久能山城(くのうざんじょう)

久能山城の基本情報

通称・別名

久能城、久能寺城

所在地

静岡県静岡市駿河区根古屋

旧国名

駿河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

武田信玄

築城年

永禄11年(1568)

主な改修者

主な城主

今福氏(武田氏家臣)、本多氏、松平氏、榊原氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、井戸

指定文化財

国史跡(久能山)

再建造物

石碑、説明板(久能山)

周辺の城

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久能山城の解説文

久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。 推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾(聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築いた。しかし、武田氏の滅亡と共に駿河は徳川家康の領有するところとなり、久能城もその支配下に入った。

家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和2年12月(1617年1月)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が始まっている。日光山の東照社は3代将軍・家光の代になって「寛永の大造替」と呼ばれる大改築がされ、徳川家康を祀る日本全国の東照宮の総本社的存在となった。同時に家光は久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、薬師堂(現・日枝神社)、神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、五重塔(現存は無い)、楼門が増築された。

なお、駿府城代支配の職である久能山総門番として代々久能の地を領して久能山東照宮を管理したのは、交代寄合の榊原家宗家であった。

造営以来の多くの建造物が現存するが、寛永期に徳川家光が造営を命じた五重塔は、明治時代初期の神仏分離によって解体を余儀なくされた。

久能山城の口コミ情報

2020年09月15日 平井甲斐守【足軽大将】
久能山城

息子とともに海側から攻めました!
雨が降っていましたが、何とか登頂してお目当ての島左近の兜を拝見。
息子の喜びの表情がたまりませんでした‼️

2020年08月15日 SSA1近江守
久能山城

猛暑で日和ってしまい、日本平側からロープウェイにしました。体力に自信のある方は、是非海側から階段で上がって下さい。素晴らしい眺望の価値が上がると思います。

2020年03月02日 三尺坊右衛門督影ちゃんII号
久能山城

日本平から久能山東照宮ヘ参拝に行く場合、日本平ロープウェイ往復券と拝観料と宝物館(博物館)の入館料の3点セット1750円がお勧めです。後、日本平のロープウェイ乗り場が改築工事中なので注意して下さい。

2018年10月15日 陸前守じじ
久能山城

現在は久能山東照宮で、徳川家康の廟所もあります。本殿の垂木の先には金色の葵の紋が付いています。向かって左側つまり廟所に行く方の側の垂木は、普通上一枚、下二枚の葵の紋が1つだけ上二枚下一枚になっていて、それを見つけると幸せになれるそうです。

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