丸子城(まりこじょう)

丸子城の基本情報

通称・別名

鞠子城、三角城、宇津谷城、赤目ヶ谷砦

所在地

静岡県静岡市駿河区丸子字泉ヶ谷

旧国名

駿河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

斉藤氏?

築城年

不明

主な改修者

今川氏親

主な城主

斉藤氏、福島氏(今川氏家臣)、山県氏(武田氏家臣)、松平氏(徳川氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、竪堀、枡形、馬出

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

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丸子城の解説文

城郭ファンなら誰もが唸る、言わずと知れた土の名城「丸子城」。今川時代、武田・徳川の改修もあったんじゃないか?なんて推測されますが、コンパクトな縄張りの中に山城の魅力がたくさん詰まっていて何度見ても興奮します。僕が高校生の頃に初めて見た時の衝撃と感動が忘れられない想い出の城でもあります。

縄張図や香川元太郎さんのイラストで見る丸子城は、さながら山頂に浮かぶ駆逐艦です。

登城ルートは2ヶ所。駿府の工房 匠宿側と誓願寺側なんですが、駿府の工房 匠宿は静岡の伝統工芸体験施設で、カフェや静岡市のおみやげ品も豊富。誓願寺側の誓願寺さんには賤ヶ岳七本槍でお馴染みの片桐且元のお墓がありますので、丸子宿の風情が残る通りを散策しながら併せてめぐってみてください!

そして、丸子といえば名物「とろろ汁」。ご飯の上にタップリととろろ汁をかけて、ツルツル口に運べば旅の疲れも吹っ飛びます。体力付けたら、再び静岡の旅へ向かってGO!だ~!



丸子城(まりこじょう)は、駿河国(現静岡県静岡市駿河区丸子)にあった日本の城(山城)。北城と南城があり、北城を指すと見られる宇津谷城、鞠子城、南城を指すと見られる三角城(みかど - )、赤目ヶ谷砦の別名がある[1]

概要 

南北とも最高所の標高は136メートル、比高100メートルであり、城域は東西800メートル、南北350メートルに及ぶ。北城は南から屈折して北東へ伸びる主軸尾根上に、西から東へ一線に一の曲輪・二の曲輪・三の曲輪が段状を成して造られ、各曲輪は土塁で囲まれており、郭間は空堀で仕切られている。南城は主軸尾根の南端に長さ95メートル、幅平均40メートルで、高さ2メートルの土塁を周回させた「千畳敷」と呼ばれる主郭を構え、東西の支尾根上に段上に重ねた曲輪を設けている。南城本丸から北城主郭間の西側斜面には、南北に長大な空堀が設けられている。

歴史 

北城は応永年間、駿河国守護今川氏の家臣、斎藤安元歴代の居城として築城され、北城の北側山麓には斎藤氏の居館が設けられていたと見られている。

今川義忠が、文明8年(1476年)に戦死し、龍王丸(後の今川氏親)と、小鹿範満との間で家督争いが起きた際、龍王丸は一時丸子城で暮らしていた。家督相続した氏親が西進を目指すに当たり、駿河府中の防御を固めるため斎藤氏の居城を接収して、南の三角山方面に城域を拡大したのが南城であるが、氏親以降氏真までの城主や歴史は不明である。また、家督相続した氏親は直ちに駿府の今川館には入らず、明応4年(1495年)頃まで丸子城を今川氏の居館である丸子館にしたとする説も出されている[2]

永禄11年(1568年)、武田信玄が駿河に侵攻すると、西駿河に残る今川方への押さえとして山県昌景が丸子城に置かれた。永禄13年(1570年)、信玄は駿河全域を制圧して、丸子城は諸賀兵部大輔・関甚五兵衛を在番とし、天正6年(1578年)頃には屋代勝永に替えた。この間、西方面の大規模な増築や各所の改修が行われた。

天正9年(1581年)3月の高天神城落城を前に、武田方は徳川方に丸子城を明け渡して退去し、徳川家康は松平備後守(松平清善?)を置いたが、天正18年(1590年)の関東移封に伴い廃城となった。

丸子城の口コミ情報

2024年11月06日 ピッケル下野守
丸子城



誓願寺側からの整備されたハイキングコースを利用して登城出来ますが、2024年11月5日時点で2本の倒木により階段が分断されています。現時点では何も表示されていなかったので、自分は自己責任で横断しました。

169センチの自分が登りは跨げましたが、降りは階段の段差の分で足が届かなく、ちょっと焦りヒヤッとしました。やはり横断は通行禁止レベルだと思われるので避けた方が無難かと。なので匠宿側から登城をおすすめします。

2024年08月10日 楊近江守威利
丸子城



真夏の早朝に登りました。車は麓の匠宿の無料駐車場に。最初の階段がキツイですが、それを乗り越えれば大丈夫です。登り時間は10〜15分くらい。神社に到着すれば、そこから遺構が点在して疲れが吹っ飛びます。やはり、武田式の縄張りに改修されたとあって、防御装置がビッシリ残っています。北曲輪に残る横堀に感動しました。
※北曲輪ベンチに車のカギが落ちていました。(スバル)麓の匠宿の売店レジに預けました。

2023年12月05日 RED副将軍
丸子城



駿河侵攻の抑えとして武田氏が魔改変したとされる名城🏯
いわゆるマリコ嬢です

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。応永年間(1394年〜1428年)に斎藤安元により築かれたと云われます。
斎藤安元は今川氏の家臣であり斎藤氏代々の居城でした。
1476年に今川義忠が没すると嫡男の今川氏親と、従兄の小鹿範満との間で家督争いが勃発。後の北条早雲こと伊勢新九郎が仲裁に入り、小鹿範満が後見人として家督を代行する事で一旦は決着するまで、今川氏親は丸子城に身を寄せていました。
成人しても家督を返上しなかった小鹿範満を討ち、今川氏親が当主となると丸子城は府中館を守る城郭群の一つとして接収し、城主に福島安房守を置きました。
その後の丸子城の情勢は不明であり、1568年に武田信玄が駿河に侵攻すると、山県昌景を丸子城に布陣して西側の今川勢の抑えとしました。
1570年に駿河国を制圧すると諸賀兵部大輔、関甚五兵衛、屋代勝永を城番に置きました。
現在に残る遺構はこの頃に武田氏により改修されたものと考えられています。
1581年、徳川家康により高天神城が落とされた際に、武田方は丸子城からも退去。徳川家康は丸子のに松平備後守を配しました。
1590年に徳川家康が関東移封となると廃城となりました。

見所
駿府の西の防衛拠点として標高139.8mの三角山に築かれています。
南端のピークに主郭を配し、北へ二の曲輪、北曲輪、大手曲輪が連なり、北曲輪が今川氏時代の主郭とされます。
西側に大規模で深い横堀が明瞭に残っており、横矢を掛かりの折れや出丸、馬出しが併設されています。
また、主郭西側の大鈩曲輪と大手曲輪には明瞭な三日月堀も残ります。
豪快な横堀、竪堀だけでなく、よく見ると緻密な計算をされた技巧的な縄張りを楽しむことができる名城です。

行き方は、誓願寺を目標に設定し駐車場を利用させてもらいました。比高は100mほどで15分程度で城域に辿り着きました。
ハイキングコースとして整備された登城路です。

2023年12月04日 kazmame
丸子城



駿府匠宿側から登頂しました。帰りは誓願寺側へ。130mくらいを一気に休まなく階段で上がります。なかなかきつい。堀切、土塁など、とても武田っぽい。迷子になりそうだし、降りる時も滑落?したらまずい!と感じるような立派な山城でした。

2023年09月28日 瀧乃道大蔵卿ユズル
丸子城



「お城」を感じたいなら、私が登った匠宿側からがおすすめです。誓願寺側からは綺麗な階段が整備されていて、いきなり本丸に到達します。他の方も書いていますが、本丸から堀切に下りると見るものありますが、自己責任!です降りた所はロープが無かったのですが、上がった所はロープが張ってありました。もしかしたら立入禁止だった?下から見上げるとどこから降りたー?となりそうで、方向音痴の方は止めといたほうが、、、あと数日登城者がいなかったのか、数十のクモの巣に絡まりながら登りました。本丸のど真ん中にも!ちょい長めの枯れ枝をくるくる回しながら登りましょう笑

2023年06月12日 千葉相模守早雲【権六】
丸子城



横堀、竪堀、堀切、土塁、土橋、虎口などあらゆる遺構の造形美が城好きを惹きつける最大の魅力。まりちゃんの愛称だけではありません😆

本曲輪から尾根伝いにニの曲輪、北曲輪、大手曲輪を配し、曲輪下には横長の空堀や武者隠し。また一時期、山県昌景が入った為か馬出しと三日月堀など武田らしい遺構もあります。

曲輪から見下ろすだけでは、見逃しがちなので、是非空堀まで下りて見るのがオススメです。滑り易くロープなどもありませんので、あくまでも自己責任でお願いします😅

1.大手曲輪へと続く土橋。
2.北曲輪と土塁。
3.北曲輪と二の曲輪間の堀切の東側は竪堀となって落ちる。
4.北曲輪から本曲輪まで横堀が続き、三日月状に湾曲した箇所もある。
5.横堀には武者隠しも設けられている。
6.本曲輪西側は曲輪と土塁と横堀が複雑に入り組み、竪堀となって落ちている。
7.丸馬出しと三日月堀。
8.長大竪堀。

2023年03月26日 ふみ
丸子城



近くの誓願寺に片桐且元のお墓がありました。本丸まで、15分位。

2023年03月12日 野良犬しろチロ丸
丸子城



最近、運動不足の私でも、15分程で登頂できました。気軽に登れる山城です。

2023年02月14日 弾正忠ひろし
丸子城



駿府匠宿の無料駐車場に停めて誓願寺まで歩いて遊歩道入り口から上がりました 誓願寺の駐車場も無料ですが参詣者はとのことなので誓願寺へお参りとお賽銭を忘れないようにしましょう 今朝まで降り続けた雨も上がり足元は少し濡れている程度でした 10分程山道の階段を登ると本丸跡の開けた場所に出ます 虎口・馬出し・土塁など当時の面影が残っている場所を廻り 帰りは匠宿方面に降って20分程で駐車場に着きます

2023年02月13日 犬走りより荒ばしり上総介
丸子城



山城好きには納得の城です。枡形虎口や堀切等も分かりやすく残っています。雨後は特に滑りやすいので甘く見ずにゆっくり楽しみましょう

2022年05月13日 釆女正佐吉。
誓願寺(片桐且元夫妻の墓)[丸子城  寺社・史跡]



ある日の出来事よ。グーグルマップで丸子城を検索したら片桐且元のお墓が目に飛び込んできたの。ちょうど浅井や片桐の勉強してたから運命だと悟ったわ。…行くっきゃない!

ところで片桐且元って知ってる?北近江出身で賤ヶ岳七本槍の1人よ。その且元の墓がなんで静岡にって思うでしょ?アラ思わない?知りたいでしょ?アラ知りたくない?…まあいいわ。それはね「方広寺鐘銘事件」(釣り鐘の文が家康を呪詛する意図があるって断じたアレ)の時、豊臣家家老である且元は、弁明するため駿府を訪れたんだけど、家康にまだ来ちゃダメ!って言われて誓願寺に滞在したのよ。そこでお寺と「出逢いに感謝☆ご縁に感謝☆」ができたの。で後年且元の甥がお墓を建てたの。調べたわよ!とにかく慶長5年以降の、推しがいない世界は知らない事ばかりで大変なのよ!

…脱線したわ。「出逢いに感謝☆」の続きね。奔走してる内謀反を疑われて、家老の座を狙う一部の豊臣家臣が命まで狙い出したから、且元は大坂城を脱出したの。直前の且元と淀殿の腹の探り合い的書状が興味深いのよ。(「羽柴家崩壊」黒田基樹氏)。豊臣方から徳川方に政権の中心が移ってゆく様も書かれてるからオススメよ。

また脱線したわ!その後且元は徳川軍に加わって(2人完全にデキてたわね)大坂城を攻撃するの!大野治長が秀頼と淀殿の助命嘆願と居場所を知らせてきたらナント!秀忠に通報しちゃうのよ!そして豊臣家TheEnd。ジ・エンドって意味分かる?一巻の終わりよ。英語苦手だもん調べたわよ。クレバーも調べたわ。賢いって意味よ。賢い美少年…ま、許してやって頂戴。また脱線したわとにかく豊臣家は滅亡したのよッ‼︎昨日の味方は今日の敵ってヤツね。怖いワ…。その後且元はどうなったか気になるでしょ?

…20日後に死んじゃうのよ‼︎怖いワ…。

醍醐の花見での「私が先よッ」エピからも分かるプライド高き淀殿だけど、且元に「父とも思う」とまで書いて弱い姿も晒してたの。そんな、二代に渡って浅井父娘に仕えた相手に去られ攻撃され通報されて滅亡した豊臣家。淀殿は最期何を思ったのかしらね。

〜誓願寺。頼朝が両親追善のため建立するも今川武田の丸子城争奪戦の飛び火で全焼。その後信玄が再興。武田関連の古文書や且元の遺品がある〜

え?3行でお願い?
源氏推し、武田推し、片桐推しは行くべきお寺よ。

1行でまとまったわね…。

2022年03月11日 富樫左京亮由章
丸子城



登り口から本丸まで20分くらいで着くので、ちょっとした運動にはもってこいのリア攻めです。景色はのぞめませんが、楽しい散歩ができました!

2021年12月29日 泉地淡路守ばっかんまん
丸子城



駿府匠宿の駐車場に車を停めて登りました。20分程で登れたと思います。今川氏による築城の後、武田氏によって改修されているようです。堀切や横堀、馬出などが堪能できます。ハイキングコースにもなっているので、小さな子供達も一生懸命登ってました。

2021年10月03日 ペスカトーレ
丸子城



戦国時代に廃城になった山城ですが、確かに多数の曲輪や堀切が、綺麗に残っています。前半は、勾配がきつく少し大変ですが、後半からは、移行を確認しながら楽しく上れます。匠宿から本曲輪跡(頂上)まで、ゆっくり登って30分位でした。

2021年08月07日 今川党山県右兵衛尉ニャン八
丸子城



今川氏が造ったのは北曲輪まで。後は山県昌景流(武田)の造りです。横堀、堀切などが見事で高低差も凄いです。

2021年01月06日 山西の無職人千閑斎
丸子城



私も駿府匠宿の駐車場に駐車して登りました

山城として、土塁.横堀.竪堀.虎口.馬出し.堀切等の遺構がよく残っている楽しい山城ですが横堀の堀底を歩いていたらいつの間にか駿河
峯に登ってしまいました(笑

丸馬出しが二つ有りますが通常の馬出しとは使い方が違うとか。
今川の城を武田が改造、更に徳川が手を入れたとか。
今後の研究が楽しみです。

帰りに若い方二名様とすれ違いましたが、割と辛そうだったので…自分だけじゃないと安心しました。


2021年01月06日 葵尾張守
丸子城



駿府匠宿の駐車場に停めて登城。
駐車場は1回200円17:00まででした。
(料金は変更があるようでした)
案内看板に20分位の気軽なハイキング!とあったので気楽に寄ったのですが、結構キツかった。
とにかく一直線に登っていく感じです。
途中に休憩を挟みながらでないとキツく、冬でしたが北曲輪に着く頃には汗だくに。。

片道20分なので見学と下りで小1時間位で見学でき、空堀や土塁等の状態も良く楽しめると思います。
道中は石ころが沢山なので、靴底は厚めのものがオススメです。
私は予定外の登城で普通のブーツで登ったので足裏が痛かったです。。

2020年11月03日 のらのら刑部少輔
丸子城

駿府匠宿側の道から行きました。一気に山の尾根まで登るので最初は結構きついです。無理をせず、何回か休憩を入れながら進むことをお勧めします。飲み物を持っていくと良いかもです。そのあと神社の小さな建物が見えたら後はなだらかになります。三日月堀、堀切、土塁などを確認できますので、十分楽しめると思います。

2020年08月21日 孔明
丸子城



誓願寺で片桐且元のお墓に詣でてから登城しましたが、道は整備されているものの、きつかったです。遺構は匠宿側から登ったほうがいいと思います。

2019年11月24日 赤かぶ【】
丸子城

駿府匠宿の駐車場は自分が行った時は1回200円でした(時期や曜日によって変更がありそうです)前口コミによると1回410円でした。立体駐車場でになっております。駿府匠宿の営業時間内でしか利用出来ない感じです!9時から17時まで(季節によって変更ありそうです)自分が利用したのは2019.11.22(金)でした。

2019年04月29日 ソバッソ80.0
丸子城



大手三日月堀付近の帯郭、竪堀が甘く数条。侵入規制ロープあり。

2019年04月29日 ソバッソ80.0
丸子城



大鈩郭、竪堀を進むと馬出にヤラれる。しかし竪堀感出とるなぁ。

2019年04月25日 ソバッソ80.0
丸子城



横堀。土塁を越えた法面を奥に奥にひたすら進むと、大手三日月堀に接続。三日月堀を避けて来た人達は、このエリアでタコ殴りです。

2019年04月01日 ソバッソ80.0
丸子城

丸子匠宿の駐車場は朝早いと開いていません。先人の口コミに倣い、誓願寺さんに停めさせて頂きました。利用してもいいのか分かりませんが、お賽銭はずんでおきました。

誓願寺さんから橋を渡れば、あとは民家の間を縫って登り口が出てきます。階段、手すり設備有り。
とりあえず少し登ったら、痩せた尾根に出ますので、ピークに向かって登って下さい。10分くらいで主郭です。

主郭に簡素化された俯瞰図があるので、それをケータイに撮って観ながら歩いたらいいと思います。モリモリボコボコウッネウネです。

見どころは、全部です。
2時間いても飽きません。

大手三日月堀を超えた辺りから発生する帯曲輪には、竪堀が数条あまーく入っており、攻め手のルートが制限されている様が想像出来ます。
そして、主郭からその帯曲輪がしっかり見下ろせて「あぁアイツら、今からタコ殴りに合うんやろうな」って、可哀想な、くらい視認できます。

とりあえずボコボコしてるので、とりあえず散策しても十分面白いですが、せっかくなので守り手の気持ちになって散策してみるといいと思います。

2015年05月24日 まー刑部卿
丸子城

丸子匠宿の有料駐車場(1回410円)に駐車しそこからすぐに登城口の看板があります。北曲輪跡までは急な上りがあるので2、3回ほど休憩しなければいけないほどキツイです。北曲輪には丸子稲荷神社があるため参詣しその後大手曲輪に。そこには三日月堀が見て取れます。さらに上るとニノ曲輪、本曲輪がありその手前には枡形虎口がある。本曲輪を見渡すと食い違い虎口と平虎口もあります。またニノ曲輪、本曲輪の横に長大な堀切もあります。ここは堀切が良好な状態で残っているので上るのにキツイですが見る所の多い城跡です。

2015年02月06日 ぽめ
丸子城

確かに遺構の残存状況は全国でも最高レベルでしょう。武田氏城郭を知るには最良の場所とも思います。ただ、研究は進み切っていない印象もありますね。最新論考は、とある大先生の古希記念紀要掲載の著名研究者によるものですが、文献史無視の閉口モノ。研究者を名乗るならば、少しはちゃんと取り組もうよ…。

2012年11月09日 三河守コーキしゃん
丸子城

国道1号線、丸子ICから南の信号「二軒家」を右に曲がった誓願寺方面から登りました。

誓願寺に駐車場とトイレがあります。

今川氏のお城を武田氏が大改修したお城です。

竪堀、横堀、馬出し、枡形虎口、土塁、土橋、武者走り等、中世城郭の遺構がほぼ当時の状態で残っていて、とても見応えのある素晴らしいお城です。

特に三日月堀や丸馬出しは、武田氏の築城術を堪能できる数少ない遺構です。



丸子城の周辺スポット情報

 竪堀(遺構・復元物)

 本丸西丸馬出(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 外郭(遺構・復元物)

 大手郭(遺構・復元物)

 二の郭(遺構・復元物)

 平虎口(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 北郭(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 枡形虎口(遺構・復元物)

 喰違い虎口(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 細川幽斎公歌碑(碑・説明板)

 丸子城説明板(碑・説明板)

 丸子城主郭見取図(碑・説明板)

 誓願寺(片桐且元夫妻の墓)(寺社・史跡)

 柴屋寺(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駿府匠宿 有料駐車場(駐車場)

 誓願寺 駐車場(駐車場)

 登山口(その他)

 丸子の里自然歩道入り口(その他)

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