勝間田城(かつまたじょう)
勝間田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 静岡県牧之原市勝田2160
旧国名
- 遠江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 勝間田氏
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- -
主な城主
- 勝間田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、建物礎石
指定文化財
- 県史跡(勝間田城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
諏訪原城(静岡県島田市)[5.6km]
菊川城館(静岡県菊川市)[6.6km]
小山城(静岡県榛原郡)[8.3km]
横岡城(静岡県島田市)[9.4km]
相良城(静岡県牧之原市)[10.9km]
黒田代官屋敷(静岡県菊川市)[11.0km]
掛川城(静岡県掛川市)[13.1km]
朝比奈城(静岡県御前崎市)[13.1km]
高天神城(静岡県掛川市)[14.2km]
田中城(静岡県藤枝市)[15.0km]
勝間田城の解説文
[引用元:Wikipedia「勝間田城」の項目]
勝間田城(かつまたじょう)は、静岡県牧之原市勝田にあった日本の城。静岡県指定史跡[1]。
概要
城主勝間田氏は古くから当地(勝田庄)を本領とし、鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕え、鎌倉後期に『夫木和歌抄』の選者である勝間田長清を輩出するなどした名族である[2]。勝間田城の南西、菊川流域を支配した横地城の横地氏とは同族とされる。
城跡は、牧ノ原台地から駿河湾に注ぐ勝間田川の上流部となる標高130メートルほどの丘陵地にある。築城年代は15世紀半ば頃と考えられている。尾根の最上部に「本曲輪」・「二の曲輪」・「三の曲輪」という三つの主要区画があり、周囲の稜線にも曲輪や堀切、土塁、空堀などが残っている。現在は発掘調査ののち史跡公園となり、遺構のほか駐車場やトイレなども整備されている[3][4]。
1476年(文明8年)、駿河の守護今川義忠に対し横地氏と共に対抗するも、義忠に攻められ落城した。
参考文献
- 溝口彰啓 2009「勝間田城」『静岡の山城ベスト50を歩く』(加藤理文・中井均 編) サンライズ出版 pp98-101
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勝間田城の口コミ情報
2024年03月11日 マグロ常陸介祐平
勝間田城
勝間田氏は、平安時代末期に史料に現れ、鎌倉時代は御家人、室町時代は幕府奉公衆として活躍、15世紀末に今川氏に攻められ落城していますが、城は約550年前に廃城となった(南区域は後代改修の可能性があるようですが)とは思えない程、遺構が残っています。
城は大変凝った縄張りとなっていて、大手口の細尾根には右手に出曲輪を配置、三の曲輪は土塁に囲まれ、自然地形を活用した変形の曲輪、三の曲輪と二の曲輪を仕切る土塁、その先は大堀切、本曲輪と南尾根曲輪を分断する堀切(写真6枚目)、それぞれの尾根には多重の堀切が見られます。堀切をふんだんに活用していますが、三の曲輪の東にある二重堀切(写真8枚目)と東尾根曲輪の先にある五重堀切(写真8枚目)は特徴的な作りで迫力があります。
また、三の曲輪の南側にある馬洗場の窪みもめずらしく感じました。
県の史跡として整備されており、大変見やすいお城です。
2023年08月15日 おさむ
勝間田城
麓に駐車場あり、5分歩けば入城口。直近までの乗り入れは、他の車と出会ってしまうと大変です。城は、立派な曲輪があり、とてもみがいがあります。牧之原大地を眺めることができます。
2023年07月22日 山西の無職人千閑斎
穴ケ谷城[勝間田城 周辺城郭]
穴ヶ谷城は勝間田氏の本城とも言われる城です、近くには中村の条里遺跡があります。城跡碑も説明看板も無い城ですが虎口には二重堀切、二郭の背後には割と大きな堀切があります。一郭は茶の木の原生林で探索出来ませんでしたが、二郭には鉄塔があり保守用の道?があるので二郭は探索できました。
2023年05月11日 織田上総介晃司
勝間田城
勝間田城第1駐車場に5台停めれます。向かいのトイレにパンフレットが置いてあります。駐車場から立派なアスファルト道が続いてますが車両は侵入禁止。徒歩にて登城。
勝間田城付近に諏訪原城・高天神城・横須賀城・掛川城など名城が目白押し。藤枝市〜掛川市をぐるっとひと回りでほぼ1日掛かるかも…
2023年03月15日 千葉相模守早雲【権六】
勝間田城
あちらこちらを堀切で切り、急峻な谷に囲まれた城。こんな堅固な城の主である勝間田氏とは一体何者なのか?パンフによれば、鎌倉時代には御家人、室町時代は奉公衆だったとか。応仁の乱以降、今川義忠に敗れ落城するまでこの地を治めたそうです。
今川を警戒してか、東側に堀切が目立ち、ニ重や五重の堀切で尾根筋を完全に断っています。土塁や虎口も良く残って分かりやすい城郭です。
1.ニの曲輪虎口。土塁の高さは十分。
2.東尾根曲輪へは、右から尾根筋を辿る。コンクリで整備されているが、本来はここに大堀切がある。
3.左手は二の曲輪。東尾根曲輪との間は深い谷が天然の竪堀となっている。
4.東尾根堀切。五重の堀切となっている。
5.本曲輪。虎口が見える。
6.南尾根曲輪の背後にも堀切。藪っていますが、その向こうにも小曲輪がある。
7.三の曲輪。右手は土塁。左手奥に見えるのは二の曲輪土塁。
8.三の曲輪と二重堀切。
2022年08月29日 在来線男右京進
勝間田城
少し上の第1駐車場にトイレはあります。第2駐車場は畑の中に30台くらい停めれます。駐車場から登っていくと車はすり替われますが、Uターンが難しいです。フンがたくさん転がっていましたが、見上げると猿が一匹逃げて行きました。ちょっとびっくりしました。道が細くなりますが、きちんとコンクリートが打ってあります。曲輪や土塁などがよく残っていて見るところがたくさんあります。御城印は牧之原市相良支所の歴史博物館のガチャガチャで買えます。
2022年06月20日 RED副将軍
勝間田城
室町時代にしては技巧的な縄張りの城郭🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。
菊川流域を支配した横地城の横地氏の一族である勝間田氏の居城。
勝間田氏は鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕えた名門氏族でした。
幕府軍として南朝方の赤坂城や千早城の攻撃に参加したり、応仁の乱や永享の乱にも将軍直属軍として参加しました。
1476年、駿河国守護の今川義忠に対して横地氏と共に争っていましたが、今川義忠に攻められ落城。勝間田氏は滅亡しました。
見所
文明年間(1469年〜1487年)の古い城跡ですが、その割に技巧的な縄張りに驚嘆します。馬出しや連続堀切は時代を先取りしています。または記録には残ってませんが後世に改修され再利用されたのでしょうか。
本曲輪と南尾根曲輪を隔てる堀切は大きくハッキリとしています。
三曲輪東尾根は二重堀切、東曲輪東尾根には五重堀切があります。しかし下草でモフモフでした。
県指定の史跡であり、城域まで舗装された道がついており、良く整備されています。
山城入門者には良い城跡と思います。
写真
①三曲輪東尾根の二重堀切
②本曲輪と南曲輪を隔てる堀切
③南曲輪の先の土橋
④本曲輪
⑤二曲輪
⑥三曲輪の切岸
⑦東曲輪東尾根の五重堀切
⑧縄張り図
2022年05月04日 ばらく~だ
勝間田城
勝間田城は遺構がよく残っていて、整備もされていて、山城としては、見学しやすいと思いました。東曲輪からの眺望がよくて、下には二の曲輪と三の曲輪、上には静岡空港の飛行機の離発着が見えます。(富士山も見えるそうですが、私が来た時は見えませんでした)
2022年04月30日 かめまんじゅう
勝間田城
本曲輪の先、獣道のような急勾配を登り切ると開けた茶畑に出ました。重なった落ち葉が滑りやすく、ドキドキしました。スニーカーよりちゃんとしたトレッキングシューズの方がいいかも。五重堀切も脇を抜けて先まで行けますが、やはり足元が悪いです。それがまた楽しいんですけどね。
2022年02月20日 薩摩安房守義弘維新斎
勝間田城
駐車場がよく整備され、舗装された道路を歩くと約7分程度で城跡へ到着。城跡は、曲輪、土塁、堀切の遺構が残っており、草刈り等されて探索し易いです。
2021年12月13日 三河守ぱーる
勝間田城
駐車場から歩いて5分〜10分くらい登るとすぐそこです。車で登りたくなりますが駐車は下の駐車場で。とても整備されていて見学しやすいです。本曲輪を抜け腰曲輪よりも先にもしばらく行ってみましたがまだ道は続いていました。(ハイキング道?)
東尾根曲輪からは富士山も見えます。東尾根曲輪と三の曲輪の先の堀切はとても素敵です。
2021年12月04日 小豆のおこわ弾正忠
勝間田城
築城545年を迎えた戦国初期に勝間田氏が治めていた城とされています。2021年春に遺構を覆っていた木々を大々的に伐採し、土塁、曲輪、堀切の様子がよく見えるようになりました。駐車場から徒歩5分程坂を登り、茶畑の脇を抜けると急に現れます。山の地形を巧みに用いた山城だと感じました。東尾根曲輪からは、晴れていれば富士山がとても綺麗に見えます。城の中を生活道路(車は通れません)が通っており、縄張り図には描かれていない南尾根曲輪の先の堀切のそのまた先にも山道が続いており、城攻めとはまた違った興味をそそられます。
2021年09月20日 山西の無職人千閑斎
龍眼山城[勝間田城 周辺城郭]
龍眼山砦は断崖上の尾根に比較的広い平地を連続して設けていて約4km西に在る滝境城に非常に似た構成です。
榛原公園の中の頂上広場が主郭で北側の茶畑が二郭更にその北側の茶畑が三郭の様です。
主郭は土塁でニ郭と隔てられています。ニ郭と三郭の間には堀切があります。
この堀切の東側の谷にゴミが不法投棄されていて残念な状態です😭
①主郭と二郭の間の土塁
②ニ郭と三郭の間の堀切
③主郭越しの駿河湾
2021年08月06日 中務少輔おりー
勝間田城
駐車場から先の道路も広くて、車でまだ登れそうと思ってしまいましたが、行き止まりでした。7枚目の写真のお茶畑の上が出曲輪で、道路はそこまでです。
2021年05月05日 泉地淡路守ばっかんまん
石雲院[勝間田城 寺社・史跡]
勝間田により創建された、地元の古刹です。
立派な山門、総門、龍門の滝の彫刻などがあります。
2021年05月05日 泉地淡路守ばっかんまん
龍眼山城[勝間田城 周辺城郭]
現在は、榛原公園になっています。
勝間田城の属城と言われていましたが、武田氏が築城したと考えられています。
2021年05月03日 駿河守サスケ
勝間田城
駐車場 あります
トイレ 駐車場にあります
駐車場から500mぐらい徒歩で登って到着
牧之原台地からの攻略よりも一度牧之原市勝田に降りた方が車で余裕に駐車場まで行けます
整備状態は良いです
晴れていれば富士山が綺麗に見えます
是非リヤ攻めを
添付写真の右端に写っている樹木は2人で手を伸ばしても届かない程の大樹です
(今は残念ながら上の部分は無くなっているけど)
2021年05月03日 山西の無職人千閑斎
岡田城[勝間田城 周辺城郭]
勝間田城の支城、湯日城を調べる過程で知りました。島田市初倉船木岡田字城屋敷、湯日川に架かる城山橋の畔の稲荷社の辺りです。
古くは大井川の氾濫、後世の湯日川の河川改修や宅地化により城域は稲荷社の南西部に残るL字型の堀と土塁だけの様です。
室町後期には在地土豪冨永氏の城館が有り、江戸時代前期に徳川頼宣の家老水野正重が陣屋を築いたと伝えられます。
2021年04月27日 山西の無職人千閑斎
湯日城[勝間田城 周辺城郭]
湯日(ゆい)城を知る為に初倉風土記を読んでみましたが、全く触れられていませんでした。初倉に進出した勝間田氏の支城、のちに武田が使用したと言われてますが根拠はわかりません。古文書等文献にも記述は無いけど城の遺構は有ったらしい…現在は耕作地化により破壊、その後放置され主郭は茶の木の原生林と化しています。
富士山静岡空港の北側、曹洞宗養勝寺の裏山に湯日城は有ります。どうしても登りたいなら太陽光発電所の東側の農道から登れますがゲートで封鎖されてます、立ち入り禁止とは書いてありません。
道は舗装されてますが落石と樹木に覆われています。気にせず登ると折り返し地点があります。ここから藪に入ると2郭、折り返しを突き当たりまで登ると1郭だそうです。因みに養勝寺は3郭にあたるとも聞きました。
遺構は藪過ぎてわかりません!1郭と2郭の間に深さ6m長さ80mの横堀があるとか1郭の西に丸馬出しがあったらしいとか。寒くなったら再訪するかもしれません。
養勝寺の開基は中山兵庫之助。姉川七本槍の一人、中山是非之助の祖父です。中山是非之助は家康家臣で高天神衆、何か関係あると面白いですね。
2021年04月04日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
扇松堂菓子店[勝間田城 御城印]
先達様のクチコミに補足させて頂きます、駐車場は店先に1台止められますが勝間田城方向から行くとお店は道の右側になると思います、某はちょと先の右側に有る牧之原市勝間田会館さんの駐車場をお借りしてUターンして店先に止めました!
因み、うぐいす餅と甘食を購入美味しかったです✌🏻😋
2021年03月21日 しげしげ主税頭信繁
勝間田城
5台程の駐車場有り、綺麗なトイレもそこに有ります。駐車場から先はアスファルトで舗装されてますが、奥には駐車場が無いのでそこからは徒歩で行きます。10分程で城址に辿り着けます。現在、城址周辺は木材の伐採作業しており、当初の遺構がよくわかります。
2021年02月01日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
勝間田城
地元が続々100名城をを狙っていると聞いている通り、整備がすすんでいます。
2020年11月02日 dr.taka遠江守
出曲輪「的場」[勝間田城 遺構・復元物]
駐車場から徒歩5分。出曲輪だけあってやはり周りは急斜面。
2020年09月13日 兵部卿名古屋⚔️金森明菜♡
勝間田城
御城印は 扇松堂和菓子屋さんで購入出来ます。車で7分ほど
2020年08月15日 山西の無職人千閑斎
勝間田城
勝間田氏が保元の乱で中央史上に現れて、文明八年に今川義忠に滅ぼされるまでの三百二十年間この地を守った城です。
2020年04月04日 遠江守 賄賂モナカ
勝間田城
2020/4/5より御城印発売。牧之原市勝間239番地。 扇松堂菓子店にて購入可能。定休日水曜日。1枚300円
2019年05月17日 ❄千ノ坂修理亮
駐車場[勝間田城 駐車場]
5台分の駐車スペースが有ります
(頑張れば駐車枠の横や向かいにあと2~3台)
2019年05月17日 ❄千ノ坂修理亮
出曲輪「的場」[勝間田城 遺構・復元物]
今は茶畑
2019年05月17日 ❄千ノ坂修理亮
本曲輪[勝間田城 遺構・復元物]
北尾根曲輪から登れる
2019年04月29日 ソバッソ80.0
勝間田城
北尾根郭郡の下段土塁。左下は後世造成のコンクリ舗装路。
2019年04月29日 ソバッソ80.0
勝間田城
2郭虎口もどき。あそこ開けたら防御もへったくれもないよな。
2019年03月27日 ソバッソ80.0
勝間田城
H31.3月
諏訪原城跡が続100名城に選ばれ、諏訪原だけでなく周辺の城跡を整備し、史跡として観光資源として活用しようとの試みによって、行政による発掘調査および整備されたのが、当城跡です。
南の横地、相良氏と姻戚関係を結んでおり、街道が面する北、東の今川備えとして防御設備を構えたのだそうです。
先人の口コミ通り、茶畑(出郭).3.2郭の中央土塁を分断するように、農地化する折に改修した道路が入っておりますが、無視して郭間と堀切と尾根谷筋の位置関係を頭に入れながら歩くと、当時のルートが浮き出てきます。
各遺構、申し分ないスケールですが
特筆すべきはキレイにされた5重堀切
圧巻。
小和田センセ、加藤センセのお弟子様が縄張り図作成されたパンフが、駐車場前に設置されています。
地元の皆様も、城跡を有効活用していきたく、地域に愛された素晴らしい史跡です。
今年の11/24に、春風亭昇太さんがイベントで訪れるそうです。その機会でもそれ以外でも、ぜひ散策してみて下さい。
絶対損しません。
2018年05月20日 こうひろ☽
勝間田城
茶畑にある出曲輪を抜け石碑から中世雰囲気が迎えてくれます。戦国後期のニの曲輪・三の曲輪の土塁と大堀切室町時代の本曲輪と南曲輪や東尾根曲輪群一城で二種類構造比較出来ます。
さらに奥に進むとトレッキングシューズ向きの山道が有り、抜けると茶畑に出て真正面には静岡空港から離陸する旅客機も。ここはガンガン行きたい人も楽しめます。
規模的にも丁度良く遠足を思い出します。説明文や表示も整備されて、思いの外良い城でした。
2016年04月07日 青コアラ美濃守
勝間田城
麓に5台ほど止められる駐車場・トイレがあり、茶畑を見ながら10分ほど登ると城域に到着。
三の曲輪と二の曲輪を貫くように道があり、土塁が開口していますが、後世の破壊道のようです。
この城の最大の見所は、本曲輪から東方に伸びる尾根上にノコギリ状に入る五重堀切かと思います。真横から見られないのが残念ですが、一見の価値ありです。
2014年04月06日 泉地淡路守ばっかんまん
勝間田城
JR金谷駅から、車で20分ほど。静岡空港からも近いです。周辺は、山と田んぼばかりですが、城跡に行けば、曲輪や堀切が見れます。今川に滅ぼされた勝間田氏は、御殿場方面に逃げたそうで、御殿場には、勝間田や勝俣って名字が多いです。
勝間田城の周辺スポット情報
南曲輪(遺構・復元物)
北尾根曲輪(遺構・復元物)
本曲輪(遺構・復元物)
東尾根曲輪(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
出曲輪「的場」(遺構・復元物)
三の曲輪(遺構・復元物)
馬洗馬(遺構・復元物)
五重堀(遺構・復元物)
静岡県指定史跡勝間田城跡の碑(碑・説明板)
湯日城(周辺城郭)
岡田城(周辺城郭)
龍眼山城(周辺城郭)
穴ケ谷城(周辺城郭)
最明寺(寺社・史跡)
石雲院(寺社・史跡)
清浄寺(寺社・史跡)
白鬚遺跡(寺社・史跡)
中村の条里制遺跡(寺社・史跡)
扇松堂菓子店(御城印)
トイレ・案内板・パンフレット(トイレ)
駐車場(駐車場)
第二駐車場(駐車場)