蒲原城(かんばらじょう)

蒲原城の基本情報

通称・別名

所在地

静岡県静岡市清水区蒲原

旧国名

駿河国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

今川氏

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

今川氏、後北条氏、武田氏、徳川氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(蒲原城址)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

小島陣屋(静岡県静岡市)[9.2km]
善得寺城(静岡県富士市)[9.2km]
大宮城(静岡県富士宮市)[11.6km]
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久能山城(静岡県静岡市)[21.4km]

蒲原城の解説文

蒲原城(かんばらじょう)は、静岡県静岡市清水区蒲原城山(旧蒲原町)にある戦国時代の日本の城跡。静岡市指定史跡。

概要
富士川右岸の、東海道と駿河湾を見下ろす標高138メートルの山の頂にある。蒲原から由比・興津にかけての範囲は、高い山地がそのまま駿河湾に突き出す地形であり、平野部分が狭く東海道随一の難所とされる。蒲原城はこの要衝の東口にあたり、さらに富士川を境として諸勢力(今川氏・北条氏・武田氏など)が衝突する際の最前線であったため、「境目の城」として重要拠点となった。築城年代は不明だが、天文年間(1532年~1555年)に今川氏による築城とされる。

一般に蒲原氏数代の城と言われるが、河東の乱(1537年~1545年)の際には今川方で遠州の国人飯尾乗連らが守備に入っており、甲相駿三国同盟期(1554年~1567年)にも駿河の諸将が城番となっていることから、史料上否定されるという。

三国同盟が崩壊し、永禄11年(1568年)12月に武田信玄が駿河侵攻を開始する。最初の侵攻で信玄は蒲原城を落とさずに駿府に入ったところ、今川氏救援のため北条氏政が派遣した北条氏信率いる援軍が蒲原城に入り武田軍封じ込めの拠点としたため、信玄はやむを得ず駿河から撤退する。駿河奪還のために掛川城から戻った今川氏真も短期間だが入城している。

永禄12年(1569年)9月から10月にかけて武田信玄が小田原攻めを実施。この結果、北条氏は戦力立て直しを余儀なくされた。

翌永禄12年(1569年)暮れの再侵攻時には総攻撃を加え、北条氏信ら後北条勢や今川諸将は戦死し12月6日に落城。信玄は自ら城に入って改修し、後北条氏に対する防衛拠点とした。その後も武田勢が掌握していたが、天正10年(1582年)に織田・徳川連合軍に攻められ落城、廃城となったという。

城跡は新蒲原駅から徒歩で登れる範囲にあるが、中腹に駐車場も設置されている。標高138メートルの山頂を本曲輪とし、その北東側に「善福寺曲輪」と呼ばれる曲輪と大空堀を造り、南西側には二ノ曲輪、三ノ曲輪と呼ばれる区画が階段状に広がる。ほかにも多くの小曲輪を周囲に設置していたが、一部は東名高速道路の建設により破壊されている。今川・武田・北条らの諸勢力が入るごとに改修を行った結果、東西・南北にそれぞれ550メートルほどを測る広大な城域を形成したと考えられている。

参考文献
前田利久 「蒲原城」、加藤理文; 中井均編 『静岡の山城ベスト50を歩く』 サンライズ出版、2009年、138-141頁。

蒲原城の口コミ情報

2020年03月31日 ペスカトーレ
蒲原城



蒲原城は、戦国時代の初期に今川氏により築城された山城で、武田信玄の2度にわたる駿河侵攻のさい、一度目は北条の援軍が入城し守りの要となり、2度目の駿河侵攻で落城し、信玄自ら城に入って改修が行われた。十数年後、今度は武田が織田徳川連合軍に攻められ落城し、廃城になったそうです。

大空堀、北曲輪(善福寺跡)、南曲輪(本郭)が分かります。結構大きな山城だったのがわかります。40分位みれば、ゆっくり見て回れると思います。

道は、一度整備をしたようで歩きやすいですが、それなりに傾斜があります。
近年は整備がされていないようで、木や竹等生い茂っており、もう少し手を入れた方が良いのではと思ってしまいますが、頂上からの景色はとても良いです。

2019年05月22日 陸奥守たろす
蒲原城



北曲輪(善福寺曲輪)切岸◆この城の曲輪は切岸、空堀等の形状から明らかに人の手が加わったことが伺える◆北曲輪には物見台等が設置され往時の姿を再現しているが逆茂木も設置!未だ一般に山城認知度が低い中、逆茂木を模造して設置したところに関係者のマニアックさを感じた

2019年05月22日 龍馬備中守【坂東一弓取り】
蒲原城



善福寺曲輪を取り巻く石垣☆主郭北側に位置する善福寺曲輪は城郭内での重要な曲輪☆今川氏の弱体化により北条氏は蒲原城は北条氏の拠点になる☆

2019年05月20日 陸奥守たろす
腰曲輪[蒲原城  遺構・復元物]



腰曲輪◆北曲輪(善福寺曲輪)北面に腰曲輪があり舗装された搦め手道から北曲輪沿いに回りこめるが、今の時期ですでに草が生い茂っている。少しばかり藪漕ぎすれば腰曲輪に到達でき、こちらも草が生い茂っていおり確認しずらいが土塁や虎口、石垣を見ることができる。賛否はあるだろうが、少し除草する等の整備は必要か?

2019年05月05日 さすらい
駐車場[蒲原城  駐車場]

4,5台は停めれそうです。

2016年12月31日 まー刑部卿
蒲原城

城山配水池を過ぎると住宅地が見え3、4軒過ぎた左手に駐車場有り。向かいに【善福寺公園】という
小さい公園がありトイレも有ります。そこから上がっていくと復元図と説明板があります。更に進むと【大空堀】の看板の奥に藪の中ですがあります。まずは本郭南曲輪へ。【史跡 蒲原城址石碑】や城山八幡宮、【善福寺殿衝天良月大居士】(守将 北条新三郎の供養碑がある。南曲輪と北曲輪(善福寺曲輪)の間には空堀がありかつて公園だったのか板敷きがあるが腐って朽ちていた。一周すると石垣や空堀(三日月堀?)・土塁が残存。北曲輪(善福寺曲輪)はコンクリート製の逆茂木、土塁、物見台の展望台2基(眺望悪い、富士山見えない)がある。

2016年12月31日 まー刑部卿
蒲原城

城山配水池を目指すといいでしょう。はじめ東名道にかかる橋を越えていくと『駿河国 蒲原城跡』の幟の横に『ニノ郭 三ノ郭』があったので進んでいくと【三ノ郭 馬出曲輪】の看板がありましたが藪の中。地元の方に聞くと登城口はないとのこと。

2015年03月15日 león☆鷹党
蒲原城

JR新蒲原駅から歩いて20分程。
永禄12年(1569年)武田軍が武田勝頼の計略によって落城させ、城将であった北条新三郎氏信(北条幻庵こと宗哲の次男)が自刃した城であり、「海道第一之険難之地」(恵林寺文書)と詠われます。

遺構は南曲輪と北曲輪(善福寺曲輪)の間に大堀切が、北曲輪の周りに腰曲輪が残ります。特に腰曲輪は土塁が良い状態で確認できます。石垣も多く見受けられますが、当時の遺構かどうか不明です。また御殿山には外曲輪跡が公園として残ります。
悲劇の城将であった北条氏信を偲んでか、城跡のあちこちに積み上げられた石塔がありました。

北条新三郎氏信の墓は新蒲原駅から歩いて10分程の常楽寺跡(諏訪神社から東に進んですぐ)と三島市の祐泉寺にあります。

2014年04月17日 STRADA
蒲原城

ドキドキしながら山を上がりますが、道はしっかりしていて駐車場も完備。眺望も良し♪

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