久能山城(くのうざんじょう)
久能山城の基本情報
通称・別名
- 久能城、久能寺城
所在地
- 静岡県静岡市駿河区根古屋
旧国名
- 駿河国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 武田信玄
築城年
- 永禄11年(1568)
主な改修者
- -
主な城主
- 今福氏(武田氏家臣)、本多氏、松平氏、榊原氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、井戸
指定文化財
- 国史跡(久能山)
再建造物
- 石碑、説明板(久能山)
周辺の城
-
江尻城(静岡県静岡市)[6.4km]
瀬名館(静岡県静岡市)[7.2km]
駿府城(静岡県静岡市)[7.9km]
賤機山城(静岡県静岡市)[9.1km]
庵原山城(静岡県静岡市)[9.9km]
持船城(静岡県静岡市)[10.8km]
安倍城(静岡県静岡市)[12.6km]
丸子城(静岡県静岡市)[12.8km]
小島陣屋(静岡県静岡市)[13.9km]
花沢城(静岡県焼津市)[14.5km]
久能山城の解説文
[引用元:Wikipedia「久能山城」の項目]
)
|社格=別格官幣社 |創建=元和2年12月(1617年1月) |本殿=権現造 |地図 = }}久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社である。江戸幕府を創始し、晩年を駿府(現:静岡市葵区)で大御所として過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去、遺命によってこの地に埋葬された。駿河湾に面した久能山の南斜面に設けられた表参道(1159段の曲がりくねった石段)を登った上に神社がある。
江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した。
2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。2015年(平成27年)には鎮座400年を迎え、様々な催し物が企画、開催された。
歴史
久能山(標高216m)は元々、北側にある日本平とともに太古の海底隆起によって形成された。長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。
推古天皇(592年- 628年)の頃、秦氏の末柄にあたる秦久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾(聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。
永禄11年(1568年)、駿河侵攻で駿府を制した武田信玄が久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築いた。しかし、甲州征伐による武田氏滅亡とともに駿河は徳川家康の領有するところとなり、久能城もその支配下に入った。
家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)12月には江戸幕府第2代将軍徳川秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が始まっている。日光東照宮は第3代将軍徳川家光の代における「寛永の大造替」で、徳川家康を祀る日本全国の東照宮の総本社的存在となった。同時に家光は久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、薬師堂(現・日枝神社)、神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、五重塔(後述の事情で現存せず)、楼門が増築された。
なお、駿府城代支配の職である久能山総門番として代々久能の地を領して久能山東照宮を管理したのは、交代寄合の榊原家であった。
造営以来の多くの建造物が現存するが、寛永期に徳川家光が造営を命じた五重塔は、明治時代初期の神仏分離によって解体を余儀なくされた。
年表
近世以前
- 推古天皇(592年- 628年)の頃:久能忠仁が久能山麓に久能寺を建立。
- 元和2年(1616年)
- 4月17日(6月1日):徳川家康が駿府(現在の静岡市)で死去。
- 5月(6月):久能山で東照社(現・久能山東照宮)が着工される。
- 元和3年2月21日(1617年3月28日):朝廷から当社祭神(家康の神格化)に神号「東照大権現」が宣下される。
- 元和3年12月(1617年1月):東照社(久能山東照社)創建。
- 寛永年間(1624年- 1645年):本殿、石の間、拝殿が檜皮葺から銅瓦葺きに変わる。
- 正保2年11月3日(1645年12月20日):朝廷から東照社に宮号「東照宮」が宣下され、これよりのち、「久能山東照宮」の通称が成立する。
近代以降
- 慶応4年3月(1868年4月):<神仏分離令>
- 明治3年12月(1871年1月):本地堂(薬師堂)を廃し、境内の日枝神社を遷す。
- 明治4年5月14日(1871年7月1日):<近代社格制度の制定>
- 1873年(明治6年)
- 2月18日:県社に列格。
- 神仏分離によって五重塔は競売に掛けられ、解体される。
- 1888年(明治21年)5月1日:別格官幣社に列格。
- 1946年(昭和21年):社名を「久能山東照宮」とする。(それ以前は「東照宮」)
- 2006年(平成18年):最近年に実施された社殿塗り替え事業の竣工。
- 2010年(平成22年)12月:本殿、石の間、拝殿が、国宝に指定される。
祭神
- 徳川家康(東照大神・東照大権現)
- (相殿)豊臣秀吉・織田信長
祭事
■大祭
- 例祭 4月17日
- 春季大祭 2月16日 - 18日
- 秋季大祭 10月17日
■諸祭
- 月始祭 毎月1日
- 月次祭 毎月17日
- 月次誕辰祭 毎月26日
- 愛宕神社例祭 1月24日
- 稲荷神社例祭 4月9日
- 久能神社例祭 5月18日
- 日枝神社例祭 6月15日
- 厳島神社例祭 6月17日
- 竃神社例祭 12月17日
- 駿河稲荷社例祭 2月8日
文化財
建造物
国宝
- 久能山東照宮 本殿、石の間、拝殿(1棟)[1](附:安鎮法供養具11組、本殿釣燈籠4箇、拝殿釣燈籠2箇)
- 江戸時代初期の代表的権現造で元和3年(1617年)落成。寛永年間に檜皮葺から銅瓦葺きとなった。
重要文化財(国指定)
- 「久能山東照宮」13棟
- 唐門
- 東門
- 廟門
- 玉垣
- 渡廊
- 廟所宝塔(神廟) -本殿の裏手山頂付近にある、家康が埋葬された場所に立つ廟[2]。
- 末社日枝神社本殿(旧本地堂)(附:釣燈籠2箇)
- 神庫
- 神楽殿
- 神饌所
- 鼓楼
- 神厩
- 楼門
- (附:廟所参道(廟門以内、石鳥居及び石柵付)、銅燈籠2基、手水鉢石1口、棟札10枚)
(指定年月日)
- 明治41年(1908年)8月1日 - 本殿・石の間及び拝殿(合1棟)が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定。
- 明治45年(1912年)2月8日 – 唐門、東門、廟門、玉垣、渡廊の5棟が特別保護建造物に指定。
- 昭和30年(1955年)6月22日 - 廟所宝塔、末社日枝神社本殿、神庫、神楽殿、鼓楼、神厩、楼門の7棟を重要文化財に追加指定。このほか、附(つけたり)指定の安鎮法供養具、廟所参道、銅燈籠2基、棟札10枚もこの日付けで指定。
- 昭和42年(1967年)12月11日 - 附指定の釣燈籠8基、手水鉢石を追加指定。
- 平成22年(2010年)12月24日 - 「本殿・石の間・拝殿」が文化財保護法に基づき国宝に指定。同日付で神饌所を重要文化財に追加指定[3]
社殿拝観料は大人:500円 小人:200円。(2016年1月現在)
美術工芸品
国宝
- 太刀 銘真恒
重要文化財(国指定)
- 伊予札黒糸威胴丸具足(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)(徳川家康所用)
- 金溜塗具足(徳川家康所用)、白檀塗具足(徳川家康所用)
- 革柄蝋色鞘刀(かわづかろいろさや かたな) 無銘(伝三池光世作)
- 太刀 銘国行(長73.0cm)
- 太刀 銘国行(長69.7cm)
- 太刀 銘安則
- 脇指 無銘(伝相州行光作)
- 脇指 無銘(伝貞宗)
- 太刀 銘正恒
- 太刀 銘雲次
- 太刀 銘守家
- 太刀 銘末守
- 太刀 銘国宗(備前国宗)
- 太刀 銘国宗(伯耆国宗)
- 太刀 銘高(以下不明)
- 徳川家康関係資料 一括(明細は後出)
- 一、位記、宣旨、口宣案類
- 二、神服、調度類
- 三、書画、典籍類
- 四、道具類
重要文化財「徳川家康関係資料」の明細徳川家康関係資料位記、宣旨、口宣案類
- 位記案 13巻
- 口宣案案 10通
- 宣旨案 20通
- 口宣案案 10通
- 附:葵紋蒔絵箱 1合
神服、調度類
- 袍(ほう) 6領
- 衵(あこめ) 1領
- 下襲(したがさね) 3領
- 裾(きょ) 2領
- 単(ひとえ) 2領
- 表袴(うえのはかま) 2腰
- 指貫(さしぬき) 4腰
- 大口 2腰
- 直垂(ひたたれ) 1具
- 直垂袴 1腰
- 襪(しとうず) 2足
- 糸鞋(しがい) 1足
- 挿鞋(そうかい) 1足
- 浅沓 1足
- 冠 1頭(附:梨子地雁蒔絵冠箱 1合)
- 笏 2握(附:黒漆螺鈿箱 1合)
- 檜扇 2握(附:黒漆螺鈿箱 1合)
- 拍子 1対(附:黒漆唐花唐草蒔絵箱 1合)
- 石帯(せきたい) 2条
- 平緒 輪宝三葉葵紋刺繍 1筋
- 附:朱塗唐櫃 1合
書画、典籍類
- 絹本墨画枯木鷲図 1幅
- 絹本墨画柿本人麻呂像 1幅 表紙押紙天正丙戌(十四年)十二月二十一日譲与墨書
- 左圭大字「間居清翫」 1幅
- 朱書父母恩重経(朝鮮本) 1帖 正統丁卯(十二年)臘月日書写奥書
- 朝鮮版和剤局方(銅活字本) 6冊
道具類
- 火縄銃 慶長十七年、同十八年清尭刻銘 2挺(附:火薬入・玉入8口、火縄2本、間縄(胴乱入)1巻)
- 茶壺(九右衛門、金森) 2口
- 見台 1基
- 卓 1基
- 黒柿製旅硯箱 1合
- 芭蕉蒔絵硯箱(蓋欠) 1合
- 鉛筆 1本
- 書棚 1基
- 目器 2掛
- 鷺蒔絵香具箱(小箱三合入) 1合
- 伽羅 2材
- 蒔絵櫛 12枚
- 山水人物図堆朱盆 1枚
- 屈輪堆黒盆 1枚
- 蓮形堆朱香合 1合
- 金銅獅子鈕香炉 1口
- 青磁香炉 1口
- 鋳銅花生 1口
- 天目茶碗 1口
- 菊桐蒔絵薬椀 1口
- 染付蓮唐草文茶碗 1口
- 青磁輪花茶碗 2口
- 銀張葵紋散手拭掛 1基
- 葵紋散蒔絵刀掛 1基
- 銀張紋散耳盥 2口
- 葵紋散蒔絵脇息 1基
- 青磁鉢(乳棒二本付) 1口
- 洋時計 一五八一年マドリッド製刻銘(革箱付) 1箇
- 小刀 銘埋忠 1口
- 団扇 2握
- 鋏 3挺
- 薬刀 1口
- 金銀象嵌けひきばし 1挺
- 金茶匙 1本分
- びいどろ薬壺 3箇
- 竹編炭斗 1口
- 杖 2本
- 編笠 1頭
- 鞍 1具
- 秋草葵紋散蒔絵長持 2合
- 桐蒔絵長持 2合
- 網代駕籠 1挺
- 竹編駕籠 1挺
附指定
- 木刀 元和四年墨書 2本
- 七宝燭台 2基
- 独楽蒔絵燭台(芯切鋏、芯入共) 1基
- 棹秤 1挺
出典
- 『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)毎日新聞社、2000年
- 『解説版 新指定重要文化財 9 書跡・典籍・古文書3 歴史資料』毎日新聞社、1984年
付属施設
- 久能山東照宮博物館
史跡等
- 国の史跡「久能山」
- 勘助井戸(武田軍の軍師山本勘助が掘ったとされる井戸)
久能山東照宮が登場する作品
- 泉鏡花『道中一枚絵 その一』 - 岩波書店刊行『鏡花全集』第27巻に所収の紀行。鏡花が伯父・松本金太郎と共に社殿を訪れた際の珍道中を『東海道中膝栗毛』になぞらえて記す。
- NHK木曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』
交通アクセス
又は
- 日本平山頂西側にある日本平駅から日本平ロープウェイで約5分(日本平山頂には、公設・静岡鉄道私有のものを含め、一般車・観光バス向けの無料駐車場が多数用意され、ロープウェイ運行時間内は自由に利用できる)。
- 新静岡バスターミナル・静岡駅北口・東静岡駅南口からしずてつジャストライン・日本平線 42系統「日本平ロープウェイ」行き終点下車、上述の日本平ロープウェイに乗り換え(土休日に公共交通での訪問・拝観を希望する場合、しずてつジャストラインでは、この経路の利用を推奨している[4])。
- 静岡駅南口からしずてつジャストライン・石田街道線 14系統「久能山下」行き(運賃を通算する直行便の設定は限られている。ただし、途中の東大谷までは石田街道線に加え、静岡駅北口から美和大谷線も頻発、東大谷から約1時間おきに運行される久能山下行きに乗り換え可能。運賃は同停留所で区間ごとの打ち切り計算。石田街道線の久能山下行きダイヤは等時隔ではない。
- 清水駅前・新清水からしずてつジャストライン・山原梅蔭寺線 226・227系統「久能山下」行き(昼間でも2時間ないし3時間程度運行間隔が開く時間帯があるなど、運行本数は少ない)
- 双方とも終点「久能山下」下車、同バス停との間には1,159段の石段がある(健康な大人の足で、昇降には概ね15分から30分を要する)。ロープウェイの運行時刻は夏季と冬季で異なり(久能山東照宮の拝観時間に合わせた設定で冬季は早じまいする。)、またいずれのバス系統も、平日ダイヤと土休日ダイヤで大きく運行本数および時刻を異にするので、路線バスを利用して久能山東照宮へ訪問する場合には、関係各所への事前問い合わせ、あるいは提供している情報を用いてあらかじめ調査を行い、移動時間には余裕を持たせることが望ましい。
- 日本平ロープウェイは設備点検・機器更新等のため、閑散期に期間を予告して運休する場合がある。
参考文献
- 【書籍】「余ハ此處ニ居ル 家康公は久能にあり 」
- 【書籍】「日本之名勝 」 |chapter=久能山東照宮(駿河静岡) |ref=}}
- 【書籍】「勤王事蹟別格官幣社精史 」 |pages=78-81 |ref=}}
- 【書籍】「静岡の山城ベスト50を歩く 」
- 【書籍】「静岡県案内 」 |chapter=久能山東照宮本社 |ref=}}
- 【書籍】「家康の時計渡来記 」
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、26頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、126-127頁
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久能山城の口コミ情報
2024年09月02日 尼崎城駿河守一口城主
久能山城
[進軍編]18きっぷ🛤️で北関東を目指す道中、静岡で下車してバス🚌を乗り継ぎ登城。(参考までに私は下記の通り乗り継ぎ移動:静岡駅南口13:00→東大谷(ひがしおおや)13:22[乗換]東大谷13:31→久能山下13:40※私は終点の久能山下まで行きましたが一つ前の久能局前で降りても距離的には大差ないかと思われます。)
東照宮の鳥居前から山を見上げると山の上に建物(写真①)が見えたので目的地はあの辺りかなと思ったのもつかの間で、見えていたのは一の門(写真②全景参照)でした💦石鳥居から社務所・博物館まで約20分(写真③)との案内がありました。暑い中、つづら折り(写真④)を上がっていくのはしんどかったのですが、写真⑤の風景や潮風で気を取り直して進みました。写真⑤左側にうっすら見えている島影が伊豆半島との事でした。一の門(写真⑥)をくぐって進んでいくと、勘助井戸(写真⑦)があり、深さを覗いてみようとしましたが、蓋がしてありました。久能山は勉強不足で東照宮のイメージしかなかったのですが、社務所付近の説明版(写真⑧)を見ると、お寺→山城→東照宮と変遷をたどってきたようです。よく考えると(考えなくても?)お城アプリに載っているから城郭時代もあって当たり前かと納得でした😅
2024年09月02日 尼崎城駿河守一口城主
久能山城
[東照宮・博物館編]社務所付近に東照宮の説明板(写真①)があり、5行目に、<徳川家康公は、大御所として、駿府城に在城当時「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたと言われる>との一文がありました。
久能山の説明板(写真②左下)を見るとかつての本丸の場所に本殿が建っていることが分かりました。
社殿と博物館の共通券でまず社殿にお参り。楼門(写真③)をくぐって本殿に進むと司馬温公の甕割りの彫刻(写真④⑤)があり、逆さ葵(写真⑥⑦)も見学。
奥の神廟にお参り後、引き返して博物館(写真⑧)に入館。
博物館では見応えのある展示品が数多くありましたが、その中で最も印象に残ったのが日本最古の洋時計でした。スペイン船難破救助のお礼でスペイン国王フェリペ3世より家康公に贈られたゼンマイ時計とのことで、博物館2階のビデオを見ていたところ家康公は時計を観賞用としていたとのことでした。そのお陰で部品の摩耗・消耗がなくて後世の調査には良かったようです。400年以上の時を経て平成24年5月の大英博物館の調査で当時(16世紀)としての最高の技術で作られた傑作と評されたとのことでした‼️
2024年04月27日 コナン遠江守
久能山城
久能山東照宮の海側の参拝道から攻城。天気がよく、駿河湾の絶景を拝むことができました。参道に入ってすぐの駿河稲荷社の奥に「徳川喜久子姫御婚儀記念碑」があり、家康公の遺訓が刻まれています。
2024年04月16日 島宮内大輔右近
久能山城
草薙駅から草薙神社、有度山、日本平夢テラスをハイキングしてロープウェイで久能山東照宮へ降った。日光東照宮程華美さはないが、歴史を感じる趣は有る。
2024年03月10日 マグロ常陸介祐平
久能山城
国宝の東照宮がある全国区の観光地の為、多くの人で賑わっています。城めぐりとして訪れる人はほとんどいないと思いますが、説明板(写真7枚目)にある城の縄張と東照宮の配置図を比べるとあまり違いはなく、平地はそれぞれ曲輪で、社殿南東の切岸(写真6枚目)など、土の城の原形を止めているような箇所も見ることが出来て、それなりにお城を感じられる空間となっています。
また、石垣は神社としてのものですが、こちらも社殿同様見ごたえがあります。
武田氏の築いた城(異説もあるようですが)ということで、勘助井戸と名付けられた井戸(写真2枚目)がありますが、ご愛嬌ですね。
博物館には、有名なスペイン国王から送られた日本最古の洋時計や、どうする家康で義元から授かった金ピカの甲冑(金溜塗具足)を見ることが出来ます。
2023年09月06日 銀英10島大和守誠長
久能山城
あの険しい山の上の切込みハギの石垣は一見の価値有ります。
2023年08月19日 そらそら伊勢守♪
久能山城
日本平ロープウェイで登城しました。それでも高い石段と真夏の暑さに汗だくでした。体力に自信のない方はロープウェイおすすめです。美しい社殿、荘厳な廟所、大河でお馴染み金の具足。大満足でした。しかし、Y!モバイル、繋がりにくくて焦りました。何とかとれましたが。
2023年08月14日 けいすけ蔵人頭
久能山城
海側から向かうともれなく900段以上の石段登りがついてきます。足元に不安のある方は日本平側からのロープウェイをお勧めします。天気がいいと海の眺め最高です。
2023年07月17日 Kou蔵人頭ry
久能山城
三連休中日でしたのでロープウェイオープン(9時)前には100人近く並んでいました 朝で35℃ありましたので家康の墓、金のなる木行ってから博物館に行くと冷房で生き返ります 昼頃には観光バスもやってくるらしいので午前朝イチがオススメです
2023年06月26日
久能山城
静岡駅からバスとロープウェイ乗り継ぎで50分程です。事前に北口のバス案内所で往復割引切符を購入することをお勧めします。
2023年05月22日 小太郎左衛門督南海道22國守
久能山城
日本平ロープウェイ無料駐車場より、ロープウェイ往復、久能山東照宮拝観、東照宮博物館入館三点セット券1950円で乗車。ふじのくに地域クーポン(アプリのみ、紙は不可)で購入し、5分余りの旅です。博物館では、神君が関ヶ原合戦で使用と伝わる駕籠も展示期間中で見ごたえあります。
2023年03月27日 契丹
久能山城
駐車場は少し遠いところに1日200円の場所があります。近くだと500円くらいになります。階段は滑りやすいところがあるので、雨の日は気をつけてください。葵の紋が上下逆になっている紋章があります。探してみてください。
2023年03月21日 II軽内大臣為信
久能山城
日本平からのロープウェイで二の丸の石垣の遺構が見れました!
2023年03月12日 井伊兵部少輔直政
久能山城
ロープウェイの久能山駅の横に久能山城の二の丸跡の石垣が残っています。久能山城が堅固な城郭だった事が分かります。
2023年02月26日 剛中務卿鯉城
久能山城
ロープウェーでなく歩いて登りました。苦労して石段を登る価値あります。
2023年02月19日 みなとん左京大夫
久能山城
宝物殿の二揃いの具足が素晴らしいです。またゆっくり見に来ます。
2023年02月19日 ぱぱ〜ん伊豆守
久能山城
難攻不落の城も1,159段の階段を登ると実感。でも今は絶景のご褒美が待ってます。ほとんどの方は日本平ロープウェイ🚡なんでしょうけどね。資料館は大河で松潤が着てる金の鎧が展示されてました。東照宮は見応え十分。しっかりお参りしました。
2023年02月17日 賤ヶ岳七本串弾正大弼
久能山城
海側から一の門まで階段で登りここまででいいか…。と城攻めするも制覇ならず!まじか、もういくきゃないっ!と登りきりましたよ。修行のようでした。駐車場は200円で平日16時はガラガラでした。
2023年02月15日 弾正忠ひろし
久能山城
“ 家康公が愛したまち静岡 ゆかりの地めぐり“で久能山東照宮に来たら久能山城でした 駐車場はどこも有料ですが200円っていうところが空いていたら最安値なのでお勧めです 秀忠が造営して家光が補修したそうです 1,159段の階段は結構キツいけどなんとか登りやっと社殿入口に着きます 時間が遅かったので途中駿河湾を望む景色も夕焼けが映えて絶景でした
2023年02月11日 てんてるだいじん治部少輔
久能山城
日本平からロープウェイで五分で久能山に!階段昇れば30分🎵あなたはどっち⁉️
2023年02月06日 三上駿河守
久能山城
行きは静岡駅からタクシーで日本平駅に行き、ロープウェイで東照宮まで。帰りは東照宮の階段を降りてバスで久能山下から東大谷、東大谷でバスを乗換えて静岡駅まで、が比較的効率の良い交通手段かと思います。メインが東照宮なので、城跡巡りというより神社巡りとなります。
2023年02月01日 宝咲美濃守利樹之丞
久能山城
昨日行って来ました。海が見えるのは途中の山門あたりまで。心地よい登山道でした。足元は滑り止めがあった方が歩きやすいです。
2023年02月01日 首藤左兵衛督督刀斎
久能山城
登るのは思った以上に大変でしたが、博物館にソハヤノツルキウツスナリ、金陀美具足、白檀塗具足などあり絶景も価値有りと思います。
2023年01月06日 中務少輔おりー
久能山城
階段は石がツルツルして不揃いなところもあるので、スニーカーで行くことをおすすめします。
2022年09月11日 たぬきおとこ
久能山城
城跡の遺構はあまりありません。石垣が少しあるくらい。
2022年08月01日 RED副将軍
久能山城
徳川家康を知るには外せない遺構✨
オススメ度 ★★★★★
推古天皇の頃、久能忠仁が久能寺を建立したのが始まりとされます。
1568年、駿府へ進出した武田信玄が、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し、この地に築城。
その後、武田氏が滅亡すると共に、徳川家康の支配となりました。
家康は久能山を重要視し、死後は遺命により遺骸は久能山に埋葬され、2代徳川秀忠は久能城を廃し、東照宮を創建しました。
見所
本丸跡に鎮座する国宝の久能山東照宮本殿。御祭神は神君、徳川家康公。江戸時代初期の代表的権現造です。
一の門(大手門)は、17曲りの石段を登り詰めた場所にあり、城門風で屋根は左右切妻造りの銅板葺きの復元がなされています。
家康公が眠る廟所参道の石灯籠も重要文化財に指定されています。徳川家臣が奉納しており、松平、本多、酒井、成瀬、土井等の錚々たる名が刻まれています。
2022年07月12日 キャサリン丸
久能山城
今は久能山東照宮となっていますが、石垣がありまして、名残も見られます♪下から登ると、徳川家康公のお墓までは、1000段以上登ります。
夏は水分を持って上がられるか、上がる前に、少しのみ、上の自販機で冷たいのを買うといいと思われます。家康公の愛馬のお墓もあり、見所満載です。
是非一度足をお運び下さい。
2022年05月01日 数珠丸恒次大納言ヒロティー
久能山城
言わずと知れた久能山東照宮がある場所です。雨の中参拝もしてきました
2022年01月31日 和泉守CHANEL
久能山城
晴れた時は富士山が美しいです。駐車場も夢テラス(展望台)も無料なのが嬉しいです
2021年10月10日 博万之里武田武者兵部卿
久能山城
急な坂道です、帰り道は滑りやすいので注意して下さい。ゆっくり休んでウォーキングして下さい。久能様は歴史的に見処あるお城です。
2021年10月10日 特にありません
久能山城
久能山東照宮博物館が良い。徳川家の宝物に圧倒される。西を展望出来る所の立ち家康の心境になってから下山ですね。
2021年06月24日 パジェロ
久能山城
6月24日現在、ロープウェイ工事の為、休み。7月16まで休みです。行く方は、海側から、登って下さい。私は、御城印買いに来ましたが、あきらめました❗
2021年04月04日 八咫烏掃部助
久能山城
日本平ロープウェイの駐車場が狭いので車でお越しの方は駐車場が中々空かないかもしれません現在はロープウェイ自体は5分に一本位あり待ち時間が短く乗れました。現在、久能山東照宮博物館で徳川慶喜展がやってます。また、久能山東照宮博物館で久能山城の御城印を限定3000枚で頒布中なので御城印集めている方は行ってみるといいかもしれません。
2021年03月23日 かず治部少輔
久能山城
景色も綺麗で楽しかった、300円で飲めるお抹茶も美味しかった
2021年01月05日 松山主水正幸兵衛
久能山城
主要情報は他の皆様が掲載しているので、サブ情報を。
久能海岸から登る石段からの景色と、お正月の頃に咲いている寒桜。本堂手前の建物の硝子窓から見える肖像と葵の御紋の色々に感動を覚えます。微妙な違いをじっくりと見たいです。写真を撮り忘れましたが、門の内側に家康公の手形のレプリカが置いてあり、自分の手と比べる事ができますよ。
2021年01月01日 ペスカトーレ
久能山城
元々は、武田信玄が駿河に進行し領地としていた時に元々有った寺を移動して築いた城だったみたいです。以後家康の物となり、家康の死後遺命により久能山に遺体が葬られ、後に久能山東照宮として整備されたようです。
元城だったと思って見ると遺構がかなり有りますが、戦略的にここに城が有る意味は、一寸わかりかねる感じです。単に東照宮に行くには日本平の山頂(駐車場無料)からロープーウェイ(有料)で行くのが、空いていれば一番楽です。だたし混雑時はかなり並びます。
海側から行くと、麓の観光茶屋に駐車場代金を払い車を止め、整備されてるが古くて歴史あるガタガタで急な石階段を、千段以上登って行く事になります。
しかし城好きだったら、海から行く方が趣があって良いと思います。社殿に入るには入場料が要ります。また別料金の小さい博物館には、家康の金甲冑と機械時計が展示物されていて、ファンは必見です。
2020年09月15日 平井甲斐守顕人乃介
久能山城
息子とともに海側から攻めました!
雨が降っていましたが、何とか登頂してお目当ての島左近の兜を拝見。
息子の喜びの表情がたまりませんでした‼️
2020年08月15日
久能山城
猛暑で日和ってしまい、日本平側からロープウェイにしました。体力に自信のある方は、是非海側から階段で上がって下さい。素晴らしい眺望の価値が上がると思います。
2020年03月02日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
久能山城
日本平から久能山東照宮ヘ参拝に行く場合、日本平ロープウェイ往復券と拝観料と宝物館(博物館)の入館料の3点セット1750円がお勧めです。後、日本平のロープウェイ乗り場が改築工事中なので注意して下さい。
2018年10月15日 武蔵守じじ
久能山城
現在は久能山東照宮で、徳川家康の廟所もあります。本殿の垂木の先には金色の葵の紋が付いています。向かって左側つまり廟所に行く方の側の垂木は、普通上一枚、下二枚の葵の紋が1つだけ上二枚下一枚になっていて、それを見つけると幸せになれるそうです。