沼津城(ぬまづじょう)

沼津城の基本情報

通称・別名

沼津新城、(三枚橋城)

所在地

静岡県沼津市大手町

旧国名

駿河国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

築城主

水野忠友

築城年

安永6年(1777)

主な改修者

主な城主

水野氏

廃城年

遺構

石垣

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

戸倉城(静岡県駿東郡)[3.6km]
泉頭城(静岡県駿東郡)[4.0km]
長久保城(静岡県駿東郡)[6.1km]
興国寺城(静岡県沼津市)[6.7km]
長浜城(静岡県沼津市)[9.3km]
韮山城(静岡県伊豆の国市)[10.1km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[10.3km]
葛山城(静岡県裾野市)[12.4km]
山中城(静岡県三島市)[13.9km]
間門城(静岡県富士市)[15.4km]

沼津城の解説文



沼津城(ぬまづじょう)はかつて駿河国駿東郡(現在の静岡県沼津市大手町)にあった日本の城。別名観潮城。

歴史 

1641年(寛永18年)の大火後、城跡が開墾地となり、1778年(安永7年)正月、沼津藩水野氏が請け取り、縄張りや着工の準備が始まった。2月、江戸から松本藩時代の軍学者で旧臣とも関係のあった吉田雪翁が門弟の神田清次と共に沼津に赴き、城地を見て回り、数日かけて本丸や二の丸等の縄張りを行った[1]。10月、吉田雪翁の絵図面を付した伺いが用番老中松平右近将監に提出され許可を得るに至ったが、最終的に吉田雪翁の図面を中止して田沼意次家臣の須藤次郎兵衛に依頼することとなり、着工は延期となった。

1779年(安永8年)9月、田沼家の国表である遠江国相良の大工善四郎が郷宿の堺屋幸七宅に逗留し、普請工事全体を統括した。棟梁には大工幸右衛門(浅間町)が選ばれ水盛りも任された。御用掛りは大工平三郎(浅間町)が担った。縄張りについては、須藤次郎兵衛自らが行った。10月、善四郎の水盛坪数と土方御不審仕様帳が完成したので、沼津藩江戸屋敷に送った。沼津藩では、翌1780年(安永9年)4月に須藤次郎兵衛の絵図面で築城は認可され、築城が進められ、その年の暮れに完成した。城地請け渡しから城の完成までには満3年を費やした。

1777年(安永6年)、幕府から沼津藩に対し、築城資金として三千両が貸与された。翌1778年(安永7年)1月に韮山代官から土地が引き渡され、さらに翌1779年(安永8年)4月に縄張りが幕府に認可された。城が完成したのは1779年(安永8年)9月であるという記録がある。しかし、その後も徐々に普請や拡張が行われている。実際に、水野忠友は「御一代に成就に及ばず」(自分の代で完成しなくてもいい)と遺している。1830年(文政13年)に敷地が拡張され、ここは御添地と呼ばれ、沼津市添地町として残っている。1831年(文政14年)から翌1832年(文政15年)にかけて二重櫓を完成させた。また、1850年(嘉永3年)には幕府から普請の許可が下りている。

同じ場所にはかつて、三枚橋城があった。三枚橋城と沼津城の絵図は共通する部分が見られることから、堀の一部を埋め立てたてるなどして三枚橋城を沼津城にそのまま利用したと考えられている。三枚橋城と比べると、沼津城はあくまで政庁という側面が強く、面積も三枚橋城の約半分しかない。林靏梁は江戸から遠州へ赴任する際に沼津を通過しており、その時の印象を 林靏梁日記のなかで、「沼津城 手薄之様子 武風之衰 可咲也(わらうべきなり)」と書いている。

梯郭式平山城で狩野川に隣接して本丸、その北西に二の丸三ノ丸が造られていた。天守に相当する三層の櫓を本丸に建て、二の丸に御殿を置いた。最終的には、水野家8代の5万石の城下町として栄えた。

一時期沼津兵学校が置かれたものの、1872年(明治5年)には東京に移転し、1873年(明治6年)廃城令を待たずして破却されることになった。敷地は民間に払い下げられ、度重なる大火や道路の新設、堀の埋め立て等を経て、城郭は失われた。現在は大手町という地名が残るだけであるが、本丸跡は中央公園として整備され「沼津城本丸址」の碑が建つ。ここまでほぼ完全に破壊された城も珍しいといわれるが、数少ない現存する遺構として、市内の光長寺辻之坊山門が、城門(中庭門とも)が移築されたものと伝えられている。また、市内香貫の民家に奥座敷があったとの事だが、現在では取り壊されている。

廃城

明治に至り、水野藩が上総国(現千葉県)菊間に移封される。 1868年(明治元年)沼津兵学校が開校されると城はその校舎として使用された。 しかし1871年(明治4年)9月に沼津兵学校の管轄を兵部省に移す通達がなされ、名称も同年12月に沼津出張兵学寮と改称。 1872年(明治5年)2月に兵部省が廃され陸海軍両省が置かれると、5月陸軍省の命により沼津出張兵学寮はすべて東京に引き上げることとなり、これをもって同校は閉校となった。 城は1872年(明治5年)、競売に出され解体された。 1889年(明治22年)東海道線開通に伴い、沼津駅前から南北に縦貫道路が設けられた。 これは沼津城を南北に縦断するものであった。 その後沼津は二度の大火に見舞われ、城の堀は埋められ、さらに1945年(昭和20年)の空襲により、城の面影を残すものはほとんど見られなくなった。

城下町

沼津城下は、はじめ港町として、次いで宿場町として十分に発展した後に城下町となり、城郭や侍屋敷は町の西北隅の城址の空き地に建築されたため、城下町としての区画整理はされていない。宿場町として栄えた江戸時代前期には、本陣や旅籠屋のおかれた本町、下本町を中心に栄えたが、城下町の性格を濃くした江戸時代後期には大手前の上土町が城下市場となり、重要性が増した。宿通りと侍屋敷の間の空き地が順次町家で埋められ、新たに大門、新裏町、八幡町などの町々が発展した。城下町には農漁村の生産物が集まり、藩内全域の物資の集散地として栄えた。商人は城下町の居住者に生活必需品を供給するほか、農村部にも日用品を供給した。

1868年(明治元年)、民政裁判所に提出された報告書によると、場内には侍小屋105軒と、長屋56棟385軒が存在し、男性1,181人・女性1,188人の2,369人が居住していた[2]

出典 

注釈

脚注

参考文献

  • 【書籍】「 沼津市を中心とした社会史 」
  • 【書籍】「 沼津市誌 下 」
  • 【書籍】「 静岡大百科事典 」
  • 【書籍】「 日本城郭大系 第9巻:静岡・愛知・岐阜 」
  • 【書籍】「 沼津藩とその周辺 : 沼津城・沼津藩・菊間藩 」
  • 【書籍】「図説駿河伊豆の城 」
  • 【書籍】「新装版日本城郭辞典 」
  • 【書籍】「ふるさと百話 3巻 」
  • 【書籍】「 定本日本城郭事典 」
  • 【書籍】「 図説日本城郭大事典 」
  • 【書籍】「 東海道の城を歩く 」
  • 【書籍】「 国別城郭・陣屋・要害・台場事典 」
  • 【書籍】「 沼津市史 通史編 近世 」
  • 【書籍】「 静岡県の城跡:中世城郭縄張図集成(中部・駿河国版) 」
  • 【書籍】「 沼津藩 : 近世初期は大久保家、中絶後、後期は水野家が治めた。東海道の宿場とともに発展した五万石の城下町。 」

沼津城の口コミ情報

2022年08月26日 ヤマ兵部大輔
沼津城



沼津駅南口からさんさん通りを真っ直ぐ大手町交差点右折してすぐ中央公園。中央公園で二重櫓再現図が飾られていました。

2022年05月12日 グッサン
沼津城

ここまで城郭が破壊されるのも珍しいくらい遺構が残っていない。市街地に埋もれてしまった沼津の城跡。

2021年07月11日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
沼津城

はっきり言って遺構はほとんどありません。沼津駅から南に向かう通り沿いの静岡銀行付近にほんの僅かに石垣が残っている程度です。あたは、現在の地形になんとなくそれっぽさを感じさせる程度です。

2021年06月06日 Canbe大宰少弐
大手町会館[沼津城  御城印]

沼津四大城 御城印プロジェクトで沼津城、三枚橋城の御城印を販売していました。

2021年03月20日 maki156
沼津城



沼津城跡地は公園になっており繋がる橋もあり景観はとても良い。

2020年04月05日 ペスカトーレ
沼津城



現在は中央公園になっていて石碑と看板(説明書き)が有るだけですが、昔ここに城が有った事は分かります。痕跡は有りません。

2017年05月10日 駿河守せんとくん
沼津城

沼津駅から、一番大きな通りを約400m南下し、上を見上げたら、大手町の字がある信号を渡り、左に曲がると中央公園があり、端っこに、石碑と説明板があります。

2017年01月08日 イオニア右兵衛督
沼津城

中央公園北側の沼津城二の丸跡に城岡神社(沼津兵学校趾)あり。

2016年12月31日 まー刑部卿
沼津城

中央公園になっており駐車場はなし。ただ無料で駐車したい、場合はあゆみ橋の下に『川廓通り』の説明板がありその前に路駐した。沼津城本丸址石碑、説明板がある。説明板から石碑周りの石は沼津城の前身の三枚橋城の石垣に使用されたものであって沼津城の石ではないそうだ。

2012年09月06日 富士丸式部大輔孫兵衛
沼津城

アゴラ沼津前と沼津東急ホテル前に石垣があります。中央公園に石碑があります。いずれも街中なので近くのコイン駐車場などを使うしかありません。
また光長寺の辻之坊の山門が、移築された沼津城の城門だったらしいので行ってきましたが、石碑や石垣のある場所とは駅を挟んで逆側(北)でかなり離れてます。


沼津城の周辺スポット情報

 復元石垣(遺構・復元物)

 外堀石垣(復元)(遺構・復元物)

 川廓通り説明板(碑・説明板)

 川廓通り説明板(碑・説明板)

 城岡神社(寺社・史跡)

 大手町会館(御城印)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore