丸山城(まるやまじょう)
丸山城の基本情報
通称・別名
- 円山城
所在地
- 静岡県伊豆市八木沢
旧国名
- 伊豆国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 富永氏
築城年
- 室町時代中期
主な改修者
- -
主な城主
- 富永氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
安良里城(静岡県賀茂郡)[7.5km]
狩野城(静岡県伊豆市)[15.4km]
長浜城(静岡県沼津市)[17.8km]
沼津城(静岡県沼津市)[24.4km]
韮山城(静岡県伊豆の国市)[24.8km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[25.1km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[25.5km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[26.8km]
興国寺城(静岡県沼津市)[27.9km]
久能山城(静岡県静岡市)[28.4km]
丸山城の解説文
丸山城の口コミ情報
2024年11月17日 千葉相模守早雲【権六】
丸山城
北条氏の水軍の拠点の一つ。国道136号を挟んで本城と出城に分かれています。国道沿いに入り口の標識はありますが見落としやすいです。リア攻めマップのスポット登録を頼りに行きました。
本丸までは段曲輪が連なり、それらを支える石垣を所々に目にする事ができます。曲輪は藪に覆われています。
石積みは城友様の口コミにあるように耕作地化の際に積まれたとの説もあるようですが、勾配を考えると段曲輪を少しでも広げ、その縁が崩れないようにある程度は石積みで支え、耕作地化の際にはそれを利用して、積み直しや補強をしたのではないかと思いました。出城には曲輪と土塁が残っていました。
1.2.3.本城段曲輪の石垣。
4.本城の登城路。
5.虎口と思われる。石で道を狭め折れている箇所。
6.本丸跡。
7.出城の登城路。
8.出城の土塁。隙間は虎口か改変か?
2024年10月30日 源山城守@ポンコ2…
丸山城
先達口コミにあった丸山スポーツ公園に駐車し、国道136号線を歩き3分ほどで本城登城口に。北の対面に旧城の出城登城口があり、ネットはそちらのほうがよいと言う情報多かったものの、あえて南の普請中に小田原征伐で落城したと言われる本城へ。
本城は比高40㍍ほどで、木段上がると石敷(途中まで)の西伊豆遊歩道に沿って歩くと5分ほどで主郭へ行けますが、道中の石敷の遊歩道には抜け石がわりかし転がっています。また頭上くらいにクモの巣もたくさんかかってるので、注意したほうがよいかと。蚊に刺されたので、虫除けもしといたほうがよさそうでした。
道中見てると段曲輪が10はあったかと。こんだけ段曲輪が連なるわりに虎口などの工夫はなさそうで、信州塩田城もこんな感じやったなぁなど思い返しつつ、削平地と区切の石積見つつ上がっていきました。水軍の拠点は守りより兵站や見晴らし重視やったのかもしれません。なお、この石積は、10年前のS経新聞記事には発掘調査でわかったことに珍しい積み方とありましたが、一方でネットなどでは廃城後に耕作地化された際に積まれたともあり、実際見ても判断つかなかったです。
また、どの段曲輪も藪が繁茂しており、出張帰りのスーツ革靴では足を踏み入れるのは躊躇ってしまいました。八朔の実がなってたり農具庫、耕作地?と思われるものなど、これ私有地かなと思われるとこも注意したほうがよさそうでした。一番高い石積上の主郭は、入りづらい藪でしたが上がっても削平地やなくらいでよくわからず、歩き回らずにそのまま下城しました。
登城口から少し南に進んだとこにスポーツ公園より登城口に近い駐車スペースもあり、車で行きやすそうな城址でした。今回行かなかった詰の城や出城に行くと、また違ったんかなと感じました。
2024年10月20日 巨福呂左近衛少将充流
丸山城
道は整備されているが、本郭の方面は道がふさがるくらいススキ祭り。
2023年12月11日 kazmame
丸山城
丸山スポーツ公園の駐車場に停めて、まず堀なのかわからないけどかなり下ってからの海側の出城へ。まあまあ登る。西伊豆遊歩道となっていますが、なかなかの道なのでそれなりのスタイルで行く方がいいです。道路を挟んで反対側が、本曲輪です。時々石垣が見えます。(本物かな?)私有地も多く、気をつけないと畑にはいってしまいそうなところでした。
2021年12月19日 RED副将軍
高谷城[丸山城 周辺城郭]
巨大堀切と岩盤掘削切り通し道の虎口は見事です✨
オススメ度 ★★★★⭐︎
伊豆水軍 富永氏の居城。
1491年、富永政直は伊豆を侵攻する北条早雲に従い挙兵。
富永政直・政辰・康景・政家と4代北条氏に仕え、政家は北条家五家老に数える重臣。
1590年、豊臣秀吉の北条征伐で北条氏が敗れ運命を共にしました。
「第一章 Delete」
今回は城友様達と訪城。
ガイドは、事前に下見までしてくれた「相模の狂人」の異名を持つヘンタ…失礼、達人です。
しかし、定刻になっても達人が現れません。
どうやら連絡の行き違いで待ち合わせ場所が違っていた様です。到着まで1時間かかるので先に登って下さいとのお言葉に甘え、達人のことは気になりますが、松原公園に駐車し登城口の諏訪神社を目指します。皆んな達人の事が心配です。
徒歩10分で諏訪神社に到着。まずは参拝。 ※注1
諏訪神社の背後が城郭との事で、社殿背後を直登します。実は間違いで、鳥居を潜る前に右手に逸れる道があり、そこが大手道です。
急坂を直登すると10分で見事な切り通し道が。
これは期待できるとまずは主郭を目指します。 ※注2
少し登ると削平地があり、主郭周辺はヤブ化の上にゴミも散在する状況に残念。
気を取り直し南の尾根を進むと遂に巨大堀切がスパッと尾根筋を遮断しています。深さ、幅ともに10m近くあるでしょうか。堀切の向こうに海が見える最高のロケーション。 ※注3
堀切を越えると櫓跡の様な土台も。海上警備に最高です。
ここで戻り、切り通しを降って行きます。すると岩盤掘削の切り通しに折れを伴う虎口状の遺構が連続。大堀切に負けない見事な動線美と土木量に大満足な城郭でした。
そのまま降ると先に記述した登城口に辿り着きます。
複数の登城口があり案内板等は一切無いのでご注意を。
※注1 この時点で達人の事は半分忘れています
※注2 ほとんど達人の事は忘れてしまいました
※注3 Delete 消去されました
次の目的地、韮山城の砦群に行く前、駐車場で達人とようやく合流。
達人と高谷城の感想を話すと、見事な切り通しや虎口を下見で見ていない事が判明。
達人の追試だけが決定。
次回「第二章 愛甲降臨」
いつか投稿するかも
2020年10月17日 漂泊の浮雲掃部頭
丸山城
道路を挟んで左右に出城と本郭。段状に曲輪もあります。西伊豆歩道の中にあり、道も整備されています。
2020年07月29日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
高谷城[丸山城 周辺城郭]
静岡県の伊豆市にある高谷城♪
諏訪神社の背後に在ります☆
縄張りは抜群♪
城主・築城主は富永氏☆
北条早雲が伊豆を平定するとこの地を領していた富永氏は早雲に従いました☆その後に西伊豆の小豪族を取り入れて勢力を拡大☆
富永氏はここ高谷城や支城の丸山城を守りました♪富永氏率いる伊豆水軍(北条水軍)の活躍は対里見水軍や武田水軍との幾多の海戦を潜り抜けました〜☆
高谷城の城域は巨大で大きく分けて一郭群、二郭群、三郭群と区間されています☆
主郭は沿岸部に突き出しその北東側を無数の帯郭、腰郭が段を造り守ります☆
最大の見所は北東側の尾根筋に造られた大堀切☆高さ8m幅10m位在りそうな巨大な遺構☆ここで主要部との境界線を引いています☆
この大堀切を抜けたとしても先には細かく刻まれた段郭☆主郭に向かうにも一苦労がある堅固な城郭でした☆
2013年02月11日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
丸山城
三島市方面からだと国道136号をひたすら(笑)一本道で行けます。
土肥の街から約5kmで『丸山スポーツ公園』の目の前の小高い丘並びに道路の反対側に遺構が残ります。
出城(旧本城)側は駐車場から200m程で頂上(主郭部)へ、本城はトータルで400m程で最高部に行けます。
出城側は主郭部に僅かに土塁が、本城側は大手口から石積みされた削平地形など見る事が出来ますが、畑などに転用されている所もあります。
本郭は私有地(畑)の為に立ち入れません…(T_T)が石積みがあります。
ただ、この石積みが当時の物かは不明…(^_^;)
本郭のやや上に休憩所があり説明板と『パンフレット入れ』と書かれた箱が!開けると空っぽでした…(ノ△T)
更に上に登ってくと詰めの城があります。
こちらも畑か当時の削平 地か判別付かず…(^_^;)
堀切まで行きましたが、どれが堀切かも判別出来ませんでした…(T_T)
富永氏は伊豆に侵攻してきた伊勢宗瑞に臣従し、以後北条水軍の中核部隊として、活躍した。そのうち、富永弥四郎は江戸城主にも任ぜられている。天正年間には、小田原の北条氏政は対岸駿河に進出してきた武田氏の水軍に備え、この丸山城を大拡張強化して西伊豆最大の水軍基地とした。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原侵攻により、水軍基地としての役割を失い、廃棄処分に付されたと考えられるが、城跡一帯には当時の曲輪跡・堀・土塁跡が残されている。現在野球場になっている辺りは往時の船溜まりの跡である。