土肥城(といじょう)

土肥城の基本情報

通称・別名

土肥城山

所在地

神奈川県足柄下郡湯河原町字城山401

旧国名

相模国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

土肥氏

築城年

室町時代〜戦国時代

主な改修者

主な城主

土肥氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、石積

指定文化財

町史跡

再建造物

石碑

周辺の城

箱根関(神奈川県足柄下郡)[6.7km]
山中城(静岡県三島市)[8.2km]
鷹の巣城(神奈川県足柄下郡)[8.4km]
石垣山城(神奈川県小田原市)[9.6km]
小田原城(神奈川県小田原市)[12.3km]
網代城(静岡県熱海市)[12.3km]
今井陣城(神奈川県小田原市)[14.3km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[16.1km]
岩原城(神奈川県南足柄市)[16.1km]
韮山城(静岡県伊豆の国市)[16.4km]

土肥城の口コミ情報

2025年09月25日 マグロ常陸介祐平
土肥氏館[土肥城  周辺城郭]



桓武平氏良文流の中村宗平の次男、土肥実平がこの地に館を築いたとされています。頼朝の挙兵では、実平らの中村党はいち早く馳せ参じ、石橋山の戦いで敗北の際は、頼朝に同行し、安房へ逃れる船の手配などを行っています。その後も義仲征伐や平氏追討で活躍し、安芸沼田荘などの所領を得ています。実平の死後、和田合戦で和田側に付いた実平の孫維平が処刑されると勢力を失ったようですが、その後も城願寺の墓石から、子孫はこの地に居住したと思われます。また、分流は安芸沼田荘(小早川氏)の他、越中弓庄城主(登録城)土肥氏や室町幕府奉公衆の近江箕浦の土肥氏が戦国期まで活躍しています。

館は、新編相模国風土記稿の成立した江戸時代後期には、土肥次郎実平宅跡として、城願寺前の白田としており、今遺跡の存するものなしと書かれていることから、遺構は消滅していたと思われます。館から2km程北西にある土肥城(登録城)は、詰城とされるようですが、年代的には怪しいようです。

湯河原駅前ロータリーには、実平公夫妻の像や石碑が建ち、城願寺には、土肥氏一族の墓(66基の墓石、県指定史跡)や石橋山の戦いの故事から七騎の木像が納められている七騎堂があります。城願寺は実平が館の裏山に建てた持仏堂を起源とし、南北朝期に末裔の土肥兵衛入道が再興したとされ、一族の墓には実平・遠平の墓の他に嘉元2年(1304年)の重層塔や永和元年(1375年)の宝篋印塔が建っています。

2025年09月24日 マグロ常陸介祐平
荒井城[土肥城  周辺城郭]



真鶴駅からほど近い、真鶴半島のつけ根に位置するお城で、「荒井城址公園」として整備されています。城址の石碑には、「後三年の役(1083年)に源頼家に従って活躍した荒井実継の居城であったといわれています。のちには土肥氏の出城となり、また後北条氏時代にはのろし台が置かれていたともいわれています。自然の地形を利用した周囲2㎞ほどの谷戸構えの構造は、県西地方では珍しいものといわれ、付近に城口、城の本などの関連する地名が残っています。山頂一帯の釈迦堂遺跡は、縄文式土器や石器類の出土で知られています。」と書かれています。

平安時代に築城された谷戸式城郭で、後に土肥氏の出城ということですが、はっきりした遺構は見られません。城址碑の付近は、堀のようにも見える谷や、段状の削平地が見られ、城郭的な雰囲気は感じられます。谷戸式ということで、山頂部のお城ではなく、北条氏の狼煙台があったとすると、今は住宅地となっている山頂部だと思われます。

道は狭いですが、城址公園西口に無料駐車場があります。

2025年09月19日 鈴木剛
荒井城[土肥城  周辺城郭]



公園の南側の住宅地に所々石積が見られますが、城の遺構と関係有るかわかりません。

2025年09月19日 鈴木剛
公園南口[土肥城  その他]



名前は書いてませんでしたが方角的に南なので、住宅地になっています。朝なので電車に乗る人達が公園を抜けて駅に向かうようです。

2025年09月19日 鈴木剛
公園トイレ[土肥城  トイレ]



自然に囲まれた歩道から整備された歩道に戻り公園の広場の方に出るとトイレがありました。

2025年09月19日 鈴木剛
公園西口駐車場[土肥城  駐車場]



空堀をこえて更に登って行くと、公園の西口に着きます。自然の景色の先にいきなり自動販売機が見えてきます。自販機の左側に駐車場が有り車数台が置けるようです。

2025年09月19日 鈴木剛
空堀[土肥城  遺構・復元物]



公園北口の階段を上がると途中で山の中への階段がありそれを登ると目の前に現れます。

2025年09月19日 鈴木剛
荒井城[土肥城  周辺城郭]



地図を眺めていたら荒井城址公園の文字を見つけて時間に余裕が有ったので立ち寄りました。公園と想像していたのですぐに帰れると思っていましたが45分ほど居たようです。遊歩道が有りますが少し荒れている所も有ります。荒井だけに?

2025年09月19日 鈴木剛
荒井城碑[土肥城  碑・説明板]



後三年の役の源義家に従った荒井実継の居城で後に土肥氏の出城となり、後北条氏の時代に狼煙台が置かれたそうです。城の造りは谷戸構えで、神奈川県西地方では珍しいそうです。

2025年05月19日 弾正一秀
荒井城[土肥城  周辺城郭]

現在は城址公園と成ってます❗駐車場は有りません遺構も余り無かったと思いますよ😉

2025年01月01日 気分爽快丹波守
土肥城



城跡のすぐ近くまで林道が通じていますが、車幅1台程度の道が続くので対向車とのすれ違いはかなり大変と思われます。
城跡は尾根にそって縄張りが配置され、頂上が主郭となっている様子。

①堀底のような道を進むと最初に現れる堀切。藪でよくわからない
②郭だろうが、幅は狭い
③途中狭められた場所
④郭と郭の境は高い段差がある
⑤主郭から2郭方面を眺めたところ。冬でも藪だらけ
⑥西から主郭を見上げた
⑦主郭から見た日の出
⑧源頼朝硯石とのことだが案内板はなかった

2024年10月16日 征夷大将軍メタ太郎
駐車スペース[土肥城  駐車場]

ここから城山山頂(城趾碑)まで徒歩15分ほど

2024年09月23日 いれぶん武蔵守
土肥城



土肥城の御城印があります!場所はちょっと離れていて、小田原城址の馬出門土橋前にある三の丸ホール入口対面の小田原市観光交流センターです。ここには御城印と同サイズの"しとどの窟"印や"船出の浜"印もあります。また、東海道御宿場印"小田原宿"やマンホールカード"小田原城+RX-78-2ガンダム"も扱っており、様々なコレクターが集うべき施設になっています。

距離が遠く、地点登録出来なかったのでここに記入しておきます

2023年03月11日 金麦おじさん
土肥城



真鶴駅から幕山経由で城山を目指し、城山山頂で土肥城跡であった事を知りました。梅林と山歩き目的でしたので、、、その後、湯河原駅まで歩きました。

山頂は石碑のみでしたが、周辺には頼朝ゆかりの地が随所にあり、興味がある方は楽しめると思います。その場合はしっかりとした事前調査を! 

2022年02月16日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
城願寺[土肥城  寺社・史跡]



土肥一族の墓所があるお寺です、お寺の駐車場が有りましたので車を停めさせて頂き見学しました!

2022年02月16日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
しとどの窟[土肥城  寺社・史跡]



真鶴町真鶴港の近く、及び湯河原町北西に連なる城山にそれぞれある、源頼朝ゆかりの史跡である。治承4年(1180年)、石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝が、これらの地にあった岩屋に身を隠し、箱根権現別当のもとに逃れた後、岩海岸(源頼朝船出の浜)から安房国へと脱出したと伝えられている。 2か所あることから、昭和時代初期には双方が真贋を争うこともあったが、現在は「頼朝は房総半島へ渡るまでに、いくつかの場所に身を隠したのではないか」ということにされている。しとどの窟の由来は、追手が「シトト」と言われる鳥が急に飛び出してきたので、人影がないものとして立ち去ったからと言われている。Wikipediaより
駐車場から徒歩で坂道を下った谷底にあります、足元の悪い所があるので注意してください、とても静かな空間で素敵な場所です、土肥城リア攻めと共に散策をお勧めします!

2022年02月15日 笑門来猫
しとどの窟[土肥城  遺構・復元物]



石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、安房へ船出する直前に隠れた窟と言われています。波による侵食と地震で小さくなってしまったそうです。大河ドラマで三浦義村(平六)が迎えに来ていた浜辺はココかな?(妄想)

2022年02月15日 笑門来猫
源頼朝 船出の浜[土肥城  その他]



石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、再起をかけて安房(千葉県)へ船出した浜と言われています。

2021年05月04日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
源頼朝硯石[土肥城  寺社・史跡]



源頼朝が石を力一杯蹴ったところ石に踵の跡が付いて硯のような形になったと伝わる石です、場所は土肥城址の石碑の裏の方の所に説明板が有り、そこに下に降りる道が有りますので下がると大きな石の下に硯石が見えます!

2020年11月30日 ファン掃部助トム治郎
土肥城



奥湯河原から椿ラインを経由しししどの窟をみたあとに城山の尾根にっりつき30分ほどで頂上。ハイキングコースを湯河原駅までくだりました。4時間くらいの散歩でした。

2016年01月12日 ひな駿河守⭐️
土肥城

本丸からの展望が素晴らしいです。駅裏から登るときついので「しとどの磐」駐車場から下るといきなり本丸に着くので楽です。
元気な方は帰りに是非「しとどの磐」もどうぞ。
とても神秘的なパワースポットです。

2014年02月04日 STRADA
土肥城

アクセス等は、ペンション『はな』のホームページに詳しく載っています♪私達は見なかったので、たどり着けませんでした…( TДT)

土肥城の周辺スポット情報

 しとどの窟(遺構・復元物)

 ニ郭(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 七騎堂(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 城趾碑(碑・説明板)

 土肥氏館趾の碑(碑・説明板)

 荒井城碑(碑・説明板)

 荒井城(周辺城郭)

 土肥氏館(周辺城郭)

 城願寺(寺社・史跡)

 五所神社(寺社・史跡)

 源頼朝硯石(寺社・史跡)

 しとどの窟(寺社・史跡)

 土肥の大杉跡(寺社・史跡)

 真鶴半島採石場跡(寺社・史跡)

 正宗屋敷跡・製鉄遺跡(寺社・史跡)

 土肥氏墓所(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 公園トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 公園西口駐車場(駐車場)

 土肥実平夫妻像(その他)

 山神の樹叢(その他)

 源頼朝 船出の浜(その他)

 公園南口(その他)

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