長久保城(ながくぼじょう)

長久保城の基本情報

通称・別名

長窪城

所在地

静岡県駿東郡長泉町下長窪字城山

旧国名

駿河国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

竹之下頼忠?

築城年

鎌倉時代?

主な改修者

主な城主

竹之下氏?、今川氏、後北条氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

町史跡(長久保城空堀)

再建造物

周辺の城

泉頭城(静岡県駿東郡)[4.7km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[5.9km]
沼津城(静岡県沼津市)[6.1km]
葛山城(静岡県裾野市)[6.5km]
興国寺城(静岡県沼津市)[7.6km]

長久保城の解説文

長久保城(ながくぼじょう)は、静岡県駿東郡長泉町下長窪にあった日本の城。

概要
築城時期や築城者は不明であるが、大友親頼の三男親政が、永享11年、足利持氏の滅亡により、今川氏に仕え駿河国駿東郡長久保を領していたため一説には長久保氏の築城とも言われる。

戦国時代、今川氏、北条氏、武田氏との間で争奪戦が繰り広げられた。

天正10年(1582年)、武田氏滅亡後は徳川家康の持城となった。その後関東に家康が移封された後は、中村一氏の持城となったが、慶長5年(1600年)に移封されると長久保城は廃城となった。

長久保城の口コミ情報

野呂利駿河守休三様[2017年02月12日]
河東一乱で北条氏康が、北条攻めの際には徳川家康が入り、そのため豊臣秀吉がここを訪れて軍議したとされる東国戦国史上有数の舞台なのですが、城山神社となっている南郭以外はほぼ消滅。
南郭以外では南郭すぐ南の大手曲輪の土塁の一部、三ノ丸の北側の土塁だけです。
本丸はショッピングセンター、本丸北の二の丸、南郭北の八幡曲輪は道路に、三ノ丸の西半分は小学校になっています。

まー宮内卿様[2015年08月13日]
城山神社が鎮座しており現地説明板では階段状の曲輪だったと。堀跡や土塁が微かに残るが大部分は住宅地や道路の開発で壊されている。車は1〜2台ほど忠魂碑の前の空き地(舗装)に停められる。

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