出城山城
出城山城([戸倉城 周辺城郭])
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出城山城の口コミ情報
2021年07月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
出城山城は戸倉城の南東役1.7km、独立丘陵の標高51.7mのピークの一つに主郭が存します。東麓の静岡県道139号線からの比高は40m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場所は自身の持つ突破力と処世術が高い方なら登城路入口前に停められます。
出城山城はその名称のとおり同じ戸倉城のリア攻めマップにある大平新城の出城として整備された砦規模のお城です。ただこの地域は建武ニ年(西暦1335年)に越前朝倉氏の家臣、星屋縫殿助なる人物によって開発されたそうなので、元々あったお城を改修したのか、全く新規に築かれたものなのかは不明です。主郭跡には御嶽神社が鎮座していますが、この縫殿助の造営とされています。
経緯が正しいとするなら築城年代は天正九年(西暦1581年)になるはず…築城者、城主として北条氏光の名が挙げられています。
丘陵というよりは山塊から東西に延びた小山って感じですが、平野部に独立して長く張り出しているので関所の様な立地です。静岡県道139号線はお城を南北に貫通していて、これを境に東郭と西郭に分かれるんですが、東郭の方は激藪で今でも侵入者を拒んでいます。
武田氏と北条氏は武田氏の滅亡までこの地域の水陸で争いを繰り返していましたが、戸倉城の失陥(松田憲秀長男、笠原政晴の内応による。)に代表されるように概ね武田氏が優勢に事を進めていたようです。北条氏の重要な拠点、伊豆韮山に直接通ずるこの地が重要視されていた事は疑いなく、この小さな砦規模のお城に親族衆(氏光は北条氏康の第八子か第九子とも。)を配していました。
お城(西郭)は薄いですが、要害感は十分です。後世の改変も多く含んでいると考えられますが、土塁の様な高まりもあるような気がします…
このお城の存在はGoogleマップで知りました。余計な知識が無かった分、疑問も…登城路入口には東海バスのバス停があるんですが、手城山バス停になってます。そして戸倉城と出城山城の中間点には手城山砦という砦があるらしい…ソースを何処から持ってきたのか知らんけどちょっと現地で混乱しちゃいました。海パン可能、マニア向け。