瀬名館(せなやかた)
瀬名館の基本情報
通称・別名
- 大屋敷
所在地
- 静岡県静岡市葵区瀬名2
旧国名
- 駿河国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 今川(瀬名)一秀
築城年
- 長享元年(1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 瀬名氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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瀬名館の口コミ情報
2025年02月20日 ʀᴇᴅ副将軍
瀬名館
今川氏重臣である瀬名氏の居館🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1487年に瀬名一秀により築かれたと云われます。
瀬名一秀は遠江今川氏六代当主である今川貞延の長男であり、駿河今川氏の家督を継いだ龍王丸が幼少であったため補佐役に抜擢され、駿河国瀬名村を与えられます。そして築いたのが瀬名館であり瀬名氏を称しました。
以後、氏貞・氏俊・氏詮と四代まで瀬名館での統治が続きましたが、1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討たれると瀬名氏は没落。
三代当主の瀬名氏俊の弟は関口氏に養子に入った関口親永であり、今川義元の妹を妻としました。そして生まれた女子は、瀬名館で生まれたことから瀬名姫と呼ばれ、後の徳川家康の正室となった築山殿です。
その後の瀬名氏は、1568年に武田信玄が駿河侵攻してきた際に今川氏から離反。
瀬名政勝は、武田氏が滅亡すると徳川家康に従い、小牧・長久手の戦いでは戦功を挙げ三百石を領して旗本となっています。
見所
瀬名集落の中央にありましたが宅地化により遺構は消失。
城域東方にある光鏡院は初代瀬名一秀の菩提寺であり、その隣の龍泉院は三代瀬名氏俊の正室の菩提寺であり墓所があります。
2024年04月16日 ruiw0302
瀬名館
リア攻ポイントから東に直線約350mに瀬名館の案内板がある以外に痕跡は見つけられなかった。
位置情報を頼りに辿っていくと、家々に阻まれてぐるりと回るだけで「え?」だった。
四方を家に囲まれた僅かな畑の中央付近が城マークのポイントかと推察できた。
他よりもちょっとだけ大きめの小さな水路が畑から伸びていたので、「ん?これなぞは屋敷の名残?」かとシャッターを切って投稿。
瀬名姫にまつわる何かがあるのかしらんと訪ねてみたけれど、瀬名砦の麓に建立のお寺の入口に案内板があるだけだった。
あまりに紹介できるものがないのも寂しいかなと、先に投稿されてた方々に倣って山門や力士像などをご案内申し上げました。
駿府城からは北東に直線約5.5km、今川家を支えた一族がお住まいだった地域の雰囲気は味わうことができました。
ポツンと碑だけが建っているお城跡も多々あるけれど、これほどまでに見当たらないのも潔い感じで寧ろ微笑ましかった。
2023年05月10日 織田上総介晃司
瀬名館
葵区瀬名一帯に館があったとされる。瀬名氏の菩提寺・光鏡院には瀬名館の説明板があります。徳川家康の正室・築山殿(瀬名姫)も瀬名氏の出身になります。
しかしセナ館が静岡にあったとは…てっきりブラジル・サンパウロにあるものと思ってた…
瀬名地区のローマ字表記は「Sena」やはり「Senna」表記でないと違和感がある。
2014年03月06日
瀬名館
㍻26年4月以降JA静岡市西奈支店が移転になるため リンク西奈・西奈図書館を目標にすれば光鏡院に近くになります
2013年05月06日
瀬名館
瀬名氏の菩提寺 光鏡院について JR静岡駅から行く場合、静鉄ジャストラインの竜爪山線で瀬名リンク西奈のバス停で降り JA静岡市西奈支店の入口を入り80㍍〜90㍍ぐらい行くと光鏡院に着きます。
JR草薙駅からの場合、草薙瀬名新田行きに乗り同じく瀬名リンク西奈で降りれば、同じく着きます。
瀬名館の周辺スポット情報
瀬名館説明看板(碑・説明板)
梶原一族最期の戦いの説明板(碑・説明板)
梶原景時親子最期の地(寺社・史跡)