海津城(かいづじょう)

海津城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県久留米市安武町住吉

旧国名

筑後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

茨城重政

築城年

永正5年(1508)

主な改修者

主な城主

茨城氏、安武氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

城島城(福岡県久留米市)[5.3km]
久留米城(福岡県久留米市)[5.6km]
生津城(福岡県久留米市)[6.3km]
堤土塁(佐賀県三養基郡)[7.4km]
朝日山城(佐賀県鳥栖市)[8.4km]
吉野ヶ里(佐賀県神埼郡)[8.5km]
高良山神籠石(福岡県久留米市)[8.7km]
鎮西山城(佐賀県三養基郡)[9.0km]
直鳥城(佐賀県神埼市)[9.3km]
姉川城(佐賀県神埼市)[11.0km]

海津城の口コミ情報

2022年07月12日 龍馬備中守【】
田嶋大屋敷[海津城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡のみやき町にある【田嶋大屋敷】♪筑後川の支流、寒水川と切通川に挟まれた低平地に立地します♪

南北朝時代からみえる『田嶋』の地名は三根郡の内です♪初見は、この南北朝時代♪貞和6年に『板部成基安堵申状並足利直冬外題安堵状』で、在地で勢力を張ったと思われる板部成基が自身の所領の地頭職の安堵を申し出た際に、この田嶋屋敷が出てきます♪

また、別年の板部成尚光浄寺免田坪付注文には光浄寺の免田の坪付けとして『一、肥前国矢俣保之内弥吉名…参段弐杖田嶋東…屋敷田嶋東と出てきます♪

下って戦国時代です☆天文22年に西島城主の横岳資誠と千代童が、先代の横岳資貞の供養として光浄寺に『田嶋大屋敷、同所前之早田二段』を寄進しています☆この横岳氏の大屋敷は田島環濠集落の東に隣接していました☆

田嶋大屋敷は光楽寺一帯の環濠集落になっています♪クリークの名残を留める部分が残っていました☆東側の『大屋敷』と呼ばれる方形の区画が残っていたのですが、圃場整備によって消滅しています☆
この光楽寺は堺式部入道法定が開基したと云われています♪

2021年12月01日 龍馬備中守【】
中野城[海津城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡の江口集落にある【中野城】☆南に筑後川、西に寒水川☆この寒水川は筑後川に合流します☆小さな三角州の場所に中野城は存在しました♪現在は集落を縫う様に濠の名残を残し城郭らしい面影を残しています☆

さて♪歴史ですが、太宰・少弐教頼の甥である馬場頼周が築いた平城と伝わります☆
馬場頼周はこの城館に拠って少弐資元を擁立しますが周防の大内義隆の為に次第に圧迫されていきました☆享禄(1529年)には大内氏の将、杉興連が少弐氏の綾部城を攻めています☆馬場頼周は防戦及ばず突破され少弐資元は多久に逃れています☆少弐資元の子・少弐冬尚と馬場頼周は城原にある勢福寺城に退きました☆
この馬場頼周は後に龍造寺剛忠に攻められて死去しています☆
戦国やや後期頃の(1558年〜1570年)中野城には馬場頼周の孫の馬場鑑周が居城☆
往時、肥前に置いて勢力を確立していた龍造寺隆信は馬場鑑周ら東肥前の諸将を招きますが馬場鑑周は、馬場冬尚の子・政興を綾部城に擁して応じませんでした☆その結果、龍造寺隆信は中野城を攻撃し馬場鑑周は降伏☆
後に馬場鑑周は杵島郡の小田に移されていきました☆中野城が廃城となったのはこの時でしょうね☆以降は集落として使用されて来たのかな〜??

また集落内には善法寺が残ります☆室町時代に豊後国に浄土真宗が広まり、その地にいた弓刑部少輔は弓家一族を引き連れて来ていてココ肥前国で開教しています☆この善法寺は元の場所よりこの場所に移動して来ました☆

2021年11月07日 龍馬備中守【】
犬塚城[海津城  周辺城郭]



福岡県の久留米市にある【犬塚城】♪宝満天満神社の周辺がその城域となります♪
犬塚城は応仁の乱の頃に室町幕府の九州探題職だった渋川教直が筑後の土豪の行動を探る為に築城した城郭で渋川教直の子・渋川政実を城主としました☆

延徳3年(1491年)渋川尹繁は少弐政資・大友政親に攻められ犬塚城は落城し肥前・勝尾城へと逃れています…☆
渋川氏の後の犬塚城主には蒲池城の蒲池繁久の弟・蒲池家久が入城していて家久が犬塚氏を名乗り称しました☆犬塚氏の誕生です☆戦国時代に突入すると犬塚家久の子の犬塚家貞は肥前神埼へ移ります♪直鳥城(直鳥犬塚)や崎村城(東犬塚)、蒲田江城(西犬塚)などクリークの城館を造り犬塚家は肥前国へ拠点を置いていく事になります☆
その後は隈鎮保が犬塚城主となりましたが豊臣秀吉による九州征伐により所領没収となり犬塚城も120年の歴史に幕を閉じました…☆

神社の北側から本丸跡水田の東側にかけて土塁が明瞭に残っています☆
用水路が土塁上部に設けられていて土塁上を農業用水が流れていますw

2021年11月06日 龍馬備中守【】
御塚・権現塚古墳[海津城  寺社・史跡]



福岡県の久留米市にある【御塚・権現塚古墳】♪城郭ではありませんが古墳を守る様に二重に三重に堀を形成します☆

城郭の根本は個人的には古墳から来ているモノと考えています♪それは古墳を守る為に堀を造り古墳の中心部を高く盛り上げ(土塁)形を造る♪こうした土木が後に城郭へ技術が応用されている☆と考えています♪

戦国時代にもこういった古墳は戦時に利用されていて備中高松城の戦いで毛利陣営は造山古墳に布陣したとされていたり忍城の戦いでは石田三成はさきたま古墳群に陣張り水攻めを行ったりと高台として使用されたりもしました☆更に常陸国の佐竹氏はよく古墳を取り入れた城郭を築いたりもしています♪

さて♪この御塚・権現塚古墳ですが、出土した遺物などから築かれたのは5世紀後半から6世紀前半と考えられていて、この2つの古墳に埋葬された人物は『日本書記』に名の見える、この地の豪族『水沼氏』の一族と考えられています☆この水沼氏は大和政権の一員として筑紫地方を支配していたと考えられています☆

この5世紀後半から6世紀前半に、これだけの土木技術を持ち合わせている事に感激♪

御塚古墳は三重堀♪権現塚古墳は二重堀になっている事から偉い人(水沼君だとしたら…)は御塚古墳に埋葬されているのでしょう☆上空から見たらその形は綺麗な円形を描いています☆

2021年10月06日 龍馬備中守【】
西尾城[海津城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡のみやき町にある【西尾城】♪現在は東尾集落の中の八幡神社が主郭と伝わります☆
久留米道が東西に走る交通の要衝地になってます☆
築城年代は不明にはなりますが、城主は宮原大膳太夫と伝えられていますが、この宮原大膳太夫の詳細も不明になります☆
中世の平城である西尾城☆
かつては二重の塹壕を巡らしていて間道は縦横に通じていました☆
今でこそ住宅地になっては、いますが八幡神社は高台になっていてその名残を今に残します☆八幡神社の東には『たち』『たち屋敷』などの地名が残りその外側に「たちのぼり」と呼ばれる幅広の水路が残されています☆

2021年06月28日 龍馬備中守【】
田川城[海津城  周辺城郭]



福岡県の久留米市にある【筑後・田川城】♪住宅地に残る城郭は遺構を残しません☆昭和の頃までは境内の四囲に土塁を伴う堀が残っていた様ですが今はその面影はありません☆

高良宮玉垂神社一帯が城郭だった様で神社は一段高めに残っています♪コレのみが往時を感じれる手がかりになっています☆

この城郭は土豪・田川氏の代々の居城となります☆天正元年の戦国時代に龍造寺軍が筑後に侵入して来ていて西牟田氏の居城・西牟田城を攻めました☆田川城主・田川長門守は西牟田氏の娘と結婚していた為に西牟田勢の援軍として西牟田城に向かいましたが、その途中に龍造寺軍の伏兵に襲われて討ち死にしています☆田川氏が討ち死にした現在その地には『殿様松』と呼ばれる老松が残ってます☆そして、その後、西牟田氏は龍造寺氏に属しています♪
田川氏に関しては不明な点が多くて歴史詳細の多くが不明です☆
また同じく戦国時代に田川越前守は三十七町歩を領していました☆という事は残ってます☆

神社しか撮って無かった…wここが城郭の中心部です♪そして…最近狛犬君にハマっている…w

2021年06月09日 龍馬備中守【】
中津隈城[海津城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡にある【肥前・中津隈城】☆北茂安町の平坦地を見下ろす丘陵地に設けられた平山城となっています♪古くは鎌倉時代、南北朝時代は中津隈荘(荘園)となっていました☆

鎌倉時代には松浦氏一族の中津隈氏が居たと伝わっています☆南北朝時代には北朝方の勢力が中津隈に要害を構えて南朝の少弐・菊池勢と戦っています☆この頃には城郭として機能していたと思われます☆更に戦国時代には豊後・大友氏の軍勢が肥前国へ攻め入りこの中津隈に陣所を構えてます☆
また北肥戦誌には『隆信(龍造寺の事)先づ当城を開きて帰陣すべし、犬塚三郎右衛門家広を崎村(崎村城)より中津隈に移し、姉川中務大輔信安を姉川(姉川城)より米田(米田城)に移し、横武(横武氏)が知行の内を米田村にて百町押し取り信安に給はり』と残っていて崎村城主・犬塚家広が龍造寺隆信から中津隈を賜り築城しました☆
コレは恐らく元々は松浦氏の一族が居館したものを後に犬塚氏が城郭へと変化させていったモノと思われます☆

徳音寺の南東に「館(タチ)」その西側には「館堀(タチボリ)」と呼ばれる場所があってこの辺りが中津隈氏の館跡と考えられています☆高台に位置する北側の宝満神社境内には土塁が残っていて、これが犬塚家広が造った中津隈城(要害)の遺構と思われます☆

因みに犬塚家広の子孫達は後に鍋島直茂の家臣となり生きていきました☆


2021年06月08日 龍馬備中守【】
板部城[海津城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡の北茂安町にある【肥前・板部城】♪農村地の中に城郭はヒッソリと残ります☆

鎌倉時代に源頼朝の奥州征伐時に活躍した功で板部成尚はこの地を与えられています☆
板部氏はこの地に土着してきますが板部城との関係は分かっていません☆板部氏は室町時代には衰退して行ってしまう訳なんですが板部氏の詳細は不明な点が多いです☆三養基郡のみやき町にある光浄寺は在地領主・板部成尚の開基が開山している為、肥前・板部城はやはり板部氏の根城だったと思います♪

城郭は物部神社の西にある南北に舌状に伸びた台地上に築かれました☆宅地、畑になっている部分もあり完存では無いものの堀底道を残して分かりにくいですが、土塁も残ります☆

2021年06月08日 龍馬備中守【】
千栗土居[海津城  遺構・復元物]



佐賀県のみやき町にある【千栗土居】☆城郭ではありませんが、治水の神様である佐賀藩の重臣・成富兵庫茂安が築いた堤防になります☆北茂安と三根町を結ぶ堤防は長さ12㌔という素晴らしいものになっていて千栗神社下から下流にある三根坂口までを結ぶ大堤防を築きました☆

コレは筑後川の氾濫、水害を防ぐ為事を目的としたモノですが大堤防が完成した代わりに対岸である久留米藩が、しばしば水害を受ける事になり、その為に『鬼兵庫』とも呼ばれました☆

現在は一部を保存するのみにはなりますが、千栗土居の恩恵を受けた流域の住民は成富兵庫茂安の名前を取り北茂安・南茂安という地名を付けました♪

佐賀城、佐賀城下の近隣を流れる多布施川♪城内、城下の生活用水などなど成富兵庫茂安の功績で肥前国には多くの生活堤防が残ります☆

2021年06月07日 龍馬備中守【】
千栗城[海津城  周辺城郭]



佐賀県の鳥栖市にある千栗城と千栗八幡宮☆千栗八幡宮の西に400mの場所が御嶽山跡で城域となっています☆
但し採土の為の為に御嶽山、千栗城ともに失われました☆遺構らしきものは見当たりませんでした☆

千栗城は南北朝時代に足利尊氏の部将・小俣道剰の築城に成ると伝わります☆
足利尊氏は東上に際し一色範氏を博多に留めて鎮西探題としていて、綾部城とコノ千栗城を築かせて菊池方に対する抑えとしました☆

筑後の菊池勢を討つ為に上野頼兼が肥前の兵を率いて千栗城に入り拠点として筑後で転戦をしています☆

以後は探題と菊池氏の間で千栗城は争奪戦となっていきました☆のちに一時廃城となったとされていますが、千栗八幡宮の社伝によれば南北朝時代に少弐頼澄の甥の少弐頼資が城郭を修理して代々、千栗八幡宮の祠人として更に武事に従事していました☆
コレによって中世の千栗八幡宮の大宮司は武力を蓄えました☆大宮司は養子に従軍について軍忠を上進し足利尊氏の評判を受けています☆そうです♪千栗八幡宮も城郭の性格を持つ神社という訳なんです☆

戦国時代には勝尾城の出城となっていて宗次郎左衛門が入りました♪筑紫古書文には『此城龍造寺江渡す』と出ています☆

この千栗城と千栗八幡宮はめちゃくちゃ近いです☆恐らく一つの城郭として機能していたのでしょう☆

後は肥前・狛犬です☆
特徴的な狛犬は癖があって可愛いで〜す☆

2020年12月21日 刻印爺弾正忠抱杏葉
海津城



本当に何もない田んぼの道端に唐突に石碑があります。恐らく当時は何も遮るものもなく遠くから城の場所が見えたことでしょう。
恐らく圃場整備されており何も遺構はないように思います。

2020年11月30日 こにゃんこ武将
海津城

四方を田畑に囲まれていて、そばに筑後川。遠く九州の山々を望むことができます。なぜこの地に城を築いたのか、尋ねてみたくなるお城です。もしかすると平和な時代を予見してのことだったのかな、と妄想が走り出す城跡でした。

2011年08月21日 筑後守もんど
海津城

周りはぐるっと畑でした。

2011年08月21日 筑後守もんど
海津城

城主 安武安房守鑑教

河内国よりやってきた安武氏の城
龍造寺家に従う。

海津城の周辺スポット情報

 千栗土居(遺構・復元物)

 千栗城(周辺城郭)

 板部城(周辺城郭)

 中津隈城(周辺城郭)

 田川城(周辺城郭)

 西尾城(周辺城郭)

 田嶋大屋敷(周辺城郭)

 犬塚城(周辺城郭)

 隈城(周辺城郭)

 中野城(周辺城郭)

 御塚・権現塚古墳(寺社・史跡)

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