韮山城(にらやまじょう)

韮山城の基本情報

通称・別名

龍城

所在地

静岡県伊豆の国市韮山

旧国名

伊豆国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

北条早雲

築城年

延徳3年(1491)頃

主な改修者

主な城主

北条氏、向井氏、内藤氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、土塁、堀、井戸跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[0.4km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[6.9km]
長浜城(静岡県沼津市)[7.3km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[7.6km]
沼津城(静岡県沼津市)[10.1km]

韮山城の解説文

韮山城(にらやまじょう)は伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった室町時代後期から戦国時代にかけての城。平山城。15世紀末に北条早雲の関東経略の拠点として整備され、後北条氏の関東支配後も伊豆支配の拠点としてその持ち城であったが、天正18年(1590年)には豊臣秀吉による小田原の役において激しい攻防戦を経験している。龍城の異称を持つ。

歴史
築城年ははっきりしないが「北条五代記」によると文明年間(1469年~1486年)に堀越公方足利政知の家臣、外山豊前守が城を造ったのが始まりとされている。初めはあまり大規模なものではなく、延徳3年(1491年)に堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼした伊勢盛時(北条早雲)によって後北条氏の領有となり、同年から早雲によって後北条氏の本拠地として本格的に造営された。早雲はここを拠点に伊豆の各拠点の支配を進め、後に相模に領土を広げた後も小田原城に移ることなく、没するまでここを居城とした。

その後も小田原城を中心に関東を支配する後北条氏の重要拠点の一つとなり、永禄末年には時の当主・北条氏康の四男・氏規が城主として入り、伊豆支配の中心地とした。

しかし後北条氏は天正18年(1590年)の小田原の役では、ほぼ天下を統一していた豊臣秀吉の大幅な攻勢を受ける。 韮山城にも豊臣秀次の軍勢が迫ったために氏規は籠城して戦い、北条方は総勢約3千6百、豊臣方は総勢約4万4千と伝えられる大きな戦力差のなかで約百日間も持ちこたえたが、ついに開城した。

その後、関東に入った徳川家康の家臣内藤信成が居城としていたが 慶長6年(1601年)に転封され廃城となった。

現在韮山城は、その敷地のほとんどがかつての韮山代官江川太郎左衛門の子孫である江川家の持ち物となっている。

平成17年(2005年)12月17日に、韮山城のすぐ下にある韮山高校OBが中心となって韮山城を復元する会を伊豆の国市内にある韮山時代劇場で創設した。

城の構造
典型的な平山城であり、丘陵に沿って縦に曲輪が連なっている。また、武家屋敷や政庁はふもとの現在の県立韮山高校にあったと考えられている。

韮山高校のグランドに御座敷という地名が残っており、この下に早雲の館があったのではないかとも言われている。

現在は建造物は残っていないものの、曲輪・土塁跡などは現存し、城の周りは比較的整備されている。...

韮山城の口コミ情報

まー蔵人頭様[2016年12月31日]
城池公園の駐車場利用。釣り客沢山居ました。トイレ有り。城池から行くと絵図があったので三の丸(テニスコート)→権現曲輪→二の丸→本丸と進む。土塁や空堀、虎口と観て廻る。本丸奥に土塁に囲まれた塩蔵?跡があった。三の丸から韮山高校のある御座敷跡へ。高校内は人は居ませんでした。(体育館で音してた)江川英龍胸像を通り過ぎると『講道館韮山分場之碑(講道館長 嘉納行光書)』の後ろに窪地?水が溜まって水濠みたいになっていた。

浜浜左衛門佐二郎勝頼様[2015年10月01日]
韮山城〜天ヶ岳砦は、息切らすペースで約15分。足元は、階段状ではなく斜めの斜面なので靴周りは念入りに準備したい。倒木あり、一部ロープ有り。尾根上に人が溜まれるスペースは無く、単なる砦と砦の連絡路と思われる。鎧武者は大変と思われる。

天ヶ岳砦は、水も居住スペースも無く、隠れる場所のない細長い場所。韮山城が眼下に丸見え。ここは取られてはいけない。

和田砦側は急峻な崖。一人で覗きこむと高度感あってちょっと緊張。

天ヶ岳砦〜江川砦は、下り約18分。天ヶ岳砦の直ぐ下には左右を削ったと思われる、人が一人通れる5m程の岩稜あり。わらじ履きの武者は大変と思う。下りで尾根が派生するところはルート取り注意。往復ではなく初見の下りなので、ヤマ勘が必要。

9月で蚊が多くて立ち止まれず息切らして汗だく、倒木で道塞がれたところをかき分け一眼レフのキャップを無くし、靴は土まみれ、蜘蛛の巣に突入すること7、8回。片手に巣払いの枝を持って下りた時の姿はまるで落武者。か弱き婦女子の単独行は避けたい。

león伊豆守大途様[2015年09月09日]
城池公園より登城しました。江川邸の駐車場を利用、トイレも公園内にあります。

韮山城本城は南北に郭が連なる連郭式。石脇城や興国寺城も連郭式で築城されており、早雲こと伊勢宗瑞が築いた城の特徴と言えると思います。

韮山城本城の南側には江川砦・天ヶ岳砦・土手和田砦・和田島砦が尾根筋に沿って築かれており、これらを含めて“韮山城”が形成されています。
城池公園から韮山中学校へ抜ける道(韮山城本城と天ヶ岳砦の間の堀切)から天ヶ岳砦へ登る階段がありそこから登ってみました。道は整備されておらず薮だらけ、途中からロープづたいに急斜面を登ることになります。
途中に物見台か櫓台のような削平地があり、そこから尾根づたいに10分程登ると天ヶ岳砦の頂上に出ます。
頂上から尾根づたいに西に進めば土手和田砦や和田島砦にも下りられます。
どの砦も尾根筋を削平し堀切で分断された単純な構造でした。
尚、江川砦周辺は江川邸の管理地で入るのに許可が必要らしく今回は諦めました。

天ヶ岳支砦群はロープづたいに登る場所や急斜面が何ヵ所もあるので、軍手とトレッキングシューズの用意をおすすめします。

ぽえぞお弾正少弼黄金旅程様[2013年01月20日]
車なら韮山郷土資料館の駐車場が便利。城池の奥側にも駐車場(5〜6台位)ありますが、道が狭く不便かも…(^_^;)
江川邸裏の山全体が韮山城の支城(砦)となっており全体の規模はかなりの大きさの城です(^_^)b

にっこう様[2011年08月11日]
韮山駅から徒歩約20分くらいです。道路に案内板があるので、迷わずいくことができます。途中に源頼朝配流の蛭ヶ小島があります。現在は曲輪と北条早雲を祭った熊野神社が残るのみです。

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