真篠城(まじのじょう)

真篠城の基本情報

通称・別名

真篠砦

所在地

山梨県南巨摩郡南部町福士

旧国名

甲斐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

武田信玄

築城年

永禄年間(1558〜1569)

主な改修者

主な城主

原大隈守、真篠勇太夫

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、虎口、土橋、馬出

指定文化財

県史跡(真篠城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

大宮城(静岡県富士宮市)[13.2km]
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真篠城の解説文

真篠砦(まじのとりで)は、山梨県南部町福士真篠に所在する砦。戦国時代末期の砦(山城)。「真篠」は字名で、真篠城とも呼称される。

所在する南部町福士は県南部の河内地方の山間部に位置し、河内地方を南流する富士川右岸の山麓に立地する。標高は259m付近。近世には福士村が成立する。

東西50m、南北40mほどの規模で、山麓や尾根上に遺構が分布する。山頂には主郭が位置し、周囲を土塁に囲まれる。北側・西側・南側には虎口を有する。北西に延びる尾根には5つの平坦面が連なり、先端部には竪堀を伴う尾根切が見られる。また、南に延びる尾根上には東西40m、南北50mの平坦地があり、先端には連続した竪堀が見られる。主郭の東側斜面には数段の平坦地があるが、耕作による破壊を受けている。現在は竹林や檜木林となっている。

1936年(昭和11年)刊の『南巨摩郡誌』では信玄期の烽火台とし、武田家臣の足軽大将である原大隅守(虎吉)が警護し、真篠勇太夫の居跡となったとしているが、その根拠は不明。連続した竪堀の特徴から戦国末期の築造で、武田氏の滅亡後、天正10年(1582年)に発生した武田遺領をめぐる天正壬午の乱において、徳川氏の家臣岡部次郎左衛門、菅沼定政による修築の可能性も考えられている。

真篠砦から南2kmほどには「城山」があり、『甲斐国志』では「福士城山」として記載している。

真篠城の口コミ情報

ひとりもんの副将軍様[2017年05月10日]
国道から真篠の集落の先にある駐車場までは幅1台分ほどの登り坂で、先人の口コミの通り点々と案内板が出ています。
途中に縄張り付きの説明板もあるのですが、駐車場まではまだ200mほどあるので、自分は写メだけ撮って先へ進みました。
辿り着いた駐車場は時期が悪かったのか草が茂っていたので2台入れるのは厳しいかな。
すぐに『大手入口』の案内板がありますが、この先は案内板や説明板が全くありません。下草は払われた山の中を幾つかの石積みや段郭にかけられた土橋、本丸の枡形に足を止めつつ彷徨い歩き、南の曲輪の畝状阻塁に着いた時点で30分経っていました。

三日陸奥守落人様[2012年06月05日]
国道52号の富栄橋西交差点を山側に上がってゆくと点々と案内板があり、2台程度のスペースもあります。
下草をあらく刈ってはくれているようですが、探索にはヤブに入るつもりの準備をお勧めします。ヒルもいるのでご注意

ただ、南側の畝状竪堀はかなり特徴的で、異様とも思えるような遺構が確認できます。
城跡の麓にある縄張り図は少し古いようで、実際に歩いてみると、若干不正確な部分もあるように感じました。

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