長浜城(ながはまじょう)
長浜城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 静岡県沼津市内浦重須
旧国名
- 伊豆国
分類・構造
- 連郭式平山城
天守構造
- -
築城主
- 大川氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 大川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- 国史跡(長浜城跡)
再建造物
- 櫓、石碑、説明板
周辺の城
-
韮山城(静岡県伊豆の国市)[7.3km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[7.7km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[8.6km]
沼津城(静岡県沼津市)[9.4km]
狩野城(静岡県伊豆市)[9.6km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[9.9km]
長久保城(静岡県駿東郡)[14.4km]
興国寺城(静岡県沼津市)[15.6km]
丸山城(静岡県伊豆市)[17.8km]
山中城(静岡県三島市)[18.3km]
長浜城の解説文
[引用元:Wikipedia「長浜城」の項目]
長浜城(ながはまじょう)は、伊豆国田方郡西浦庄長浜・重須(静岡県沼津市内浦長浜・内浦重須)にあった日本の城。現在まで戦国時代の海賊城の遺構を多く残していることで知られる。国の史跡に指定されている。
築城された時期をある程度特定でき、水軍の根拠地という目的が建築当初から固まっていたことなどから、中世の城郭を研究する上で一定の価値を認められている。
地形的特徴
長浜城が築城されていた沼津市の内浦地区は、駿河湾が奥深く入り込んだ、奥駿河湾と呼ばれる海域に面している。奥駿河湾の最奥部は更に江浦湾と内浦湾に分かれているが、長浜城は内浦湾の海岸に面して築城されている。長浜城の西側には長井崎と呼ばれる岬があり、また城の北側には淡島がある。長井崎と淡島に囲まれた格好になる長浜城周辺の海は、風波が遮られるため波が穏やかであり、しかも海岸線目の前で数メートルの水深となり、15メートル地点で水深15メートルとなるという、海が急に深くなる地形であり、船の停泊に適している。
長浜城が面している奥駿河湾が急に深くなっている理由は、駿河湾がプレート境界に形成された湾であることによる。海が急深であるとともに陸地も平地に乏しく、大きな河川も無い。従って産業としては古来漁業が中心であった。なお明治末期以降、内浦周辺ではミカン類の栽培が始まり、以降埋め立てなどの原地形の大幅な改変が進んでいる。長浜城付近でも海の埋め立てが行われた。
また長浜城は発端丈山から西北西に延びる稜線の先端部で、内浦湾に突き出た標高約33メートルの岬という地形を利用して建てられた。長浜城がある岬は字名は「城山」で、長浜地区と重須地区が城域を境としている。
歴史
戦国期における長浜・重須地域
長浜城のある長浜・重須(おもす)を含む西浦7カ村(重寺・三津・長浜・重須・木負・久連・平沢村)は、15世紀末に北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆を領国として以来北条氏の直轄領であり、代官が任命されるとともに、現地の土豪が統治に当たっていた。重須については在地の土屋氏が支配し、長浜にも影響力を及ぼしていた。長浜には庄屋として大川氏がいたが、後北条氏の朱印状に「西浦之百姓大川兵庫」という表現があり、武士ではなかったようである。また、駿河湾に面することから、水運の拠点として機能していた。
この時期の長浜城域の利用については不詳であるが、縄張りや出土物からは15世紀後半から16世紀前半にかけて、砦程度の構築物があったのではないかと考えられている。また、この構築物について家永遵嗣は重須の土屋氏によるものである可能性が相対的に高いのではないかとみている。
武田・後北条氏の抗争期
この地域が戦略上重要な拠点になったのは、同盟を結んでいた武田氏と後北条氏が関係を悪化させ、1579年(天正7年)に武田勝頼が両者の国境近くの沼津に三枚橋城を築城し、9月にはおおむね完成したことに始まる。これに対抗して北条氏政は伊豆の主要拠点である韮山城を守るため、武田氏との国境を守る城郭の整備を進めたが、特に駿河湾から上陸して韮山城へ抜けるルートを押さえるために、海岸沿いに長浜城と獅子浜城(沼津市獅子浜町)を築城した。
長浜城に関係する初見資料は、同年11月7日、後北条氏の奉行衆で西浦地域の代官を兼ねていた安藤良整が長浜に船掛庭(船掛場、軍船を繋留する施設)を普請するため、長浜近隣の木負(きしょう、沼津市西浦木負)の百姓中に労役の負担を命じた文書である。同文書では「城」の名は確認できないものの、後北条氏が長浜・重須一帯を駿河湾内の重要な軍港であると認識し始めたことがうかがわれる。12月には長浜に後北条氏の船大将である梶原景宗を配置するための準備が行われている。また、江戸時代初期に記された軍記物『北条五代記』によると、梶原景宗親子をはじめとする6名の船大将が長浜城の西側の重須浦に居住し、軍舟を10艘作ったとの記述がある。
翌1580年(天正8年)4月には千本浜(現在の沼津市本)沖で、後に駿河湾海戦と呼ばれた大規模な海戦も起こっている。この海戦の勝敗はよくわかっていないが、その後も駿河湾を挟んで武田水軍と北条水軍は小規模な小競り合いを繰り返しながらにらみ合いを続けた。この緊張状態は1582年(天正10年)3月に武田氏が滅ぼされるまで続いている。
その後の長浜城
武田氏滅亡後に駿河の支配者となった徳川家康は一時期を除いて後北条氏とは友好関係にあったために、長浜城は軍事上の重要拠点という位置づけを失った。重須に駐留していた梶原景宗は1583年(天正12年)に小田原に邸宅を購入していることから、この時期には既に重須を離れていた可能性がある。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉による後北条氏攻撃の際には、韮山城の枝城として長浜城にもそれなりに兵力が配備され、地元・長浜の土豪とみられる大川兵庫が城の守備を命じられたが、武田氏と争っていた時期のように水軍拠点としての扱いは受けなかった。実際の豊臣軍の侵攻時に長浜城がどう対応したかは不明である。築城時期、終焉時期の明確な記録は不明であるが、韮山城開城と同時期に廃城となったと見られる。
廃城後の長浜城
1937年(昭和12年)から城址は別荘地として利用されていたが、1965年(昭和40年)以降は利用が減少し、樹木の倒木、草木繁茂等により荒廃していた。さらには周辺の開発による城郭遺構の滅失も懸念されたため、沼津市は史跡指定を前提として1985年(昭和60年)に長浜城址の詳細分布調査を実施した。
全国的にも良好な遺存状態の遺構であるという同調査の調査結果を受け、沼津市は1987年(昭和62年)7月20日に国の史跡の申請を行い、翌1988年(昭和63年)5月13日文部科学省告示により答申を受ける。
1991年(平成3年)の時点で、塩害により凝灰岩を主とする城跡基盤の風化や、土塁の悪化も進行していたことから、沼津市は保存整備整備のための史跡の公有地化事業を1991年度(平成3年度)から1994年度(平成6年度)まで実施した。公有地化事業での土地買い上げ面積は4年間で12,958.48平方メートル、費用は169,260,000円であった。その後の2002年度(平成14年度)には、土地所有者の同意を得て未着手だった「田久留輪」部分の調査を実施。その調査結果を受けて2002年(平成14年)7月29日に追加指定を申請、同年12月19日に文部科学省により答申を受けた。この追加指定を受け、2003年度(平成15年度)から2006年度(平成18年度)まで事業費約202,218,000円を投じて2,359.47平方メートルの公有地化を完了している。
整備工事は、1997年度(平成9年度)に策定された「整備基本計画」および翌1998年度(平成10年度)策定の「整備基本設計」に沿って、発掘調査と検討を繰り返しながら事業設計が進められ、2001年(平成13年)に現地工事を開始。工事は法面補強修景工事、長浜側ガイダンス広場整備工事、遺構展示エリア整備工事、重須側ガイダンス広場整備工事の順に進められ、2014年度(平成26年度)に完了した。
2015年(平成27年)5月24日、史跡公園開園記念事業として開園記念式典と長浜城北条水軍まつりが開催され、約2,000人が来場した。
遺構
1985年度(昭和60年度)の長浜城跡詳細分布調査により、それまでは、別荘地取り壊し後に放置されたことにより判然としなくなっていた曲輪の配置等が明らかになった。城跡は土塁をもつ第1曲輪第4曲輪と小規模な曲輪群からなり、これらはL字状に配置されている。各曲輪間には堀切が設けられ、山側に沿って土塁を巡らせている。
第1曲輪
標高34メートルの最高所にある。面積は591.01平方メートル。北西ー南ー南東側に土塁がある。
第2曲輪
面積は665平方メートル。長浜城跡で一番広い曲輪で、南北30メートル、東西15メートルの長方形の南側と西側に幅35メートルの土塁が築かれている。
1985年度(昭和60年度)から2010年度(平成22年度の沼津市教育委員会の調査で柱の跡が約200基あり、掘立柱建物跡が6棟と竪穴状掘立建物跡1棟が確認された。
第1曲輪と第2曲輪の間に櫓跡があり、同じ場所に海側から北西方向に3回建て直された跡も見つかっている。
櫓の南西にある堀切は断面形が逆台形をしている箱堀で、現出面の長さは6.3メートル、上幅が3.2メートル、下幅が2.1メートル、深さが1.6メートルで立ち上がりの傾斜は約67度ある。
第3曲輪
北側に神社地があり、正確な面積や曲輪の内部構造は不明。南側から南東側に土塁がある。
第4曲輪
面積は147平方メートル。
その他
曲輪Aは119平方メートル、曲輪Bは81平方メートル、曲輪Cは192平方メートル、曲輪Dは37平方メートル、いずれも土塁は存在しないと考えられている。
その他に12の曲輪E曲輪P、田久留輪の存在が確認されている。
水軍
北条氏は、水軍の切り札として紀伊国出身の海賊であった梶原景宗を北条水軍の大将として迎え入れている。1579年(天正7年)12月付北条氏の朱印状に景宗が長浜に派遣された記載があるが、景宗は当時安宅船を北条水軍に導入して対里見氏との戦いで戦果を上げており、その実績を評価され、駿河湾に進出してきた武田氏に備えた派遣とされている。
1580年(天正8年)に北条水軍と武田水軍との戦い(駿河湾海戦)が始まる。江戸時代の『北条五代記』、『武徳編年集成』に北条氏優勢で伝えられているが、北条氏顕彰で書かれているものであるため、その内容の真偽のほどは定かではなく、実際は決着はついていない。『武徳編年集成』によれば、同年3月15日に武田水軍を迎え撃った北条水軍としては、梶原景宗、その子梶原兵部大輔、清水越前、富永左兵衛、山角治郎、松下三郎左衛門、山本信濃常任らの名前がある。
安宅船
『北条五代記』によると、北条氏直が伊豆の国にて軍舟を10艘を作り、あたけと命名したという。上の矢倉には侍50人、15間前に板を立て、鉄炮玉が貫通しない程度に椋の木板で左右を囲い片側に櫓25丁、両側に合わせて50丁、舟先に大砲がつけられている。下の階には水手50人がいた[1]。
小早船
地元の漁師衆の船が戦いに転用されたと言われている、小さな船で、スピードを出し素早く相手に近づき敵船に乗り込む際に使用する。
長浜城北条水軍まつり
2015年(平成27年)5月24日の史跡公園の開園の際に行われて以来、2018年(平成30年)まで毎年1回開催されている。2018年(平成30年)開催の第4回には、約4,000人参加した。まつりの中で「小田原北條鉄砲衆保存会」や「小田原北條手作り甲冑隊」の参加や、海上からの「文化財ツアー」「水軍衆」のなどのイベントを実施している[2][3]。
交通アクセス
路線バス
- JR沼津駅から
- 東海バスオレンジシャトル8番線「大瀬崎・ 江梨・木負」行きで約40分、「長浜城跡」下車、徒歩1分[4]。
自動車
- 東名沼津ICから
- 出口を出て県道83号線を南下し、国道246号線から国道414号線を経由、県道17号線を南下で約60分。
参考文献
- 【書籍】「日本城郭大系 第9巻:静岡・愛知・岐阜 」
- 【書籍】「沼津の文化財 補遺 」
- 【書籍】「沼津市史 資料編 古代・中世 」
- 【書籍】「静岡の山城ベスト50を歩く 」
- 【書籍】「戦国時代の静岡の山城 : 考古学から見た山城の変遷 」
- 【書籍】「沼津の海とつわものたち : 長浜城跡ガイドブック 」
- 【書籍】「静岡県の歩ける城70選:初心者から楽しめる名将ゆかりの城跡めぐり 」
- 【書籍】「国史跡長浜城跡整備事業報告書 総合調査報告編(沼津市文化財調査報告書第114集) 」
- 【書籍】「国史跡長浜城跡整備事業報告書 整備工事報告編(沼津市文化財調査報告書第114集) 」
- 【書籍】「長浜城跡詳細分布調査報告書」
- 【書籍】「国史跡長浜城跡整備事業報告書」
- 【書籍】「史跡長浜城跡発掘調査概報」
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長浜城の口コミ情報
2024年11月10日 tower428太閤
長浜城
環駿河湾海城めぐりのイベントで北条水軍の拠点 長浜城を訪れました。駐車場から釣り堀のある柵まで行くと目の前に富士山が見えました。登山口から第一~第四曲輪を歩き、腰曲輪A~Dまで行きました。Dは斜面が急で降りるのに勇気が入りましたが、駿河湾の海面まで行けました。安宅船の実物大の模型はお城の上から撮影しました。
イベントを企画してくれた運営さんに感謝します。
2024年11月10日 宇喜多隊
長浜城
路線バスで到着すると安宅船説明板のある重須登城口からになります。マイカー駐車場は4曲輪からになるので見学ルートは逆になります。ポイントは4曲輪〜3曲輪(2つの堀切)〜2曲輪(掘立柱建物跡、復元櫓、堀が重須側の竪堀に繋がっている)〜1曲輪(三枚橋城と富士山が望める、L字状の土塁)〜AからDの腰曲輪、海まで降りられます
2024年11月06日 七沢駿河守七郎
長浜城
小田原北条氏水軍の城、長浜城。城の規模は小さいですが、整備がしっかりされていて登りやすかったです。発掘成果も看板で示されて勉強になりました。夕方に着いて車を駐車場に停めて登りました。駿河湾と夕陽が綺麗でした。
2024年10月20日 巨福呂左近衛少将充流
長浜城
しっかり整備がされている海城。各々の郭も見事。
2024年05月04日 千葉相模守早雲【権六】
長浜城
武田氏が駿河の沼津に三枚橋城を築くと、北条氏は韮山城の守りを固めるため、徳倉城など周辺の城を改修し、更に海から攻め込まれないように獅子浜城と長浜城を築城。梶原景宗を長浜城に入れて、水軍を束ねさせました。
L字状に4つの曲輪と小曲輪が並び堀切で区切り、地盤は凝灰岩層のため、岩盤を削って堀や畝を設けています。また、安宅船の実物大の舟形や図が展示されていて、水軍というものを実感する事が出来ます。
国指定史跡として整備され、駿河湾越しに富士山が見える絶景はサイコー!
1.第三曲輪へ続く登城路。
2.第ニ曲輪と第三曲輪間の堀切。
3.第二曲輪と奥に第一曲輪。背後に富士山。
4.岩盤を削った堀。
5.第一曲輪の下に段郭。
6.曲輪が直線上に段郭状に並ぶ。
7.第三曲輪と第四曲輪の間には跳ね橋があったとの説もあるみたい。
8.安宅船の舟形。車と比較するとその大きさが分かる。
2024年02月26日 ペスカトーレ
長浜城
海沿いにある山城で、後北条が迫る武田軍に備え、水軍基地も兼ね整備した城です。山城にしてはしっかり整備されていて、見やすかったです。
3~4台分ですが無料駐車場もあり、山頂の本丸までは、10分くらいで登れるので、フラット寄ってもいいです。
2023年12月11日 北条氏康
長浜城
北条水軍の拠点、曲輪とかがよく残っている
2023年11月15日 しげしげ主税頭信繁
長浜城
大変よく整備がされていました、階段を10分ほど登ると第二曲輪があり富士山がよく見えます。原寸大安宅船の型の大きさに驚きました。
2023年09月17日 3榊原刑部少輔康政
長浜城
しっかりと整備されていて、楽しみやすい城でした。海を眺めることもでき、海軍の城を実感できます。
2023年09月03日 みよ釆女正
長浜城
海岸沿いの国道に、看板があります。看板の所の奥には、ボートが沢山。その奥に駐車スペースあります。
きれいなトイレと、長浜城の案内板等があります。駐車場から、5分登る道も整備されています。曲輪や、堀などの遺構も沢山残っています。当時にもあっただろう見晴台に登りました。眺望も最高。長浜城全体をぐるっと道か整備されていて石垣もあります。当時の船の原寸大のレプリカもあり、見所は想像の上でした。リア攻めして良かったです。
2023年05月10日 織田上総介晃司
長浜城
長浜城の東側、長浜マリーナ(だったかな…)に駐車場があります。海城には晴れが似合いますが、石垣撮影には生憎な天気です。
駐車場の奥に釣り堀があるので城に興味の無い旦那さんや彼氏には釣り堀で暇をつぶすよう言って騙して運転してもらいましょう(笑)近くに伊豆・三津シーパラダイスがあるので城に興味の無いお子様がいても大丈夫。
2022年11月12日 たえちゃん刑部卿こねこ食堂
長浜城
北条水軍の船着場が見れます。降りていく坂は確か復元の物見櫓の階段を降りて行った先だったと思います。
入り口に案内板もないし獣道みたいにすごく細くて見つかりづらいですが、確かブラタモリでタモさんもここから船着場に降りていたと思います。急斜面で結構危険です。
降りるとゴツゴツの岩場でそこが船着場です。ここも足元がかなり危ないです。
水際まで行ってキレイな海水に触ることもできるし、ここに安宅船を係留してたんだなと想像が膨らんで楽しいです。
2022年07月12日 ちはる左衛門督
長浜城
曲輪がしっかり残っており、丘全体に広がっている。第一曲輪からは三枚橋城、鷲頭山砦なども見渡せ、各城、砦の配置が一望できます。駐車場、トイレも完備され、林道や説明パネルも整っておりました。
2022年02月25日 むーたん図書頭
長浜城
駐車場があります。説明板も多く沼津市の力の入れようがわかります。海に面しているのがいいですね。海まで降りると潮騒に癒されます。
2022年02月13日 涼丸
長浜城
ちゃんと整備されていて説明板もあちこちにあり、安宅船の原寸大を表した模型(同じ大きさの板場)もあり、城暦浅くても楽しめます。
2度目の登城で小さい縄張りながらも小一時間ほどプラプラできます。
興国寺より力入れてる感。
詳細にも書いてあるけど短命な城で、築城から廃城まで10年ほど。
武田が沼津城を建て駿河湾に進出し、それに伴い湾内からの揚陸を防ぐ為に長浜、獅子浜を築城。
韮山城の防衛上の拠点になるが、武田滅亡後は重要性無くなり、韮山開城と共に廃城。
海戦もあったらしい。にしてもいまいちピンとこない武田水軍。まぁ水軍は地元の兵隊さんだろうけど。
安宅船の大きさにも感動。
あとたまに見るけど岩盤削った堀切。竪堀の上にどうしても必要なんだろうけど、これ命じられたら絶望するよなぁ。機械も無い時代によくやったよ。
写真は、富士山じゃなくて写真中央にあるはずの沼津城(三枚橋城)、安宅船の原寸大、第二曲輪からの虎口、腰曲輪、第二曲輪と第一曲輪の間の絶望の堀切、です。
2021年12月12日 涼丸
長浜城
耳慣れない武田水軍!に対するために作られた北条の城。夜明け前に布陣したので、まずは挟撃されないように周辺の神社や寺をピクミンで制圧。だって暗いんだもん。夜襲は危ない。車を正面に置いておき、別働隊にて川沿いから攻め上る。尾根伝いに作られた曲輪(腰曲輪と呼ぶらしい)は海まで出られます。そして本丸を陥し、虎口から帰る。あ、弁天さんにお参りするの忘れてた…
2021年08月04日 中務少輔おりー
長浜城
駐車場の入り口がわかりにくく『OH!MOSオーモス』というお店で尋ねてみたら、駐車場を教えていただいたのですが、そのまま停めて長浜城に行ってきていいよとのお言葉をいただきました。見学のルートや見どころ、さらにパンフレットもくださいました。このお店に御城印も売っていました!
地域の方々が定期的に草刈りをしてくださってるとのことです。ありがとうございます♪
2021年07月18日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
長浜城
駿河湾の眺めは最高です。天気が良ければ富士山も一望できます。周辺は海の幸のグルメと温泉。観光もバッチリです。
2021年05月08日 泉地淡路守ばっかんまん
長浜城
北条水軍の城として知られています。
ガイダンスも沢山あって楽しめるし、駿河湾越しの富士山も綺麗に見れます。
往時は、ここから三枚橋城の武田軍の動きを見ていたのでしょう。
2021年05月05日 オコジョ中務少輔
OH MOS[長浜城 御城印]
沼津四大城御城印プロジェクトのうち長浜城の御城印頒布場所。長浜城はここ一箇所です。ここは枚数がまだあります。
2021年04月03日 eiki
三津城[長浜城 周辺城郭]
標高407メートルの発端丈山頂に築かれた城で、伊豆箱根鉄道の大仁駅から伊豆三山ハイキングコースが整備されています。駅から2時間の歩きで城跡に到着します。山頂一帯がなんとなく郭の様な雰囲気を出していますが、はっきりした遺構はありません。南北朝時代に畠山氏が守った城とのことです。遺構については乏しいですが眺めは秀逸、三津の港を見下ろします。
2020年11月02日 ポール駿河守マッカートニー
長浜城
三津シーパラダイスすぐ近く。
イルカショーの音声が聞こえるくらい。
駐車場がちょっと入りにくいが、分かりやすい展示物のおかげで小さいながらも楽しめる。
水軍の城として、もっと注目されても良いのでは。
2020年11月02日 勝幡修理大夫絵振之助㊉
長浜城
海岸に立つ一つの小山を丸ごと平山城に改造。下から見上げると切岸が高く角度は急で、攻める気をなくす。木の階段を多用して良く整備されているので歩きやすく、ワクワクする。案内板も多くて曲輪・堀切もわかりやすい。復元した櫓、実物大安宅船の床面もGOOD。山頂からは内浦湾を一望できて富士山がよく見えた。淡島も目の前。
2020年05月02日 橘若狭守次郎吉
長浜城
所々に残る石積は長浜城の遺構ではなく、三井グループが城跡に別荘地を持っていた頃に擁壁として整備したものであるので注意が必要だ。
2019年06月24日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
長浜城
城郭切岸と安宅船の実物大の船底☆北条水軍を駆使した城郭はコンパクトながらテクニカル♪竪堀は僅かに一本☆鋭さが物語る☆安宅船は伊勢から瀬戸内にかけて使われた大型船☆戦国後期には東国の大名も使いだす☆後世には『海上の城』とも呼ばれる☆
2019年06月22日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
長浜城
D曲輪先の海に突出した岩場☆D曲輪先の森を抜けると辿り着く場所☆岩場に降りる為の動線が出来ている(奥)森に繋がる石段の様な物も確認出来る☆舟入場か?何らかの機能を持っていたと思う☆面白かったのが主郭より北東側の曲輪群には土塁は一切無い☆要は海側…には土塁が無い☆海上の戦に関しては余程の自信があったのかなぁ〜☆とマジ萌え♪
2019年05月07日 橘若狭守次郎吉
松下館[長浜城 周辺城郭]
松下館の城史などの詳細は不明。三津天満宮が城跡とされる。
2019年05月07日 橘若狭守次郎吉
宮脇城[長浜城 周辺城郭]
宮脇城は城史などの詳細は不明。気多神社の裏山に曲輪と堀切が残るというが登れそうになかった。
2019年05月07日 橘若狭守次郎吉
三津新城出城[長浜城 周辺城郭]
三津新城出城は三津新城の南に築かれた出城。曲輪、堀切、土塁、石積が残る。
2019年05月06日 橘若狭守次郎吉
三津新城[長浜城 周辺城郭]
三津新城の城史は詳細不明だが天正年間に北条水軍が武田水軍に備えて築いたのではないかと云われています。曲輪、土塁、竪堀、井戸が明瞭に残ります。
2019年05月05日 橘若狭守次郎吉
発端頂砦[長浜城 周辺城郭]
発端頂砦は三津城の北を守る砦と思われる。曲輪と堀切が残っている。
2019年05月05日 橘若狭守次郎吉
三津城[長浜城 周辺城郭]
三津城は康安元年に畠山国清が鎌倉公方足利基氏に反旗を翻し伊豆にて挙兵した際に築きました。弟の畠山義煕が守備していましたが、基氏軍によって落城しました。
戦国時代には長浜城の北条水軍が狼煙台として利用した可能性がある。
発端丈山の頂に位置し、曲輪が残るのみである。
2019年05月03日 橘若狭守次郎吉
大川氏屋敷[長浜城 周辺城郭]
大川氏屋敷。大川氏は戦国期には長浜城を守備しており、江戸期には内浦長浜地区の津元となった。現在も屋敷には末裔の方がお住まいで、江戸期に建てられた長屋門が今も残る。内部見学は不可。ちなみに、内浦が舞台である某アニメの黒澤邸のモデルにもなっている。
2019年05月03日 橘若狭守次郎吉
長浜城
伊豆長浜城は北条水軍の城で在地領主の大川氏が在城した。段曲輪の先には美しい内浦湾が一望できる。中心に見える島は淡島で、無人島だが淡島マリンパークや淡島ホテルがある。
2019年04月28日 橘若狭守次郎吉
岩尻山砦[長浜城 周辺城郭]
岩尻山砦。長浜城の出城。曲輪、堀切、土塁が残る。
2019年04月28日 橘若狭守次郎吉
網代山砦[長浜城 周辺城郭]
網代山砦。長浜城の出城。曲輪と堀切が残る。
2019年02月04日 葵尾張守
長浜城
アニメの聖地となっているようで、人が結構いました。
パンフレットは通常、駐車場か向かいのJAで頂けるようですが、今回はどちらもなかったので長浜城から5分程度の観光案内所で頂きました。
観光案内所がアニメ一色で入るのにちょっと躊躇しましたが。。
眺望が素晴らしく富士山がとても綺麗に見えました。西伊豆観光に気楽に寄れるお城です。
2017年12月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
長浜城
長浜城址見学駐車場の看板が有、釣り堀の駐車場が無料解放されています、城跡は良く整備されていて、案内板も充実されているのでとても良かった!
駿河湾越しの富士山が素敵なロケーションなので是非一度足を運ぶと良いかと思います!
2017年04月11日 こうひろ☽
長浜城
駅東側の市立図書館3Fに安宅と小早の模型がパネルと共に展示してあります。安宅はかなりの大きさで精巧です。
見学してから城へ行くとより楽しめるでしょう。パンフレットも置いてあります。
撮影禁止で紹介出来ないので、時間がある方はぜひ、見て下さい
2016年09月06日 京急渡島守ドレミファ♫
長浜城
沼津駅南口の⑧番乗場のバスに乗り、約40分の「長浜城跡」バス停下車すぐです(810円)。恐らくバス停名が「城下橋」から変更されたのでしょう。目の前にJAがあり、パンフレットをいただけます。バス停及び駐車場の周りには、お手洗いと自販機があるので安心です。
2016年07月25日 鼓舞式部卿勘助
長浜城
登城口向かいのJA直売所に、城パンフが置いてあります。城内も綺麗に整備されて大変見易いです。
2016年03月13日 大山祇武蔵守明希
長浜城
城郭から望む穏やかな入江と富士山がとても美しいです。北条氏が築城した足柄城や山中城と同様に見応えのある眺望です。整備されてるので家族連れの城めぐりでも文句を言われすオススメ。お弁当持参でのんびりするといいでしょう。
2016年01月11日 STRADA
長浜城
釣り堀の駐車場だった所が城趾の駐車場になりました。ほぼ釣り客の車ですが…沼津駅行きのバスは30分に一本程有りますが、城趾へ来るバスはもう少し少い様です。
2016年01月10日 田部朝臣土持安房守
長浜城
国指定史跡だけあって、かなりしっかり解説と復元がなされているのだが、北側の小曲輪郡のD曲輪は復元の対象外であったようで逆にアラが目立つ感じで寂しい。
概ね遺構を忠実に復元している訳だが、流石に自然に経年劣化してすり減った石は戻せないからだろう、見学路を新設した部分が本来の道ではない事は理解しないといけないと思う。
櫓が復元されているのだが、忠実になされているので、往事の人々の足が結構小さかったと感じとれる。下りが怖い。
2015年09月07日 尻啖え孫市権中納言
長浜城
この海に面した海賊城も小規模ながらも北条流築城術が随所にちりばめられていて見所満載。案内板も城の基本から説明していてわかりやすい。何重もの曲輪、曲輪間の堀切、竪堀、虎口と横矢がり。曲輪の土塁は陸地側のみにあり、守衛時の海からの上陸がないことを想定した縄張りには少し違和感を覚えた。第一曲輪だけは外部から見えない造りにしていたらしい。豊臣遠征軍に対して戦わずして無念の開城。わずか数年の城命。
2015年06月03日 ひな中務大輔ひな⭐️
長浜城
整備が完了して見学しやすくなったようです。
海とヨットと城跡のコントラストが美しい、とても気持ちの良い場所でした。
車は今のところ長浜釣り堀センターに駐車できます。
2012年04月29日 三日左馬助落人
長浜城
要所に説明板や木製の遊歩道、櫓風の建物に等、徐々に整備が進んできて見やすくなっています。入口の向かいにあるJA店舗の方が親切にいろいろ教えてくれました。
も近く整備予定のようです。
長浜城の周辺観光情報
春夏秋冬、それぞれの趣をたたえたここからの眺めは、とても言葉では言い尽くせません。ぜひドライブの途中に車を止めて大自然のパノラマをお楽しみ下さい。身障者用のトイレも設置してあります。
詳細はこちら
長浜城の周辺スポット情報
岩礁ピット痕(遺構・復元物)
段曲輪(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
櫓跡(遺構・復元物)
石碑(碑・説明板)
第三曲輪(碑・説明板)
第二曲輪土塁(碑・説明板)
重須ガイダンス広場説明板(碑・説明板)
網代山砦(周辺城郭)
岩尻山砦(周辺城郭)
大川氏屋敷(周辺城郭)
三津城(周辺城郭)
発端頂砦(周辺城郭)
三津新城(周辺城郭)
三津新城出城(周辺城郭)
宮脇城(周辺城郭)
松下館(周辺城郭)
伝狼煙台跡(寺社・史跡)
OH MOS(御城印)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
安宅船寸法復元(その他)
長浜城遠景撮影スポット(その他)
網代山砦、岩尻山砦の登山口(その他)
長浜城を鳥瞰できる見晴台(その他)