戸倉城(とくらじょう)

戸倉城の基本情報

通称・別名

徳倉城

所在地

静岡県駿東郡清水町下徳倉字和田入他

旧国名

伊豆国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

北条氏綱

築城年

文明年間(1469〜1487)

主な改修者

主な城主

後北条氏、笠原氏、武田氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

泉頭城(静岡県駿東郡)[1.3km]
沼津城(静岡県沼津市)[3.6km]
長久保城(静岡県駿東郡)[5.9km]
韮山城(静岡県伊豆の国市)[6.9km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[7.1km]
長浜城(静岡県沼津市)[8.6km]
興国寺城(静岡県沼津市)[9.8km]
山中城(静岡県三島市)[11.1km]
葛山城(静岡県裾野市)[12.4km]
箱根関(神奈川県足柄下郡)[15.9km]

戸倉城の解説文

戸倉城(とくらじょう)は、伊豆国(現在の静岡県駿東郡清水町徳倉)にかつて存在した日本の城である。伊豆国と駿河国の国境にあり、現在は駿東郡に属しているが、戦国時代この城が存在していた時代は伊豆国に属していた。

概要
戦国時代に北条氏綱が築いたといわれる。伊豆と駿河の国境を守る城として重視された。三国同盟が破れた後、1568年(永禄11年)から1571年(元亀2年)にかけて武田氏と北条氏との戦いの舞台となった。1581年(天正9年)に北条の城将だった笠原政尭が武田氏に寝返り、戸倉城は武田氏の城となった。1582年(天正10年)に武田氏が滅亡した後は再び北条氏のものとなった。1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、北条氏の城兵は戸倉城を捨て、韮山城山中城に撤退した。

現在では戸倉城が築かれた小山を本城山と呼び、山頂部が本城山公園として整備され展望台が置かれている。

戸倉城の口コミ情報

2021年07月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
手城山砦[戸倉城  周辺城郭]



手城山砦は戸倉城の南東約0.9km、標高約38mの完全独立峰、普光寺山山頂に主郭が存します。西麓の静岡県道144号線からの比高は35m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場は南麓の普光寺のものが利用出来ますが、関係者に会うといい顔はされません。

同じ戸倉城のリア攻めマップにある出城山城の口コミ文末で書きましたが、色々疑問が湧いてしまい今回のリア攻めとなった訳なんですが、Googleマップの位置情報のみで砦を訪ねてみました。これを砦だとするソースがどっかに転がってるはず…ネットで検索したけど他に情報は皆無…現時点ではこれ本当にそうなんか?みたいな感じっす…

普光寺山と名称が付いてますが、丘レベルの逆L字形の本当に小さなお山です。ただ急崖の上に山頂部がある感じなので要害感は十分あります。山頂には小社が建っていて削平され土塁の様な土の高まりも確認出来ますが、どう見ても小社造営の際の削平残土でしょう。この小社に至る石段もちゃんと付いてますが危ないので立入禁止らしく、行ってやろうかなと思った変態の方は1枚目の写真を参考にして下さいまし。

囲まれたら逃げ場が無くて血祭りにされそうな印象ですが、もし本当に此処が砦だとするならば物見台の役割ぐらいしか出来ないので敵が押し寄せて来たらさっさと逃げるんでしょう。

Googleマップには主郭の位置に「神社(手城山)」とあります。出城が手城に訛ったのか、その逆なんか知らんけど混同もあるのかな、出城山城も含めて情報が無さ過ぎ…難し過ぎてよく解んねぃよ…海パン可能、マニア向け。

2021年07月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
出城山城[戸倉城  周辺城郭]



出城山城は戸倉城の南東役1.7km、独立丘陵の標高51.7mのピークの一つに主郭が存します。東麓の静岡県道139号線からの比高は40m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場所は自身の持つ突破力と処世術が高い方なら登城路入口前に停められます。

出城山城はその名称のとおり同じ戸倉城のリア攻めマップにある大平新城の出城として整備された砦規模のお城です。ただこの地域は建武ニ年(西暦1335年)に越前朝倉氏の家臣、星屋縫殿助なる人物によって開発されたそうなので、元々あったお城を改修したのか、全く新規に築かれたものなのかは不明です。主郭跡には御嶽神社が鎮座していますが、この縫殿助の造営とされています。

経緯が正しいとするなら築城年代は天正九年(西暦1581年)になるはず…築城者、城主として北条氏光の名が挙げられています。

丘陵というよりは山塊から東西に延びた小山って感じですが、平野部に独立して長く張り出しているので関所の様な立地です。静岡県道139号線はお城を南北に貫通していて、これを境に東郭と西郭に分かれるんですが、東郭の方は激藪で今でも侵入者を拒んでいます。

武田氏と北条氏は武田氏の滅亡までこの地域の水陸で争いを繰り返していましたが、戸倉城の失陥(松田憲秀長男、笠原政晴の内応による。)に代表されるように概ね武田氏が優勢に事を進めていたようです。北条氏の重要な拠点、伊豆韮山に直接通ずるこの地が重要視されていた事は疑いなく、この小さな砦規模のお城に親族衆(氏光は北条氏康の第八子か第九子とも。)を配していました。

お城(西郭)は薄いですが、要害感は十分です。後世の改変も多く含んでいると考えられますが、土塁の様な高まりもあるような気がします…

このお城の存在はGoogleマップで知りました。余計な知識が無かった分、疑問も…登城路入口には東海バスのバス停があるんですが、手城山バス停になってます。そして戸倉城と出城山城の中間点には手城山砦という砦があるらしい…ソースを何処から持ってきたのか知らんけどちょっと現地で混乱しちゃいました。海パン可能、マニア向け。

2021年07月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
大平新城[戸倉城  周辺城郭]



大平新城は戸倉城の南東約2.9km、標高356mの大平山から北東へ延びる標高約35mの山塊尾根上端部に主郭が存します。北麓の静岡県道140号線からの比高は25m位でしょか。

行き方は新城浅間神社としてGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。

天正九年(西暦1581年)武田氏による戸倉城失陥により新たに築かれたお城とされています。北条氏光、氏勝が詰めていた事もあるらしいと沼津市のホームページにありますが、現地説明板には北条新三郎(北条幻庵の第ニ子でしょか。あんまし詳しくないです。)が城主になったり、北条氏堯の居城となったりで情報が錯綜しているようです。

大平新城から更に南側山側背後の尾根筋を登ると大平古城に辿り着きます。こちらはかなり古い歴史を持つお城でして、源義経追捕の為に大平の関を強化した際の文治ニ年(西暦1186年)に築城され、初代城主に遠山民部、当初富南城と名付けられたそうです。

お城は薄いかなと思っていましたが、以外にもしっかりと山城していてちょっと感動、城域内には浅間神社が鎮座、北西麓の圓教寺の墓地を過ぎた先にも郭があったようです。ただ訪城時に縄張図を見なかったので見落としたもの多数…又、大平古城にも行ってません(結構距離があるので最短距離で古城に行こうと考え、東麓からの道を模索しましたがあえなく討死…)。

失敗の連続だった駿河攻めですが、このお城にはちゃんと行けて救われました。海パンでもリア攻め可能です。戸倉城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2021年07月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
獅子浜城出城[戸倉城  周辺城郭]



辿り着けなかったお城シリーズ〜駿河編

獅子浜城出城は戸倉城の南西約4.5km、標高392mの鷲頭山から南西へ延びる標高約47mの支尾根上端部に主郭が存します。西麓の静岡県道414号線からの比高は40m位でしょか。

お城の詳細は同じ戸倉城のリア攻めマップにある獅子浜城居館を参照して下さい。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の獅子浜公園を目標に設定して下さい。この公園から県道を挟んで北東に見える尾根上端部にお城はあります。周辺は「しろやま」の地名を残しており、尾根上端部には「しろやま荘」なる共同住宅か福祉施設が建っていて、たぶんお城はこの建物の裏手にあると思います。

となると簡単に行けるじゃんとか誰でも思いますが、この建物の敷地内に入って行く気が全くしない…不審者に間違われる様な感じがして…以外にも常識人である自分は無理を押し通す事はやめちゃいました。基本的にお城は薄そうだしね。

別なルートを探してお城の北麓へ向かうと津波避難所に至るコンクリート製の階段を発見、どうやらお城は津波避難所に指定されているらしい。「楽勝〜」等と呟きながら階段を登りましたが30秒で討死、激藪で無理っすわ…津波が来ても誰も避難出来ないぞ…

山城ばかり行き詰めている自分ですが、失敗も多く経験しています。基本ソロなんで正直言って毎回お城に確実に辿り着ける補償が全くありません。駿河東部の海寄りの山城はお山の立ち上がりが殆ど急崖で直登が非常に難しい…それに成功したとしても温暖な気候の故か藪度が半端無く進むのは非常に困難、海パンじゃなくても、そしてどの季節でも難しいと思います。地域にもよりますが、登ってしまえば意外にも尾根筋はすっきりしている信濃のお城と比べるとどちらが楽かは一目瞭然でしょう。

ただこのお城は決して辿り着けないお城ではないと思います。が、再挑戦はしないでしょう。

2021年07月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
獅子浜城詰城[戸倉城  周辺城郭]



辿り着けなかったお城シリーズ〜駿河編

獅子浜城詰城は戸倉城の南方約4.6km、標高392mの鷲頭山から南西へ延びる標高162mの支尾根上端部に主郭が存します。西麓の県道414号線からの比高は160m位でしょか。

お城の詳細は同じ戸倉城のリア攻めマップにある獅子浜城居館を参照して下さい。

行き方はGoogleマップに位置登録されている西北麓の本能寺を目標に設定して下さい。このお寺さんの南側に山へ入る林道が延びていますのでこれを終点まで進みます。が、終点まで進むと廃建築物(1枚目の写真、向かって右端に見える建物です。)にぶつかり立入禁止で討死となります。今回は海パンだったせいか謎の飛行物体も現れず、急崖で取り付く場所さえ見付けられなかったので諦めちゃいました。沼津市のホームページによると元々この付近一帯は個人の所有地らしく、城域には別荘が建っていたそうなのでそれが正解だったと思います。

林道終点へ向かう途中にその別荘への道らしき階段が付いてる場所を発見しました。これを使えばお城へ行けそうなんですが、写真見て頂ければ解ると思うけど激藪で進む気になれません…ナタが必要でしょう。又、林道途中には切り通しがあり、切り通しの谷側にはKDDIの電波塔が建っているピークがあって城域かなと思って登ってみましたが、ちょっと難し過ぎてよく判らねぃよって感じですかね…

辿り着けなかったお城を口コミで紹介する…反則かもしれませんが、自分にとってはそれも生きた情報だと思います。もしかしたらこれを読んで挑戦する変態が現れるかもしれませんし…口コミでは最低でも実際に訪ねたお城を紹介したいんですが…

賛否あるかと思いますが、このシリーズはまだまだ続く…

2021年07月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
獅子浜城居館[戸倉城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜駿河編

獅子浜城居館は戸倉城の南西約4.5km、標高392mの鷲頭山の西南麓、標高約5mの緩斜面上平場に位置する本能寺敷地内に存した居館です。居館の西側には静浦漁港が駿河湾に面しています。

獅子浜城居館は鷲頭山支尾根に挟まれた鞍部に立地し、東南側支尾根上端部に獅子浜城詰城、西北側支尾根上端部に獅子浜城出城を持つ要害地の中心部に存しています。この城館群の存在により南側海岸線を通る街道筋を遮断し、海上交通の監視を可能としていた事でしょう。

築かれた年代は不明ですが、かなり早い時期に後北条氏の駿河における拠点の一つとして整備されていたらしく、天正四年(西暦1576年)には大石備後守なる人物が詰めていたらしいです。又、天正九年(西暦1581年)には武田勝頼がこの城の落城を沼津城主に問うた書状が残されているそうで、この時期、この地域の甲相最前線でもあったようです。その後、お城は小田原征伐の際に廃城となりました。

行き方はGoogleマップに位置登録されている本能寺を目標に設定して下さい。ただし京都の方へ飛ばされないよう注意です。

居館の現況はお寺さんです。それ以外に何かを見出す事は難しいでしょう。ただ居館からは詰城、出城がよく見えるのでその関係性を想像するのは容易です。

沼津にはよく夏場に来ていて、以前からGoogleマップで未登録城をチェックしてたんですが、いつも海パンかウェットスーツなのでお城廻りは敬遠してました。訪城時はマリンスポーツの空き時間を利用したので海パンでしたが、当然全く問題の無い居館です。ただ近所の目が痛いので大人としてTシャツぐらいは着て行きましょう。

※2枚目の写真にある手前のお山が獅子浜城詰城です。

2021年05月05日 オコジョ中務少輔
大平古城[戸倉城  周辺城郭]



今川氏真が掛川城が落城後に一時居城にしていたと伝わります。
ハイキングコースの途中にあるので、ハイキングコースの入り口が登城路になります。
一番手近は圓教寺から登れます。
到着までは虎ロープを張られた坂を何本も登ります。
到着したら虎口が迎えてくれます、奥には広大な段曲輪が設置されています。
広さは想像以上です。

2021年05月04日 kokky
戸倉城

北に泉頭城、南に大平新城、韮山城。狩野川沿いの城郭ラインを一望

2020年11月08日 愛甲左京大夫相模のぐで
八坂神社[戸倉城  遺構・復元物]



八坂神社は戸倉城の西曲輪に建っていて、主郭側からアタックしましたが経路はかなり微妙でした。石切場周辺が急峻で、踏み跡はあるものの滑りやすく手を使う場所がありました。
帰りは八坂神社への参道のようなものが麓に降りていたので辿っていきましたが、民家の裏庭のようなところに出てしまいました。使うべきではないでしょう。
遺構はこの周辺に集まっています。一番見事なのは曲輪の西側末端、かなり低いところに横たわる堀切で、尾根をえぐって真っ二つにするような見事なものでした。曲輪南面には自然地形を利用したように見える竪堀もありました。

2020年04月05日 ペスカトーレ
戸倉城



戸倉城の城跡らしいですが、城跡としての痕跡はほとんど見つけられません。

頂上展望台からの景色は良いので、一度行く価値有ります。

戸倉城に行こうとすると、Googleナビは、何故か車も通れない道を通して東側駐車場に行かせようとしますが、北駐車場に行った方が良いです。

2019年07月19日 こうひろ
戸倉城



駐車場はトイレもある北駐車場の方が便利です。入口付近が矢崎遺跡で縄文~弥生時代、古代のロマンにも少し酔えます。

狩野川が大きく蛇行する標高75mの本城山が主郭の駿河伊豆境目の城。縄張図からは東西に広大な城域ですが整備されているのは本曲輪のみ。

切り株?がモチーフの微妙な展望台からは興国寺、長久保、泉頭、足柄、山中、韮山が見渡せる北条最前線の要所であることがよく分かります。
晴れの日には駿河湾、愛鷹山+富士山、箱根、伊豆の大パノラマが望めますよ。

石切場だったこともあり、西曲輪域は遺構がかなりありそうですがヤブ蚊襲撃に諦めました。
冬場に再訪したいと思います。

清水町役場横に駐車場があり、誰もいない日本三大清流柿田川河口から見る城山もいい景色です。

武田方に寝返った城将・笠原新六郎が映画「ステキな金縛り」の更科六兵衛(西田敏行さん)のモデルなら更に面白いのだけれど

2017年07月10日 カーネル
戸倉城

東海道線三島駅から

南口から西へ向かい、伊豆箱根鉄道の線路を超えます
県道144号で左折して南下すると、歩道がないけど、車がバンバン通るとこもありますのでご注意

国道1号を超えて南下を続けると右に戸倉城の城山が見えます
山頂にオブジェがあるので、遠くからでも目印になります
戸倉城は3方を川に囲まれているので、南側に回り込む必要があります。144号で狩野川を渡ったら今度は北上して麓の龍泉寺から登り、10分くらいで山頂に
ここまで駅から1時間ちょっと。山頂の看板には堀などの詳細な説明があります

帰りは城の北東500mくらいのところの交差点にある、東海バスの堂庭バス停から三島駅に戻りました
歩いたのは1時間半ちょっと


2016年12月31日 まー刑部卿
戸倉城

本城山公園北駐車場は10台ほど停められるがそのほとんどが城山公園に用のない車。東駐車場は2台くらいしか停められない。また居館跡の龍泉寺にも駐車場はあるが登城口の階段は間隔が狭いため登るのは大変です。ほぼ藪のため遺構は確認しづらい。山頂広場にある復元図の大堀を探して龍泉寺から北駐車場まで歩いたがよくわからず。山頂広場の木の幹を模した展望台(内部が螺旋階段で上がれる)からは富士山もよく見れる。

2016年01月10日 田部朝臣土持安房守
戸倉城

 そこそこの整備状態の城。トイレ駐車場には問題なし。
 本曲輪は公園整備のせいで原型が解らないし、西曲輪は逆に放棄状態。特に二重堀切は、え?といった感じで単独の堀切にしか見えない。また、参考にした本にはない小さな石組みが竹林内に四段存在していたが、後世の物なのか往時の物なのか判別が出来ないのが悔しい。それにしても、西曲輪と本 曲輪の間の距離がとんでもなく離れていて、守備側も断絶されていたとか…

2015年11月22日 STRADA
戸倉城

本城山公園です。北駐車場から山頂広場までノンビリ歩いても10分掛かりません。天気の良い日には目の前に富士山が拝めます。

2015年01月01日 ゼカキユ上野介第16駆逐隊
戸倉城

自分のカーナビでは戸倉城で検索できませんでした。
地図で城山公園を目指して行って、現地で初めて戸倉城と知りました。
道路も狭くなく、公園になっていて、登城口に駐車場もあります。

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