木舟城
木舟城([仁科城 周辺城郭])
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木舟城の口コミ情報
2024年05月20日 【配龍】美海(ミミ)安房守
2024年5月、木舟城研究会主催、余湖先生が講師のお城見学会に参加しました♬
木舟城は南城、北城の2つの城域から成る信濃有数の巨大城郭✨
歴史的な詳しい事があまりわかってないお城ですが、山城好き垂涎の遺構が残存している為に、余湖先生6000城目に選出されたお城です♬
古い時代に仁科氏の詰め城であったと資料が残ってるのですが、その後に拡張、改修したのは、誰が?何の為に?行なったかは謎なようです。
戦国後期の、竪堀と堀切を組み合わせた技巧的な縄張や、かなりの大軍を置ける巨大な郭(しかも城外からは見えない位置)など、戦国後期に相当な勢力が拡張、改修したのが容易に想像できますよね♬
少なくとも、一国衆レベルのお城ではない事はひと目見てわかると思います(^-^)
また、北城と主郭の中間の削平が未完成な可能性が高く、何らかの理由で工事を中断したようにも見えます…
これらを考えると…妄想は膨らみますよね〜🤭
その巨大勢力は誰か?の説としては…
1.武田氏滅亡の折、仁科氏が勝頼の為に拡張した。武田氏滅亡の為に工事は中止。
2.本能寺の変の後の天正壬午の乱で、この地域は上杉と小笠原(徳川)の激しい攻防があった為に、上杉氏、又は徳川氏が拡張した。その後和睦で工事は途中破棄。
などの可能性が考えられるではないか?とのワクワクなお話しもありました♬
木舟城は、謎を妄想するのも楽しいですが、純粋に遺構も楽しめます♬
『おてんじょう』の東側の土塁はそびえ立つように高く、登りたい衝動に駆られます//
また主郭背後の大堀切も、往時はガチ無理ゲーであった事が容易に推測されます(写真③で人が写り込んでるので堀切の高さ大きさがわかると思います)
その堀切を迂回する道は、上から前からずっと狙われて続ける…という、寄手にとっては悪魔の縄張りです。
見学会の参加者が51名と大勢だった為に写真があまり良いのが無いですが、ぜひ実際に訪城して歩いてみてくださいね♬
現在、整備状況は良く、快適に巡れます♡
登城口は幾つかあるようですが、常福寺北側の林道の登城口をリア攻めマップに登録しました!
横に説明板と縄張図が設置してあります。
その林道を登り南城側に行くと、堀切から東側に小段郭が続いていますが、尾根を逆の西側に行くと直ぐに、細尾根を更に細く削った高低差ある凄い土橋があり、個人的にはそこも是非見て頂きたい遺構です♬
ここ2-3年かけて全体的に整備をし、案内板や縄張図を各所に設置したそうで、林道も綺麗に整備されてました。
すごいお城なので、ぜひ皆様に見て欲しいと研究会の方が話されてました(^-^)
また、お城の歴史について新たな説や資料がある場合は、木舟城研究会に是非知らせてくださいとの事でした(๑˃̵ᴗ˂̵)
2023年07月13日 仁科弾正少弼
地元民です。この城は山下地区の小字である木舟地区(貴船神社を仁科氏が建てたことからつけられた地名)にその一部があることから木舟城と最近になって便宜上つけられていますが、個人的には大反対です。地元では誰も木舟城などとは呼びません。「南城・北城」とか「本城」「仁科城」などと呼びます。仁科御厨と仁科荘支配の本拠地の館の内の居館の詰めの城として相当な規模の城ですから、‘’木舟城〝などと矮小化して欲しくないです。
2021年02月28日 竹下半兵衛(^^)/
標高927m、比高約200m。
思わず「コリャスゲー( ⊙⊙)!!」と声が出てしまった。
ここの大堀切を見れば誰もがめんたま飛び出るでしょう♪
南城、北城と分かれて、さらに奥の標高970mまで行くと青木城まであるという巨大城郭です。
遺構は...行った人はわかるでしょうが、今まで縄張図しか見てなかったことを後悔したくらいです(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
案内板は麓に仁科居館跡はありますが、山城にはありませんでした(2021`2月現在)
車は山下集落センター(いわゆる公民館)に止めました。
登城口はいくつもあるみたいです。
自分は常福寺北側から尾根によじ登り、2本南の尾根から下りました。
1日かけて歩き回りたいとこですよ~♡
♪ヽ(´▽`)/