堀が残っている事、四連続堀切の竪堀と並走しており単純にかっちょよい。この辺りはぼっこぼこ、遺構の密度特濃すわ…
…勢い余って城域を過ぎてずんずん半弧を描く様に尾根筋を進んで行くと、頂部が削平された感もある小高い小ピークにぶち当たる。完全に縄張の外となるが狼煙や物見の場であろうか。此処からは木舟城がよく見える。
大町市て山城に非常に理解のある行政主体なんだけど、やっぱし信濃の名族、仁科氏のお膝元である誇りと、最近になって俄然注目を浴びるようになってきた巨大山城、木舟城を盛り上げようと奮闘する地元有志達の影響力が関係しているんだと思う。仁科氏の城砦群は木舟城以外にも素敵なものが沢山あるんで是非訪ねてみてくらさいな。最後に…お城の説明が長くなってしまったけど、大町市のホームページから引用して丹生子城を再レビューしてみよう。
「市内で一番技巧的な城 見どころ:四重堀切、二重堀切、畝状空堀(竪堀)、桝形虎口(分かりにくくて微妙)」
…実に理解し易いし、おまけに正直だ。
※萌えポイントとしては主郭の西側切岸に付く二段の小郭、無い方が守れるような気がするけど…
※西麓を南北に走る舗装道路は、律令制下における千国大道の道筋とほぼ同一であったと推測されている。三筋が存在した近世の千国街道(通称は「塩の道」である。)の内、最も東側の山際を通る道筋でもあり、かつては仁科街道とも呼ばれていた。
※写真⑧は畝状竪堀…畝竪は見るもんじゃないんだぜ、感じるもんなんだよ…