持船城(もちふねじょう)
持船城の基本情報
通称・別名
- 用船城、持舟城、用宗城
所在地
- 静岡県静岡市駿河区用宗城山町
旧国名
- 駿河国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 一宮元実
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 関口氏、三浦氏、向井氏、朝比奈氏
廃城年
- 天正10年(1582)
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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持船城の解説文
[引用元:Wikipedia「持船城」の項目]持船城(もちぶねじょう)は、現在の静岡県静岡市駿河区用宗城山町の、JR東海道本線用宗駅裏の標高70mほどの小高い丘陵(城山)にあった日本の城。眼下に駿河湾を見下ろし、駿府の町も一望できることもあり、東海道の山越え側丸子城と並んで、海側の街道の要衝であった。
現在では「用宗城(もちむねじょう)」とも称されるが、これは現在の地名からで、現役時代に実際にそのように呼称されたことは無い。ただし「用船城」と記された資料は存在し、船を用いる城という意味にもとれるため、持船-用船-用宗という変遷が想像される。
【城の歴史】
はじめ今川氏の属将であった一宮元実によって天文年間に築城され、駿河守備の重要な支城として重用されたと伝わる。今川義元の妹婿である関口親永らが城主を務めた。しかし、桶狭間の戦い以降、今川氏が衰退すると、駿河国侵攻した武田信玄らによって攻められ奪われる。
武田氏城代として三浦義鏡、および武田水軍に招かれた向井正重らが入り、駿河湾に面していることもあり、水軍の城としての機能を持っていた。新しく湊が作られ、現在のJR用宗駅付近が舟溜りとして使われたらしく、そのころ城名として「持船」の通称がついたといわれている。
天正7年(1579年)徳川家康の駿河侵攻により牧野康成らに攻められ、落城。城代の三浦、向井らは揃って討死してしまうが、すぐ翌年には武田勝頼らによって再び奪い返されて再建し、朝比奈信置が城代となった。
天正10年(1582年)、甲州征伐によりまたも駿河に侵入した徳川家康により再攻撃を受け、降伏。城代朝比奈信置は久能山に退き、この際に廃城とされたと伝わる。
【現在の城】
持船、の名から「用宗」という名が生まれ、付近一帯の地名となっている。城山にはミカン畑が広がり、主郭には城跡の碑と、観音堂があるが、昭和62年(1987年)に廃されて廃屋となっている。古井戸跡、掘割の跡など、城跡はよく残っている。
城から100mほどの場所にある用宗公民館前に、徳川家康に最初に攻められた際に討死した向井正重ら諸将を供養する「城山列士供養塔」がある。
東海道新幹線がトンネルで城山を抜け、背後は東名高速道路が新日本坂トンネルへと入る場所であり、現在でもまさしく交通の要衝である。[続きを見る]
持船城の口コミ情報
2021年02月06日 ともっち♪隠岐守
城山烈士供養塔[持船城 寺社・史跡]
持船城で戦った武士の供養塔
地元の方々が近世建立したものです
2020年12月08日 遠江守すねぇもん
持船城
本丸、二の丸とコンパクトながらも、戦の場であった歴史や、海が目の前にある立地から、往時を想像しながら歩けます。
四枚の見難い写真ですが、静岡の低山ハイクファンには見応えある景色です。
2020年09月13日 千閑斎【】
持船城
今川館を守る支城の一つとして重視され、武田に支配が移ってからは武田水軍の拠点として位置づけられていました。JR用宗駅の北東方向の小山が城跡です。浅間神社横の農道から登れます。中腹に4〜5台程止められる駐車場があります。そこからは徒歩で、本丸側から登るより二の丸側から登った方が楽だと思います。比高は70m程ですが、駿河湾や静岡市街が一望できます。本丸の西側には土塁の痕跡があり、堀切で西側の二の丸と隔たれています。くらがや井戸には近づかない方が良いと思われます。
2019年02月22日 青コアラ美濃守
持船城
用宗駅の北東、浅間神社の横から登城路が伸びています。中腹に城専用の駐車場がありますが、そこに至るまでに勾配のきついヘアピンカーブがあるので、大きい車では厳しそうです。
まともに見学できる遺構としては主郭の平場、主郭・ニノ曲輪間の堀切ぐらいです。堀切の北に井戸跡がありますが、金網で遮られてよく見えません。また、二ノ曲輪への道はほぼ消滅していて、登れたとしてもミカン畑になっていて散策出来ません。主郭だけは整備されていて眺望もいいです。観音堂の廃屋も撤去されていました。
2015年08月11日 maria弾正大弼(葵)
持船城
9月21日、もちむね向井水軍まつりがあります。しらすとか即売するらしいです。生しらすあるといいけど。しらす丼が格安で食べることが出来ます。