駒沢城
駒沢城([仁科城 周辺城郭])
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駒沢城の口コミ情報
2024年12月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
駒沢城は仁科城の西南西約2.2km、鹿島川東岸(左岸)、標高1302.7mの小熊山の前衛山塊の一つ、標高約932mの山陵山頂部を中心に立地する要害です。南麓のランテラス信濃大町からの比高は100m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。東麓の曹洞宗の寺院、神龍山大澤寺の奥の院、大雄殿の駐車場に車が捨てられる。お山への取り付きも此処からだ。
築城年代、築城者は不明だが、中世〜戦国時代初頭にかけての仁科氏、もしくはその一族、被官衆等の普請であった事に間違いは無いだろう。平城である仁科城に付随する狼煙台や物見台の類いとも言えそうだが、普請はしっかりとしていてこれだけには留まらないものだと考える。
前述した大雄殿から適当に登る。人が入るお山ではあるので途中までは土留めの階段とか付いていて安心…とか思ってたら崖地の崩落跡を境に道は消滅、行程の大部分は踏み跡を辿る事になった。登る比高は大した事ないけど全て急登、軽く考えていたんで余計に辛いや…ちなみに何処を登ってたんだか今でも皆目見当が付かない。たぶん南尾根だと思うんだけど…南麓から見ると殆ど独立山稜なんで頑張れば自然と山頂には辿り着く。
お城は期待していなかったんだけど、やっぱし訪ねてみなけりゃ判らないもんだ。縄張図を見比べて自宅でうだうだしてるんなら登ろうぜ。狭小な尾根上を南北に、コンパクトに縄張が展開する。廃城からそのまま時を経た様な趣きもある。深雪地帯故か腰郭等のエッジもある程度は立っており、城域を見通した時の輪郭にも優れている。ちなみに信濃のお城の神が描いた縄張図には不足があるように思う。縄張図における通称2郭の西側下段には立派な腰郭が付いていると思うのだが…この腰郭の北側山側背後をカバーする竪土塁も無視されているのには何か理由でもあるんだろうか。もしかしたら単なる崩落跡と判断されたのかもしれない。
駒沢城の南西方には大町温泉郷が位置し、立山黒部アルペンルートの長野県側の入口となっている。谷筋を進んで飛騨山脈を越えれば少なくとも直線距離においては富山県富山市に最短で至る事が出来る。
…戦国時代、厳冬期にこのアルペンルートに殆ど準ずる道筋で越中から信濃へ抜けた阿保がいるかもしれない。そう、天正十二年(西暦1584年)の「小牧・長久手の戦い」以降、家康に再起を促すべく自ら説得に赴いた佐々成政だ。「さらさら越え」として特に後世、脚色されて有名となったが越中から信濃入りの経路については諸説ある。豪雪の飛騨山脈越えなんてもう殆どアルピニストの所業なんだけど真相自体は闇の中のままだ。
お城の展望は木々に遮られて現在は一方向にしか開けていないとはいえ高瀬川の流域一帯を丸ごと眼下に収めており、仁科氏の城砦群の中では最も優れていた事だろう。…ひょとしたら成政の信濃入りを最初に見留めた小笠原氏の公的機関はこの駒沢城だったのかもしれない…山上でそんな妄想に耽るのもぷち浪漫があっていいんじゃないすかね。
※「さらさら越え」として特に後世、脚色されて有名となったが越中から信濃入りの経路については諸説ある〜現在では飛騨から安房峠(飛騨攻めに赴く山県昌景勢も越えた筈だ。)を越えたとする説が有力視されている。個人的には成政には何としてでも立山連峰を越えさせたいけど…
※安房峠越えでも現在の上高地付近を通過する事になる。何れにせよ阿保にしか出来ない芸当だ。