韮山代官所(にらやまだいかんしょ)
韮山代官所の基本情報
通称・別名
- 韮山役所、(江川砦)
所在地
- 静岡県伊豆の国市韮山
旧国名
- 伊豆国
分類・構造
- 代官所
天守構造
- なし
築城主
- 宇野(江川)親信[江川砦]
築城年
- 平安時代後期[江川砦]
主な改修者
- -
主な城主
- 江川氏
廃城年
- -
遺構
- 代官屋敷
指定文化財
- 国史跡(韮山役所跡)、国重要文化財(江川家住宅)
再建造物
- -
周辺の城
-
韮山城(静岡県伊豆の国市)[0.4km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[7.1km]
長浜城(静岡県沼津市)[7.7km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[7.7km]
沼津城(静岡県沼津市)[10.3km]
山中城(静岡県三島市)[11.8km]
網代城(静岡県熱海市)[12.1km]
長久保城(静岡県駿東郡)[12.1km]
狩野城(静岡県伊豆市)[13.4km]
土肥城(神奈川県足柄下郡)[16.1km]
韮山代官所の解説文
[引用元:Wikipedia「韮山代官所」の項目]韮山代官所(にらやまだいかんしょ)は、江戸時代東国の幕府直轄領を支配するために設置された役所のこと。
【概要】
支配地域は、伊豆国を中心とし、駿河国・相模国・武蔵国に及び、幕末には甲斐国も管轄した。また、伊豆諸島を管轄下においたこともある。石高は管轄領域の変動に伴い一定しないが、5~10万石余。代官は平安末以来伊豆国の江川荘を領する清和源氏大和源氏系の江川家によって世襲され、享保8年(1723年)~宝暦8年(1758年)の間を除き、当主は代々江川太郎左衛門を名乗った。
韮山代官所は、江戸本所南割下水(現在の北斎通り)と韮山2か所にあり、代官は通常、夏は江戸、冬は韮山に常駐した。江戸役所で武蔵・相模・甲斐、韮山役所で伊豆・駿河の支配を担当。また、代官役所の業務を補佐する出先機関として、伊豆国田方郡に三島陣屋、甲斐国都留郡に谷村陣屋、駿河国富士郡に松岡陣屋が置かれていた。
【文化財】
静岡県伊豆の国市韮山字韮山1番地にて、代官であった江川家の邸宅が現存しており、江川邸と呼ばれ一般公開されている。「江川家住宅」として、1958年(昭和33年)5月14日に主屋が、1993年(平成5年)12月9日に書院、仏間、蔵、門、塀、神社が、国の重要文化財に追加指定された。現在は1967年に設立された財団法人江川文庫の所有物である。[続きを見る]
韮山代官所の口コミ情報
2019年11月20日
韮山代官所
一筆にも、書かせて頂きましたが、
案内板とかには、江川邸と出ていて、
現在は、江川邸と呼ばれる方が一般的です。
駐車場もあり、韮山城からも歩けます。
入場料は、一般500円です。
韮山反射炉との共通券もあり、一般700円です。
西郷どん、篤姫、JIN-仁、山桜などのロケ地としても有名です。
主屋は単層入母屋造りの壮大な建物で、「小屋組づくり」と呼ばれる幾何学的な屋根裏の木組みは、今日でいう免震構造になっています。三和土の土間には立ち木をそのまま柱にしたと伝えられる「生き柱」や、伊東に居住していた日蓮聖人をお迎えした際に聖人より贈られた直筆の「火伏せの護符」を納めた棟札箱が見られます。
これまで一度も火災にあっていないことから、文書類・書画・武具を始めとする様々な品が残っており、その一部は屋内に展示されています。
また、千利休が豊臣秀吉の小田原攻めに同行した際に作ったといわれる竹一重切花入 銘「園城寺」は韮山竹を使用しています。毎年春と秋に一般公開される内庭にはこの韮山竹が自生しています。
特に36代江川太郎左衛門英龍(坦庵)は名代官として知られ、海防の必要性から沿岸測量、韮山反射炉やお台場の建設、わが国最初の洋式帆船建造や種痘の実施、パン製造など多大な業績を残しました。邸内には「パン祖の碑」も立てられています。
2018年01月08日 上田右兵衛尉幸繁
韮山代官所
広い駐車場があり、駐車場にお手洗いがありました。
ボランティアの方も親切です。
住宅も綺麗に残っていて見所満載です!
2012年11月01日 颯流伊豆守世賜王
韮山代官所
ドラマJIN-仁-他、時代劇の撮影も行われました。広い無料駐車場有り。中も拝観(有料)出来るので是非ともお立ち寄り下さい。