松代城(まつしろじょう)

松代城の基本情報

通称・別名

海津城、貝津城

所在地

長野県長野市松代町松代44地

旧国名

信濃国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

不明

築城主

武田信玄

築城年

永禄3年(1560)

主な改修者

田丸直昌、森忠政

主な城主

武田氏、森氏、真田氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

国史跡(松代城跡附新御殿跡)

再建造物

太鼓門、堀、石垣、土塁、石碑、説明板

周辺の城

尼厳城(長野県長野市)[2.6km]
霞城(長野県長野市)[3.9km]
横田城(長野県長野市)[4.5km]
屋代城(長野県千曲市)[6.9km]
吉窪城(長野県長野市)[9.3km]
松田家館(長野県千曲市)[9.9km]
旭山城(長野県長野市)[10.2km]
井上城(長野県須坂市)[10.3km]
葛尾城(長野県埴科郡)[10.5km]
横山城(長野県長野市)[10.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

26 松代城

設置場所

真田邸[地図

松代城の解説文



松代城(まつしろじょう)は、信濃国埴科郡海津[1](現・長野県長野市松代町松代)にあった日本の城跡である。元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。形式は輪郭式平城。国の史跡に指定されている。なお、越後国頚城郡にある松代城の読みは、「まつだい」である。

歴史・沿革 

戦国時代・安土桃山時代

正確な築城時期は不明。戦国期には甲斐国の武田晴信(信玄)が信濃侵攻を開始し、北信豪族を庇護した越後国の長尾景虎(上杉謙信)との北信・川中島地域をめぐる川中島の戦いへと発展する。千曲川河畔の海津城は川中島地域の拠点城郭として整備され、『甲陽軍鑑』に拠れば武田氏は北信国衆である清野氏の館を接収し、武田家足軽大将の山本勘助に命じて築城され、『軍鑑』に拠れば本城には小山田虎満(備中守)、二曲輪に市川等長・原与惣左衛門が配置されたという。

文書上においては海津城の築城は1559年(永禄2年)から開始され(『信濃史料』12巻 - 250号)、翌年には完成している(『軍鑑』)。築城は屋代氏、香坂氏ら川中島四郡(更級郡、埴科郡、高井郡、水内郡)の国衆が担ったという。

海津城は東条城・尼飾城とともに上杉氏への最前線に位置する。永禄4年(1561年)9月に上杉氏が川中島へ侵攻すると、海津城の城代である武田家臣・春日虎綱(高坂昌信)は海津城において篭城し信玄本隊の到着を待ち、9月10日には八幡原において両軍の決戦が行われたという(第四次川中島の戦い)。

また海津城は川中島四郡における領国支配・国衆支配の拠点としても機能し、城代である春日虎綱は郡代的権限を持っていたと考えられている。

天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後には、武田遺領のうち信濃川中島四郡を支配した織田氏家臣の森長可の居城となる。森長可は武田遺臣の子息や近隣の村から人質を集めたが彼らを住まわせたのがこの海津城、あるいは海津城下であったという。同年6月に本能寺の変が起こると森長可は信濃を放棄して退却する事を決断し、海津城の人質を盾にして美濃へと退却し海津城も無人のまま捨て置かれた。以後は空白地帯となった信濃へと侵入した上杉氏の支配となったが、1598年(慶長3年)に上杉景勝が会津に転出の後は豊臣秀吉の蔵入地となり、城主には田丸直昌が任じられた。

甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城の一つである。千曲川を背後に控え、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀を有す。平城としては駿河江尻城が、平山城としては信濃岡城が海津城(松代城)と構造的に非常に似通っている。

江戸時代

1600年(慶長5年)2月に田丸直昌4万石と領地を交換する形で森忠政が13万7500石で兄の森長可所縁の土地へ入封し、同時に豊臣家の蔵入地9万石は廃止された。この時、海津城から待城(まつしろ)へと改名された[2]。1603年(慶長8年) - 森忠政は美作一国(津山藩)18万6500石へと加増転封され、松平忠輝が14万石(12万石?)で入封した。忠輝は加増されて越後高田藩主75万石となるが旧領も引き続き領有したため、家老花井吉成が城代として統治して領内の整備に尽力した。1616年(元和2年)松平忠輝改易。代わって松平忠昌が12万石で入り、この忠昌領主時代に待城から松城へと改名された。1619年(元和5年)松平忠昌、越後高田25万9000石へ転封。酒井忠勝10万石が入封。1622年(元和8年)酒井忠勝、出羽国庄内藩13万8千石に転封。真田信之が13万石で入城。以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。松代城は松代藩の政治の中心となったが、商人たちは善光寺門前から動こうとしなかったため松代城下は商業の中心地にはならなかった。

1711年(正徳元年)幕命により松代城と名を改められた。

1717年(享保2年)火災により本丸、二の丸、三の丸を焼失したが、幕府より1万両借財し1718年(享保3年)に再建した。

1742年(寛保2年) - 戌の満水により被害を受け、城主が松代南にある開善寺へ船で避難した。1752年(宝暦3年) - 藩の執政原八郎五郎により城の北側を流れていた千曲川を瀬直しし、旧流路は百間堀となった。

1770年(明和7年)花の丸に御殿を移した。

1804年(文化元年)御蔵屋敷北側に新堀が造られた。

1828年(文政11年)城地北側に佐久間一学(象山の父)により土手を築く。幸貫により「不崩(かけ)ずの土手」と名付けられた。

1847年(弘化4年)善光寺地震が発生し、本丸・二の丸・三の丸の囲い塀、櫓、番所などが大破し倒壊した。

1853年(嘉永6年)火災により花の丸御殿を焼失するがその後再建された。

1864年(元治元年)城外御殿として新御殿(真田邸)が建てられた。

近世以後

1872年(明治5年)に廃城となり、跡地は藩士に払い下げられ畑に変えられた。1873年(明治6年)火災により再び花の丸御殿を焼失し多くが宅地となった。北西に戌亥隅櫓台(天守台)があるが天守相当の櫓は近世初頭には失われたようで、本丸には幕末まで四隅に二重櫓が上がっていた。

1879年(明治12年)旧花の丸の一部に「松代城花之丸旧跡」という石碑が建てられた。1904年(明治37年)藩士に分け与えられていた土地を真田幸正が買い取り、本丸跡地を遊園地として開放した。1921年(大正10年) - 松代町長・矢沢頼道により「松代開府300年祭」が行われ、本丸に「海津城址之碑」が建立された。1925年(大正14年)海津城址公園内に4000円の巨費を投じ噴水、番所を建設し、掃除人を常駐させ公園の維持管理に努めた。その後、二の丸に市民プール、グランドが整備された。1951年(昭和26年)真田幸治により本丸が寄付され、公用地となった。1964年(昭和39年)本丸を中心とした城址の一部が県の史跡に指定された。1981年(昭和56年)本丸を中心とした城址の一部と新御殿が国の史跡に指定された。2004年(平成16年)太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元された。2006年(平成18年)4月6日に日本100名城(26番)に選定された。

城内構造 

  • 本丸  内堀より中は総石垣で囲われ、1770年(明和7年)に花の丸御殿が造られるまで、藩の政庁及び藩主の住宅である本丸御殿が置かれていた。櫓門は3カ所、北不明門、東不明門、太鼓門。櫓はいずれも二重で4カ所にあった。
  • 二の丸 東側の区域には1759年(宝暦9年)まで二の丸御殿が置かれていて、その後、土蔵が建てられる。
    西側の区域には石造りの煙硝蔵が建てられていた模様である。
    門は西不明門、石場門、南門があった。
  • 三の丸 三日月堀の外の曲輪で、材木小屋、屋根師、大工、畳師などの作業所や物置、武具奉行役所が置かれていた。
    東側に大御門(大手門)が置かれていた。
  • 花の丸 三の丸の西側にあり、茶屋、草木が植えられ、藩主の遊園地として機能していたが、1770年(明和7年)に花の丸御殿が建てられ、幕末まで藩の政庁及び藩主の住居が置かれた。
  • 水の手 本丸の北側一帯。吾妻番所、土蔵が置かれていた。宝暦年間に千曲川の瀬替え工事が行われ、新堀が造られた。1828年(文政11年)佐久間一学が命を受け、花の丸西から水の手まで土手を築き、「不崩の土手」と命名された。
  • 御蔵屋敷 城の東側一帯、石場門の外(牛堀の東)を御蔵屋敷と呼んでいた。構内には、御蔵奉行役所、郡奉行役所、勘定奉行役所、評定所などが置かれていた。
  • 馬場 花の丸南側に「桜の馬場」、御蔵屋敷の北側に「紅葉の馬場」があった。
  • 演武場 文政年間頃、「桜の馬場」より南清須町の間に造られた。
  • 総構え 城下町(町八町)を取り囲むように江戸の初め頃造られたが、人口の増加とともに崩され、現在では長国寺の裏側(東側)に高い盛り土が残っているのみである。
  • 内堀 本丸を囲っている堀。
  • 外堀 二の丸を囲っている堀。
  • 三日月堀 二の丸南門南側にあった堀。
  • 三の堀 三の丸と花の丸の一部を囲っていた堀。
  • 牛堀 外堀の東側の堀をこう呼んでいた。
  • 百間堀 千曲川瀬直しにより旧流路を利用した堀。
  • 新堀 曲川瀬直し後、造られた堀

城内茶室 

  • 城内いたる所に茶室が存在した。九扈(きゅうこ)亭、知身貴(ちしんき)亭の額のみ現存する。
    • 九扈亭 初代藩主真田信之によって芝の隠居所(現大鋒寺)に建てられたが、後花の丸西側に移築された。
    • 信玄茶屋 花の丸南西にあり、武田菱がついていたことから命名される。
    • 知身貴亭 文政11年に本丸の北西に建てられた。
    • 一圭(いちけい)楼 文政12年に桜の馬場の脇に建てられた。

遺構 

  • 藩校文武学校が現存する。敷地内には往時の建物がほぼ完存しており、極めて稀な例である。
  • 城外御殿新御殿(真田邸)が現存する。これは、1862年(文久2年)、文久の改革の一環で参勤交代制度の緩和にともなって、妻子の帰国が許されたことから、松代場外に住まいとした屋敷である。明治期以降は真田家の私邸として利用された。又、敷地には、蔵、長屋、門、番所、庭園などが完存している。
  • 鐘楼が現存する。
  • 稲荷神社が現存する。千曲川の瀬替え前よりあり、御船屋のそばにあったことから御船屋稲荷と呼ばれている。

移築現存建物等

  • 松代城城門 廃城後に長野市内の民家の表門として移築される。(どこの門か不明)
  • 秋葉大明神・稲荷大明神(城の鎮守) 三の丸にあったが廃城後、長野市の民家に移される。
  • 大御門の鯱 廃城後、長国寺の本堂に乗せられる。
  • 花の丸御殿の一部(淵玄亭) 9代幸教の実母順操院の住居で、近年、松代の民家に移築されていたものが発見される。現在、解体保存される。
  • 伝花の丸御殿の一部 廃城後、真田勘解由家の表門(薬医門)と母屋(長局と伝わる)が花の丸より移される。
  • 伝花の丸御殿の一部 廃城後、花丸院(長野市松代)として移築された。
  • 物見櫓 鐘楼隣に建てられていたが移築現存する。

江戸時代に松代藩の江戸屋敷となっていた建物は、昭和初年に神奈川県藤沢市の龍口寺大書院として移築された。また、関東大震災にも無事であった江戸中屋敷が一旦長野県佐久市野沢の中島公園に移築されたが、現在は長野県上田市丸子のホテル天竜閣裏に移築されている(再建中)。

現地情報 

所在地

  • 長野県長野市松代町松代44

交通アクセス

  • しなの鉄道しなの鉄道線屋代駅から長電バス屋代須坂線「須坂駅行き」「松代高校行き」「松代駅行き」で約30分「松代駅」下車、徒歩約5分。
  • 長野電鉄長野線須坂駅から長電バス屋代須坂線「屋代駅行き」「松代高校行き」「松代駅行き」で約50分「松代駅」下車、徒歩約5分。
  • JR長野駅から川中島バス「松代行き」約30分、「松代」バス停下車、徒歩約5分

参考文献 

  • 長野市立博物館編集・発行 『海津城の主たち』 2016年3月31日

松代城の口コミ情報

2022年05月04日 大曾根右近将監征四郎
松代城



松代では現在、松代藩初代藩主真田信之の松代入部400年記念イベントが多く開催されています。街中にも幟がたくさん立っていて、気合の入れようが伝わってきますよ。

付近の真田公園では善光寺御開帳期間限定でお土産ショップ「真田商店」が営業中で、松代のお土産を買うことができます。またGW期間中は松代町内の五カ所のお寺で歴代藩主らの御霊屋と関連資料が公開されており、お寺のご住職の熱い解説も聞くことができます。

2022年05月03日 大曾根右近将監征四郎
白鳥神社[松代城  寺社・史跡]



白鳥神社は松代藩初代藩主真田信之が、海野宿の白鳥神社をこの地に勧請したことに由来します。信之が松代に移封される際、駕籠の上に白い鳥が舞い降りて、信之と共に松代へ移りたいと訴えたという伝説が残ります。

入口は長野県警察学校の裏手にあります。境内は無人ですが、入口付近の遥拝所にて御朱印の書き置きをいただくことができます。なお神社までは300メートルほど山道を登るのでご注意を。

2022年04月12日 ☆魅環右衛門督
真田邸[松代城  周辺城郭]



名城スタンプは、真田邸に置いてあります。松代城の駐車場に車を停めたままで、歩いて行ける距離です。

2021年12月17日 武蔵新城右兵衛督
松代城

のどかな雰囲気。石垣と土塁の融和に見応えがあります。

2021年11月28日 竹下半兵衛(^^)/
鞍骨城[松代城  周辺城郭]



「標高798m.[天空の山城]と主郭にある。その名にふさわしく雨がやむと下の街が見え隠れする。雲に包まれたり晴れたりの眺めは山城最高クラス♪(⌒0⌒)/

遺構もこの石垣の残りかた、崩れかた、苔の生えかたまでウットリ♪(*´∀`)連続堀切からの竪堀も良く残ってて見応えあるし、これぞ中世山城の最高ランクだと思ったのは自分だけだろうか?

朝6時に妻女山展望台の駐車場から歩いたのは覚えてるケド、ここで時間を忘れてしまったようだ。必ずまた来るよ~♪(^o^)/~~」

と、18`6月にググマップにクチコミしてました。..チョット恥ずかしい➰今回は季節を変えて21`11/27に再訪してみると雪景色☃️😍ワーイ🙌鷲尾城~天城城~鞍骨城ルートで登ってみるとなだらかで楽に感じました。鷲尾城に登るのが一番大変😅素っっっ晴らしい遺構♬は変わらなかったけど、スンゴク寒かったです🥶ブルブル

2021年08月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
陣場平[松代城  寺社・史跡]



陣場平は松代城の西南約2.3km、標高694.6mの手城山から北方へ延びる山塊尾根上、標高約490mの斜面上平場に築かれた第四次川中島の戦いにおける上杉勢の本陣と推測される場所です。

上杉勢が布陣した事で有名な妻女山ですが、「西條山」の名称で軍鑑には登場し、江戸時代の地図でも西條山となっているらしいです。現代の様々な地図でも情報が錯綜しているのか、今一この妻女山がどのピークを指すのか理解し難い。陣場平西側の標高約512mピークを指すものなんでしょか。少なくとも妻女山のピークが此処だとする情報や資料、地図に出会った事がありません。妻女山展望台のある場所は往時も独立した山とは認識出来ないでしょう。

第四次川中島の戦いの詳細は確実な資料が一つも残されておらず、世間巷間に流布した合戦の様相は殆ど想像でしかありません。様々な新説も後世提起されていますが、裏付け出来ないのでこれも想像の範疇です。ただ色々研究する余地があるということは浪漫を掻き立てられますね!

さて、武田氏に忖度した軍記物である甲陽軍鑑にのみ記述が見られる有名な啄木鳥の戦法ですが、素人目に見ても眉唾物じゃないでしょか。一万ニ千の別働隊があの険しい山中を移動(理解出来ない方は行ってみるべし!隊列はほぼ一列になる。長さは2km以上に達するでしょう。)し一万三千が籠る陣城を攻める…行軍中に襲われたら悲惨でしょうし、攻陣の為に軍勢を再集結させるなんて出来る訳が無い…歴戦の将が進言し、慎重な大将が取る策とはこの程度のものなのかなと…ちなみにこの別働隊、妻女山に攻め登るイメージですが、実際は攻め下る形になります。

自分が考える合戦の様相もあくまで想像に過ぎませんが、上杉勢が武田勢の動きを察知したのは間違い無いと思います。しかしそれに対するリアクションは包囲を恐れた撤退だったんじゃないでしょか、退路を断つ武田勢本隊と霧中(当日の気象に関する資料は無い。)で遭遇、敵中故に常に背水の上杉勢が必死(死地である。)で戦った故の結果に過ぎないんじゃないかと…決戦を望んだとされる謙信だけど、一杯血に塗れる状況だし、それならば善光寺に五千の兵を残したのも合点がいかない…

合戦に対する私見は突拍子も無いものを除けばそれを提起した人数分成立します。皆様も川中島合戦場を訪ねて御自身の想像を逞しくして下さいまし!

2021年08月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
手城山城[松代城  周辺城郭]



手城山城は松代城の西南約3.0km、標高694.6mの手城山山頂に主郭が存します。北麓からの比高は350m位でしょか。城山は山頂が坂上古墳と称する古墳(この辺りの山塊は古墳だらけです。)でもあり、古墳の跡地系のお城となります。又、北方約1.1kmの標高約490mの平場には上杉謙信の妻女山本陣と推測される陣場平が存します。

築城年代、築城者は不明ですが、位置関係からか同じ松代城のリア攻めマップにある鞍骨城の支城と推測されています。従って行き方も鞍骨城を参照して下さい。登城路も被っています。

自分は上杉謙信を希有な戦術家だと思うけど、戦略家としては武田信玄に格段に劣ると考えています。地政学的なものもあるかと思いますが、関東出兵で得たものは厩橋に拠点を置いた事のみ、信濃では信玄の信濃完全制圧をぎりぎり防いだ事ぐらい。甲相駿同盟に見事に振り回されました。大義を掲げましたが、英雄像にありがちな事大主義に陥ったイメージを持ってしまいます。

そんな謙信ですが、第四次川中島の戦いでは謙信でしか成し得ない戦をしたと思います。千曲川を渡り陣を敷いたとされる妻女山は周辺を海津城のみならず手城山城、鞍骨城、母袋城、竹山城、唐崎山城、鷲尾城、横田城が至近に存し、海津城支城群左翼のど真中に位置しています。耐えに耐えて相手の動きを誘い武田勢に大打撃を与えた事は忍耐強い越後の兵と謙信だからこそ為せる技でしょう。

妻女山を背後から攻める武田勢の別働隊は海津城を出て山中を通ったとされています。もしそれが事実ならばそのルートは竹山城、母袋城、鞍骨城、手城山城の順に通過するものだったと思います。合戦におけるこれら支城群の動向は不明ですが、妻女山の上杉勢に最も近いお城がこの手城山城でした。

お城は主郭に石室の露出した古墳が見られ、明瞭な遺構は堀切の1条のみ、他には横堀と石積みの付いた竪堀があったような無いような…記憶が曖昧ですが、全体的に薄い事は間違いありません…

戦国時代で最も有名な合戦の一つである川中島の戦いですが、現地に赴かないと理解出来ない事が多いものです。書籍では感じる事が出来ない歴史のフィールドワークを皆様も是非!

※上杉謙信が本陣を敷いたと紹介される妻女山展望台は陣の北端であり、その一部でしかありません。

2021年08月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
鞍骨城[松代城  周辺城郭]



鞍骨城は松代城の南西約3.0km、標高798mの鞍骨山山頂に主郭が存します。北麓からの比高は450m位でしょか。第四次川中島の戦いで上杉謙信が布陣したとされる妻女山の東南に位置する山が鞍骨山で、陣跡から尾根伝いで辿り着く事が出来ます。

行き方は幾つかありますが、最も行きやすいルートを紹介します。とりまGoogleマップに位置登録されている妻女山展望台を目標に設定して下さい。展望台まで車で登り駐車場に車を捨てます。この駐車場の南側に「あんずの里ハイキングコース」という整備された登山道がありますのでこれを進みましょう。ちなみにこのコースを5分位登って行くと登山道の分岐にぶつかります。この分岐された方の道を使うと鞍骨山の北側に出るらしいのですが、冬は勿論、それ以外の季節でもやめといた方がよいでしょう。付近一帯は熊さんの生息地なので見通しが悪い道を使うのは不安だと思います。ハイキングコースを使い標柱にちゃんと従って二本松峠を目指して下さい。一箇所だけ天城山城の手前で迷う所がありますが、標柱をよく確認すれば自ずと道は開けます。二本松峠は堀切と見間違えるぐらいの峠ですが、この峠から10m位進んだ所に「鞍骨城跡迄850m」の標柱も立ってます。

お城は基本尾根上に築かれていてコンパクトな縄張です。城域に入るといきなりマッシブな堀切が…更に進むと二重堀切+竪堀がお出迎え…凄いっす。主郭部は数段の腰郭が付き、相当量の石積みがデコレートされ異世界の趣き、一応天空の山城を謳っています…崩落石も多数散見される事から考えてみても往時は相当派手目なお城だったでしょう。主郭には土塁が付き虎口も確認出来ます。又、主郭東側背後の尾根は人一人がやっと通れるような痩せ尾根ですが、此処には3条の連続堀切+竪堀が付いてます。竪堀の一部分には石積みで補強されているような痕跡も…

築城年代は不明ですが、築城者は村上氏の庶流とされる清野氏で、川中島一帯ではそれなりの勢力を持った国人領主だったようです。未見ですが資料的価値に乏しいとされる甲陽軍鑑には海津城は清野氏の館を接収して築城されたと記述があるようです。

川中島一帯における屈指の堅城です。お城までの全行程は約1時間、距離はありますが道は緩やかな方だと思います。川中島古戦場に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2021年05月30日 pika中納言
松代城



無料の駐車場が目の前にあります。大本営地下壕跡まで歩いて行く間に様々な施設がありますので、温泉も含めると1日時間が過ごせます。

2021年02月22日 けろりん弾正大弼
松代城

土塁の復元で、当時の縄張りがわかりやすくなっていました。千曲川は当時の流路とだいぶ変わっているということです。
野面積みの古い石垣も高くて立派で、見所多いです。

2021年02月16日 【鮎】征夷大将軍クララ姫
松代城

【最寄立寄り温泉】松代城跡から車で数分の所に『松代温泉』。国民宿舎松代荘のお風呂は露天風呂と大浴場があります。泉質は黄金の湯という謳い文句の通り塩辛い系の濁り湯です。身体がポカポカになりました。

2021年01月26日 こうひろ☽☽☽
松代藩武家屋敷・旧樋口家住宅[松代城  関連施設]



旧樋口家は松代藩の目付役などを務めた上級武士。主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀が現存。手入れが行き届いており武士の家らしく威厳がある建物でした。

2020年11月25日 こうひろ☽☽☽
杵淵舘[松代城  周辺城郭]



住宅街入口に小さな看板がありふらっと立ち寄ってみました。

堀と高土塁跡が残ります。分家子孫の方が丁寧に説明してくれました。平家方豪族の広大な屋敷跡だったそうです。

800年後でも堀の跡がはっきり残るなんて感激です。山並みを見上げると武士の時代が始まった頃の屋敷が見えてくるようです。

2020年11月24日 こうひろ☽☽☽
妻女山[松代城  寺社・史跡]



謙信が陣を敷いたとされる妻女山。展望台への案内看板が小さく分かりにくい。通り過ぎないように

高速ガードをくぐり、登っていきます。登り口に謙信が槍を突くと水が湧き出たと言われる槍尻之泉があります。
心の中でそんな神話みたいなことあるかと突っ込みながら、染み出ていた箇所を掘ったんだろうと考えつつ見学。

展望台からの大パノラマにテンションも上がります。川中島はごっつ広い!それにしても海津城は目と鼻の先、近過ぎ‼️
ホントにこんな至近距離に陣を敷いたのか、疑問です。
相思相愛の謙信♥️信玄だからいいのか?(笑)

2020年11月23日 こうひろ☽☽☽
典厩寺[松代城  寺社・史跡]



第四次合戦の際に討ち死にした武田信繁の墓があります。その横には真田信繁の供養塔であると伝えられている墓もあります。

入ってすぐ左側には閻魔堂があり、高さ5m程の日本一大きい閻魔大王像がお出迎え。怖いというより少し愛嬌があるのがほほえましい。

信繁の首を洗い清めた井戸とボケ封じの石も境内にひっそりとあります。

一騎討ち銅像の元になった石碑、寺宝を集めた川中島合戦記念館と盛り沢山で拝観料200円は安いです。

合戦時に犠牲になった人々に思いを馳せ千曲川や妻女山を眺めてみては如何でしょうか

2020年11月22日 こうひろ☽☽☽
山本勘助の墓・広瀬の渡し[松代城  寺社・史跡]



山本勘助の墓参りにも行って来ました。旧金井山駅跡地に駐車させて貰い、住宅街を案内看板に従って歩きます。

堤防から見る墓は旧信州柴阿弥陀堂跡地なので風情があります。
そして墓の大きさに驚きます。南方面には胴体が流れ着き、首と合わせたという胴合橋も。

すぐ横には武田軍が渡った広瀬の渡しがありますが、もう少し整備してくれると嬉しいんですが…

2020年11月21日 こうひろ☽☽☽
八幡原史跡公園[松代城  寺社・史跡]



川中島合戦時に信玄が陣を敷いた場所です。一騎討ちの銅像が戦国ロマンを感じさせます。大河の放送記念として造られたそうです。思った以上にデカかったです。

公園隅にある首塚の巨大さが足掛け12年計5回に及ぶ戦いの激しさを物語ります。略奪や放火・人さらい等、住民の苦労も絶えることは無かったでしょう。

一番興奮したのは神社周囲に巡らされた陣跡の土塁でした。約450年前に信玄がここにいた痕跡ですから。誰も撮影なんてしてませんでしたが(笑)

奥にある長野市立博物館の川中島合戦に関する史料と映像は一見の価値ありです。プラネタリウムも見たかったですが時間が合わず。次の機会に

2020年11月03日 くまなみ
松代城

長野からアルピコバスがありますが上田方面に行く場合は屋代駅行きのバスもあります。
非常に整った構えのお城。時間があれば宝物館や真田邸も訪れたいところ。

2020年09月23日 志摩守メタルスライム
松代城

とてもきれいな田園風景の中にあるお城なのでぜひ訪れてみてください。

2020年09月01日 橙百姓
松代城

城付近には真田邸などあり、色々巡るのであれば殿町駐車場が便利です。

2020年08月18日 真田上野介信吉
矢沢家の表門[松代城  遺構・復元物]



矢沢家は松代藩において、代々筆頭家老格を務め、藩中最高の家格であった。

寛政4年(1792)に再建された長屋門は城門を思わせる格式を持っている。

ー門設置の説明板より抜粋ー

城下散策のコースに是非入れておきたい矢沢家の表門。信州松代観光協会の通りにあり、また旧松代藩鐘楼に近い。
通りからただ見るだけの建造物ながら、説明板に記載の通りとても立派な門です。
鐘楼を見に行く際は、一度立ち止まってじっくりと見られてみては如何でしょうか。

2020年08月07日 真田上野介信吉
旧松代藩鐘楼[松代城  遺構・復元物]



初代藩主・真田信之が1622(元和8)年に松代城主となって間もない1624(寛永元)年に火の見櫓とともに設置されました。

3度の大火で焼けた後、現在の鐘楼が1801(享和元)年に再建、2012(平成24)年に修復される。

時計のなかった江戸時代、一時ごとに大鐘をつかせる決まりがあり、藩士や城下の人々はこの“時の鐘”で時刻を知りました。
1849(嘉永2)年に佐久間象山が電信実験を成功させた場所とも言われており、市の指定文化財(建造物)に指定されています。

ー信州・松代散策マップよりー

信州松代観光協会の通りを進み、矢沢家表門を見ながら右折、最初の細い道を右折すると左手に見えてきます。長野松代総合病院駐車場の裏の通りです。

城下の散策コースに入れておきたい遺構だと思います。

2020年08月05日 真田上野介信吉
文武学校[松代城  関連施設]



松代藩が設けた文武併習の学校として1855(安政2)年に開校。
建物は1853(嘉永6)年に造られたもの。
松代小学校の校舎として使われていたこともあります。

ー信州・松代散策マップよりー

保存整備工事のため9月30日(予定)まで休館中です。

2020年08月05日 真田上野介信吉
松代藩武家屋敷・旧樋口家住宅[松代城  関連施設]



代表的藩士公舎
旧樋口家は江戸時代、真田家の家臣として、藩の目付役などを務め、江戸時代末期には禄高が230石でした。
江戸時代の樋口家住宅は、他の藩士たちの住宅と同様、一種の公舎でした。敷地のほぼ中央には泉水路が東西に流れ、敷地の南側は、現在は雑木林と竹林、庭園ですが、樋口家の時代は畑として使用されていました。一方、北側には主屋を中心とした建物があり、現在は主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀がありますが、表門については、移築されてきたものといわれています。このうち、主屋、土蔵、長屋の3棟が、長野市の市文化財(建造物)に指定されています。

ー信州・松代散策マップよりー

開館時間は9時からとなっていますが、昨日は8時半から入館出来ました。また、コロナ関係で氏名と連絡先、入館時間を記入する用紙がありますので協力しましょう。
基本無休で無料です。

現在、主屋で佐久間象山公の無料展示コーナー、土蔵では真田信之公の無料展示コーナーを開催中で、写真は土蔵に置かれた真田丸の模型です。他、主屋には甲冑が置かれ、我々を迎えてくれます。

場所は真田公園前の道を挟んで目の前になります。真田邸とも直ぐの位置にありますから、松代城のみに止まらず、城下周辺を散策することでより一層楽しいものになると思います。

2020年08月04日 真田上野介信吉
信州松代観光協会[松代城  御城印]



御城印は信州松代観光協会で2種類の御城印帳と共に販売されています。

右ブルーは6月~8月限定夏仕様。
左は3月1日から販売が開始された花押入りです。

※只今、オリジナルうちわが貰えます。

2020年01月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
竹山城[松代城  周辺城郭]



竹山城は松代城(海津城)の南方約0.8km、標高475.8mの象山山頂に主郭が存します。東麓からの比高は110m位でしょか。幕末の松代藩士、佐久間象山所縁の地で、象山神社や象山記念館の裏山って感じです。ちなみに真下には松代大本営の一部〜象山地下壕が掘られています。この場所が選ばれたのは固い岩盤層で10t爆弾にも耐えられる事が理由の一つですが、残念ながらお城は山頂にあるのでその恩恵は殆ど被っていません。

築城年代、築城者は不明です。戦国時代には村上氏の庶流、西条氏が城主だったと推測されています。村上氏が越後に逃れると武田氏の海津城の支城群の一つとなりました。同じ松代城のリア攻めマップにある鞍骨城とは尾根続きで連絡しているらしいですが、今は此処から行く人は全くいないでしょう。

行き方ですが、登城路は3つぐらいあります。とりまGoogleマップに位置登録されている象山地下壕を目標に設定して下さい。自分は象山地下壕(駐車場が無い。)南側の遊歩道入口から登って行き、主郭部の南東側に出ました。駐車場所にもよりますが、お城を見たらそのまま北方へ向かって尾根を下れば帰れます。

名称は松代藩時代に城山に竹を植えた事から付けられたらしく、戦国時代には名称も無かったかもしれません。石積みが目立つお城ですが、後世の改変が多いらしくてどれが往時のものなのか判断難しいです。積み方もこの地域の他城とは違っているものが多いので即断出来ないです。写真はそういうのを省いてありますので、申し訳ありませんが皆様の心眼で御判断を…明らかなのは主郭南側山側背後の段郭のものでしょか。他の遺構として浅くはなっていますが堀切と竪堀が確認できます。又、主郭東側には帯郭状の腰郭を見る事が出来ます。

いつの時代の改変かよく解らない♪的な場所多数のお城ですが、松代城も近いし周辺は見所の多い場所なので、観光がてらに是非訪ねてみて下さいまし。サクッと気軽に散策出来ます。

2019年10月17日 田中雅楽允三郎
松代城

御城印?御朱印みたいなの真田宝物館隣の観光案内所で手に入れられます。

2019年10月15日 田中雅楽允三郎
松代城



台風の水害。
御船屋稲荷神社付近。
お城周りより北側はほぼ水没していた。
画像は13日朝



2019年08月13日 大納言大納言0123489
旧松代駅跡[松代城  その他]



長野電鉄屋代線の駅が存在していたが、2012年4月1日全線廃止され、バスに転換された。

2019年05月30日 あおっちS左馬助
松代城



GWに攻城。歩いて回れる範囲に見学できる施設多く、非常にまわりやすい。
長野駅前からレンタカーを借りて行きました。


2019年04月29日 沼田上野介
太鼓門前橋[松代城  遺構・復元物]



太鼓門表門に掛かる前橋の復元。史料では災害の度に崩落、架け替えが行われた事が記されており、発掘調査により4回以上架け替えが行われている事が確認された。

現在掛かる橋は江戸時代末期の設計図を元に復元されたもの。

2019年04月29日 沼田上野介
松代城跡概略説明板[松代城  碑・説明板]



二の丸南門には説明板が設置されています。

2019年04月29日 沼田上野介
三の堀跡[松代城  遺構・復元物]



平成6年の調査により三の堀遺構が発掘された地点にその一部が再現されています。

2019年04月28日 ☘️方喰左馬助四十郎
真田邸[松代城  スタンプ]



(真田邸)右手に入館受付。左手の青い屋根のテントにスタンプありました。

2018年10月04日 ガルガリ「左衛門督」博士
松代城

長野インターの近くにある、おぎのやさんの駐車場の隅に
胴合い橋があり山本勘助の首と身体を合わせた場所と言われています。


2018年10月04日 目白刑部卿鷹三
松代城

海津城としての見どころがたくさんあります。高低差なしでナマケモノにも優しいお城ですね。百名城スタンプは真田邸前のテントに置かれていたので無料で押せます。

2018年08月16日 和泉守yukinezumi
松代城

真田宝物館に松代城のジオラマがあり、それを見てからお城に行くと分かりやすいと思いました。お城を中心に真田邸、文武学校、宝物館など徒歩圏内にあり観光しやすかったです。無料駐車場が宝物館前とお城前にあります。川中島古戦場、松代城、真田邸など3時間くらいで見学しましたが、もう少し時間が欲しかったです。
長野インター近くに峠の釜飯で有名なおぎのやさんがあります。お盆休み中でかなり混雑していましたが回転が良いので釜飯単品ならすぐに購入でき、店内のセルフコーナーで飲食可能でした。お土産物も売っていて、駐車場奥に胴合橋もあります。

2018年05月10日 織田上総介晃司
松代城

本丸太鼓門近くに駐車場有り。

太鼓門や北不明門や櫓台に目が行きがちですが、土塁にも注目してみてください。

5/3に訪れた時、真田おもてなし隊(たぶんボランティア)がいらっしゃいました。

2017年07月20日 【絆】左衛門佐紺絹地六連銭
松代城

ついに大規模な発掘調査が始まりました!今回は旧来の堀などを調査するようですが、何が出てくるのか大変楽しみなところです❗
古地図については、松代まち歩きセンターにてカラーコピー1枚100円で手に入りますので、これを見ながら城の回りを歩くとより一層楽しい城廻りになることと思います!

2016年11月28日 まるき〜主殿助
松代城

近くの川中島の合戦場にてたまたま信玄と謙信の像が何処にあるのかを訪ねたガイドもどきのおじさん情報なのですが…
松代城は現在放送されている大河ドラマ終了後に大規模な普請の予定があるらしいと…
そのおじさんの話がかなりあやふやなので松代文化施設等管理事務所に電話で聞いてみました。
旧長野電鉄が廃線になった事で色々調査しているみたいでハッキリどこからどこまで?と決まってはいないが城の堀や土塁、もしかしたら門、がこの先5〜6年後には再現できる…かも知れない。という事でした!
新たに城の縄張りが明らかになっていく…
楽しみですな〜また行かなきゃね〜

2016年10月05日 【絆】左衛門佐紺絹地六連銭
松代城

松代城を見て、真田宝物館を見て、真田邸でスタンプを押しましたら、是非その近くにある松代文武学校に足を運んでください。ここには松代藩の藩校がそのまま残っており、剣術所、槍、弓、柔術所には、武士たちの汗が染み込んでいるであろう板張りがそのまま残されております!是非上がっていただき、その雰囲気に浸ってください!!歴史好きには堪りませんよ~!そこで地元の剣士の方々がたまに練習していますので、それを見学しながら古に思いを馳せるのもいいですよ。また、地元の方々が大切に守ってきたのだなぁと感動させられます。
また、文学所で佐久間象山先生も学んでいたそうですよ。藩校が残っているのは全国的に珍しいそうですので、松代にいらしたら是非お立ち寄りください!

2015年12月23日 【絆】左衛門佐紺絹地六連銭
松代城

お城の南には真田宝物館という施設があり、貴重な代物が沢山保管されています。常設展示もかなり楽しいのですが、1月17日からは信繁が姉に宛てた直筆の手紙が公開されるようです!!楽しみですね~
真田宝物館のみの入館料は300円です。入館時間は午前9時から午後4時30分迄です。
真田の菩提市長国寺はお城の東へ車で5分ほど行ったところにあります。
史跡巡りに疲れたらやっぱり温泉ですね!
さらにお城から東へ車で10分ほど行ったところに松代温泉があります。塩と鉄分の温泉で、底が見えないくらい茶色く濁っていて、かなりのインパクトがありますが、出た後かなりの間ぽかぽかでいられます。松代温泉松代荘の入浴料金は大人510円で、入浴時間は午前10時から午後10時迄です。冷めた体を温めて行って下さい~

2015年11月05日 アマビエ土佐守
松代城

大河ドラマ真田丸に向け★★★★

現在、松代城の補修等はされておらず、2年前訪問時の景観を保っている。

松代の街は舗道や街灯の整備が進んでおり、某コンビニの出店もしています。また、真田家所縁の仏閣が補修や本堂建て替えと整備が進んでいる。

ここで、松代城~上田市の車での所要時間を特記したいと思います。
※松代城~長野lC~上田菅平lC~上田城迄約30分
※松代城~国道18号線~上田城迄約45分~60分
※松代城~県道35号線~真田本城迄約45分
尚、県道35号線は信号も少なく抜け道として可能ですが、途中の地蔵峠付近は注意が必要。




2015年09月10日 【絆】左衛門佐紺絹地六連銭
松代城

100名城スタンプは、海津城から南側に歩いて5分のところにある真田邸の受付の方が保管されていて、とても綺麗なスタンブに生まれ変わっていました!インクの付きが最高です!
海津城の北側には川中島古戦場があり、謙信公の馬上からの一太刀を信玄公が軍配で受け止めようとしているドデカイ像があります。
また城の南側には謙信公が布陣していた妻女山があり、頂上の展望台からは川中島古戦場の全貌が見渡せます。
他にも城の北側に武田信繁公の菩提寺典厩寺があり、その中にある川中島合戦記念館には、貴重な肖像画や遺品が展示されています。入場料金は大人1人200円ですが、ズバリ安いと思います。そこから千曲川沿いに東へ行ったところに山本勘助のお墓がひっそりとあります。
城の直ぐ南にある真田宝物館内には、これまた貴重な真田信幸公の肖像画、具足等が展示してあり、一見の価値があります。
ちなみに幕末が好きな方はその南側に佐久間象山記念館、第二次世界大戦関連ではそのさらに南に大本営予定地だった象山地下壕もあります。
全てを見て回ると、1日かかります!

2014年09月16日 タコ武蔵守イカ
松代城

2014/09/14 に訪問しました。以前の書き込みにもある通り、長野電鉄 屋代線は既に廃線になっているためバスを利用しました。

JR 長野駅 の北口(善光寺口) 2番乗り場 から
アルピコ交通 30系 川中島古戦場経由 松代行き

私は川中島で下車してそこから松代城までは徒歩で移動しました。(約3km)
妻女山を望みながら、千曲川を渡り海津城(松代城)に入城できるので、時間に余裕のある方にはお勧めです。

2014年08月31日 ゼカキユ上野介第16駆逐隊
松代城

自分もこのお盆休みに行きましたがスタンプが分離していました(TOT)
直ったならよかったです(^^)
また、真田宝物館の近くにある観光案内所では史跡について色々教えてもらえます。
おかげで、川中島古戦場跡、勘助の墓、勘助宮、妻女山が近くにあると教えていただき、効率よく回れました(^-^)v

2014年08月31日 尾張守ひろっちぃ
松代城

管理事務所に100名城スタンプはあります。口コミにスタンプが壊れてるとありますか今は修理されたのかわかりませんが直ってます

2013年02月16日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
松代城

本日4度目の登城!
いつ来ても整備されキレイなお城ですo(^-^)o
幸い!?にも来訪者が極端に少なく自分が来た時には先客だった方も居なくなり貸し切り状態(笑)で写真撮りまくってました(‾∀‾)

ふと以前、訪れた際に100名城スタンプが滲んでしまった事を思い出し、別の紙にスタンプ押して帰ろうと管理事務所に行き手に取ると…

『なんじゃこりゃ〜!』

思わず叫びそうになりましたが…スタンプが壊れてるじゃないですか
(」゜□゜)」

インク入れだと思われる持ち手部分とスタンプの版台が見事に分離…(‾○‾;)
試しに押してみたら…フォトギャラリーに投稿したので、そちらで確認してください…(ノ△T)

故意にやったのではないと信じたいですが…酷すぎる…\(`ε´)/

2012年09月15日 傾奇揚げ仙兵衛
松代城

松代城から真田宝物館に行く途中に小布施でも人気の和菓子店『竹風堂』の松代店が在ります。
栗の菓子や栗おこわ


国道403号には『食いしん坊かじや』と言う地元名産の長芋を使った料理の店が在ります。
長芋が絶品です。

2012年09月07日 
松代城

長野駅より川中島古戦場・松代方面行きのバスで約30分程、松代駅バス停で降り歩いて5分程で着きました。
武田流築城の特徴である三日月掘・丸馬出しは残念ながら残っていませんが、本丸の内桝形門はしっかり整備され残っています。
すぐ近くに真田宝物館があり、有名な真田昌幸所用の昇梯子文二枚仏胴具足が展示されてます。
松代大橋を渡ったところには典厩寺、胴合橋、川中島古戦場と周辺に見所が多いので1日楽しめますよ

2011年11月05日 中務卿一之介
松代城

すぐ横を、長野電鉄屋代線が走ります。
2012年3月限りで廃止が予定されているこの電車と松代城を、一枚の写真に収められるのも、あとわずかです。

2011年07月17日 太政大臣M三郎
松代城

川中島合戦の武田方拠点海津城、また、激動の安土桃山期を生き抜いた真田信之公の居城として有名な松代城ですが、典型的な平城でさほど大きいとは言えません。石垣の高さや堀幅も小さく、かつては、千曲川や芦原などにより高かったであろう防御力も周辺の開発によって偲ぶことは難しい状況です。しかし、城域一帯は、史跡公園として徹底的に整備・管理され、総石垣方形の本丸には、前後の桝形部も復元されています。周辺の郭まで土塁や堀が忠実に再現され、まるで往時にいるかのような印象です。魅せられました。大好きです


2011年04月10日 古楽侍従広家
松代城

ここの攻防で川中島の戦いが起こるわけですが、ここに立ち妻女山を見て、武田方の城跡を探すと、妻女山が上杉政虎の本陣にはなりえないと気付きます。

2010年09月23日 雪之丞
松代城

長野駅からバスでも電車でも来れますが、電車は乗換があり時間もかかります。バスの方が便利です。

2010年09月19日 琉球守土成★2周目
松代城

百名城のスタンプの品質はあまり良くない

2010年08月27日 傾奇揚げ仙兵衛
松代城

真田邸を含めその町並みがレトロで綺麗でとても素晴らしい。真田邸の梅の木に青梅が沢山付いていましたが誰も収穫しないでしょうね。モッタイナイ

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
松代城

[武将像]三太刀七太刀像
松代城を含む川中島古戦場。
八幡原に鎮座。

松代城の周辺スポット情報

 三の堀跡(遺構・復元物)

 太鼓門前橋(遺構・復元物)

 太鼓門(遺構・復元物)

 北不明門(遺構・復元物)

 石場門跡(遺構・復元物)

 東不明門(遺構・復元物)

 旧松代藩鐘楼(遺構・復元物)

 矢沢家の表門(遺構・復元物)

 三日月堀跡(遺構・復元物)

 松代城跡概略説明板(碑・説明板)

 第一次川中島合戦 布施の戦いの地石碑(碑・説明板)

 竹山城(周辺城郭)

 真田邸(周辺城郭)

 杵淵舘(周辺城郭)

 手城山城(周辺城郭)

 鞍骨城(周辺城郭)

 八幡原史跡公園(寺社・史跡)

 山本勘助の墓・広瀬の渡し(寺社・史跡)

 典厩寺(寺社・史跡)

 妻女山(寺社・史跡)

 象山神社(寺社・史跡)

 長国寺(寺社・史跡)

 陣場平(寺社・史跡)

 白鳥神社(寺社・史跡)

 信州松代観光協会(御城印)

 真田邸(スタンプ)

 松代城跡管理棟(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 松代藩武家屋敷・旧樋口家住宅(関連施設)

 文武学校(関連施設)

 旧白井家表門(関連施設)

 旧松代駅跡(その他)

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