興国寺城(こうこくじじょう)

興国寺城の基本情報

通称・別名

根古屋城

所在地

静岡県沼津市根古屋

旧国名

駿河国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

不明

築城主

北条早雲

築城年

15世紀後期

主な改修者

主な城主

後北条氏、武田氏、松平氏、中村氏、天野氏

廃城年

慶長12年(1607)

遺構

石垣、土塁、横堀(空堀)、曲輪

指定文化財

国史跡(興国寺城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

沼津城(静岡県沼津市)[6.7km]
長久保城(静岡県駿東郡)[7.6km]
間門城(静岡県富士市)[8.8km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[9.5km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[9.8km]

興国寺城の解説文

興国寺城(こうこくじじょう、根古屋城とも)は、静岡県沼津市にあった日本の城(平山城)。城跡は国の史跡に指定されている。

歴史
正確な築城年は不明だが文明年間(1469年 - 1487年)には築城されていたと推定される。

文献上の初出は、『北条五代記』における長享元年(1487年)である。この年、室町幕府官僚であり今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍によりこの城を与えられた(盛時は、この後再び室町幕府官僚として京を中心に活動したので、常在はしていない)。その後盛時は、幕府管領・細川政元の足利義澄の将軍擁立と連動して伊豆に侵入し、伊豆国を治めていた堀越公方の子・足利茶々丸を将軍・足利義澄の母と弟の仇として討つという大義名分のもとに滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移った。

この城のある駿東郡の地は、今川・武田・北条各氏が奪い合った。天文5年(1536年)、当時北条氏と敵対関係にあった武田信虎と今川義元が和睦したことに不満をもった北条氏綱が駿東郡に侵出、北条氏の支配下に入った。それに対し天文14年(1545年)今川義元は、武田信玄、上杉憲政らと連合し、駿河と武蔵で同時に北条氏に対して軍事行動を起こす(河越城の戦い、第2次河東一乱)。北条氏の駿河の拠点・長久保城を包囲して攻撃し、武田氏仲介の和睦によって駿東郡を取り戻した。その後、天文20年(1551年)、北条氏康は駿河へ侵入し今川義元から興国寺城を一時奪取するも、義元は再び奪い返している。永禄11年(1568年)、今川氏が滅亡し甲相駿三国同盟が破棄されると、武田氏の駿河侵攻に対抗して北条氏政・北条氏邦も駿河に侵出、葛山城などと共に興国寺城を奪回している。元亀2年(1571年)に甲相同盟が再び成立すると、武田氏に引き渡され天正10年(1582年)まで支配下におかれた。

武田氏滅亡後に領有した徳川家康は、竹谷松平家の松平清宗を2,000貫で配したが、天正18年(1590年)に家康が関東へ入封されると豊臣氏の家臣・中村一氏が在城した。関ヶ原の戦い後は天野康景が1万石で入封し興国寺藩が立藩するも、康景は領内の問題で責めを負いその裁定に不満を募らせて出奔。そのため興国寺藩は改易となり、慶長12年(1607年)3月に廃城となった。

平成7年(1995年)3月17日、国の史跡に指定された。沼津市根古屋にあり、現在復元工事が行われている。

平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(145番)に選定された。

参考文献
『戦国 北条一族』黒田基樹(2005年、新人物往来社)ISBN 440403251X
『北条早雲とその一族』黒田基樹(2007年、新人物往来社)ISBN 978-4-404-03458-8
『武田信玄合戦録(角川選書)』柴辻俊六 著(2006年、角川学芸出版)ISBN 4047034037
『武田信玄』平山優 著(2006年、吉川弘文館)ISBN 4642056211
『戦争の日本史10 東国の戦国合戦』市村高男 著(2008年、吉川弘文館)ISBN 978-4-642-06320-3...

興国寺城の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋大納言や〜きみ様[2017年05月08日]
バスでもこれます。
あまりアップダウンなく遺構を楽しめます。
神社があります。
何時でも入れます。

まー蔵人頭様[2016年12月31日]
本丸の土塁のデカさに圧倒された。車はその本丸に駐車。案内板・説明板の上に天守台の石垣を観て天守台の礎石?の裏に大空堀。下に下りて大空堀を歩くと二つの穴を見つける。それが戦争遺跡なのかわからなかった。謎の穴である。大空堀から道路に出て北曲輪に向かう。新幹線の通過音もよく聞こえ横断橋からも見えた。北曲輪は除草はされていたが何もなく大空堀を横切り石火矢台?のほうへ向かう。窪地みたいのは何?ってカンジでした。二の丸、三の丸は特に観るものなかった。

【単騎駆】右衛門督かげちゃん様[2016年12月18日]
浜松・静岡方面からだと、国1号線原東町交差点を左折し直進して下さい。根古屋の交差点(T字路)に突き当たったら、右折して根古屋のバス停そばの細い道に入れば、興国寺城跡に着きます。細い道の道幅は、車1台分しかないので注意して下さい。東名を使うなら、清水ICで降りる事をお薦めします。天気が良いと由比辺りから富士山を眺めながらのドライブになりますよ~(´▽`)ノ

【単騎駆】右衛門督かげちゃん様[2016年12月18日]
本丸跡(天守台跡)と北の丸跡との間にある空堀の深さは、一緒に写っている杉の木を見比べてもらうと判ると思います。

田部朝臣土持左衛門佐様[2016年01月10日]
 国指定らしく、実にすっきり整備がされており大変眺望が良い。また駐車スペース、トイレも問題がない。
 ただ、予算の関係か北曲輪と清水曲輪、元沼であったという東船留は手つかずで西船留は完全に住宅地である。
 特に北曲輪は雑草の海であり、大空堀までのアプローチはきわめて困難で、冬であったから可能であったが、夏場では全く見通しがきかなかった事だろう。
 ただ、現地の古地図では、北や清水という郭は無いので整備が無いのは当り前なのか?

三日陸奥守落人様[2014年07月25日]
平成15年から続く発掘調査はまだ続いているようですが、遺構はしっかり整備されていておおむね歩いてまわれます。

この城は富士山麓に続く傾斜地にあって、城内より城外のほうが土地が高い、いわゆる「穴城」。
遺構も大変面白く、特に本丸北側の大土塁と大堀切は必見です。

城内に駐車スペースもありますが、夏はアブなども多いようなのでお気をつけて。

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