江尻城(えじりじょう)

江尻城の基本情報

通称・別名

所在地

静岡県静岡市清水区江尻町

旧国名

駿河国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

馬場信春

築城年

永禄13年(1570)

主な改修者

主な城主

山県氏、穴山氏、徳川氏

廃城年

慶長6年(1601)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

庵原山城(静岡県静岡市)[3.5km]
瀬名館(静岡県静岡市)[5.3km]
久能山城(静岡県静岡市)[6.4km]
小島陣屋(静岡県静岡市)[7.6km]
駿府城(静岡県静岡市)[10.0km]

江尻城の解説文

江尻城(えじりじょう)は駿河国江尻(現在の静岡県静岡市清水区江尻町)にかつてあった城である。

概要
永禄13年(1570年)、甲斐国の武田氏により築城された。

巴川を背後に控えた微高地上に立地し、本丸を中心に三方を囲う輪郭式城郭の平城である。武田氏の駿河侵攻により顕在化した三河徳川氏との前線に位置する城であったほか、折戸湾の西に位置するため武田水軍や水運とも関係のある城であると考えられている。

近世の絵図によれば、甲州流築城術の特徴のひとつである丸馬出しが3箇所設けられ、また堀も巴川の水が引き入れられた水堀であった様である。東西400m・南北260m程の近世城郭にも匹敵する規模を持つ。

『甲陽軍鑑』品34に拠れば、築城は永禄11年(1568年)で、武田氏の第二次駿河侵攻において支配拠点となり、武田家臣馬場信春(美濃守)による縄張りが行われる。武田氏の駿河経営の拠点となり、当初の城代は山県昌景。『軍鑑』品36に拠れば、永禄13年にも駿河先方衆による普請が続けられている。

昌景は長篠の戦いにおいて戦死し、河内領主で駿河侵攻においては横山城普請を務めていた(『軍鑑』品36)穴山信君が城代となる(「永禄12年4月19日付穴山信君宛武田信玄掟書」)。

江尻城には穴山梅雪(信君)と重臣中の重臣が配されており、武田氏の重要視の程を伺わせる。実際、武田信玄から信君に当てた書状には、朝比奈信置等の駿河先方衆を夜間に本丸に入れないよう用心するように指示したものが現存する。

武田氏滅亡後は徳川氏の勢力下になり、徳川氏の庇護を受けた穴山勝千代(信治)が城代となるが、勝千代の夭折により慶長6年(1601年)に廃城になった。

現在は市街地化により、当時の姿を偲ばせるものは無いが、本丸跡は清水江尻小学校の敷地となっている。周囲には、大手町、二の丸町など、当時を偲ぶ地名が残っている。

跡地
現在跡地に、当時江尻城があったことを思わせるものは、前述のようにあまりないといえるであろう。...

江尻城の口コミ情報

口コミがまだ投稿されていません。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore