狩野城(かのじょう)
狩野城の基本情報
通称・別名
- 柿木ノ城
所在地
- 静岡県伊豆市青羽根
旧国名
- 伊豆国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 狩野氏
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 狩野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(狩野城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
長浜城(静岡県沼津市)[9.6km]
韮山城(静岡県伊豆の国市)[13.2km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[13.4km]
鎌田城(静岡県伊東市)[13.7km]
丸山城(静岡県伊豆市)[15.4km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[17.7km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[18.9km]
沼津城(静岡県沼津市)[19.0km]
網代城(静岡県熱海市)[19.2km]
安良里城(静岡県賀茂郡)[19.6km]
狩野城の解説文
狩野城の口コミ情報
2025年02月09日 mootze
柏久保城[狩野城 周辺城郭]
修善寺駅の南側の山城です、車で近くの修善寺グランド目指して行きますグランド横の貯水タンク横の道を愛宕山方面へ100メートルほど上がりますと駐車スペースがありますので、止めて登城しました 戦国期初期の山城で、縄張りも、小さく北側からの敵の侵入に備えた感じの城です北側の谷の名前が、新九郎谷とついている事から伊勢宗瑞が攻め込んだ激戦の城です遺構は、本郭には土塁、曲輪などが、確認できます
2024年12月02日 気分爽快根室守
狩野城
下田に行っても帰路の渋滞を避けるため素通りしていた狩野城。地域限定の対象になったので、せっかくなのでリア攻めしてきました。
修善寺から土肥に向かうバスで途中下車し、次のバスまでの1時間での攻城ですが、それなりに見て回れます。
土肥から清水までのフェリーでは、海上から富士山を見ることができ、なかなか面白い企画と思いました。
①西郭西の堀切
②二重堀切の中央土塁は低くなっていた
③本郭とあったが主郭ではないだろう
④本郭東の竪堀を下から
⑤中郭は広い
⑥東郭は北側が窪んでいる
⑦出丸への登り
⑧東から見た出丸
2024年11月03日 jun1安房守
狩野城
公園広場から登城。ちょうど公園は草刈作業の中、皆さん優しく車を停めさせて頂きました。公園内にパンフあり、パンフを見ながらですと少し迷いそうですが、各所に案内板があり、各郭等表示もあり、確認しながらですと、迷わず散策出来るとおもいます。登りもキツくなく楽しめますが、それなりの靴は必須。
2024年10月20日 巨福呂伊豆守充瑠
狩野城
トイレ、駐車場はしっかり整備されている。登山道は路面は雨などで濡れていると歩き辛い。各々の郭は表示板があるので分かりやすい。
2023年10月16日 みその対馬守
狩野城
駐車場、トイレは整備されています。あまり訪ねる人は無くて静かです。二重堀切は見応えあり。広過ぎて、逆によくわからないです。
2022年09月16日 在来線男右京進
狩野城
駐車場に置いてある地図を見て歩くと30分くらいかかります。ただスズメバチの巣があるので気をつけてください。
2022年06月10日 ʀᴇᴅ副将軍
狩野城
絵師狩野派発祥の地✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
11世期の平安末期に築かれた狩野氏の居城。北条早雲と争うも開城して降伏。狩野氏は小田原に移って後北条氏の重臣となりました。現在の遺構は北条氏による改修のもの。
見所
中曲輪と本曲輪の間の堀切。端部は竪堀となり、先に進めば水の手に至ります。各曲輪を長大な堀切で区切っています。中曲輪は西側に高土塁が延び南曲輪に繋がり、城内で最も高所にある広い曲輪。階段付きの堀切は写真でも傾斜が分かりやすいと思います。
2022年01月30日 涼丸
狩野城
マジで滑落するとこだった笑。東郭の先に歩いた跡があるから行ってみると獣道で、気付いた瞬間滑った…まさに好奇心猫をも殺す、君子危うきに近寄らずです。
前回狩野城に来た時は危険箇所にコーン置いてあっただけで通れたけど、現在は歩道の復旧工事の為重機も入っていて一部通行止めになってます。直してくれるだけでもありがたい。
駐車場から真っ直ぐは通行止めなので、途中を右に登ります。整備されてるとはいえこっちは急な山道なんでご注意を。レンタル杖あります。
山城だからか、郭や出城はあるけど堀は二重が一つだけ。南北は急峻で尾根に沿って攻めるしかないから必要ないのかな。
で、件の東郭。説明板がある場所は洞にしか見えず堀と言えなくもない。その先が平坦だしその先も。階段状になってるのかと見回すと細い脇道が…
案内図は置いてあるけど説明板の地図のがわかりやすいです。
今日は神社の掃除があるんで出城は行かずに撤退。時間までに神社に着いたのにもう始めてるし。ああ、田舎だからなぁ笑
2022年01月09日 こうひろ☽
指月殿・源頼家墓所[狩野城 寺社・史跡]
【指月堂】
暗殺された頼家の菩提を弔い、政子が修禅寺に寄進した経堂で、伊豆最古の木造建築物といわれています。
禅宋式という様式の丈六釈迦如来座像が安置されています。
【源頼家公墓所】
入浴中を襲われ、23歳で最期を遂げたと伝えられている。
【十三士の墓】
頼家の家臣十三士の墓もあります。
御座敷遊びが盛んな時代には、温泉街中心の独鈷の湯で仕事終わりの芸妓さんが入浴していたそうです。
2021年12月27日 mootze
狩野城
大河ドラマ、鎌倉殿に、少し関係ある、狩野氏の、お城、近年、整備されて、歩きやすくなってます2022年には、少し、観光客が来て、色々、山城を楽しまれる所だと思います
2021年12月08日 涼丸
狩野城
雨上がりでも山城は危険!笑…でも案内図や杖が置いてあって、とても助かりました。管理されてる方々に感謝です。もう12月ですがまだ紅葉も見れたので良かったです。見頃は11月下旬かな。登城者が少ないようで苔がフカフカ。それもまた趣があって良いですね…兵どもが夢の跡。帰りに近くの旭滝に寄り道。タモリさんが喜びそうな滝です笑(柱状節理)
2021年10月24日 黒はんぺん周防守
狩野城
駐車場から遊歩道に入り初めの分岐点を右に。最高点までは順調だったがそれ以降は道を見失う。道なき崖のようなところを降りて遊歩道に戻れた。伊豆市にゆかりのある者としては、もう少し整備を望みます。
2021年10月03日 駿河守浪子
柏久保城[狩野城 周辺城郭]
伊豆の中央部、修善寺ちかくの愛宕山に位置する現在未登録の山城です。
1.城の歴史
鎌倉時代初期に幕府御家人であった狩野氏の出城として築かれたとされますが詳細がはっきりしません。
時は下り室町時代後期、伊勢新九郎(後の北条早雲)が伊豆へ侵攻した際に狩野氏本拠地である狩野城攻略の足がかりとしたとされます。
新九郎は伊豆平定後、韮山城を本拠地としますが柏久保城を出城として残したといわれるので戦略的に重要な城だったのでしょう。
主郭にそんな案内板があります。
2.城の現状・立地
伊豆の大河である狩野川の二本の支流である古川と大見川合流点の東側、標高180メートルの愛宕山にあります。
城域は東西の尾根上に細長く伸びます。
主郭には愛宕神社のちいさなお社がありますが、そこから東側へ二の郭、三の郭と続きます。
西側は堀切で遮断しています。
新九郎時代以降も改変されている模様…
北側は新九郎谷とよばれる険しい谷ですが新九郎が攻略の際にここから攻めあがったのが名前の由来のようです。
南側は山裾へ落ちていきますが主郭と二の郭はこちらにのみ土塁が築かれています。
3.訪城の感想など
電車から徒歩でも車でも「修善寺グラウンド」を目指していくと分かりやすいと思います。
実は何回か訪れたのですが登り口が分からず引き返すこと2回…ようやく3回目で攻城できたお城…私がアホなだけかもしれません😓
リア攻めはグラウンドすれすれの東脇に道がありそこをずっと登っていきます。
西側からもルートはありますがお寺を通り抜ける様子でわかりにくかったです。
ただ3回目は同行者が体調を崩してしまいじっくりは見られなかった思い出もあるのでもいちどリベンジしたい…
城域自体は小さめで派手さはありませんが良い意味で生々しさを感じることができる山城だと思います。
狩野城や韮山城など近隣?にその他たくさん良いお城がありますので余裕あるかたはセットでリア攻めなさるのもおすすめします。
2020年08月25日 龍馬備中守【】
田代砦[狩野城 周辺城郭]
静岡県の伊豆市にある田代砦☆鎌倉時代に田代信綱が築いた砦となります☆
田代冠者信綱は源頼朝・義経の智将として名を馳せます☆砦そのものは規模が小さく居住空間としては手狭なので恐らく城主居館は山麓にあったと思われます☆
2020年07月09日 龍馬備中守【】
修善寺城[狩野城 周辺城郭]
静岡県の伊豆市にある修善寺城☆
修善寺城は狩野川と桂川に挟まれた標高248mの城山山頂に築かれます☆築城主は畠山国清によって築かれました☆畠山国清は鎌倉公方足利基氏を補佐して伊豆国守護となり関東武士を率いて上洛し南朝方勢力と戦うも失脚して追放されちゃいました☆
こぶ状に突出した主郭を中心に南北に伸びる尾根を加工して城郭を造ります☆東側を狩野川、西側を支流である桂川に挟まれ急峻な斜面を至る所に持つ天険となります☆
僅かに石積みが残り土橋、堀切、郭などが残ります♪
2020年05月04日 鉄武蔵守紺太郎信繁
狩野城
2020年2月9日訪問。駐車場から城址遊歩道入り口へ行くと通行禁止になっており紐で通行が出来なくなっていた(積雪のせい?) 。 駐車場に置いてあるマップを手に別ルートの南西側尾根の入り口まで徒歩で向かいました。道標は分からなかったが数体の石仏の近くに登り口が有りましたが、自分は登らず下りに使いました。登りはそこから車道を少し歩いたところに狩野城の矢印を見つけ、ちょっとだけ急な道を上ると本郭の脇にでました。下って分かりましたが最初の登り口の方から登城する方が楽です。城址は堀切が見事です。貴重な郭もよく残る土の良い城跡だと思います。
2019年08月15日 征夷大将軍西大寺信誠
狩野城
遺構はとても良いが案内図が、わかりにくいので注意。道標も表示が分かり難く、どこにいるか把握しにくい。登り口からの右ルートの道標は案内板から離れた川向こうにあるので、夏場は草で見えない。ここでいきなり位置を失う可能性がある。右ルートは整備があまりされていない。土止めが滑りやすいタイプのゴムで覆っていたりします。雨後は要注意。
滑りにくい靴で行ってください
2018年12月15日 こうひろ☽
狩野城
本柿木農村公園駐車場から登るとすぐ道が別れますが右(砂防ダム側)が大手道です。急坂なのでのんびり行きたい方は左のハイキングコースつづら折れ側を進んで下さい。旗がそこらにあるので此方が大手道と思い込んでいました。
平安後期起源の城で戦国初期の山城がその後に改修を受けたとはいえ、ここまで残っているのは感激です。
堀切と二重堀が一番の見所ですが郭の繋がりや紅葉具合、春なら桜を見ながらのんびり散歩するにはもってこいの規模とアップダウンです。
香川先生の復元イラストを見てから行ったので縄張りと雰囲気を思い浮かべながらリア攻めして更に楽しめました。
2016年01月10日 田部朝臣土持安房守
狩野城
トイレと駐車場は問題なし。マップがトイレに。とあったが、在庫切れ中で片手落ち。駐車場から左右にルートが。とあったが、右ルート入り口が解らない。
結局、ぐるっと巡ってみたら、西曲輪入り口まではきっちり整備された道だったのに、それから先の道の整備が半端だったので、右ルート入り口が山道と化していて、獣道と判別がつかなかったと言う事が判明。
途中まではふわふわとした材質のものが敷き詰められていて、お、国指定並み?と思わせる程なだけに、ある程度解っている人が指揮したのだろうが…予算が不足したものと推測。二次・三次計画があるのだろうか?今後に期待。左回りで登城する事をお薦めする。
2015年06月03日 ひな中務大輔ひな⭐️
狩野城
駐車場、トイレ、案内板完備。綺麗に管理されてて安心して利用できます。険しい箇所もありますが、ハイキングコースになってるのでのんびり探索できますよ。
2012年06月10日 ゲッコウゼロモナイト
狩野城
狩野派発祥の城だそうです
狩野城の周辺スポット情報
中郭(遺構・復元物)
南郭(遺構・復元物)
本郭(遺構・復元物)
西郭(遺構・復元物)
東郭跡(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
二重堀(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
出丸(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
二の曲輪(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
腰曲輪(遺構・復元物)
本曲輪(遺構・復元物)
切岸(遺構・復元物)
腰曲輪(遺構・復元物)
狩野城址説明板(碑・説明板)
大見城説明板(碑・説明板)
大見城周辺MAP案内板(碑・説明板)
大見城内遺構・本曲輪跡説明板(碑・説明板)
修善寺城(周辺城郭)
田代砦(周辺城郭)
柏久保城(周辺城郭)
大見城(周辺城郭)
大平館(周辺城郭)
大平城1(周辺城郭)
日向館(周辺城郭)
加殿城(周辺城郭)
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田代館2(周辺城郭)
田代館1(周辺城郭)
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城城(周辺城郭)
指月殿・源頼家墓所(寺社・史跡)
上白岩遺跡(寺社・史跡)
諏訪神社(寺社・史跡)
大見小藤太成家墓所(寺社・史跡)
實成寺(寺社・史跡)
梅木横穴墓群(寺社・史跡)
源範頼墓所(寺社・史跡)
加藤景廉一族墓所(寺社・史跡)
夕鶴記念館(御城印)
季多楽 大見城•田代砦(御城印)
修善寺駅 修善寺城•柏久保城(御城印)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
狩野城駐車場(駐車場)
季多楽駐車場(駐車場)
伊豆市資料館(関連施設)
狩野城址遊歩道入口(その他)
西側への分岐(その他)
分岐点(その他)
狩野城跡500m→(その他)
登城口(その他)
狩野氏は祖とされる狩野維景(かのこれかげ)が駿河守を退任し、市内の日向(ひなた)地区に館を構えたが、その子である狩野維職(かのこれもと)が伊豆押領使を務めるなど、軍事上の必要もあり、要害なこの地を選び移ったといわれている。
明応2年(1493)からの伊勢宗瑞による伊豆侵攻の際、城主だった狩野道一(かのどういつ)は足利方に付いて戦い、明応7年に敗れて開城した。その後一族は小田原に移り、後北条氏の重臣として要職を歴任している。
室町時代中頃から絵師として栄えた、狩野派の初代狩野正信は、維景から16代目の孫である。