田中城(たなかじょう)
田中城の基本情報
通称・別名
- 亀甲城、亀井城、(徳之一色城)
所在地
- 静岡県藤枝市田中1
旧国名
- 駿河国
分類・構造
- 輪郭式平城
天守構造
- なし
築城主
- 一色氏
築城年
- 天文6年(1537)
主な改修者
- 山県昌景
主な城主
- 一色氏、山県氏(武田氏家臣)、依田信蕃(武田氏家臣)、本多氏
廃城年
- 明治元年(1868)
遺構
- 曲輪、移築櫓、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 市有形文化財(田中城本丸櫓)、市史跡(田中城址)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
花沢城(静岡県焼津市)[5.9km]
花倉城(静岡県藤枝市)[6.8km]
持船城(静岡県静岡市)[9.7km]
丸子城(静岡県静岡市)[10.1km]
小山城(静岡県榛原郡)[10.7km]
横岡城(静岡県島田市)[14.9km]
勝間田城(静岡県牧之原市)[15.0km]
諏訪原城(静岡県島田市)[15.4km]
駿府城(静岡県静岡市)[15.5km]
安倍城(静岡県静岡市)[16.0km]
田中城の解説文
田中城の口コミ情報
2024年05月27日 カピバラ大蔵丞
田中城
珍しい同心円状の縄張り。完全な平地の平城で、家康がなぜここを攻めあぐねたのか良く分からない。遺構はあまり残っていないけど、訪ねて見る価値はあるかも。ここまで来たら藤枝市郷土博物館・文学館は訪問必須です。
2023年08月29日 RED副将軍
田中城
全国的にも珍しい本丸を中心とした同心円形の縄張りである円形輪郭式城郭🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
1537年に今川氏家臣である一色信茂により築かれた徳之一色城が前身とされます。
一色氏が没落すると今川氏家臣の由井美作守の居城となりましたが、由井美作守が桶狭間の戦いで討死すると、代わって長谷川正長が入城。しかし、1570年に武田信玄の駿河侵攻により落城したとされます。
その後、武田信玄は馬場信房に改修を命じて田中城に改名させ、山県昌景が城主として入城。
1575年の長篠の戦いで織田・徳川軍が武田勝頼に勝利すると、武田氏は弱体化し徳川家康は駿河に侵攻を開始。田中城は何とか防衛していましたが、1582年に武田氏家臣で江尻城の穴山梅雪が徳川家康に降ると、田中城は孤立し穴山梅雪の説得もあり城主の依田信蕃は開城したとされます。
その後は徳川家康の家臣である高力清長が入城しました。
1601年に関ヶ原の戦いの軍功として酒井忠利が駿河田中藩主として入封。
1609年に酒井忠利が川越へ移封となると、田中藩は駿河藩に編入となり、その後は松平氏、水野氏、北条氏等頻繁に城主が入れ代わりました。
1730年に本多正矩が入封すると本多氏が代々続き明治に至りました。
見所
西益津小学校、西益津中学校付近が本丸跡とされ、本丸を中心に直径約600mの同心円状に3重に堀を巡らせる円形輪郭式の城郭です。
宅地化により、決して残存度は良くありませんが市中の至るところに土塁や堀跡が残存し、Googleマップでみても当時の縄張りの面影が十分認められます。写真⑩
二の丸及び三の丸外に武田氏流城郭の特徴である丸馬出しが6ヶ所あったとされ、一部の三日月堀が残ります。
本丸から東へ400mほど歩くと「田中城下屋敷」が公園整備され二重櫓等が再移築されています。
因みに、徳川家康は天ぷらを食べたことが死因との逸話が有名ですが、天ぷらを食べたのは鷹狩りで頻繁に訪れていた田中城であり、茶屋四郎次郎に供された鯛の天ぷらと云われています。
行き方は、田中城下屋敷を目標に設定。広い駐車場があるのでここから歩いて市街を探索しました。
2023年08月25日 りーーさ
田中城
本丸は残念ながら学校に変わっており、周囲に馬出しの遺構が残っています。下屋敷にも櫓等かつて城内にあったものが移築されています。無料駐車場もあり此方に車を止めての散策がよろしいかと思います
2023年08月24日 ちゅ〜摂政
田中城
お堀がそのまま残っていて、城跡は学校になっていた。
2023年07月26日 武蔵守マクシミリアン
田中城
田中城三の堀。田中城は4つの同心円のような堀に囲まれていたそうで、本丸から3番目の堀。住宅と田などが混在していて、どこまでが遺構が分かりにくい。ただ、城域には旧跡の名称が書かれた白い杭があちこちに立っている。手書きなので、消え掛かった杭もあるが、手作り感があり、こういう城跡は好きだなあ。
2023年07月10日 松平勘解由長官屏風折土塀元康
田中城
田中城下屋敷は家康鷹狩り記念館に名前が変わりました。内容は変わっていません。
2023年05月11日 織田上総介晃司
田中城
田中城下屋敷の駐車場があります。開館時間が9:00〜17:00(月曜休館)となっており、時間外は柵がしてあり利用できません。
17:00を過ぎて訪ねたため田中城下屋敷も駐車場も利用できず、近くのウェルシアに駐車(もちろん買い物はしました)本丸櫓と冠木門を外から眺め、西益津小学校・西益津中学校周りの土塁・堀を堪能。
田中城のある藤枝市には昔「藤枝ブルックス」というサッカーのJクラブチームがありました(現・アビスパ福岡)
2023年04月22日 宮内大輔虎太郎
田中城
家康公ゆかりの地めぐりで登城しました。城跡は現在は小学校みたいで、校門の脇に本丸跡の碑が立っていました。バイクだったので、校門の脇に停めさせていただき、写真だけ撮ってお暇しました。
2023年02月12日 コナン遠江守
田中城
珍しい円形の縄張りの平城です。宅地化されて、遺構はあまり残っていませんが、下屋敷跡に本丸櫓が移築されています。三日月堀跡、土塁、水堀なども住宅地の中に点在しています。標識を頼りに探し歩くと宝探しのようで楽しめます。
2023年02月06日 りん丸駿河守
田中城
信玄、信長、秀吉、家康が田中城に入るのに通った御成街道。東海道を八幡橋を越えてから東に下り平島口へ向かう。晩年の家康は鷹狩りのために駿府城から田中城に20回以上訪れたとか。今はアスファルトになっているけれど、古を偲ぶと感慨深い。
2023年02月06日 めぐ志摩守
田中城
住宅街の中にあります。小学校を目指すとわかりやすいです。
2023年02月06日 弾正忠ひろし
田中城
本曲輪跡は小学校になっていて、その周りは住宅街で車を置く場所もありません。けれども少し離れたところに田中城下屋敷があり、無料で広い駐車場も隣接しています。日曜でもガラガラなので車をそこに置いて城跡周辺を散策するのがお勧めです。田中城には元々天守閣はなく櫓があっただけらしいです。
下屋敷に展示してあった資料によると1616年1月21日に家康は駿府城で朝食に鯛の天ぷらを食べてから藤枝に出発。鷹狩りをした後田中城で就寝中夜中に突然腹痛が襲い、これがきっかけで病に臥し4.17に駿府城で亡くなったそうです。
この頃家康は頻繁に鷹狩りに出掛けて田中城に宿泊したとのことです。下屋敷跡には歴史的価値の高そうな昔の家屋も展示していますが靴さえ脱げば気軽に上がり込んでくつろぎ、いにしえに想いを馳せることが出来てビックリです。
2023年01月29日 くろねこ駿河守⛩️【】
田中城
公園の管理事務所で御城印が購入できます。その際に管理人さんに頼めば復興図もゲットできますよ~お散歩に最適です♪
2023年01月28日 Bug尾張守
田中城
城郭周りは道も細く離合出来ない!注意されたし!
2022年05月02日 数珠丸恒次大納言ヒロティー
田中城
本丸跡は学校になってますが、近くに下屋敷跡があります。無料で見学できます
2022年05月01日 在来線男右京進
田中城
かなり宅地化されていました。車を置いてゆっくり歩いて見たかったです。
2022年04月02日 ばらく~だ
田中城
本丸跡の小学校の敷地内に、田中城のジオラマがありました。前面道路からフェンス越しですが、見ることができました。
2021年06月21日 山西の無職人千閑斎
小川城(法永長者屋敷跡)[田中城 碑・説明板]
山西の有徳人と称えられた長谷川正宣の屋敷です。3km程北にある徳一色城(田中城)も長谷川氏の城でした。
文明八年(1476)勝間田、横地を滅ぼした今川義忠は塩買坂で両氏の残党の待ち伏せに合い討ち取られます。嫡子の龍王丸(氏親)は六歳(三歳の説もあり)ここから今川の内訌が始まり、伊勢新九郎や大田道灌らが入り乱れ、小鹿範満が今川の家督を代行し氏親が元服したら家督を返すと言う事で手打ちとなりました。その間、氏親と北川殿はこの小川城で保護されていました。
遺構としては現在は地表面には残っていません。城跡碑と説明板が住宅地の遊歩道にポツンと立っています。
昭和五十四年に発掘調査され、80m×150mの屋敷を巾15mの堀が囲んでいました。遺物も大陸の物等、沢山発見されたようです。
住宅街なので近くのスーパーに駐車させていただきました。何故か蓮の花が綺麗でした。
2021年01月20日 ポール駿河守マッカートニー
田中城
基本、住宅地。本丸付近は学校に。ちょっと離れたところに、城内に引いた水の元になった池や、馬のための水飲み場が残ってます。
2020年10月29日 海道一の弓取り
田中城
残念ながら昔に比べ大分遺構は失われましたが、まだ所々に残っている部分もあります。
全国的に見ても縄張りが円形の珍しい城ですので是非探索してみて下さい。
2020年09月22日 のらのら刑部少輔
田中城
本丸跡のまわりの道路が今でも円を描くようになっているので、円形の城郭だったことを今でも感じられます。
2020年04月12日 ペスカトーレ
田中城
本丸跡は、現在小学校になっているので、木碑しか見れませんが、周囲には土塁跡が2ヵ所堀の跡2ヶ所有ります。
更に田中城下屋敷跡には、本丸に有った物見櫓、長楽寺村郷倉、仲間部屋・厩、茶室が移設されてます。
物見櫓は約200年前に建てられ、長楽寺村郷倉、仲間部屋・厩、茶室は約170年前に建てられた物のようです。
入場無料で、無料駐車場が有り、資料となるチラシも有るので、近辺に有る田中城の遺構を見て回るにも、先ずここに来るのが良いと思います。
2020年02月23日 くみGON内蔵頭
田中城
2/23訪問したところ、門工事と本丸櫓工事で
見学出来ませんでした。工事は3月末までとの事なのでお出掛けする時は確認の上、向かってください。
2019年11月29日 恭任非参議侍従
田中神社[田中城 寺社・史跡]
武田信玄が田中城を修築した折、鎮護として京都伏見稲荷より勧請。明治になり、東照宮を合祀して、大正に入り、現在地に移転。現在は「全国東照宮連合会」所属。今のところ御朱印は無し。同市花倉八幡神社の兼務社、ということでしたので、今後に期待。
2019年04月29日 ソバッソ80.0
田中城
円郭式とはよく言ったもの、カーブだらけの街割が残りまくっています。
2017年05月23日 堤玄蕃允晴孝
田中城
田中城の様子の分かる模型が西益津交流センターに置いてあります。田中城下屋敷とは少し離れていますが駐車場もあるので全容を掴んでからの散策がオススメです。日曜日がお休みだと思うので注意してください。
2017年02月25日 中務卿一之介
田中城
東海道本線西焼津駅からバスが出ていますが、土休日は極端に本数が減るので、あらかじめ調べておくことをお勧めします。
私の場合、ちょうどバスがない時間帯だったため、30分程歩きましたが、携帯ナビのとおりに歩いても本丸櫓にたどり着けず。後になって気づきましたが、「田中城」ではなく、「田中城下屋敷」で検索すべきでした。
下屋敷には本丸櫓が移築されており、厩などとともに見学できます。見学料は無料!市指定文化財なのに、維持費はどうしているのだろう、と心配になってしまいました。
城下を歩くと、道が緩やかにカーブしているので、確かに同心円状であることを実感できます。狭い道の割に車の通行量が多いので、その際はお気をつけください。
ここの説明文に、バスの情報として「藤枝市自主運行バス」が案内されていますが、このバスは現在運行していないようです。
2015年08月11日 STRADA
田中城
小学校を中心に円形の城郭が残っており、ぐるぐる廻るといろんな遺構に出会えますが、車ではチト狭い。広い、下屋敷の駐車場へ置いて、係のオジチャンに挨拶すると、いろんな話を聞けます!
田中城の周辺スポット情報
三日月堀跡(遺構・復元物)
三之堀(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
田中城下屋敷(遺構・復元物)
現存城門(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
移設本丸櫓(遺構・復元物)
二之堀(遺構・復元物)
三の丸土塁(遺構・復元物)
土塁跡(遺構・復元物)
姥ヶ池(遺構・復元物)
田中城碑(碑・説明板)
二之門跡(碑・説明板)
小川城(法永長者屋敷跡)(碑・説明板)
本丸跡(碑・説明板)
田中城三日月堀説明板(碑・説明板)
平島二之門(碑・説明板)
作事役所跡(碑・説明板)
三日月堀跡(碑・説明板)
外堀跡(碑・説明板)
三日月堀跡(碑・説明板)
平島一之門跡(碑・説明板)
田中城平島木戸(碑・説明板)
御成街道(碑・説明板)
東木戸(碑・説明板)
三日月堀跡(碑・説明板)
二之土塁跡(碑・説明板)
新宿木戸跡(碑・説明板)
馬場・馬見所跡(碑・説明板)
家老遠藤俊臣屋敷跡(碑・説明板)
玉薬製造所跡(碑・説明板)
重臣馬渕新右衛門屋敷跡(碑・説明板)
勤番長屋跡(碑・説明板)
南部屋跡(碑・説明板)
中間部屋跡(碑・説明板)
松原木戸番所跡(碑・説明板)
日知館跡(碑・説明板)
平島木戸口番所跡(碑・説明板)
史跡・田中城下屋敷案内図(碑・説明板)
三日月堀跡(碑・説明板)
新宿一之門跡(碑・説明板)
大手一之門跡(碑・説明板)
三之堀・土塁跡(碑・説明板)
武家屋敷・石垣跡(碑・説明板)
家老都築蕃隆屋敷跡(碑・説明板)
遠藤胤孝屋敷跡(碑・説明板)
八幡山砦(周辺城郭)
田中神社(寺社・史跡)
志太郡衙跡(寺社・史跡)
史跡田中城下屋敷(御城印)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
馬上の清水(その他)
4重の堀に囲まれ、「亀城」とも呼ばれる直径約600mの同心円形の縄張りは全国的にも類を見ません。
今から500年ほど前、この地の土豪・一色氏が今川氏の命を受け居館を拡大して築城したのが始まりと伝えられ、今川時代には徳一色城と呼ばれていました。
永禄13年(1570)、駿河に侵攻した武田信玄によって攻略され、武田流の馬出曲輪が築かれ田中城と名づけられました。天正年間(1573-1592)には武田氏と徳川氏による攻防戦が行われ、江戸時代には田中藩が置かれて、譜代大名12氏21名が城主となりました。
現在、城跡の中心部には小・中学校が建ち宅地化されていますが、二ノ堀・三ノ堀・三ノ土塁などが部分的に残され、城の面影をとどめています。また、田中城にゆかりのある建造物が下屋敷跡に移築復元され、一般公開されています。
史跡整備の概要
明治維新後、田中城は廃城となり、城跡と建物は民間に払い下げられました。昭和32年になって、田中城跡は市の指定史跡となりましたが、その後宅地化が急速に進んだため、昭和60年には「田中城保存整備基本構想」が策定され、昭和62年度から田中城跡の保存整備事業が始まりました。下屋敷跡については、平成2年度に発掘調査が行われ、平成4年度から7年度にかけて用地買収や庭園の復元整備、関連建物の移築復元、駐車場の造成などを行いました。平成8年8月1日に、史跡田中城下屋敷としてオープンしました。(面積:史跡田中城下屋敷4,552㎡・駐車場1,542㎡)
田中城下屋敷
田中城の南東隅にあたる下屋敷跡は、一色氏やその後裔の古沢氏の屋敷跡だとも伝えられています。しかし、江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置かれ、築山・泉水・茶屋等を設けて四季の景色を楽しんだともいわれています。平成4年度から8年度にかけて、下屋敷跡の庭園を復元するとともに、田中城にゆかりのある当時の建物をここに移築・復元しました。城にあった建物の実物が現在まで残されることは珍しく、歴史的価値の高い貴重な文化財といえます。
交通案内(史跡 田中城下屋敷)
・JR西焼津駅よりバス(五十海・大住線)「六間川」バス停下車 徒歩4分・JR西焼津駅よりバス(藤枝市自主運行バス・城南平島線)下屋敷入口バス停下車
徒歩1分
・自動車は国道1号大手交差点を南東へ1.2km 駐車場あり